読点(とうてん・てん)のうちかたに関する唯一の公文書、文部科学省『国語表記法統一基準』ですが、昨日の−その1−で検討したことからわかるように、私たちが文章を書く際に参考になるような代物(しろもの)ではありません。

また、当該文書自体が「文部省で編修又は作成する各種の教科書や文書などの国語の表記法を統一し、その基準を示す」と述べており、国民の表記全体を統制するものでもありません。

そこで、私たちなりの国語表記法基準を考えてみましょう。

読点をうつかどうかは文章を書く人が決定します。読む人が決めるわけではない。ですから、書く人が読む人にどうしてほしくて読点をうつのかの立場から基準を考えるべきです。

その観点から読点をうつべき場所をいろいろじっくりと考察してみると、書く人が1個の思考のかたまりを述べている場所ごとに読点で区切る、書く人や読む人が1つの場面を思いうかべるごとに読点で区切る、この2者が大原則ではないかと思い始めました。

上の文でも、「私がいろいろ考察する」場面、「1つの思考ごとに区切る」という概念、「1つの場面を思いうかべるごとに」という別の概念、「2者を総合」と両方を視野に入れた場面の4つのかたまりがあり、その場所ごとに区切って読点をうっています。

比喩で言うと、映画やテレビドラマでカメラのショットが変わるたびに読点をうつ、という感じです。

頭の中にスクリーンなりテレビ画面があって、「おじいさんは山に芝刈りに、」で山へ向かうおじいさんを思いうかべる、「おばあさんは川に洗濯に、」で洗濯するおばあさんを思いうかべる、「そこへ川上からどんぶらこどんぶらこと桃が流れてきました」で流れてくる桃を思いうかべる。その場面の区切りにうつのがテン、読点です。

「おばあさんは川に洗濯に」だと、おばあさんが川に洗濯に向かう1場面、あるいは川で洗濯する1場面だけですが、「おばあさんは、川に洗濯に」とテンで区切ると、まずおばあさんのの全体像が頭のスクリーンに登場し、次に川へ向かうおばあさんの後姿にかわる、このように読点によって頭の画面が切り替わりませんか?

この原理で、読点をうつべき場所すべての説明ができそうです。

例えば、昨日の文部省が掲げる例のうち、並列の単語の間にテンをうつ(例:まつ、すぎ、ひのき、)場合、私たちは脳裏に、まつ、すぎ、ひのきを一つずつ順に思いうかべています。
また、(例:父と、母と、兄との3人で)と書かれていたら、父、母、兄が別々に順番にイメージされ、読点を省略して「父と母と兄の3人で」と書かれていれば3人のまとまった集団が最初から頭にうかんでいるはずです。

「映画やテレビドラマに例えると、ワン・シーン切り替わるごとに文章だと読点をうつ。」これが私の提案する読点のうちかたの大原則です。

この大原則だけでは、まだ実際の役には立ちません。

子どもたちに読点をうつ場所を指導する場合、どう具体的に教えてあげればよいか、それを明日、−その3−で考えてみたいと思います。



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