五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ)の意味

五十歩逃げても、百歩逃げても、逃げたことにかわりはないことから、小さなちがいはあっても本質は同じであること。


故事成語のもとになった出来事・出典

孟子は、紀元前372年に生まれ、紀元前289年に没したとされる中国・戦国時代(紀元前403年〜紀元前221年)の思想家です。

孔子の孫の子思の門人に学び、性善説(人の生まれながらの性質は善であるとする説)を唱えて、各国の王に自説を説いてまわりました。

孟子の言論や行動を、孟子と弟子たちがまとめた書物が『孟子』です。

『五十歩百歩』の話は、『孟子』の冒頭、梁の恵王との問答を記述した『梁恵王上』に出てきます。


少しむずかしい文章なので、漢文の前に、だいたいの意味を書いておきます。


梁の国の恵王は、軍事や政治に励んでいるのに隣国に勝てないことを嘆き、孟子に相談します。

「私は自分の国で心を砕いてよい政治をしてきた。隣の国々の政治を観察してみても、私のような心がけで政治をしている国はない。(それなのに、)隣国の人口は減らず、(私を慕って人が集まってこないので)人口は増えない。なぜだろうか?(人口が増えないので国が栄えないのを嘆いたのです)。」

寡人之於国也、尽心焉耳矣。
…(略)…
察隣国之政、無如寡人之用心者。
隣国之民不加少、寡人之民不加多、何也。

寡人(かじん=私)の国に於(お)けるや、心を尽くすのみ。
…(略)…
隣国の政(まつりごと)を察するに、寡人の心を用うるが如(ごと)くなる者なし。
隣国の民少なきを加えず、寡人の民多きを加えざるは、何ぞや。



孟子は次のように答えました。

「王は戦いを好まれます。どうか戦いにたとえさせてください。合図の太鼓を打って、両軍の兵士が近接し武器を交えています。(恐怖におびえた兵士が)よろいを捨て、武器をひきずって逃げ始めました。ある兵士は百歩ほど逃げて止まり、ある兵士は五十歩逃げた後、止まりました。五十歩逃げた兵士が、自分はわずか五十歩しか逃げなかったのに百歩逃げたからということで百歩逃げた人を(臆病だと)笑いました。いかが思われますか?」

孟子対曰、
「王好戦。
請以戦喩。
填然、鼓之、兵刃既接。
棄甲曳兵而走、
或百歩而後止、或五十歩而後止。
以五十歩笑百歩、則何如。」

孟子対えて(こたえて)曰(いわ)く、
「王戦を好む、
請う戦を以って喩えん。
填然としてこれを鼓って(つづみうって)、兵刃(へいじん)既に接する。
甲(よろい)を棄て兵を曳いて走げ、
或(あ)るは百歩にして後止まり、或るは五十歩にして後止まる。
五十歩を以って百歩を笑わば、則(すなわ)ち何如(いかん)。」



恵王は言います。

「それはだめだ。
百歩ではないというだけではないか。
五十歩の者も、また逃げたことにかわりはないぞ。」

曰、
「不可。
直不百歩耳。
是亦走也。」

曰く、
「不可なり。
直(ただ)百歩ならざりしのみ。
是(これ)も亦(また)走げる(にげる)ことなり。



孟子は答えます。

「王が(五十歩逃げたものも百歩逃げたものも逃げたことにかわりはないということを)おわかりなら、(あなたも隣国の王と大差はないので)人民の数が隣の国より多くないことを望んではいけません。
(王は、まだ政治でしなければならないことをしてはおられません。)
生きている者たちが十分うるおい、死者を安心して弔うことができる政治こそが、(私が主張する)『王道』のはじめなのです。」

曰、
「王如知此、則無望民之多於隣国也。
…(略)…
養生喪死無憾、王道之始也。」

曰く、王如(も)しこれを知らば、則ち民の隣国より多からんことを望むなかれ。
…(略)…
生を養い死を喪して憾みなきは、王道の始めなり。」



人は自分には甘いものです。
自分が大変な善行を積んでいるように思っていても、実は他の人と同様、しなければならないことを完璧にはしていないということを自覚せよという、いましめの言葉として発せられたのが『五十歩百歩』です。


「五十歩百歩」を使う例

・君はA君をいじめた友人を非難するが、見て見ぬふりをしていたわけだから、君も五十歩百歩だよ。


似た意味の語

どんぐりの背比べ(せいくらべ)




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