若いときは、曽野綾子氏が大嫌いでした。

こちらの気分が昂揚しているときに、冷水を浴びせるようなことばかりを書く、なんという嫌味な作家だと思っていました。

例えば、「格差をなくせ」という言説を読んで、私が「本当にそうだ、なくさないといけない」と憤って正義の味方を気取っていたとします。
そんなときに、曽野綾子氏の文章は次のように冷笑して私の高揚した気分に水をさします。
「格差をなくせと目を吊り上げて叫ぶ人を見ると、私は、格差のない国や社会など世界中探してもどこにもないのにと思ってしまう。それに、誰も反論できない正義を声高に叫んで正義が実現した例など、かつてあったためしはないのである。」(この文は曽野綾子氏の言いそうなことを真似た私の創作です。)

とこらがいつの頃からか、曽野綾子氏の文章がすうっと頭に入ってくるようになってきました。
こちらがそれだけ大人になったのでしょう。

その曽野氏が、新潮45(2010.10月号)作家の日常、私の仕事『含みと羞恥の欠如』で次のように書いています。


「1990年代の半ばから、私はインドのデカン高原の中にあるビジャプールという不可触民の多い都市に、小学校を建てる仕事を手伝うようになった。」

「インドのイエズス会(イグナチウス・デ・ロヨラによって始められた世界的な組織を持つ男子修道会)は不可触民の教育に熱心であった。」

「別に教育を受けて、会計士や薬剤師になることだけが収入を得る道ではないであろう、と私は考えた。どこの国にも、広い意味で手仕事で食べる方法というものはあるはずである。」

「たとえばインドの刺繍は有名だ。」
「独特の地方性を見せる陶器もある。」

「もう少し頑張って、少なくとも日常雑器として使える程度に堅くて特徴のある陶器を焼けば、もの好きな日本人なども買うでしょうに、と私がイエズス会の神父に言うと」

「田舎のスラムで育った子供たちは、美しいと言われるものを一度も見たことがないのだから、模倣しようにもできないのだと言われた」

「これは私にとってちょっとしたショックだった。」

「考えてみると、私たち日本人は生活のどこかで、美しいものをたくさん見ているのであった。」

「しかし、ビジャプールの子供たちの暮らす世界には、生まれてこのかた、どこを探しても一つとして美しいものがないというのだ。」

「だから子供たちは手芸をしても、目標とすべき美のレベルのお手本もないのである。」



そして、次のように続きます。


「考えてみれば、私たちは子供のときから本をたくさん読んだ。」

「本にはあらゆる種類の上等な日本語が、緩急自在の豊かな表情を見せてくれていた。私たちは本を読むことで、自分にはとうてい及びもつかない日本語の使い方を学んだ。」



「すべての芸術は部分的に模倣であるはずだ。」「模倣に始まって、模倣を超えた時にそれは固有の資質を見せる芸術になる。」と曽野綾子氏は言います。

芸術だけに限りません。
学問も教養も、模倣に始まり、模倣を超えたときにその人の個性になります。

私たち塾講師は、子どもたちが模倣するに値するような大それた存在ではありません。

しかし、模倣をする価値のある模範と、偉大な先人たちの到達点を、子どもたちに紹介してあげることはできますし、それをするのが私たちの仕事ではないかと、最近思っています。


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