今の日本って基本的に皆この先どうしていいか分からない状況に陥ってると思うんです。
私が昨年まで勤めてた会社でも、社長を含め社員全員が会社を今後どうしていけばいいか分からず路頭に迷ってるというのが実情でした。
例えば就職先がなくて不安だとして、でも就職したって不安は無くならない。
薄暗くて先が見えない中を手探りで進んでいかなきゃならないのが今の日本なんだなーと私は認識してます。

そういう前提に立った時に何が必要になってくるかを考えると、それはもうはっきりしていて「手探りで進む」にあたって役立つものになります。
で、何が役立つかっていうと『いろんな他人と継続して接する場』がその一つだろうと私は思ったんですね。
手探り前提の状況では「正解」なんてものは見い出せない。
そのときそのときで進むべき方向は変わるだろうし、場合によっては立ち止った方がいい場合もある。
そういうのを一人で判断するのは難しいと思うんです。
しかも安易な正解を元にした行動は危険だから、多様な話から自分に合ったものを選択できた方がバランスが取れる。
だから「多様性」が必要。

で、そういう考えを元に勝山さん・宮原さんが行なっていることを捉えなおしてみると、「他人と接する場」の提供をしてることに気付きます。
宮原さんがやってることは比較的わかりやすい。
基本、宮原さんと1対1の「代表デリバリー」。
夜歩くのがメインだけどそれに付随して他人との接点が生まれる「深夜徘徊」。
こちらは「相手と目を合わせないで話せる」という利点も宮原さんから語られてました。
『ダベ○○シリーズ』も、目的は本の紹介やお互いに関心のある話をしあうというものですが、他人との接点がおまけとして付いてくる。
大事なのはバリエーションがあることで選択肢が生まれていること。
「深夜徘徊」は肌が合わないけど「代表デリバリー」なら大丈夫とか。

勝山さんの場合は、「ひきこもりブッダ巡礼ツアー」や「新ひきこもりについて考える会」など、ひきこもり名人を名乗ってる関係で、ひきこもりに特化したものが多い。
でも勝山さんのキャラクターのおかげで、従来のひきこもり支援・自助界隈とは異なる空気感を出していて、ひきこもり当事者にとっては他人と接する場として従来のものとは別な選択肢になっている。
また、勝山さんの持っているエンターテナー要素は、ひきこもりというワードに関心のない人に対して親和性が高いので、そういう人たちとの接点になりやすい。
ひきこもりという言葉の枠が外れることで道が開ける当事者というのもいると思うんですね(もちろん逆もありますが)。

勝山さん自身、ブッダ巡礼ツアーで新しく人と出会ったことが別イベントのきっかけになってるし(2回行った漂流教室主催イベントもこれがきっかけ)、宮原さんも例えば深夜徘徊で出会った人が次の具体的行動の起点になっている。
「他者との接点」は必ず何かを生むわけではないですが、でも何かが生まれることはある。

まとめると『多様性の保障による選択肢の増加』が「生きづらさ」というものに拮抗するには有効っぽい。
勝山さん・宮原さん周辺がやっている活動(他人と接する場をつくること)はその辺に通じる手法のひとつ、ということになりますでしょうか。
私が「いけふくろうの会」や「深夜徘徊」を札幌に持ち込んだのも、そういう理由からです。
でも自分だけでは多様性を作ることは出来ないので、他の皆さんにも思い思いに新しい場を作ってもらった方がいい。
「いけふくろうの会」はけっきょくのところ単なる飲み会だし、「深夜徘徊」だって夜に散歩するだけのものなんで、東京と同じ規模にしようと思わなければ、そんなに難しいことではない。

他人と接する場の提供は、勝山さん・宮原さんだけがやってるわけではない。
勝山さんや宮原さんの活動からリンクを辿っていけば、二人の周辺でも規模はそれぞれ違えど面白い取り組みをしてる人たちは多い。
また北海道内に目を向けても、けっこうな人たちが本質的には勝山さん・宮原さんと同レベルで面白いことをやってます。
こういった辺りはSNSの普及もあってネット上では3年前くらいからかなり可視化されやすくなってるし、各人の立ち位置(働いてるかどうか、何歳か等)を問わず参加できる集まりも以前よりは増えてます。

「勝山さんや宮原さんといった面白い人が東京で面白いことをやっている」という括りで見るとかえって混乱すると思うんです。
自分も二人と同じことをやろうとしても、それはキャラクターも違うし住んでる場所も違うので、あっという間に挫折します。
でも、上記に挙げた本質的な部分を考えて視点を広く持ってみると、自分なりに出来そうなことって見えやすくなるんじゃないかと思うんですが、どーでしょうか。

自分なりに真似てやってみるのなら、例えば勝山さん・宮原さんが最初に具体的な行動を思い立った動機が参考になるかと思い、イベント中に二人に「普通のひきこもり・メンヘラ状態から具体的な行動をしようとしたきっかけ」を質問したわけですが、上記の前提が会場内で共有されてなかったので上手くいかなかったという結果に。
ただ、これについてはヒントを得る手段はあって、例えば私は勝山さん・宮原さんのブログのバックナンバーを読んだ。
今現在の勝山さんや宮原さんを見ると部分的に真似しようとしても敷居が高い。
でも、そこに至る過程にこそ真似できるポイントがある。
勝山さん・宮原さんに限らず、自分が面白いと思う人がもしブログなりTwitterなりをやっているのなら、過去を探ってみるといいと思います。

自発的に何かをやるのが難しい方も多いと思いますが、そういう方々にとっても「多様な他人と接する場」は可能性を生む土壌のような気はします。
イベント後半にあった「依存先を増やす」ことにも繋がるだろうし。
そのためには勝山さん・宮原さんの空気感とはまた違う「場」も必要でしょう。
でも、それはそれですでに実在はしてるんですよね。
そういった場を勝山さん・宮原さんを見るのと同じ目線で捉えられるかどうかが大事なような気がします。

他者との接点を強調してきましたが、その前段として大事なのは「一人でいること」だとも思います。
勝山さんがイベント終盤で言った「ひとりぼっちが熟す」というのは、そういうことなんでしょう。
「自分のベース」が形作られていないのに他者と接してしまうと、他者の影響を受けてブレやすくなるってのはある。
また他人と接する時間と一人になる時間を交互に作ってそれを継続させるのも大事かなと。
これまた勝山さんがブログに書いていた「ターン制」というのは、そういうことでしょう。

以上、長々と書いてきました。
最後にまとめると、何をもって「しゃかいさんか」と定義するかは今の日本では分からない(分かるのはかえって危険)。
その不安定さに拮抗する手段の一例として勝山さん・宮原さんの活動を紹介した、というのがイベント『しゃかいさんか』の内容だったんじゃないかと自分は捉えてます。

他にいろんな意見があると思いますが、それこそその辺の話を今後も継続して出来ればなーと思うわけです。