後白河平安時代末期から鎌倉時代成立にかけての社会が激動した時代に、様々な事件で常に登場し続ける人物が後白河天皇(上皇・法皇)(天皇在位1155〜58、その後、二条・六条・高倉・安徳・後鳥羽天皇の5代のとき院政)です。




天皇即位直後に起こった保元の乱では平清盛源義朝を味方にして崇徳上皇を追放しました。

上皇となり院政を開始した後、藤原信頼を寵愛して平治の乱のきっかけをつくり平清盛の全盛時代を招きます。

法皇となり、やがて清盛と対立し、平氏打倒を図った鹿ケ谷(ししがたに)事件によって幽閉されます。

子の以仁(もちひと)王が出した平氏追討の令旨(りょうじ)をきっかけに源氏が挙兵、後白河法皇はその時々の強者に味方する院宣(いんぜん:院の出す命令)を発することで、源氏と平氏の戦いや、平氏滅亡後の源氏同士の戦いに介入し続けました。

平氏
滅亡を見とどけ、平氏を都から追い出した源義仲を同じ源氏の頼朝・義経をそそのかして滅亡させ、源義経を昇進させて兄頼朝との間に不和を生じさせ、義経を殺した源頼朝が征夷大将軍になることには最後まで抵抗します。

1192年、後白河法皇の死をきっかけに頼朝が征夷大将軍となって鎌倉幕府が成立し、後白河法皇が最も望まなかったであろう武士による政治が始まりました。

後白河・清盛・頼朝









後白河は「比類無き暗主」か「日本一の大天狗」か

藤原信西は若き雅仁(まさひと)親王(のちの後白河天皇)を「和漢の間に比類無きの暗主なり」と評しました。

白河から後鳥羽まで左図は白河天皇から土御門天皇までの系図です(青色は白河上皇の院政のとき、赤色は後白河上皇・法皇の院政のときの天皇です)。

崇徳天皇を嫌った鳥羽上皇は崇徳天皇を退位させ、「即位の器量にはあらず」ということで後白河を避けて弟を近衛天皇にします。
近衛天皇は早世し、後白河天皇が即位し、以後、後白河の系統に皇位は移りました。高倉天皇は平清盛の妻の妹の子、安徳天皇は平清盛の娘の子です(安徳天皇は壇ノ浦の戦いで入水死)。

後白河天皇(上皇・法皇)は権謀術数を駆使し、保元の乱平治の乱、平氏の追放、源義仲の凋落、平氏滅亡源義経の流浪と死など、平安時代の末期から鎌倉時代の成立時の大事件の常に影の主役でした。

「制法にかかわらず意志を通し」(藤原信西)、「黒白をわきまえない」(九条兼実)策略で、「日本国第一の大天狗」(源頼朝)として、歴史の歯車を大きく動かしました。

後白河(天皇・上皇・法皇)は、権力を争う一方に加担して勝者の側に立つことで権力を維持し、争いに勝って権力を握った人が自分にじゃまになり始めると対立勢力を利用して没落させるというやり口を繰り返して、自らの権威と院政の維持を図った人です。

後白河天皇(上皇・法皇)は、王朝内の争いに武士を利用することで武士が急速に台頭するきっかけをつくってしまいました。

さらに、王朝を維持するために武士の対立をあおることで結果的には政治の実権を武士に手渡すことになり、意図に反して武士の政権の成立を許すことになってしまいました。


後白河天皇(上皇・法皇)と仏教、文化

後白河天皇(上皇・法皇)は1159年より30数回熊野に参詣し、清盛に命じて蓮華王院(三十三間堂)を建立するなど仏教を保護しました。

若いときは今様(当時流行した声楽)を愛し、『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』、『梁塵秘抄口伝集』を自ら編集しました。

また、1183年、藤原俊成に命じて『千載和歌集(せんざいわかしゅう)』を編纂しました。


後白河天皇(上皇・法皇)の生涯(年表)

1127年 鳥羽(とば)上皇の第4皇子として出生

1155年 近衛(このえ)天皇(後白河の弟)崩御
後白河天皇として即位

1156年 崇徳(すとく)上皇(兄)と対立、保元の乱が起こる
後白河天皇・藤原忠通・源義朝平清盛が勝利し、崇徳上皇(配流)・藤原頼長・源為義・平忠正(死罪)

1158年 後白河天皇の子が即位して二条天皇に
後白河上皇になり院政を始める

1159年 平治の乱が起こる
藤原通憲(信西)(戦死)・平清盛が勝利し、藤原信頼・源義朝は敗死

1169年 出家して後白河法皇

1177年 鹿ヶ谷(ししがたに)事件
後白河法皇の近臣、藤原成親・成経、僧の俊寛西光、北面の武士の平康頼らによる平氏を滅ぼす計画が発覚

1179年 平清盛、後白河法皇の院政を停止して幽閉

1180年 後白河法皇の子の以仁王(もちひとおう)が平清盛追討の令旨を出す
以仁王と源頼政が挙兵、敗死
源頼朝も伊豆で挙兵

1181年 平清盛病死
後白河法皇、院政を再開

1183年 源義仲に平氏追討の院宣を出す

1184年 源義経が源義仲を破り、義仲戦死

1185年 平氏、源義経らによって壇ノ浦で滅亡
後白河法皇、源義経に源頼朝の追討を命ずる宣旨を出す
後白河法皇、源頼朝に源義経の追討を命ずる宣旨を出す
頼朝、義経追捕を口実に全国に守護地頭を設置

1189年 源義経、頼朝の命を受けた藤原泰衡に攻められ自決

1190年 源頼朝はじめて京に入り、後白河法皇と面会

1192年 後白河法皇崩御
源頼朝が征夷大将軍になり、鎌倉幕府成立





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