蛍雪の功(けいせつのこう)の意味

「苦労して学問に励むこと」、あるいは、「苦労して学問に励み、功績をあげること」を蛍雪の功といいます。

夜、勉強をするのには灯り(あかり)が必要です。
昔は、皿に入れた油に糸の芯をたらし、それに火をつけて灯りにしました。
灯りをともすための油も買えないほどの貧乏でありながら、蛍の光を灯りの代わりにしたり、窓の外の雪明かりで本を読んだりして苦労して勉強し、やがて高位高官に出世したという故事から生まれた言葉が「蛍雪の功」です。


故事成語のもとになった出来事・出典

蛍の光を灯りに勉強をした人は車胤(しゃいん)、雪の明かりで学問に励んだ人は孫康(そんこう)で、ともに中国の晋の時代の人です。

(しん:265〜420年)
三国時代(魏・呉・蜀)の、魏の最後の皇帝から禅譲を受けて司馬炎が建国した王朝が晋です。
317年、匈奴に華北を奪われるまでを西晋、華南の建業(建康)に都を移してからを東晋といいます。

車胤(しゃいん)も孫康(そんこう)も東晋時代の人です。
ともに、貧困の中で学問に励み、やがて中央政府に出仕して高官に取り立てられ、活躍しました。


『蛍雪の功』の原文と書き下し文、現代語訳

『晋書』車胤伝

(原文)晉車胤字武子、南平人。
(書き下し文)晋の車胤、字(あざな)は武子(ぶし)、南平(なんぺい)の人なり。
(現代語訳)晋の時代に生きた車胤は、呼び名を武子といい、南平の人だ。

(原文)恭勤不倦、博覽多通。
(書き下し文)恭勤(きょうきん)にして倦(う)まず、博覧(はくらん)多通(たつう)なり。
(現代語訳)謙虚で勤勉で、学問に励んで飽きることがなく、広く文献を学び精通していた。

(原文)家貧不常得油。
(書き下し文)家、貧(ひん)にして常には油を得ず。
(現代語訳)家が貧しかったために、灯り用の油を買えないことがよくあった。

(原文)夏月則練囊盛數十螢火、以照書、以夜繼日焉。
(書き下し文)夏月(かげつ)になれば則(すなわ)ち練囊(れんのう)に数十の蛍火(けいか)を盛(も)り、以(もっ)て書を照らし、夜を以(もっ)て日に継ぐ。
(現代語訳)夏になると練り絹の袋に数十匹の蛍を入れて、その明かりで書物を照らし、夜、暗くなっても学ぶことをやめなかった。


『蒙求(もうぎゅう)』孫康映雪・車胤聚螢

(原文)孫氏世録曰、康家貧無油。
(書き下し文)孫氏世録(そんしせろく)に曰(いわ)く、康(こう)、家貧(ひん)にして油無し。
(現代語訳)『孫氏世録』に書いてあることによると、孫康は家が貧しく、灯りに用いる油がなかった。

(原文)常映雪讀書。
(書き下し文)常に雪に映(てら)して書を読む。
(現代語訳)いつも雪の反射の明かりで本を読んだ。

(原文)少小清介、交遊不雜。
(書き下し文)少小(しょうしょう)より清介(せいかい)にして、交遊雑ならず。
(現代語訳)若いときから清潔な人柄で、交際する友人も慎重に選んでいた。

(原文)後至御史大夫。
(書き下し文)後(のち)に御史大夫(ぎょしたいふ)に至る。
(現代語訳)仕官したあと、御史大夫(官僚を監督する役所の長官)にまでなった。


『晋書』は、646年、唐の時代に編集された晋の歴史書であり、『蒙求』は、唐の時代に出版された子ども向けの教科書です。


歌曲『蛍の光』

明治14年に文部省の「小学唱歌集」に採用され、かつては必ず卒業式で歌われていたのが『蛍の光』(原曲はスコットランド民謡、作詞者不詳)です。
一番の歌詞の冒頭は「蛍雪の功」を踏まえたものです。

螢の光、窓の雪、
書(ふみ)読む月日、重ねつつ、
何時(いつ)しか年も、すぎの戸を、
開(あ)けてぞ今朝は、別れ行く。


以前は、「故事成語「蛍雪の功」ってのは、『蛍の光』の最初に出てくるでしょう?」と言えば、「ああ!」と皆がわかってくれたのですが、最近は卒業式で『蛍の光』を歌われることもまれになっているようで、『蛍の光』の歌詞を知らない人も増えてきました。


「蛍雪の功」を使う例

・蛍雪の功を積まなければ学問をきわめることはできない。

・蛍雪の功なって彼はこのたび博士号を取得しました。


似た意味の語

「苦学力行(くがくりっこう)」

「蛍窓雪案(けいそうせつあん)」




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