昨日(平成21年5月10日(日))テレビに相撲の東関親方(元高見山)が出演していた。東関部屋では稽古の最後に全力士が十訓を唱和する。その中に「気持ちよく挨拶をする」という一節があって興味をひいた。

挨拶の大切さを訴える人は多い

社訓や校訓でも、挨拶の励行を掲げるものをよく見かける。経営や営業のマニュアル本を読んでも挨拶の大切さに触れるものが多い。ハワイ生まれの高見山が、(外人なのに)挨拶を部屋の基本精神にしているのを見て、なぜ挨拶が必要なのか、その理由をあらためて考えてみる気になった。

実は私の塾も、他に何ら道徳的な規則は設けていないが、「挨拶をしよう」だけは最初から(深く考えることもなく)「きまり」の中に入れてある。

挨拶の大切なわけは教えてもらえない

世はインターネット時代、「なぜ挨拶は必要か」「挨拶が大切なわけ」をウェブ上で検索してみた。

すると、「荒れないクラスを作るには挨拶が大切」、「営業のカリスマは挨拶に秘密」「小学受験勉強の出発点は正しい挨拶」等々はひっかかってくるが、生きていく上でなぜ挨拶が必要なのか、その根本理由を教えてくれるものは、意外にも全く見つけられなかった。

仕方がないので、自分で考えてみることにした。

純粋な挨拶とは言えない例だが、日本人は歩行中人にぶつかっても黙って行き過ぎる人が多いが、欧米人は必ず笑顔で謝るという話をよく耳にする。早くから都市化が進み、他人に対して「敵意がない」ことを積極的に表明しないと危害を加えられるおそれがあることがその理由だと説明されることが多い。

このあたりがヒントになりそうな気がする。

敵を作らない方策としての挨拶

幸せに生きていく上で、「敵を作らない」ということが案外一番大切なことではないかと私は思っている。

人生の中で、1人の人間が知り合う人の人数なんてたかがしれている。さらにその中で自分のことを理解して好いてくれる人なんて、知り合う人の何百分の一、何千分の一だろう。あるいは、人から好かれようとすると大変な労力が必要になると言い換えてもよい。

逆に、人生でつまずくときは、自分が知らぬ間に自分に悪意やねたみを抱いていた人に足を引っ張られてということが多い。

10人の知り合いのうち、5人は好意を持ってくれているが残りの5人が自分に悪意を抱いている場合と、好意を持ってくれている人は1人だが残りの9人は味方ではないが少なくとも悪意も持たない中間派だという場合を想定すると、後者のほうが生きていく上で失敗する確率は相当低いような気がする。

人に自分を好いてもらうのは大変難しい。

しかし、悪感情をもたれない方策として積極的に挨拶をするということは、簡単で、誰でもできることだ。挨拶は、敵を作らないための、たいして努力を要さない割には効率がよい唯一の方法と言えるのではないだろうか。


(追記:『なぜ挨拶は必要なのか?(2)』に続きを書きました。)

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