一世を風靡した雑誌に『暮らしの手帖』があります。

世間がその本当の価値を知らないままに廃刊となり(と書いて念のために調べてみたら、まだ刊行中でした)、山本夏彦さんのようなめったに人を誉めない「世の気難し屋」が、雑誌と編集長の花森安治氏を絶賛していた雑誌です。

最近刊行された、『『暮らしの手帖』と私』は、九十歳でまだ現役という、暮らしの手帖社の社主(前社長)の大橋鎭子さんの著書です。

『新潮45』2010年8月号に、鶴ヶ谷真一さんが『『暮らしの手帖』と私』の書評を書いておられます。今日は、その中の言葉から。


「著者の大橋鎭子さんは」「小学5年生のときに父親を結核で失った。臨終のベッドで、父は長女である著者に、母を助け二人の妹の面倒をみるように言いおいて亡くなった。大きな声で「ハイ、ワカリマシタ」と答えた十歳の長女は、母に代わって喪主を勤める。葬儀の翌日、近所のゴミ箱に、参列者に差し上げたお弁当が捨てられてあった。そんな危惧は無用なのに、みな結核の感染をおそれたのだった。そのときの悲しみを思うと、八十年以上たった今も、のどのあたりが痛くなるという。」

「第六高女を卒業すると、日本興業銀行に入り、調査課に配属された。」

「やがて、もっと勉強しなければという思いから興銀をやめ、日本女子大に入学したが、病気のため学業をあきらめた。」

「戦争が終わり、著者は将来のことを心に決めた。「ふつうにお勤めしていたのでは、給料も安いし、母と妹二人を幸せにすることは難しい。自分で仕事をしなければ」。日本読書新聞の田所太郎編集長に相談すると、花森安治を紹介された。」

「著者の思いを知った花森は、早く亡くなった自身の母親への思いを重ね合わせた。「ぼくは母親に孝行できなかったから、君のお母さんへの孝行を手伝ってあげよう」。」

「花森安治を中心にしながら、著者は企画、編集にたずさわり、モデルをつとめ、リュックサックを背負って書店をまわった。」

「川端康成、志賀直哉といった大家も、東久邇成子(天皇陛下第一皇女)といった皇族も、著者の熱意に動かされて執筆した。」

「本書を読むと、人との幸運な出会いが、じつは人知れぬ誠実と献身の招きよせた贈り物であったことが実感される。」



歳をとると涙もろくなって、十歳の少女が臨終の父に向かって言う「ハイ、ワカリマシタ」の段で、もうウルウルきてしまうのです(おかっぱ頭で、「気をつけ」の姿勢で立っている少女の姿まで眼前に浮かんできます)。

花森安治氏の「君のお母さんへの孝行を手伝ってあげよう」で、また、ウルウル(私は自分の母にちっとも親孝行していないのにね)。

花森氏は、自分の言葉に責任を持ち続けて、亡くなるまで、雑誌『暮らしの手帖』をその道のプロが絶賛する雑誌として維持し続けるわけです。

花森安治氏は終生女性風の髪型をしてスカートをはき続けた、見かけは「女々しい」人だったのですが、まさに、『男の中の男』(山本夏彦氏の評)です。

人知れぬ誠実と献身」は、誰か特定の人に対しての誠実や献身ではありません。

自分が選択した「生き方」に向けた誠実と献身です。

その誠実と献身が、同じように自分の生き方に誠実で献身的な人を招きよせて、幸せな人生をいろどっていくのでしょう。



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