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太田幸司さんが50年前の甲子園の熱投を語る。『戦え!スポーツ内閣』

『戦え!スポーツ内閣』

7日深夜の毎日放送『戦え!スポーツ内閣』は大船渡高校の佐々木朗希投手の件から高校野球における投手の球数制限問題。



ゲストは太田幸司ん。

太田幸司1969三沢高校甲子園熱投


50年前の1969年の夏の甲子園で青森三沢高校エースとして旋風を巻き起こし、東北勢としては戦後初の決勝進出を果たし、その決勝 松山商業戦で2日間熱投。1日目は延長18回試合時間4時間16分262球を投げ抜き0-0の引き分け。2日目の試合も全イニング122球を投げ抜いたが2-4で敗戦。決勝戦計27イニング、準々決勝からの連続45イニングを3日連投で500球以上を1人で投げ抜いた熱投も実らず準優勝に終わった悲運のエース。
ハーフの彫りの深い端正なマスクで人気が爆発した甲子園の元祖アイドル。 プロ野球界では近鉄バッファローズ13年間の投手生活で58勝85敗4セーブと凡庸な成績に終わった。 その太田さ太田浩司さん「スポーツ内閣」んが言うには、「準決勝・決勝を連投、延長18回を投げた後はお袋が編んでくれた毛糸の肩当てを当てて温めていました。」
今は、投げ終わった後は直ぐに氷で冷やすことが常識だが「当時は肩は冷やしてはいけないと言われていた」とのこと。

時代とは言え、真夏に毛糸の肩当てを当てていたことは、今更ながら驚きでした‼️

太田幸司1969三沢高校甲子園結果論だが、あの時 肩をアイシングしていたら、連投を避けていたら プロでもっと活躍できたのではないか⁈などと思ったのでした。



arayuki_cinema at 2019年08月09日 (13:50)
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