わが国の政治は、外国との交渉や外国との約束からも大きく影響を受けます。
わが国が参加した国際会議と、わが国が外国と締結した条約についてまとめてみました。


歴史分野で重要な条約

幕末(〜1867年)

日米和親条約(1854年)・・・江戸幕府がアメリカのペリーを相手に結んだ条約。アメリカの艦船が下田と函館に寄港できる事、燃料や食糧を提供すること、下田にアメリカの領事を置くことを約束しました。鎖国をやめて開国することになったきっかけの条約です。

日米修好通商条約(1858年)・・・江戸幕府の大老井伊直弼と、アメリカの総領事ハリスとの間に結ばれた条約。函館・新潟・神奈川・神戸・長崎の開港、江戸・大阪の開市、自由貿易、関税を両国の協議で決めること(関税自主権がない)、在留外国人の犯罪に対して領事裁判権を認めること(治外法権を認めた)などを約束しました。
後、イギリス、フランス、オランダ、ロシアとも同じ内容の条約を結びました。

明治(明治元年1868年〜明治45年1912年)

日清修好条規(1871年)・・・日本と清国との間で結ばれた条約。外交使節を交換し、両国が領事を置くこと、関税を両国の協議で決めること、お互いに領事裁判権を認めることなどが内容です。

樺太千島交換条約(1875年)・・・国境が確定していなかったロシアと日本との国境を決めた条約。それまで日本・ロシアの混住の地であった樺太の領有権を日本が放棄し、かわりにウルップ島以南の千島列島18島を日本の領土とすることを約束しました。

日朝修好条規(1876年)・・・江華島事件をきっかけに、日本が李氏朝鮮政府と結んだ条約。鎖国状態であった朝鮮を開国し、朝鮮に関税自主権がなく、日本の領事裁判権を認めさせた、朝鮮にとって不平等な条約でした。

日英通商航海条約(1894年)・・・幕末に日本が諸外国と結んだ通商条約の中の不平等条項(領事裁判権を認めた、関税自主権がなかった)を撤廃する内容の条約。1894年(外相は陸奥宗光)、この条約で領事裁判権(治外法権)の撤廃に成功しました。そして、1911年(外相は小村寿太郎)、日米通商航海条約の改正時に、関税自主権の回復に成功しました。

下関条約(1895年)・・・日清戦争終結後の講和会議で、日本国全権の伊藤博文・陸奥宗光と、清国全権李鴻章との間で結ばれた講和条約(戦争は講和条約の締結で法的に終結します)。朝鮮が清から完全に独立した国であることの確認、遼東半島と台湾・澎湖諸島の日本への割譲、戦争賠償金2億テール(両)の日本への支払いなどを清が認めました。
後、三国干渉(ロシア・フランス・ドイツ)によって、遼東半島は清に返還されました。

日英同盟(1902年)・・・東アジアへの進出を企てるロシアに対抗するために日本とイギリスが結んだ条約。どちらかの国が1国と戦うときは中立を保つこと、2国以上と戦うときは参戦して協同で戦うことを約束しました。日本が第一次世界大戦に参戦する根拠となった条約です。1921年のワシントン会議の四カ国条約の締結によって失効しました。

ポーツマス条約(1905年)・・・アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトが仲介したポーツマス会議で締結された日露戦争の講和条約。日本の全権は小村寿太郎、ロシアはウィッテ。韓国に対する日本の優越権の承認、樺太南半分の日本への割譲、旅順・大連の租借権の譲渡、南満州鉄道の譲渡を内容とします。
賠償金を認めない内容に、日本国民が怒り、日比谷焼討事件などの暴動が起こりました。

大正(大正元年1912年〜大正15年1926年)

パリ講和会議(1919年)・・・第一次世界大戦の戦勝国イギリス、フランス、アメリカ、日本、イタリアと敗戦国ドイツが参加して開かれた講和会議。講和条約であるベルサイユ条約が結ばれ、アメリカ大統領ウイルソンが主張した国際連盟ができるきっかけとなりました。

ベルサイユ条約(1919年)・・・パリ講和会議で、第一次世界大戦の戦勝国と敗戦国ドイツとの間に結ばれた講和条約。ドイツの軍備制限、海外植民地の放棄、一部領土の割譲、巨額の賠償金(当時のドイツのGNPの20年分)の支払いなどを内容とします。
ドイツの疲弊と経済的混乱がやがてヒトラーのナチス政権を生み出します。1935年、ヒトラーはベルサイユ条約を一方的に破棄しました。

ワシントン会議(1921〜22年)・・・アメリカ大統領ハーディングの提唱で開かれた、歴史上初の軍縮会議。この会議で、四カ国条約、ワシントン海軍軍縮条約(アメリカ・イギリス・フランス・日本が主力艦の制限を定めた)、九カ国条約が結ばれました。

四カ国条約(1921年)・・・ワシントン会議で、アメリカ、イギリス、フランス、日本の4ヶ国が結んだ条約。列国の領土である太平洋上の島々に対する権利の相互の尊重と非軍事基地化を決めました。
台頭する日本を警戒した列国のおもわくで、この条約により日英同盟が効力を失いました。

九カ国条約(1922年)・・・ワシントン会議に参加した、アメリカ、イギリス、フランス、日本、イタリア、ポルトガル、オランダ、ベルギー、中華民国の間に結ばれた条約。中国の門戸開放、機会均等、主権尊重を決めた条約で、日本の中国進出を抑制するねらいがありました。

昭和(昭和元年1926年〜昭和64年1989年)

太平洋戦争まで(昭和元年1926年〜昭和20年1945年)

不戦条約(1928年)・・・1928年、当時の列強15ヶ国がパリで結んだ条約(のち、63ヶ国が署名)。正式名称は『国策の手段としての戦争放棄に関する条約』。国際紛争を解決する手段としての戦争の放棄と、紛争の平和的解決を約束しています。実効性はありませんが、戦争が原則として認められないことを宣言した最初の条約です。

ロンドン海軍軍縮会議(1930年)・・・アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、日本が参加し、ロンドンで開かれた、列強海軍の補助艦の制限を目的とした会議。主要艦を制限したワシントン海軍軍縮条約(1922年)に次いで、日本の海軍力の制限というねらいがありました。

日独伊三国同盟(1940年)・・・ドイツのベルリンで調印された、日本、ドイツ、イタリア3国の軍事同盟。日独伊防共協定を強化して、アジアでの日本、ヨーロッパでのドイツ、イタリアの指導的地位を認め、外国から攻撃を受けたときの相互援助を取り決めたものです。

太平洋戦争後(昭和20年1945年〜昭和64年1989年)

ポツダム宣言(1945年)・・・1945年7月26日、トルーマン大統領(アメリカ)、チャーチル首相(イギリス)、スターリン首相(ソビエト連邦)の3者が合意し、後に蒋介石総統(中華民国)が加わった、日本に無条件降伏を求め、戦後の日本の取り扱いを定めた宣言。日本軍の武装解除、日本を占領すること、日本の領土の制限、戦争犯罪人の処罰などを内容とします。
日本は1945年8月14日、この宣言を受諾し、連合国に降伏して、太平洋戦争は終結しました。

国際連合憲章(1945年)・・・1945年6月のサンフランシスコ会議で51カ国が署名して成立した、国際連合の成立の基礎となる文書。国際連合の目的や、総会、安全保障理事会などの組織について定めています。日本は1956年、国際連合への加盟申請が認められました。

サンフランシスコ講和会議(1951年)・・・太平洋戦争で日本と戦った51カ国をアメリカとイギリスが招請し、日本と講和条約を結ぶために開かれた会議。この会議で、サンフランシスコ平和条約(サンフランシスコ講和条約・対日講和条約)が締結されました。

サンフランシスコ平和条約(1951年)・・・太平洋戦争で日本と戦った連合国と日本との間に結ばれた、戦争状態を終結するための講和条約。戦争状態の正式な終結、日本国の主権の回復(それまではアメリカ軍を中心とする連合国に日本は占領されていました)、朝鮮の独立の承認、台湾・南樺太・千島列島の放棄、極東国際軍事裁判所の判決の受諾などを内容とします。

日米安全保障条約951年)・・・サンフランシスコ平和条約と同時に日本とアメリカとの間で結ばれた条約。連合国軍の日本占領が終わったあと、アメリカ軍が日本に駐留することを定めました。正式名称は『日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力および安全保障条約』。1960年の改定で、日本をアメリカと日本が協同で防衛することや、軍事行動の際の事前協議制度などが内容に加わりました。

日米地位協定(1960年)・・・日米安全保障条約の改定時に日本とアメリカが結んだ協定。日本に駐留するアメリカ軍の待遇について定めたものです。アメリカ軍が使用する施設や区域内での特権や特別な地位について規定されています。犯罪をおかしたアメリカ軍人の身柄を日本は起訴前に拘束できないとする条項があります。

日ソ共同宣言(1956年)・・・鳩山一郎首相(鳩山由紀夫前首相の祖父)のときに、日本とソビエト連邦の間で出された宣言。日本とソビエト連邦との戦争状態の終結と(ソ連がサンフランシスコ平和条約に加わらなかったので、国際法上は両国の戦争状態は終結していませんでした)、日本とソ連との国交回復を内容とします。
この宣言によって、それまでソビエト連邦の反対で国際連合に加盟できなかった日本が国際連合に加盟する道が開かれました。

日韓基本条約(1965年)・・・日本と大韓民国との間で結ばれた条約。日本と韓国との国交を正常化し、1910年(韓国併合)以前に結ばれた条約を無効とすることや、日本からの経済援助などを内容とします。竹島の帰属については先送りされました。

日中共同声明(1972年)・・・日本の田中角栄首相と中国の周恩来首相の交渉で出された声明。日本と中国の戦争状態を終結させること(中国はサンフランシスコ平和条約には加わっていませんでした)、日本と中国の国交を正常化すること、アジア・太平洋地域での覇権に両国が反対することなどを内容とします。

日中平和友好条約(1978年)・・・福田赳夫首相のときに、日本と中国との間で結ばれた平和条約。日中共同声明をふまえ、主権や領土を両国が尊重すること、中国が日中戦争の賠償金を請求をしないこと、日本が中国に経済援助をおこなうことなどを定めています。


公民分野で重要な条約

国連海洋法条約(1982年)・・・国際連合で採択された条約。領海・公海・生物資源の保護・大陸棚について定めています。200海里排他的経済水域が正式に認められた条約です。

南極条約(1959年)・・・南極国際会議で締結された条約。南極大陸に対する特定の国の領有権を認めないこと、南極で自由に科学的な調査研究ができること、南極大陸を平和的目的にのみ利用すること、南極での核実験の禁止などを内容としています。

核拡散防止条約(1963年)・・・アメリカ・イギリス・ソビエト連邦が作成し、国際連合で採択された条約(略称NPT)。190ヶ国が参加している(核兵器を保有している国のうち、インド・パキスタン・イスラエルは不参加)。核兵器保有国の他国への移譲の禁止、非保有国の製造の禁止、国際原子力機関による査察等を内容とします。

部分的核実験停止条約(1963年)・・・アメリカ・イギリス・ソビエト連邦の3国が締結し110ヶ国が調印している条約(略称PTBT)。大気圏内、宇宙空間、水中での核実験を禁止しています。中国やフランスは加入しておらず、地下核実験は禁止されていません。

日米犯罪人引渡条約(1980年)・・・日本とアメリカの間に結ばれてた犯罪人引渡しに関する条約。法定刑が懲役・禁固1年以上の重罪を犯した犯罪人が相手国に逃亡したとき、その引渡しを相手国に請求できるという内容です。同様の内容の日韓犯罪人引渡条約もあります(日本が犯罪人引渡条約を結んでいるのは2国のみ)。

世界人権宣言(1948年)・・・国際連合第3回で採択された、人権の国際的な保障をうたった最初の宣言。基本的人権としての市民的自由権、政治的自由権だけでなく、経済的・社会的・文化的権利についても定めています。すべての国の努力基準を示したもので、強制力はありません。

国際人権規約(1966年)・・・世界人権宣言の内容を発展させ、国際連合総会で採択された個人の権利に関する規約。労働基本権・社会保障・教育・文化活動などの社会権に関する規約(規約A)と、生命や身体の自由・表現の自由・平等権・参政権などの自由権に関する規約Bがあります。

児童の権利条約(1989年)・・・国際連合総会で採択された児童の権利に関する条約。国際人権規約の内容を児童についても広く認めたものです。児童を、保護の対象ではなく、権利の主体として認めている点が特徴です。「子どもの権利条約」ともいいます。

女子差別撤廃条約(1981年)・・・国際連合の総会で採択された条約。加盟国が、完全な男女平等を達成する義務を負うことを定めています。また、締約国は、私人間の差別も撤廃する義務を負っています。


環境分野で重要な条約

京都議定書(1997年)・・・京都で開催された、地球温暖化防止京都会議で採択された議定書。二酸化炭素などの温室効果ガスの排出を、先進国が2012年までに1990年の水準まで削減する責任を負うことが定められています。

ワシントン条約(1973年)・・・アメリカのワシントンで採択された、動物保護の条約。アフリカ象やゴリラ、パンダなどの絶滅危惧種の国際商業取引を規制する内容です。

ラムサール条約(1971年)・・・イランのラムサールで開かれた国際会議で採択された条約。水鳥の生息地として重要な湿地の保全と、湿地で生活する動植物の保護促進を目的とします。日本は保護の対象になる湿地として、釧路湿原(北海道)、厚岸湖・別寒辺牛湿原(北海道)、琵琶湖(滋賀県)、漫湖(沖縄県)など11ヶ所を登録しています。



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