長野五輪で金・銅メダル、ソルトレーク五輪で銀メダルを獲得した清水宏保選手のお父さんの逸話です。

清水選手が小学2年生のとき、お父さんは末期がんを宣告されました。
余命半年と宣告されながら9年間生き続け、清水選手が高校2年生のとき、インターハイの1000mと1500mで優勝したのを見届けるように、その1週間後に亡くなったのだそうです。

「インターハイに優勝すると、大学から推薦枠がもらえる。主人はヒロが大学に行くまではと常々言っていましたから、安心したんだと思います。」清水選手のお母さんの言葉です。

そのお父さんですが、「建設会社を経営していた父は、暮れに資金の回収に回っていた。ある取引先を訪ねると、経営者から「年を越すお金もない」と頭を下げられる。子どもがお腹をすかして泣いていた。見かねた清水の父は、それまで集金した百万円をぽんと置いて帰ってきたのである。」

「母・津江子が思い出しながら笑う。」

「うちだって従業員にボーナスを払わなきゃならないのに「金は全部置いてきた」ですから。それに家の冷蔵庫にはものがいっぱい詰まっているだろう。あそこの家の冷蔵庫には何も入っていなかった。黙って帰るわけにはいかないだろう、という一言で終わり。」

「父が亡くなると、母は小さな身体で土木作業員をしながら清水に仕送りを続けた。ナショナルチームに選ばれても、遠征費用の半分は自己負担。大学3年生になった清水は、これ以上母に負担をかけられないと、「試験があるから」と嘘をつき、遠征を辞退した。」

「そんな噂を聞きつけた十勝の企業が、遠征費用の支援を申し出てくれたのである。」

「清水の父に助けられた人はその後札幌の会社に就職し、その会社の社長に頼み込んで清水の遠征費用を支援してもらったのだ。清水はそのお陰で遠征が可能になり、W杯に勝ち、長野五輪の内定ももぎとった。」



著者の吉井妙子さんのおかげで、私は清水宏保さんという人のすごさを初めて知りました。
世界一になった人ですから、常人の及びもつかない努力をした人だろうとは思っていましたが、彼の自己鍛錬は想像を絶するものでした。
まさに超人です。

しかし、それ以上に感動したのは、人の「思い」の強さです。

お父さんの「思い」が人を助け、助けられた人の「思い」が清水選手を助けます。

「黙って帰るわけにはいかないだろう。」
この一言に込められた「思い」が貧しさのどん底にある家族を救い、それが巡りめぐって清水選手の道を切りひらいたのです。

「黙って帰るわけにはいかないだろう。」
こう言って目をふせて家族や従業員に詫びながら、しかし心のどこかで胸を張るお父さんたちのやせ我慢が、今のこの国をつくってきたのです。

「黙って帰るわけにはいかないだろう。」
人を「思いやる」、なんと素敵な言葉でしょうか。


オール読物2010年11月号、『最速アスリートの決断・清水宏保』(吉井妙子)より。


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