従妹(いとこ)の恵美ちゃんが亡くなったと、故郷の母から電話があった。
享年46、クモ膜下出血による突然の死だった。

私の亡父は7人兄妹で、恵美ちゃんは、父の末の妹である明子叔母の長女である。

私たち従兄妹が恵美ちゃんが知的障碍児であることを知ったのはいつだっただろうか。
明子叔母は何も言わなかったが、正月に親戚が集まった席での恵美ちゃんの奇行を見たとき、私たちは子ども心に一瞬で悟ったように思う。
思わず顔を見合わせたときの私たちの表情と、その表情をうかがう叔母の悲しそうな目を、今でも思い出す。


恵美ちゃんの奇行はその時だけで、それから親戚の集まりに叔母についてくる恵美ちゃんはほとんどしゃべることもなく、いつもにこにこと笑っているだけだった。
何度か冷たい視線を浴びて、恵美ちゃんは自分が傷つかない方法を覚えたのだろう。

恵美ちゃんは特別学級に通い、そこを卒業した15歳のときから叔父さんと叔母さんの仕事である運送店を手伝うかたわら、施設の作業所に週2回ほど通ってわずかな給料をもらっていた。

明子叔母さんはある宗教の熱心な信者になった。
その宗教を毛嫌いしていた私の父だが、明子叔母さんには何も嫌味を言わなかった。
叔母はその宗教に救われたと、私は思う。


恵美ちゃんは何歳になっても小学生くらいの少女のままで、いつ会っても遠目には子どもに見えた。

フリルのスカートと髪につける可愛いリボンが大好きで、作業所でわずかな給料をもらうたびに、お気に入りの服とリボンと、大好きな姪、恵美ちゃんの弟の賢治君の長女のために、その喜ぶ顔が見たくてお菓子を買うのだと聞いていた。


亡くなった日も給料日で、恵美ちゃんはいつものように田舎の大型スーパーにいそいそと出かけたのだそうだ。

スーパーに寄るもう一つの楽しみであるハンバーガーを食べていて、そのまま倒れて、救急車が来たときにはもう意識がなかったらしい。

そのとき恵美ちゃんはスーパーの大きな袋2つを両手に提げていて、片方の袋には自分のために買ったお菓子やおしゃれな小物が一杯で、もう一つの袋は大好きな姪のために買ってあげたお菓子ではちきれんばかりだったそうだ。

姪はお通夜もお葬式のときも泣き通しだったらしい。


人は何のために生きるのだろうか?

私は私の人生をふり返ったとき、最近やっとわかってきたことがある。

お金がある程度儲かって喜んだときもあった。
しかし、多少裕福になると、いい人だけでなく悪い人も寄ってくる。傲慢になった私自身が呼び寄せるのだ。
正直、お金のない今のほうが、そのときよりはだいぶ幸せなような気がする。

名誉や地位に憧れたときもあった。
しかし、ある程度人から持ち上げられても、それは人生の喜びというにはあまりにも空しいものだ。
階段を一歩上がったらまた上の階段に上がって人を見下ろしたくなるだけで、きりがない。

(それに私は人生の途次で、どれだけ人に嫌な思いをさせ、どれだけ人を傷つけ、人を苦しめてきたことだろう。)

この歳になって初めてわかったのは、自分が一生懸命仕事をして、その結果として人が喜んでくれること以上に大きな喜びはないということだ。

私はそれに気づくのに何十年もかかった。


私たち従兄妹が馬鹿にしてきた恵美ちゃんだが、恵美ちゃんはその人生で誰も傷つけなかった、誰にも意地悪をしなかった。
喜んでくれる姪の笑顔が見たくて、そのために働き、給料日のたびに姪へのプレゼントでスーパーの袋を満たした。

私が何十年もかかってやっと理解できたことを、恵美ちゃんは最初から知っていた。
私などが到底及ぶところではない。


恵美ちゃん、あなたの人生は本当に見事な人生でした。

あなたのような人にこそ、天国がふさわしい。
どうか安らかに、お眠りください。
蓮






12.6.7