このブログを始めたとき、文体は敬体(です・ます調)ではなく常体(だ・である調)で書こうと決めました。

小論文・作文と常体・敬体
高校生に小論文を指導するときは必ず常体で書くように言います。
小論文は自分の主張・意見を述べるものです。「です・ます調」ではどうしても弱気に、自信がないように、見えてしまいます。言い切る形の、「だ・である調」の強い調子のほうが持論を訴える小論文には適しています。

中学生に公立高校の入試対策として作文を教えるときは、基本的にはどちらでもよいと教えてきました。自分の書きやすいほうでよいが、入試では字数をきちんと確保しないと点にならないので、迷ったときは字数の稼げる敬体がよいと言ってきました。
しかし、ある時、公立高校の国語の先生が「入試の作文は常体で書くべきだ。」とおっしゃっているのを聞いて、常体で書くようにと指導をかえました。入試では「1点でも多く得点すること」が最優先事項です。作文のように客観的な評価基準が見えにくいものでは、実際に採点をしている人の好みを無視できないからです。
(同じ理由から、高校の先生に嫌われるおそれが大きい、「バスケ」・「朝練」などの略語や、「見れる」・「着れる」などの『ら抜き言葉』は、絶対に使わないようにと教えています。)

敬体のほうが好き
私自身の好みは、敬体です。

敬体が好きな理由はいくつかあるのですが、一つは「あたりが柔らかい」ことです。内容的には人を傷つけかねないきついことも、です・ます調でオブラートに包むと案外許されたりします。(小学6年生から中学1年生になった子の発言を聞いて笑ったことがあります。数学の問題を解くと「めっちゃむかつく」と言うのです。「計算せよ」とか「式を書け」とか、何さまだ、えらそうにと言うのです。笑った後、その子に言われて初めて、小学生の問題集は「計算しなさい」「書きなさい」と丁寧な言い方になっていることに気づきました。)

二つ目の理由として、語尾の単調さを解消するには敬体のほうが楽なことがあげられます。常体だと、語尾はほとんど「〜だ」に統一されてしまいます。それを解消しようとすると、「〜と思う」を連発するくらいの技しかなかったりします。一本調子の語尾はどうもわれわれの美意識に反するようです。
敬体は、わりと語尾が自由で、いろいろ書けるような気がしています。(「気がしています」と書いたのは、ここまで書いてきて気がついたのですが、この文章の語尾はほとんど「です」「ます」で終わっています。自分の芸のなさに失望しています。)

ブログを始めたとき、常体で書こうと決めたのは、ちょっとでも高尚さ、高級感を出そうと思ったからでした。ところが、3つ目の文章をアップした直後に気づいたのですが、無意識に敬体で書いていました。
人間の本性、私の場合、卑俗さ、低級感はどうにも隠しようがないようです。




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