なんだか眠れないなぁ、
昨夜、とゆうかさっきは結局
ナイトミュージアム」DVD観ました。

他にもしなきゃいけないことあるんだけど。。
もうすこしだけ
ボーっとさせて。

阪神淡路大震災
震災後1ヵ月後くらいに父が
「完全に復興するのに10年はかかるな」
と言っていて
10年」なんて

気が遠くなるほど長く感じたのに
10年とっくに過ぎた今の方が
涙が出ます。

今日はきっと
泣いていい日。

あの日
前日の洗い物当番だった私は
両親が起きてこない内に片付けなきゃ!と
5時半に
キッチンに立っていました。

地震は5時46分です。

地震の2,3分前
水道から落ちる水が揺れ、
食器に当たらない。
(このとき
体はまだ揺れていません)
「ん?私寝ぼけてるかな?」
と、思い、
意識を水に集中させていると
どこか、遠くから低い、
大きな不気味な音が近づいてくる。

どんどん近づいてくる。
恐い!
本気で怪獣が地面を這ってやってきた、
と思った瞬間
ドッカーンとゆう爆音と共に
体はキッチンの外に放り出され

リビングのTVや、
なんかもういろんな物が
洗濯機の中のようにぐるぐる回って
揺れがおさまっても
低い轟音は続いていて
だけど、ものすごく静かで

お婆ちゃんとか、
そこにいない兄弟とかの名前を叫んでいた気がする。

でも、その辺りの記憶が
一番あやふや。

地震だとは思わなかった。
戦争が始まったんだと思った。

その後

お友達の家が焼けているのを観ながら
ソーセージを食べた事

なんにも商品が並んでいない
コンビニ

おにぎり一つを争い
刺された人、刺した人

消えない火

行方不明者が、
どんどん死者となっていく画面

お母さんと一緒に
焼け野原に立った事

電柱しか残っていない
商店街

「生きてます・○○避難所にいます。」
の手作りの看板

「○○死亡」
の看板

「ありがとう」
の看板

三宮から
瓦礫の中を
何時間もかけて歩いて帰る途中
道が焼けてなくなっていて、
電灯もなくて
寒くて真っ暗で
遺体がたくさん横たわっている場所で
迷った事

うめき声(泣き声?)
が、するのに
探してあげられなかった事

野犬が遺体を食べていた事

お父さんが2号線を
探しに来てくれた事

焼けて出てきたお友達の骨を見て
泣けなかった事

燃える神戸の空

熱い地面

飛んできた、灰

意識があるのに助け出されずに
焼けてしまった人たちの無念

自然は人間に恨みがあるわけではない、
ただ、
自然の営みとして
揺れただけだ。

だけど、何も出来なかった
自分の無力さ。

壊れて
水が洩れている水道管がある、
と聞くと
ポリバケツを持って、
何往復もした
お水の重さ

背中に赤ちゃん、
両手にポリバケツを持って坂道を昇る
母親の強さ

電車で30分の大阪へ
船やら徒歩やらで
いろんな方法でたどり着いた事

ぼろぼろの神戸に比べて、
建物がまっすぐ立っている大阪が羨ましくて
オシャレをして歩いている人を見て
とっても悲しかった事

久しぶりに入った
おばあちゃんの家の
お風呂の暖かさ

大阪に疎開して
はじめて親元を離れて、寂しかったのに
寂しいって言えなかった事

久しぶりにお母さんが会いに来てくれた時
嬉しくて
玄関でこっそり泣いてしまった事

水道が復旧して
何ヶ月かぶりに、自宅の蛇口から流れる水の
本当に本当に美しかった事
(今でも、水道から落ちる水に
見とれる事があります。
もったいないね。)

やっと復興した電車に乗って
知らない人どおしで
握手し、泣き喜んだ事

その電車が、瓦礫の中を走る時
また、泣き崩れる人達

でも、
会う人、会う人の挨拶が
「生きてて良かったね」
だったこと

人は忘れる事によって
生きていける、

だけど、
この経験から学んだ事は
忘れちゃダメだ。

私は、
まっすぐに、生きてきている?

ちゃんと、生かせている?