音楽評論家の本間ひろむさんの書かれた『精神疾患は天才への入り口か!?』(新潮45.2010.7月号)に、興味深い記述がありました。

「モーツァルトは天才です。彼の直筆楽譜には書き込みがほとんどない。彼が作曲するとき、曲の完成品が頭の中に鳴っているんですね。だから、それを採譜するだけでいい。」
「モーツァルトの音楽は構成、リズム造形、オーケストレーション、バランス、どれをとっても完璧です。」
「だから、モーツァルトの音楽を聴かせると乳牛がよく乳を出す、という話もあながちデタラメではない」

また、普通の音楽家は、「何度も何度も譜面を見て、弾いて、目と耳と指で地道に覚えていくのです。」
ところが、指揮者の故・岩城宏之氏は、一度譜面を見るとそれが一瞬で頭の中にそのままコピーされるから、「演奏中は楽譜を見ずに、頭の中にある譜面をめくってタクトを振る」。
「ヴァイオリニストの千住真理子もフォトコピーする演奏家です。」「観客の中に譜面を映し出し、それを見ながら演奏するので観客が動いたりすると困るそうです。」
カラヤンも同じであり、将棋の羽生善治名人も、「パソコンで過去の名勝負の棋譜を頭の中にフォトコピーするそうです。」「これは、歴代名人の戦略を局面に応じて使い分けることができる、ということです。」

つまり、本間さんは、天才の属性として、(1)天才は「究極の理想」、「完全な美」が生まれつき頭の中に入っている、(2)天才は見たら一瞬で対象をそのまま頭にコピーできる、の2つの要素を持つと述べているわけです。


天才は「究極の理想」、「完全な美」が生まれつき頭の中に入っている

私も、どうやら世の中には確かに天才がいるようだ、とは感じていました。

(1)の、「天才は『究極の理想』、『完全な美』が生まれつき頭の中に入っている」ことについては、以前ここに書き残しています。

最近の例では、iPhoneやiPadを世に出したアップル社のスティーブ・ジョブズ氏が、この種の天才ではないのかと私は疑っています。
あの発想は、こつこつ努力して出てくるようなものではない。


天才は見たら一瞬で対象をそのまま頭にコピーできる

このことも、過去に3度ほど、他の人が書いているのを読んだ覚えがあります。

一つは作家、今東光が友人の画家、東郷青児について書いた文です。
「東郷青児は何年も前に見た景色や人物について、ああだった、こうだったととうとうと語るんだ、そしてそれを目の前でそのまま描くんだよ、それを見て俺は画家になる夢をあきらめた、そんな奴に勝てるわけがない。」

もう一つは小説家の富島健夫の文章だったと思います。
「高校時代、同級生にすごい奴がいた。本を開いて、2、3秒でぱっと閉じて、その本に書いてあったことを一言一句たがえずにそのまま言えるんだ。それを見たら、勉強する気なんかすっかり失せて、俺はぐれちまった。」

最後の一つは、私の若い友人の言葉。
「東大出だってことで世間の人は僕のことを賢いと思っていますが、僕なんか全然だめです。東大にはすごいのがいるんですよ。大部の論文集にさっと目を通すと、その内容をそのまますらすら語っちゃうんです。そんな奴を見たら、もう何もする気がなくなっちゃいますよ。」

幸いなことに、私はまだそういう人に遭遇していないので伝聞で知っているだけですが、今回読んだ本間さんの文も、そういう人が本当に存在するんだということを語っているわけです。

酒鬼薔薇事件の加害者の少年も同類だと言われています。
彼の場合は、才能が不幸な出現の仕方をした例でしょう。


新しい扉をこじ開けるのは天才である

こういう人の存在する確率は、おそらく1万分の1以下、ひょっとすると10万分の1か100万分の1かもしれません。

そして、そんな才能を持った人がそれだけで幸せだとは決して言えません。東郷青児なんかはその才能を生かして成功した例ですが、上で述べたような「天才」は、いわばミュータント(突然変異体)であって、普通の人で構成されている社会では不幸な一生を送る人のほうが圧倒的に多いのではないかと想像できます。

しかし、天才だけが人類の新しい扉をこじ開けることができる。

スティーブ・ジョブズがよい例です。
彼のこじ開けた扉によって、人類が何百年も慣れ親しんだ紙の本がなくなってしまうかもしれない。
他の凡人は、彼の開いた扉のあとをぞろぞろついていくしかないのです。

でも、それでいいとも言える。

人類の歴史は「普通の人」の集合体の歴史であり、この社会は「普通の人」で構成された社会です。
天才の役目は扉をこじ開けることだけで終わってしまって、社会の進歩、歴史の発展の担い手は「普通の人」であり、「普通の人」にしかそれはできないからです。


この話が塾に何の関係があるの?

こちらで、私は悩んでいると書きましたが、本当は私自身の中で結論は出ているのです。

どちらも、塾の教え方としては正解です。

天才であれば、対角線の長さが20cmの正方形を見ただけで、ひし形という言葉もなしに、対角線×対角線÷2も意識しないで、その面積がぱっと頭にうかびます。

私たち普通の人間は、補助線を書き込んでそれを手がかりにしたり、公式を覚えてそれを使ったりしないと絶対に正解にはたどりつけません。

塾で教えられるのはそこまでです。

私たち普通の人間ができることは、天才が生まれつき知っていることを、苦労して、経験を重ねて、やっと理解するしかないのです。


凡人であることは、悲しいことではあるけれども、幸せでもある。

ガロアのように、現代の数学、物理学の基礎理論を17歳で発見しながら、普通の人である数学者や教師や大学教授にいじめられ続けて21歳でむなしく死んだ天才の不幸を味わわずに、勉強次第では天才の到達した理論の山すその端っこくらいには行き着けるのですから。


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