2008年06月12日

Flower bed 第三話の1

Scene3:世界で一番、遠い場所

いくつもの思い出が、俺の中を通り過ぎて行った。
ほんの些細なとりとめもない事や、とても重大で、二度とめぐり来る事はないと思えるような出来事。
果たされた約束と、果たされなかった約束。
そんな想いも、この偉大で冷酷な、ただ回り続ける時間と言う歯車に飲み込まれてしまえば、儚く小さなあぶくに過ぎない。

三年前のあの日、キングコブラはその牙を剥かなかった。
当然だ。
俺は踏み込む前に、恵理にその牙を渡していたのだから。

扉の向こうからの銃撃は俺の手前で跳ね、そしてその先には、駆け込んで来た恵理がいた。
恵理の頭蓋骨をかすめた弾丸は、幸いにして命までは奪いはしなかった。
その代わり恵理の心だけが、世界で一番遠い場所に閉じ込められた。

彼女の瞳は、二度と開かれる事はない。

「…またか…」

オフィスのソファで目覚めた俺は、体中を包むいやな汗と、そしてどうしようもない悔恨と戦っていた。

壁にかかった時計は8:40を指している。
あと五分もすれば、美紗がやってくる。

俺はオフィスを見渡してうんざりした。
昨晩モンテカルロから帰って四郎を仮眠室に寝かせ、ソファで俺が眠りにつくまでの行動経路が全て解るように様々なものが散らかっている。
入り口付近には四郎のナイキのスニーカーが片方だけ。開けっ放しの仮眠室のドアストッパーにはダークグリーンのトレンチコートが死神の影のように息をひそめて漂い、ソファの足下には俺の靴が仲の悪い兄弟のようにそっぽを向いて転がっている。
目の前の応接用のテーブルには俺のシャツとパンツ。
パンツがきちんと線を崩さないようにたたまれているあたりが貧乏臭くて泣けてくる。

時計の針が42分に進んだ。

毎朝恒例の男の自己主張がきちんと収まった事を確認してから、俺は善後策を検討した。

とりあえずズボン履け。

それが俺の取りうる現時点での最大限にして最善の方策だった。
仮にも雇用主として、ソファの上でボクサーブリーフ一枚で秘書兼事務に相対するわけにもいくまい?

俺が自分でも感心するくらいキッチリと畳んだパンツに両足を通したタイミングで、事務所の鍵穴に鍵を差し込む音が聞こえた。

「…やれやれね」

ため息を身に纏って、美紗が入って来た。


arcadia_1 at 09:15│Comments(0)TrackBack(0)Flower Bed | 小説

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