最初に断っておきますが、国母選手その人のことをとやかく言う気はまったくありません。
服装や態度はすべてその人の自由、好き嫌いはあっても他人が口出しすることではないというのが私の基本的な立場です。


2月18日、バンクーバーオリンピック、男子スノーボードで、服装問題で物議をかもした国母選手は決勝に進出するも最後の大技で着地に失敗、メダルを逃し8位に終わりました。


私は、オリンピックの生中継をほとんど見ません。私が見ると、なぜか日本選手が負けてしまうからです。
男子スノーボードのハーフパイプ決勝だけは、たまたまテレビがついていたので出かける支度をしながらちらちら見ていました。

国母選手、出だしは調子がよかった。NHKのアナウンサーもメダルに届くかと興奮気味でした。ところが競技の最後の最後に転倒、低い点数で終わってしまった。

そのときの私の感想が、「ああ、やっぱりな。」でした。

服装が乱れているから、言動が顰蹙をかっているから、そんな人柄だからうまくいかないのだと思ったわけではありません。
勝った外国人選手も紳士とは言いがたい面々だったように思います。

私が「やっぱりだめだったか」と思った理由は『人気』です。

人気がある、ないの「人気」とはちょっと違う。
「人の気」、他人がその人に向ける『気』、念力に近いものです。

日本国民がこぞって「国母選手、頑張れ!頑張れ!」という『気』を送っていたら、あの転倒はなかったであろう。
「こんな品のないアンチャンが勝てるはずがない」、「なんだ、こいつ、腹がたつ、負けて恥をさらせ」と、相当数の人が悪い『気』をテレビ画面に送っていたであろうから最後までうまくいくはずがない。
そういう意味の「やっぱりこうなったな」でした。

「何を非科学的なことを言っているのだ。」と思われる方が多いかもしれませんから、言い直します。
オリンピックなんて、よほどの達人でないと出られるものではありません。世界の最高峰が集って競う場です。実力などは紙一重。
そんな場所で、「戦っているのは自分だけではない、自分を応援してくれている人の願いも自分を助けてくれている。」と確信して競技に臨む人と、「自分は孤立無援だ、国民さえも敵だ、くそ、見返してやる。」と思って戦う人との、その差は限りなく大きい。

国母選手は国民からの「どす黒い思念」、「悪意」に転ばされたのです。


『実るほど頭(こうべ)をたれる稲穂かな』。
昔の人は人の悪意やねたみが一番害をなすことをよく知っていました。呪詛、たたりを信じていました。
「科学的」になった現代人は人が人に向ける『気』に無頓着です。
しかし、人を応援する良い『気』、人の足を引っ張る悪い『気』は確かに存在する、ある程度歳をとるとそれがわかってきます。


受験も、スケールは違いますが、受験生にとってはオリンピックです。
人生にそう何度もない、大試合です。

やはり、人の『気』に左右される要素が、そこにはあります。

まわりの人が、「ああ、この子に勝たせてやりたい!」、「あれだけ頑張っていたんだから勝ってほしい!」、「こんないい子に泣いてほしくない!」と必死で応援してくれるほどの毎日をおくれているでしょうか?

あなたに『人気』は集まっていますか?



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