先日は南海泡沫事件を利用して借金をチャラにしたイギリスの話をしましたが、今日は日本の話でいきましょうか。


太平洋戦争に敗れ国土が焦土と化した日本にとって、2つの大きな問題がありました。

第一に戦災からの復興という至極当然な難題。そして2つ目が戦争で破綻した国家財政の問題でした。


戦時国債2戦争というのはともかくお金がかかるものです。

昭和3年の頃歳出の28%程度を占めていた軍事費は、満州事変後に急増し昭和9年には43.5%、日中戦争が始まった昭和12年には68.9%とうなぎのぼりに増え、挙句には太平洋戦争末期に実に予算の78.7%に達するまでにふくれあがっていました。


勿論金がかかってもその分収入が追いついてくれればいいのですが、そうは問屋がおろすはずがありません。

例えば満州事変が始まった昭和6年の日本の歳入は13億円だったのですが、戦費の増大で歳出は15億3000万円と2億以上の赤字に転落していました。

当然その赤字は借金で賄うわないと仕方が無いのですが、当時の日本は貧乏な上に昭和恐慌の真っ只中で国内でろくに国債が消化できません。しかも頼みの外国も日本が戦争で国際的に孤立してしまった事で販売も期待できない状態だったのです。

そこで仕方が無く当時の大蔵大臣だった高橋是清は、一時的に日本銀行に直接国債を引き受けさせ、戦費を調達することにしたのです。最近巷でよく聞く国債の日銀引受という奴です。
(尚、高橋財政についてはデフレ脱却の例でよく引き合いにだす方がいますが、結果は別にして引受の目的はあくまで戦費調達の為です。デフレは別に関係ありません。あしからず)

当然これで終わりというわけではなく、その後の軍事費の増加と共に国債発行高は際限なく膨れ上がります

なんだかんだで、昭和7年に74億円だった国債の残高は12年後の昭和19年にはなんと1439億7188万円にもなってしまったのです。


勿論国債は日銀だけが買っていたわけではありません。

元々戦争の為に政府が民間から物資・労働力を調達すると、民間に大量のお金が流れ、それがインフレを引き起こします。

そこでインフレを防ぐために、政府にお金が戻っきて通貨流通量が増えないようにする為、国民にもせっせと大量に国債を買わせていたのです。


当時国民に広く配られた「隣組読本 戦費と国債」にはご丁寧にも以下のように書いてあります。

"国債がこんなに激増して財政が破綻する心配はないか?
国債が澤山殖(ふ)えても全部国民が消化する限り、すこしも心配は無いのです。
国債は国家の借金、つまり国民全体の借金ですが、同時に国民が其の貸し手でありますから、
国が利子を支払ってもその金が国の外に出て行く譯(わけ)ではなく国内で廣(ひろ)く国民の懐(ふところ)に入つて行くのです。"


現在でも似たようなことを言ってる人がいるような気もしますが、言っていることは別に間違いではありません。

確かに"国債がどんなに増えても全部国民が消化する限り"問題はないのですから。


しかし戦争に負けたことで、この前提は脆くも崩れてしまいました。

戦後インフレ国債を乱発してバラマキまくったお金を、敗戦と同時に国民が我先にと引き下ろし、苦しい生活の糧にあてようとするのは当然のことでした。
一方で敗戦国の国債など買う人もいませんから通貨流通量の増大に歯止めがかからなくなってしまったのです。


この結果日本は凄まじいインフレに見舞われることになりました。

昭和21年だけで、卸売物価指数は365%も上昇しました。
昭和20年~27年の間に物価は約200倍になり、最終的に昭和11年比で350倍ものスーパーインフレになったのです。

この凄まじいインフレは敗戦で打ちひしがれた国民の生活をどん底にたたき落としました。


しかし同時に政府には戦争で作った膨大な借金をどう返すか、もとい、どう踏み倒すかという大問題の絶好の解決のチャンスを与えることになったのです。

物価が350倍になれば当然国債の償還にかかる費用は実質350分の1になります。


つまり、政府の借金はほとんどチャラ。
実際当時政府には1400億円の国債以外に約2000億円の短期借入金がありましたが、物の見事に返済することに成功しています。

まさに願ったり叶ったりですが、一方でこのままでは何時まで経っても通貨への信用が回復せず、政府は新しい資金調達が出来ません。
つまりどこかでインフレを落ち着かせなければいけないわけです。


昭和21年2月26日。政府は日曜日の間隙を縫って突如金融緊急措置令を発令しました。
主な内容は以下のとおりです。
   1)現在流通している紙幣の通用は翌月の3月2日限りとする。
   2)新紙幣と旧紙幣の交換は2月25日から3月7日までとし、交換限度は1人につき100円
、それ以上の旧紙幣は預金として封鎖
   3)預金引出しは、1ヶ月につき世帯主300円、家族1人につき100円、給料の支払は1人につき500円まで。


歴史上、新円切り替えと預金封鎖と言われているものです。

この政策の狙いは新円切り替えでタンス預金を吐き出させる(同時にデノミ実施)と共に、預金封鎖で強制的に通貨流通量を減らしてインフレの進展を防ぐことでした。


しかし狙いはそれだけではありませんでした。
預金封鎖と同時に、4つの新たな税金を課すことが布告されたのです。


   1)富裕税: 資産の集中を防ぐためと称し全ての財産に課税。贅沢は敵ということで。
          500万以下:非課税、500万円超:0.5%、1000万円超:1%、2000万円超:2%、5000万円超:3%

   2)戦時補償特別税: 戦時中に発生した民間企業の政府に対する未払い代金の請求権に100%課税。
          早い話が政府による民間買掛金の全額踏み倒し

   3)財産税: 富裕税に加え一定の金額を超える金額に対し更に25%、1500万円超には90%超課税する超懲罰的税金。
          結果として当時の富裕層は大半の資産が没収され没落した。

   4)再評価税: 価値が増大した資産を再評価して6%を課税。
         ハイパーインフレでなんでもかんでも値上がりしていたが、当然実質価値が上がったわけでも何でもなく、勝手に儲かったと評価されて課税されただけ。


実はこれらの税金は封鎖預金、又は国債で支払ってもいい、ということになっていました。
これがこの政策のミソです。

新円切り替えつまり、インフレでただでさえ紙屑同然の国債を税の徴収の名のもとにこれ又タダ同然で吸い上げ、更に過去の国債乱発で溢れかえった貨幣流通を封鎖預金から強制的に接収し、残った国債の償還に当てようというのです。

つまり新円切り替えと預金封鎖政策とは、インフレ対策であると同時に、その実乱発した国債の整理政策でもあったのです。


余談ですが、この政策の本質を見抜き、あちこちから紙切れ同然の値段で買い集めた国債と交換に、財産税が支払えない大富豪から土地や屋敷を買い叩いて財をなしたのが国際興業の小佐野賢治や東急の五島慶太といった人たちでした。
いつの世にも目鼻が効く人間というのがいるものですね。


それはともかく、かくて戦後の日本は国債のデフォルトを免れ(?)復興への道を歩み始めることになります。

その意味ではこの政策は(国にとっては)成功といえば成功と言えるのですが、わずかに残っていた外債に関しては実はインフレと関係ないのでほぼ全額をちゃんと償還している事実もここで伝えて置かなければなりません。

要するに国債の大半が国内で消費するということは、確かにデフォルトの可能性は低くなるものの、いざという時はそのツケは国民全員が支払わなければならない、ということを歴史は示しているわけです。


さて、最近震災に絡めて従前禁じ手とされてきた国債の日銀引受けを実施せよという意見が多いようです。
(某所のアンケートでは実施すべきではない、という意見の15倍もの人が"実施すべき"と回答していました)

中にはカネがないなら日銀が輪転機を回して紙幣ドンドン刷ればいい、それで何の問題もおこらないし、むしろマネーサプライが増えて景気がよくなる、なんていう極論をいう人もいるとか。
(因みに紙幣を刷っているのは日銀ではなく独立行政法人国立印刷局で、日銀は銀行の当座預金口座との両替をおこなっているだけなんですが)


まあ、その是非は別の政策論ですからここではおいておくとして、いかなる名目で借りたにせよ、借金のツケはどんな形であれ必ず回ってくる、ということは古今東西変わらぬ真理です。


我々の生活と同様国も収入を増やさなければなりたたず、本来どうやって収入をあげていくかが一番大事なはずです。

しかし今巷で行われている議論はどこもかしこもお金を使う話ばかり。そしてそのためにどうやって借金をすればいいのか、という議論ばかりのような気がします。
まるで働きもしないで何枚もクレジットカードを切って贅沢をした挙句、その支払が迫ってきてどうやって今の生活を続けていこうか、という議論をしているかのようです。


どうも最近我々は日本の借金の巨大さや放漫財政に慣れきって、一番大事な根本を忘れているのではないか、なんとなくそんな気が私にはするのですが。