古墳時代(3世紀半ば〜8世紀初め)

縄文時代、弥生時代に続く、わが国で古墳とくに前方後円墳が作られた時代を古墳時代といいます。
3世紀半ば(紀元250年頃)〜8世紀初め(710年)までを古墳時代とする説が有力です。

古墳時代のうち、6世紀末〜8世紀初め(710年)は飛鳥時代と重なります。


3世紀半ば〜6世紀末は前方後円墳がほとんどで、7世紀になると方墳、円墳、八角墳が多くなります。

政治的には、ヤマト政権大和王権ヤマト王権)が成立し、全国の統一を進め、わが国が一つの国としてまとまっていった時代です。


(言葉の説明)
古墳…土を盛りあげてつくった「おか」(墳丘(ふんきゅう))を備えた墓のことを古墳といいます。

前方後円墳…上空から見ると鍵穴のような形をした、前部は四角形で後部が円形の古墳。
日本独特の形だとされています(朝鮮西南部にも存在するという説もあります)。

方墳・円墳・八角墳…四角形の古墳が方墳、円形の古墳が円墳、八角形の古墳が八角墳です。



古墳時代はさらに3つに分類されます。

3世紀半ば〜4世紀(紀元250年〜400年)

ヤマト政権が国内の統一を進めていった時代です。倭(わ:日本の古い国名)は朝鮮半島にも進出し、高句麗と戦います。

畿内(きない: 都に近い、山城(京都府)・大和(奈良県)・河内・和泉・摂津(大阪府)の5国を指します。)を中心に、円墳・方墳・前方後方墳・前方後円墳が作られました。

中に竪穴式石室があり、周囲に円筒埴輪が置かれました。

奈良県桜井市の箸墓古墳(はしはかこふん)がこの時代の代表的な古墳です。


(言葉の説明)
竪穴式石室…古墳の内部を掘り込んで壁を石で作り、上を石でふさいで部屋状にしたもの。内部にひつぎをおさめました。

埴輪…埴(=土で作った)、輪の形をした、素焼きの土器のことです。古墳の周囲に並べられました。
聖なる場所であることを示すために並べたという説と、古墳が崩れないように支えとして並べたという説があります。

円筒埴輪…古墳時代初期に多い埴輪です。土管のような円筒形をしています。



5世紀(紀元401年〜500年)

ヤマト政権の支配がほぼかたまり、倭の五王が中国に使いを送るなど、外交にも力を入れ始めた時代です。

全国の平野部に前方後円墳がさかんに作られました。

古墳の中には竪穴式石室、周囲には形象埴輪が置かれました。

大阪府堺市の大仙古墳(大仙陵古墳)はこの時代に作られました。


(言葉の説明)
形象埴輪…具体的な物の形をした埴輪です。
人物、馬などの動物、武器、家の形をかたどったものなどがあります。



6世紀〜8世紀初め(紀元501年〜710年)

百済から仏教が伝わるなど、整備された政治制度と文化による統治が確立していった時代です。

大型の前方後円墳は作られなくなり、全国的に山間部に小さい前方後円墳や、群集墳、方墳が作られた時代です。

横穴式石室が一般的となり、円筒埴輪と形象埴輪が置かれました。

奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳がこの時代の古墳です。


(言葉の説明)
横穴式石室…古墳の横から出入りできる穴を備えた石室です。石室を玄室といい、通路を羨道(せんどう)といいます。
竪穴式石室とちがって、あとで別の死者を葬ることができました。



古墳時代の後期(6世紀末〜8世紀初め)は飛鳥時代と重なります。

飛鳥時代

崇峻天皇5年(592年)から和銅3年(710年)の119年間。

飛鳥に都が置かれていた時代で、古墳時代の終末期と重なります。以前は、古墳時代と合わせて大和時代とされていました。

推古天皇のときに飛鳥文化、天武・持統天皇のときに白鳳文化が栄えました。

この時代に倭国(倭)から日本へ国号を変えたとされています。





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