最近、高校入試においても大学入試においても、英語の問題中、以前は多かった発音問題や文法問題が減って、長文問題の占める割合が非常に高くなってきています。
入試偏差値の高い学校ほど長文問題の比率が高いという興味深い傾向もあります。問題の中身は全然見なくても、長文問題の割合を見ただけで出題校の偏差値をあてることができるくらいです。

文法問題は短期の訓練、長文問題は長期の学習習慣

長文問題を解くに際し、前提として必要なのは問題文を読むスピードです。単純に言えば、国語と同様、知識の勉強は一夜づけが効きますが、それに対して長文問題は英語の文章を読みこなした量(国語の読書量にあたる)が勝負を決めると言えます。読むスピードを速くするには読んだ文章の総量を増やす以外に有効な方法はないからです。
文法問題は、よく出題される問題に数多くあたり、頻出事項を確実に身につけること、長文問題は、嫌がらずに早い時期から数多くの文章を読みこなすこと、これが得点力アップの秘訣ということになります。

英語の長文問題を出題するほうの狙い

多分、訓練だけ、目先の受験勉強だけで正答率をいくらでも上げることができる文法問題だと、その学生の本当の資質を判定することはできない、長文を読みこなすことができる力、付け焼刃ではない総合的な英語の学力を持った学生を入学させたいというのが最近の潮流の意図でしょう。

長文問題で正しく学力は測れるか

正しい方向性だとは思いますが、この傾向に欠点がないわけでもない。

一つは、長文問題だけだと、特別よくできる子の学力は正しく測れるでしょうが、中間層以下の英語力を正確には測定できないのではないのかという疑問があります。ある入学試験で、どんな問題を出そうが対応できる子の比率は多分受験者の上位2割くらいではあるまいか。文法問題だと勉強の質と量に比例して正規の分布で満遍なく得点が散らばるはずです(そうなるように問題を作りやすい)。長文問題だと、ほぼ完全にできている上位の子と、出題校の要求水準に完ぺきには対応できない中間層以下の子に分かれてしまい、問題の性質上、後者の子たちの得点にはあまり差がつかず、似たり寄ったりになる可能性が大きいのではないのかと私は疑っています。

二つ目、得点に現れる学力は、生まれ持った資質と、幼いときからの生育環境と、勉強に対する本人の意識的な努力の量と、この3つの相関で決まるのではないかと思います。文法問題だと、最後の意識的な努力の量をほぼ正確に測ることができますが、長文問題は前者、資質や生育環境に依存する割合が高そうな気がする。

そもそも、入試でその人間の総合力を測ろうなんてのは、本当にアプリオリに善なのかなあ?

以前のように、重箱の隅をつつくような些末な文法問題を出題して受験生に意味のない受験勉強を強要するのもどうかと思いますが、入試を含め、学力試験なんてものは、そう欲ばらずに、準備に費やした努力を測定することに特化したほうが、本当はいいんじゃないの?なんてことを、最近ちらっと思っています。