裁判員制度始まる

昨日(2009年5月21日)から裁判員制度がスタートしました。裁判員制度については日本弁護士連合会のサイト
http://www.nichibenren.or.jp/ja/citizen_judge/about/index.html
にわかりやすい説明があります。
早速、殺人未遂や強盗致傷など4件の裁判員裁判対象事件が起訴されたそうです。

裁判員制度への批判意見も多い

私も、もし自分が裁判員に選ばれたら嫌だなあって思っています。
仕事があるのに拘束されるのは嫌だし、死刑の可能性もある重大事件の判定をして人の人生を左右するのも嫌だし、被告人に顔を見られるから仕返しは怖いし、守秘義務があるから一生裁判についてしゃべることができないのも辛い。
しかし、制度として始まった以上、新しい国民の義務として、裁判員に選任された人は積極的に参加しないといけないのでしょう。

裁判所へ行ったら驚きの連続

ニュースを見て、大学生のとき、何度か京都地方裁判所に裁判の傍聴に行ったときのことを思い出しました(私は法学部の学生でした)。
いかめしい裁判所の建物内を誰からも咎められることなくコンビニ以上に自由に行き来できること(裁判の公開は憲法にも明記されていますから当然なのですが)、現代の人とは思えない裁判官の黒い法衣、被告人や検察官、弁護士と同様に傍聴人にも起立や礼が求められること等々、まさしく百聞は一見にしかず、驚きの連続でした。何度通っても、どこか別世界に迷い込んだような感覚におちいったものです。

見てはいけない暗部を覗いた気がして傍聴をやめました

何度か実際の裁判を傍聴しているうちに、今まで世の中に存在することさえ想像できなかった暗い深い井戸をむりやり覗かされているような気がしてきて、私は裁判所に通わなくなりました。それまでの自分の常識が根底からくつがえされる事例ばかりの連続で、すっかり気が滅入ってしまって裁判所に足を向けることができなくなったのです。
私が傍聴したのはおもに刑事裁判だったのですが、被告人のうちだれ1人として、私がそれまでの人生で知っているような「まともな」人はいませんでした。「極悪人」という意味ではありません。強いて言えば、かわいそうな「社会の病理の被害者」ばかりでした。
罪名は強盗致傷と重大なのに、目の前に座っている被告人はしょぼくれた気の弱そうな小男です。検察官の読み上げる起訴状によると、幼くして親に捨てられ、ほとんど字の読み書きもできず、中学校もまともに卒業していない。知能指数は低く、一度もまともな職に就けず、人生のほとんどを刑務所暮らし。出所後1週間もしないうちにおなかをすかせて商店に押し入り、店の人ともみ合っているうちに怪我をさせて強盗致傷。
例外なく、こんな事例ばかりでした。
テレビや小説で見聞きしてきた裁判は大嘘のつくりごとだと思いました。必要なのは刑務所ではなくて病院だろうと憤慨さえしたものです。
私の傍聴した事件の全部が、判で押したように同じような事例ばかりでした。
おそらく、全国で裁かれている刑事裁判のほとんどが似たようなものではないかと私は疑っています。

(新潮ドキュメント賞を受賞した、元国会議員の服役囚山本譲司氏の著作『獄窓記』も、同じような感想を述べています。「山本さん、俺ね、いつも考えるんだけど、俺たち障害者は、生まれながらにして罰を受けているようなもんだってね。だから、罰を受ける場所は、どこだっていいのさ。また刑務所の中で過ごしたっていいんだ」「馬鹿なこと言うなよ。ここには、自由がないじゃないか」「確かに、自由はない。でも、不自由もないよ。俺さ、これまでの人生の中で、刑務所が一番暮らしやすかったと思ってるんだ。誕生会やクリスマスもあるし、バレンタインデーにはチョコレートももらえる。それに、黙ってたって、山本さんみたいな人たちが面倒をみてくれるしね。着替えも手伝ってくれるし、入浴の時は、体を洗ってくれて、タオルも絞ってくれる。こんな恵まれた生活は、生まれて以来、初めてだよ。ここは、俺たち障害者、いや、障害者だけじゃなくて、恵まれない人生を送ってきた人間にとっちゃー天国そのものだよ」

新聞やテレビが報道するような犯罪、つまり、それまで普通に社会生活を送っていた人が偶々悪事をくわだてて起こすような事件をわれわれは犯罪だと思っていますが、そういう事例のほうが本当は例外中の例外だとしたら・・・。

裁判員になった人はどういう事件と遭遇するのでしょう?

裁判員になった人が、私と同じように見てはいけないものを見てしまうのではないかと、私はひそかにおそれています。



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