塾講師にも、上(じょう)・中(ちゅう)・下(げ)があります。

まず、下。
「自分もできない」人。

問題を解く能力が子どもにも劣る人。

勉強のこわいところは、こういう人でも講師がつとまってしまうことです。
自分ができなくたって、「頑張れ!頑張れ!」と叱咤しておけば、子どもたちはそれなりに自分だけの力で成長することがないこともない。

私も、最初は「下」でした。

次に、中。
「自分はできる」人。

問題を解く能力はある。教科に関する知識もある。

子どもと同じ問題を、子どもよりはすらすら解いて(何年も同じ仕事をやっているんだから当然ですが)、それで「どうだ!」と教えている人。
子どもたちは一応尊敬はしますが、だからといって子どもたちに新しい力がついているわけではない。

私は長い間、この「中」だった(今でも「中」の「下」あたりかもしれません)。

その上の段階が、上。

力がある子であれ、ない子であれ、子どもが自力でできるようになる力と技を身につけさせることができる人。

私はずっとこの境地をめざしていますが、まだそこまで全然到達できていません。


地元の中学校のバレー部顧問とテニス部顧問の先生の話

私の地元のある中学に、M先生というバレー部顧問の先生がおられます。私が塾を始めた30年ほど前からいらっしゃった。
何度か転勤されましたが、この先生のおられる中学校のバレー部は、悪くても大阪府大会で優勝する。近畿大会優勝で当たり前、有望選手がいるときは全国大会でも優勝したりします。

地元の公立中学ですから、すぐれた選手を集めているわけではありません。入部してきた普通の子どもたちが、その先生が指導したら全国レベルに到達するわけです。

別の中学には、お名前は存じ上げないが、すごいテニス部の顧問がおられた。この中学は、1学年が20名もいない小規模校です。もちろん全員が地元の子です。
ところが毎年、この中学から高校へ進んだ子が大阪府の国体の選手に選抜される。中学校が団体戦で全国制覇をしたりする。

お2人とも、普通の子を全国レベルに「化けさせる」とほうもない指導力をお持ちなわけです。
指導者としては「上」の「上」、極上のクラスです。

いや、「化けさせる」と言うと真実ではありません。

ほとんどの普通の子は、「化ける」素質をもとから持っている。ほとんどの子のその素質は眠ったままですが、本当の優れた指導者はその素質を顕在化させる「技」を持っているのです。


太平洋戦争中の零戦(ゼロ戦)とグラマンの話

これから述べるのは読みかじりの、うろ覚えの話です。

太平洋戦争の初期、日本軍の戦闘機ゼロ戦は無敵でした。パイロットの訓練もいきとどいていたから技量抜群のの操縦士が何人もいて、まったくアメリカ軍の戦闘機は歯が立たなかった。

ところがこのゼロ戦、小旋回できるように機体の強度を犠牲にした、非常に扱いにくい飛行機だったそうです。
機体の長所を発揮できるように操縦するには名人級の腕前とコツが必要だったらしい。

それに対して、アメリカ軍の戦闘機グラマンはそこそこの訓練を経たパイロットであればたいした技量がなくても操縦できるように設計されていたらしい。ポイントをおさえれば、誰でも扱えるように作られていた。

戦争が長引き、日本軍の名人級の操縦士がアメリカ軍の物量戦の前に次々戦死して、ほとんどの搭乗員が急ごしらえの素人になると、今度は日本軍の戦闘機がなすすべもなくアメリカ軍機に撃ち落されるようになったと言われています。

日本軍は個人の技量に頼る部分が大きくて、「普通の人でもそこそこ扱えるように」武器をつくるという発想がなかったのです。

日本軍の指導者のレベルが「下」か、よくて「中」であって、「上」のレベルには到達していなかった、そういう発想自体がなかった、だからアメリカ軍に負けたのです。


「技は盗め」の真実と嘘

昔から、わが国の技能伝達法の1つは「技は盗め」です。

指導者は教えません。
指導される人は、指導者のすることをじっと観察して、そのよいところを「盗む」のです。

多分、「名人」を作るにはこの方法しかありません。

話を学習指導に転ずると、学校でも塾でも、特に数学などの理系の指導者は
「教えないこと」を理想とします。

数学の力は、「ああして、こうして」と教えていては決して身につきません。

ところが、「名人」を作るには「教えないこと」が理想なのですが、普通の子に「教えない」と大変なことになってしまいます。基本的なことさえ教えてもらえないで、放置されているのと同じことになるからです。

普通の子は、教えないといけない。


型(かた)、形(かたち)を身につける

「教えすぎると名人は生まれない」、「教えないと普通の子を伸ばすことはできない」、この相反する命題が学習指導にはつきまといます。

私は、この2つの矛盾を止揚するには、「型(かた)」、「形(かたち)」を教えること以外にはないのではないかと思っています。
問題の「解き方」を教えるのではなくて、解くときの(正確には「解く前」の)「型」、「形」を指導する。

柔道も、剣道も、華道も、茶道も、日本の習い事はすべて「型」、「形」から入ります。
そして、技量が上がるにしたがって、その技量にふさわしい技の「型」、「形」を習得していきます。

「型」、「形」を身につけた子どもたちは、その「型」、「形」を崩さない限り、自分の力で伸びていくことができる。

優れた指導者とは、この「型」、「形」を教えることができる人なのではないかと、最近やっとわかってきました。


塾の学習指導

大阪府公立高校の数学の入試問題、特に理数科(来年から文理学科に改編)の問題は、おそらく日本で一番むずかしい。

むずかしいけれども、数学を教えているものであれば解くくらいのことはできます。
しかし、解いてみせて威張っていたのでは、子どもたちが解けるようにはなりません。

また、ごくごくまれにいる「名人」級のこどもが「ひらめき」で解いたからといって、そういう子に出会えたことは幸運ではありますが、それでは指導者が仕事をしたことにはならない。

どんなむずかしい問題であろうと、その問題の解き方を具体的には習っていなくても、こうやれば絶対に自分だけの力で解けるという「型」、「形」を身につけさせることができる人こそがすぐれたコーチ、指導者なのだろうと、私は思っています。


(「講釈はいいから、ではその「型」、「形」を提示してみせろ。」というご意見が当然あろうかと予想します。実は、私のこのブログ全体が、学習指導における「型」、「形」を追究する試みでもあります。つたない試みの一端は、目次からたどって、例えば理数科の数学問題の解説記事を読んでいただければ(なんだこの程度かと笑われるレベルかもしれませんが)そこに書いています。)



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