ものが見える仕組み

太陽や電灯のように、自ら光を発しているもののことを光源といいます。

人が光源を見ると、光源からあらゆる方向へとび出している光のうち、目の方向へとび出した光だけが目の角膜を通過し、目の中のレンズで屈折して、網膜に当たり、網膜に光源のを結びます。
網膜には光を感じとる細胞があり、その細胞が感じとった光を電気信号に変えてへ伝達します。
最後に脳で像として再構成されます。
見えるということ














この一連の過程を、一般に「ものを見る」と言っているわけです。


光源を直接見ることは稀(まれ)です。
では、光源以外の、自分からは光を発していないものを見るときはどうなっているのでしょうか?

見えるということ−2
















光源からは、あらゆる方向に光がとび出しています。
その光のうち、目を向けている対象物(この図では矢印)にあたった光は乱反射し、あらゆる方向にはねかえります。
はねかえった光のうち、目の方向に反射して目にとび込んでくる光を使って人は対象物を見るということになります。

光源を見るときは光源からとび出してくる光を使って光源を見ます。
光源ではないものを見るときは、光源から出て対象物の表面で反射して目に届いた光を使ってものを見ます。
この点だけが、光源を直接見るときと光源以外のものを見るときの違いです。

それ以外の経過は、まったく一緒です。
レンズで屈折→網膜に像ができる→網膜の細胞がとらえた像を脳へ伝達→脳で再構成となります。


目で見ているのではなくて脳で見ている

私たちは普段、ものを目で見ていると思っていますが、実は目はあくまで光の通過点に過ぎません。

実際に「見ている」のは脳です。

目を覚ましているときは常に目を介在させているので、私たちを「見る」という行為を目を使ってものを見ることだと「錯覚」しているだけで、本当は、脳で夢を見たり、過去の思い出を思いうかべるのと同じことを、目を使ってしているに過ぎません。

正確に目で見ることができる確実な実体を持ったものが客観的に自分の外にあって、それを脳がそのまま感じとっているのではなくて、脳で見ていると思っているものが(本当の正体はわからないが)自分の外にあるに過ぎないということです。




人が、ものを目で見ているのではなくて脳で見ていることの一番よい証拠は色です。

私たちは「青いもの」を見たとき、そこに「青という色をしたもの」があると思い込んでいます。

しかし、上で書いた「ものが見える仕組み」からわかように、あるものが青色に見えるのは、そのものが青いからではなくて、そのものから反射した光が人間の脳では青と判断される光だということに過ぎません。

太陽光は、1つの光自体が、いろいろな色の光がまざったものです(すべての色の光を混ぜると、人の脳には太陽光の色、つまり白色光に見えてしまいます)。

プリズムという実験器具を通すと、1つの光だと思っていたものがいろいろな光が束(たば)になってあわさったものだということを確かめることができます。

私たちの目に青色と見えるものは、いろいろな色の束である光がそのものに当たったとき、人の目に青色と見えるものだけを反射しているものに過ぎないということです(他の色の光はそのものに吸収されます)。

そのもの自体に色がついているわけではなくて、光の束の中の、私たちが青色と感じとる色の光だけを反射するものを、私たちは「青いもの」だと脳で判断しているのです。


見ていると思っているものすべてが脳による解釈を経たものである

ものを見ているのは、目ではなくて脳です。

なぜ、こんなことをあらためて言うかというと、目ではなくて脳でものを見ていると考えないと説明できないことが光の単元では多く出てくるからです。

ふだんの生活では、対象物の実体と、脳で見ていると思い込んでいる像との間にずれが生じないので、ものを目で見ていると思っていても混乱することはまったくありません。

ところが、鏡の反射の問題や、屈折、凸レンズの問題は、すべて、脳が見ていると思い込んでいるものと、実際のものとの違いがからんできます。

その具体例については別稿でとりあげます。




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