文化・歴史

2014年01月25日

われわれのコミュニケーションが、痛みを和らげる薬と心を明るくする美酒となるように



 信仰はもっていない。「物神」を崇めてはいけないと思っているからだ。それでも、宗教が傷んでいる人々に何かの恩恵を与えられるのであれば、この上もなく嬉しい。

 ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王。CNNなどでも、その動向を伝えているが、彼が防弾車から降りて、人々の中に入っていく姿をよく見かける。

 警備担当者は…続きを読む

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2013年12月06日

とうとうネルソン・マンデラが逝った


 
 ネルソン・マンデラが逝った。書籍や映画などを通してだけだが、彼の生涯に触れたものとして、大きな欠落感を覚える。獄中で過ごしたのは27年間。人は、そこまでの弾圧に耐えられるのだ。この国では、そこまでのことが起こるはずもなく、想像すらできない。

 彼の後継者達の中には、権力の特権を享受しているものもあるようだ。首都のヨハネスブルグの治安は、いぜんとして回復していないという。アパルトヘイトは公式に撤廃されたが、ソエトで暮らす黒人たちは貧しく、黒人間での格差も顕になっている。それでも、曲りなりに、南アフリカという国家が、かつて程の暴力沙汰もなく、存立しているのは、彼の遺産だ。

 2007年に公開された映画「マンデラの名もなき看守(原題:GOODBYE BAFANA)」。….続きを読む

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2013年11月28日

身近でも見てきたセゾングループの興隆と没落



 時代というのは、時に、明示的な変化をする。少し前に逝ったのが「広告批評」を創った天野祐吉氏。そして、同誌の出現と展開の中で、その主張と軌を一にしたような実験を実社会で行ったセゾングループ。その創業者、堤清二氏が逝った。この二人は、ある局面からみると、共犯者のようなものだったのではないか。その二人がほぼ同時に逝った。

 彼の牙城であった西武百貨店のあるターミナル駅を利用し、ここ数十年を過ごしたものとして、その興隆と没落を見た。広告・広報にも関わっているが、あの時代から、ずっと違和感を持っていた。「不思議、大好き。」「おいしい生活」は、実はないのではないかと。当時、一世を風靡したクリエーターたちは、あるものはさまざまに姿を変えて生き残り、あるものは、どこかに潜行してしまった。別に、あのような処方で、結果的に消費を煽ったことの責任をとってほしいと思っているわけではない。

 どんな綺麗事をいおうと….続きを読む

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2013年11月14日

ノブレス・オブリージュとしての自己責任



 このニュースにあるように、チャールズ皇太子は、ほぼ永遠のモラトリアム。もしかすると、ずっとかもしれない。それだけ今の王様も、彼も齢を重ねている。結果的に、全額を高齢者支援団体に寄付する意向だとしても、65歳を過ぎたからときちっと年金は受け取る。彼の国の基質はよくは知らないが、儀式、演技の臭いがする。

 自戒なのだが、もっと、足元をと思うのだが….続きを読む

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2013年10月24日

このアプリは痛すぎる

 こんなことにもスマホは使えるのだ。位置情報サービスとクラウドによるデータベースとの組み合わせ。ヨーロッバ圏に住む人々にとって、ホロコーストは決して歴史の彼方のことではなく、いまだに現在的なことなのだろう。ホロコーストのことは、書籍や映像などでしか知らない、遠く離れた東洋の島国の住民には、どうしてもリアリティがないのだ。一方で、いまだにホロコーストに加担した人物の摘発が続いているし、その執念を知る時、背後で、イスラエルの諜報機関も動いているのではとさえ思える。

 個人的には....続きを読む

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2012年12月27日

やがてこの国でも同じことが起こるのか

デジタル化が進行しても、紙媒体は残るとの信仰に近い思い込みがある。果たしてそうだろうか。確かに慣れ親しんだ紙の手触り、当たり前のようにやってきたページめくりなど、なくなると考えたこともなかった。しかし、筆者もそうなのだが、タブレット端末に、デジタル化された書籍などを入れ、持ち歩く便利さは、すぐに手放せなくなった。

ニューズウィークは思い切ったことをしたが、時代の趨勢として、いつかはとの予想もあった。すでに雑誌などの制作過程はデジタル化されて久しい。それらデジタルデータとタブレット端末の親和性が高いことも衆知となった。問題は、デジタル時代に即して、また課金にふさわしいコンテンツを提供できるのか。その課題は、常につきまとっている。

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2012年12月25日

真剣に考えると難しいテーマだ

セクハラの定義も男性と女性で異なる面がある。本音では、男性の側に、女性性をどのように捉えて良いのか混乱があるのだ。その際たるものが、ここでも問題となっている「セクシー」とはということだ。この報道にある女性は、ことさら性的な感情を喚起させる服装はしていないという。ところが男性の方は、そうは感じていなかったようだ。さて、どのように考えるべきか。ひとつだけ、はっきりといえる。ここでの、それぞれの感情、性的な感情の有無は、極めて個人に属することであり、裁判という公に委ねることではないということだ。

米国では、こんな裁判をやっている。それだけ女性への差別に対する問題意識が高いのだ。翻ってこの国では…。先日、とある結婚情報サービス会社の広告を見た。カップリング成功の事例が紹介されていた。左には男性が、右側には女性が載っていた。ほぼ全ての事例で男性の年収が女性をうわまわっていた。勿論、年収が高い男性が集まっていると強調する面もあるだろう。しかし、この背後に、先進国の中で 際立って女性に賃金が低い現況も隠されている。その問題の方が、より深刻だと思うのだが。

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2012年03月05日

何故、この時期に公開したのか

 マルティン・ルターへの破門状やガリレオ・ガリレイに対する17世紀の異端審問の記録とはまるで歴史の教科書を再読しているような感覚だ。確かにそういうことがあったのだと、その記録文書が見られなくとも、リアルに感じられる。

 何故、この時期の公開なのか。自らタブーとしたものも変化していくと認めざるを得ないのならば、現在の課題に対する変化も進めて欲しい。

 いぜんとしてカソリックの総本山は、同性愛者の存在を忌避しているし、妊娠中絶も認めてはいない。一方で、閉ざされた教会内で、いまだに頻発している聖職者による主に少年らに対する性的な虐待についても曖昧な姿勢だ。しかし今、守っているものを廃棄すれば、それこそカソリックではなくなってしまう。遠く離れたアジアの島国で宗教も持たないものの遠吠えだ。

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2012年02月24日

遅きに失したのか

 やはりオバマ大統領の誕生がその背景にあるだろう。アフリカン・アメリカン。多様性が社会のエネルギーの源泉であった米国社会。その中で他のマイノリティー共々、アフリカン・アメリカンはすでに米国の歴史と文化に大きな貢献をしてきた。

 米国では数十年前までは露骨な差別があった。この国で暮らしていると、アフリカン・アメリカンのように明らかに肌の色の違う人々には出会わないし、実は差別の実態はやくわからないのだが、それもまた米国自らの情報の発信で、公民権運動などの存在も知り得たわけだ。

 失業率の若干の改善、株価の値上がりなど、欧州危機の行方はまだ不透明だが、オバマには風が吹き始めたようだ。初めてのアフリカン・アメリカンの大統領。極端な保守勢力を除いて、共和党の候補者たちも彼のような劇的なストーリーを描けそうもないし、もう一期、オバマにやらせてみようかとの声も聞こえてくるかもしれないと。再生への不安もなければ、思い切った改革が可能かもしれないからだ。

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2008年08月28日

死海文書公開、イエスとは誰なのか


 インターネットが普及したことの最大のメリットのひとつ。これまで公開が困難だった文書などを誰もが目にできるようになること。そのためさまざまな組織で情報の電子化が行われている。

 死海文書、実際に公開されても、読めないのだが....。宗教は持っていないが、あの時代、イエスという人物の果たした役割にはずっと興味があった。占領者であるローマへの抵抗者、旧態依然たるユダヤ教への変革者。パンを超えるものが時には必要だと語った男。そして、世界で一番、優しくあろうとして失敗し、十字架の上で、自身の神を呪った男。聖書には人が演じる悲喜劇のエキスが詰まっている。

archinet_japan at 10:30|PermalinkTrackBack(0)