『国家の品格』の著者で、数学者の藤原正彦さんの言葉です。

「数学とは長時間考えるという苦しみに耐える学問である。解けないという不安、焦燥、欲求不満、劣等感に耐える学問なのだ。」

「その報酬として、解けたときの『鋭い喜び』がある。中学生か高校生の頃、図形の問題を考えに考えて、とうとう一本の補助線を発見し一気に解決したときの、何とも言えぬ喜びは多くの人の共有するところだろう。他のいかなる喜びとも違う、『鋭い喜び』だ。」

「苦しい思考の末に、『鋭い喜び』があるということを知るのが数学を学校で教える大きな理由の一つだ。」

「この喜びを知らないと、一ヶ月の間昼夜を通して考え抜く、などという苦痛に人間は耐えられない。」

「自信を持って火の玉の如く考え続けることができない。」



塾講師のジレンマ

私たち塾講師が期待されるのは、子どもたちの成績を上げること、入試に合格できる学力をつけること、です。

そして、学校の定期テストレベルだと、例えば方程式の文章題で点がとれるようにしようと思えば、一番てっとりばやく効果の上がる方法は、機械的にパターンを覚えさせることです。
速さの問題はこういう図をかいて数値を当てはめれば誰でも解けるとか、食塩水の問題はすべてこの式に代入したらどんな問題でも解けるとか、そういう教え方をするとすぐに点数に反映しますし、子どもたちも(親も)喜びます。

また、今のこの時期は入試シーズンですが、入試科目の数学で失敗するとしたら、例外なく、一つの問題にこだわって時間を使い過ぎ、他の解けたはずの問題が解けなかったときです。
いきおい私たち塾講師は、「解けない問題があってもこだわるな。どの大問も(1)や(2)の基本問題さえ確実に解けたら合格ラインを超えるんだから、解ける問題を確実にとれ。」と指導することになります。

つまり、本来の数学の勉強法としては疑問が残るやり方を、テストで点をとるためだけ、入試に合格するためだけだったら、奨励せざるをえない場合があるのが私たちの仕事の一面です。


パターン学習が勉強だと錯覚した子の行く末

パターンを覚えて、それに当てはめるのが数学だと錯覚させられた子どもは、定期テストでは点がとれるようになり、入試では合格しても、進学した中学や高校で「数学嫌い」になってしまうおそれがあります。

塾講師を長くしていると、「成功」が実は「失敗」の原因であったという例を目にすることも皆無ではありません。

パターンだけを教えてそれで済ませてしまえば、いわば、「子どもたちの人生を狂わせる」わけで、「罪は万死にあたいします」。


本当に有効な策は、力をつけるしかない

子どもたちの才能の芽をつまないで、点数もとらせるようにしようと思えば、当たり前のことですが、子どもたちに、「自分で考える」、「自力で解く」力を身につけてもらうしかありません。

そして、数学で、本当の実力、学力を身につけようと思えば、「長時間考えるという苦しみに耐える」、その楽しさ、おもしろさを、自分自身の喜びとして体得してもらうしか方法はないのです。


答えは教えない、解き方も教えない、解くときの型(作法)を習得してもらう

塾講師のジレンマに陥らないために、私は、まず、試験の直前と、試験に直接関係のない時期とでは、教え方自体を大きく変えるようにしています。
普段は、パターンの機械的な修得はできるだけ避けます。

また、自分だけの力で解けるようにするには、「答え」も、「解き方」も教えないのが理想なのですが、何も教えないで子どもたちができるようになることはありません。
「教えたら子どものためにならない」と「教えないとできるようにはならない」の二律背反の解決策として、私は、例えば、関数の応用問題だと、「式を必ず書き込む」、「座標も書き込んで座標を使って考える」から始まって、こうすれば自分だけの力で解けるようになるという型、作法を教えることを目標としています。

子どもたちから、「解けたときの『鋭い喜び』」を奪ってはならないのです。


週刊新潮2011.2.10日号、藤原正彦『管見妄語』「鋭い喜び」より。




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