『ぼくの家族と祖国の戦争』
第二次世界大戦でナチスドイツを描く場合はユダヤ人迫害,虐殺に関する内容が殆どでしたが、公開中の『ぼくの家族と祖国の戦争』は違う角度から描かれた。
1945年4月ドイツ支配下のデンマークが舞台。市民大学の学長ヤコブが、ドイツ軍司令館から「ドイツの難民を学校に受け入れろ」と想定をはるかに超えた500人以上の難民を体育館に収容させられる。ドイツは5月9日に降伏するのだが、4月は米英軍からの空襲など総攻撃を受け、家を失った国民が溢れ、難民となり、当時支配下にあったデンマークやオランダに避難という形で押し付けていた。大学の体育館に500人以上が芋を洗うように過ごさねばならないだけでも悲惨なのに、感染症ジフテリア患者が出たから大変。ドイツ軍司令官は「場所だけ提供してくれればそれでいい」と言っておきながら、食料も薬も寄越さない無責任ぶり。つまり"棄民"である。狭い処に詰め込まれ、飢え衰弱しているのでジフテリアは忽ち拡がる。最初に犠牲になるのは幼い子供たち。デンマーク医師会は「敵国ドイツのために医療行為は一切まかりならぬ」の一点張り。見るにみかねた学長は危険を冒しながら薬を手に入れ、妻はミルクを与える。そういった行為が、周囲から"売国奴"扱いされるようになるのだった・・・。親がドイツ難民へ手を差し伸べたことにより学校でイジメに遭う息子の視点で物語は進む。
『荒野に希望の灯をともす』の中村哲医師(1946.9.15-
2019.12.4)は、生前のインタビューでアフガニスタンの人々のために自分がやった行為について訊かれ「使命感などという大それたものはありません。目の前に困った人がいたら、それを見て見ぬふりして自分だけ楽をするというのは如何なものかと思っただけです。」そして「変わらぬ大義や正義があるとすれば"命を尊重する"ということです」と語っていました。
本作の学長も正にその通り行動しただけでした。それなのに彼と彼の家族は裏切り者,売国奴の汚名を着せられ街を出て行かねばならなかったのです。人として当たり前の行為さえもこのようにされる。これは事実を基にした映画。かくも戦争は人を冷酷,非道,残虐に変えてしまうのです。
山形ではイオンシネマ天童で上映中ですが残念ながら
今日までです。上映は12:15/17:45の2回のみです。