必然的な偶然
人生では、さまざまな偶然の出来事がある一点に向かって収斂していたと、後になってわかることがよくある。
私は内田樹さんが好きで、その内田樹さんが応援しておられることから森田真生さんを知った(正確には、内田さんが森田さんについて語るtwitterと、ある雑誌掲載の森田さんのインタビューと、テレビの特集番組とをほぼ同じ日に目にして、森田さんの名前を覚えた)。
その森田真生さんが愛読書だとおっしゃっていることから、amazonでNHKブックス『仏像』を即日購入した。
仏教の生命観
森田さんでさえ、「何度も読み返している」とおっしゃっている『仏像』である。
一読しただけでは、仏像についても、仏教についてもほとんど理解できなかった。
が、梅原猛さんの、「前者(現代ヨーロッパの生命観)は闘争を生命の原形と考えるのに対して、後者(仏教の生命観)は生命の原形を和合として考える」だけは、強く印象に残った。
梅原さんは、「慈悲(仏教の認識論)を主体として、知(キリスト教の認識論)をそれに従わせる」ことこそ日本人の方向性であると示唆しておられる。
横浜美術館のアラーキー
私の息子は、大学を出た後、就職もしないで在学中にのめりこんだ演劇の道を歩み始めた。
この連休、ふと「あいつの舞台を、一度見に行くか」と思いついて、横浜での公演を観劇することにした。
開演前の時間つぶしに、会場横の横浜美術館で展示品を見学した。
開催中の現代美術の展示品には、正直、全く心を惹かれなかった。
ただ、写真家荒木経惟の『横浜美人100人』だけは本気で見入ってしまった。
「あなただったら、この100人のなかだと・・・」
と、女性好きの私を揶揄するように妻が言ってきたので、
「一人もいてへん。たった一枚で、その人の本性がすべてさらけ出されてしまっているこんな写真を見たら、どの人も怖くて好きになんかなれるものか。」
一切の人間の目のくもりを遮断する写真芸術の真髄を、初めて理解できたような気がした。
荒木経惟が、なぜ天才アラーキーと呼ばれたのか、その理由がやっとわかった。
いざ鎌倉
北条泰時の記事を書きかけて中断しているので、せっかく横浜まで出かけるのだから、翌日、鎌倉を訪ねようと計画していた。
鶴岡八幡宮→建長寺→東慶寺→円覚寺→鎌倉大仏→長谷寺が、予定したコースである。
二番目に訪れた建長寺の門に、金澤翔子展開催中との掲示があった。
皮肉屋の私だが、彼女の書『共に生きる』や、東北被災地で海に向かって無心に合掌する姿を見ると、そのたびに涙してしまう。
「本人も、お母さんも、会場にいらっしゃってます。」と案内の人が教えてくださったので、「こりゃあ、ついてる、来てよかった。」とわくわくしながら門をくぐった。
幸運
書展会場の階段を昇ると、入り口に腰かけている金澤翔子さんの姿が見えた。
思っていたよりずっと小さな人だった。
思わず微笑みかけたのだが、翔子さんはぷいっと横を向いてしまった。
卑小な私の本性を瞬時に見抜いてしまったのだろう。
翔子さんにかかると、それさえも潔くて心地よい。

「買ってくださあい。」と翔子さんが連呼されていたので、『金澤翔子書品集』を購入したところ、「写真をご一緒にいかがですか?」と受付の女性の方がおっしゃってくださった。
そこへお母様も来られたので、一緒に撮っていただいた(写真のブログ掲載については許可をいただいています)。
我が家唯一の家宝になりそうな気がする。
帰依
書展会場に入ると、すぐ右手の『南無妙法蓮華経』が目に跳びこんできた。
そして解説で、翔子さんのお母様が仏典を心の拠り所とされていることを初めて知った。
私が横浜美術館の現代美術に全然感銘を受けなかったのは、どう素直に見ようとしても、作品の後ろに人間の小賢しい作為の匂いを感じとってしまったからだ(それが、素人の軽率な誤解であろうことは私にもわかっている)。
しかし、翔子さんの書には、うまく書こうとか、自分を良く見せようとか、何かを訴えようとか、そういった邪念は微塵もない。
無垢な、たった一色の魂の叫びが、そこにぐわんと投げ出されているだけだ。
高僧が永年の修行を経てやっとたどりつけるであろう無我の境地に、翔子さんは生まれたときから既に雄々しくすっくと立っている。
それが私を圧倒して、涙を流させる。
翔子さんの書は、人智だけで書けるような代物ではない。
翔子さんの『般若心経』の素晴らしさは知っていたが、お母様の経典への深い造詣が翔子さんの大本、根っこをつくっていることが初めてわかって、私は心から、さもありなんと納得した。
慈愛
繰り返すが、私は、仏教についての知識をほとんど持っていない。
しかし、『金澤翔子書品集』の中にぽつんと置かれた、お母様の次の言葉を読んだとき、「ああ、これこそが仏教の真髄なのではないか」と思い当たった。
「『さあ、又ダウン症の子を一人、下界に授けます。この子を育てるにふさわしい、優しく力のある、祝福される母親は誰でしょう』《天上の会議》という詩。冗談じゃない、障害児の誕生を受け入れられる母なんていやしない。」
障害児の誕生は、母にとっては胸が張り裂けるほどの苦であったのであろう。
翔子さんのお母様は、その苦から逃れようとあらゆる手立てを探し求め、最後には慰めの言葉にまですがろうとされたのであろう。
しかし、どんな手立ても、言葉も、人を救うことはない。
仏教は、他の宗教と違って、あらゆる救済をきっぱりと拒絶する宗教なのではなかろうか。
苦しめ!
苦しんで、苦しんで、苦しみぬけ!
そして、どれだけあがこうと、この苦からは絶対に抜け出せないと覚悟を決めたとき、魂の根底に絶望を超える重い諦念が生まれたとき、人は初めて澄み切った平安の境地に近づくことができる。
人間は、あらゆる苦から決して逃れられない存在であると自覚して初めて、真剣に、力をふりしぼって、全身全霊で生に立ち向かうことができるようになる。
救いがないからこそ、救われる。
それこそが仏の慈愛であるとお母様はおっしゃりたいのではないだろうか。

内田樹さんから始まって次々と先達に導かれた今回の小旅行、私は金澤翔子さんにたどりつき、翔子さんのお母様を通じて仏の教えの一端をかいま見た気持ちになることができた。
幸運な縁に、ただただ感謝するのみ。
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人生では、さまざまな偶然の出来事がある一点に向かって収斂していたと、後になってわかることがよくある。
私は内田樹さんが好きで、その内田樹さんが応援しておられることから森田真生さんを知った(正確には、内田さんが森田さんについて語るtwitterと、ある雑誌掲載の森田さんのインタビューと、テレビの特集番組とをほぼ同じ日に目にして、森田さんの名前を覚えた)。
その森田真生さんが愛読書だとおっしゃっていることから、amazonでNHKブックス『仏像』を即日購入した。
仏教の生命観
森田さんでさえ、「何度も読み返している」とおっしゃっている『仏像』である。
一読しただけでは、仏像についても、仏教についてもほとんど理解できなかった。
が、梅原猛さんの、「前者(現代ヨーロッパの生命観)は闘争を生命の原形と考えるのに対して、後者(仏教の生命観)は生命の原形を和合として考える」だけは、強く印象に残った。
梅原さんは、「慈悲(仏教の認識論)を主体として、知(キリスト教の認識論)をそれに従わせる」ことこそ日本人の方向性であると示唆しておられる。
横浜美術館のアラーキー
私の息子は、大学を出た後、就職もしないで在学中にのめりこんだ演劇の道を歩み始めた。
この連休、ふと「あいつの舞台を、一度見に行くか」と思いついて、横浜での公演を観劇することにした。
開演前の時間つぶしに、会場横の横浜美術館で展示品を見学した。
開催中の現代美術の展示品には、正直、全く心を惹かれなかった。
ただ、写真家荒木経惟の『横浜美人100人』だけは本気で見入ってしまった。
「あなただったら、この100人のなかだと・・・」
と、女性好きの私を揶揄するように妻が言ってきたので、
「一人もいてへん。たった一枚で、その人の本性がすべてさらけ出されてしまっているこんな写真を見たら、どの人も怖くて好きになんかなれるものか。」
一切の人間の目のくもりを遮断する写真芸術の真髄を、初めて理解できたような気がした。
荒木経惟が、なぜ天才アラーキーと呼ばれたのか、その理由がやっとわかった。
いざ鎌倉
北条泰時の記事を書きかけて中断しているので、せっかく横浜まで出かけるのだから、翌日、鎌倉を訪ねようと計画していた。
鶴岡八幡宮→建長寺→東慶寺→円覚寺→鎌倉大仏→長谷寺が、予定したコースである。
二番目に訪れた建長寺の門に、金澤翔子展開催中との掲示があった。
皮肉屋の私だが、彼女の書『共に生きる』や、東北被災地で海に向かって無心に合掌する姿を見ると、そのたびに涙してしまう。
「本人も、お母さんも、会場にいらっしゃってます。」と案内の人が教えてくださったので、「こりゃあ、ついてる、来てよかった。」とわくわくしながら門をくぐった。
幸運
書展会場の階段を昇ると、入り口に腰かけている金澤翔子さんの姿が見えた。
思っていたよりずっと小さな人だった。
思わず微笑みかけたのだが、翔子さんはぷいっと横を向いてしまった。
卑小な私の本性を瞬時に見抜いてしまったのだろう。
翔子さんにかかると、それさえも潔くて心地よい。

「買ってくださあい。」と翔子さんが連呼されていたので、『金澤翔子書品集』を購入したところ、「写真をご一緒にいかがですか?」と受付の女性の方がおっしゃってくださった。
そこへお母様も来られたので、一緒に撮っていただいた(写真のブログ掲載については許可をいただいています)。
我が家唯一の家宝になりそうな気がする。
帰依
書展会場に入ると、すぐ右手の『南無妙法蓮華経』が目に跳びこんできた。
そして解説で、翔子さんのお母様が仏典を心の拠り所とされていることを初めて知った。
私が横浜美術館の現代美術に全然感銘を受けなかったのは、どう素直に見ようとしても、作品の後ろに人間の小賢しい作為の匂いを感じとってしまったからだ(それが、素人の軽率な誤解であろうことは私にもわかっている)。
しかし、翔子さんの書には、うまく書こうとか、自分を良く見せようとか、何かを訴えようとか、そういった邪念は微塵もない。
無垢な、たった一色の魂の叫びが、そこにぐわんと投げ出されているだけだ。
高僧が永年の修行を経てやっとたどりつけるであろう無我の境地に、翔子さんは生まれたときから既に雄々しくすっくと立っている。
それが私を圧倒して、涙を流させる。
翔子さんの書は、人智だけで書けるような代物ではない。
翔子さんの『般若心経』の素晴らしさは知っていたが、お母様の経典への深い造詣が翔子さんの大本、根っこをつくっていることが初めてわかって、私は心から、さもありなんと納得した。
慈愛
繰り返すが、私は、仏教についての知識をほとんど持っていない。
しかし、『金澤翔子書品集』の中にぽつんと置かれた、お母様の次の言葉を読んだとき、「ああ、これこそが仏教の真髄なのではないか」と思い当たった。
「『さあ、又ダウン症の子を一人、下界に授けます。この子を育てるにふさわしい、優しく力のある、祝福される母親は誰でしょう』《天上の会議》という詩。冗談じゃない、障害児の誕生を受け入れられる母なんていやしない。」
障害児の誕生は、母にとっては胸が張り裂けるほどの苦であったのであろう。
翔子さんのお母様は、その苦から逃れようとあらゆる手立てを探し求め、最後には慰めの言葉にまですがろうとされたのであろう。
しかし、どんな手立ても、言葉も、人を救うことはない。
仏教は、他の宗教と違って、あらゆる救済をきっぱりと拒絶する宗教なのではなかろうか。
苦しめ!
苦しんで、苦しんで、苦しみぬけ!
そして、どれだけあがこうと、この苦からは絶対に抜け出せないと覚悟を決めたとき、魂の根底に絶望を超える重い諦念が生まれたとき、人は初めて澄み切った平安の境地に近づくことができる。
人間は、あらゆる苦から決して逃れられない存在であると自覚して初めて、真剣に、力をふりしぼって、全身全霊で生に立ち向かうことができるようになる。
救いがないからこそ、救われる。
それこそが仏の慈愛であるとお母様はおっしゃりたいのではないだろうか。

内田樹さんから始まって次々と先達に導かれた今回の小旅行、私は金澤翔子さんにたどりつき、翔子さんのお母様を通じて仏の教えの一端をかいま見た気持ちになることができた。
幸運な縁に、ただただ感謝するのみ。
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パスカルの《無限に大きな宇宙と無限に小さなもの》 と
ライプニッツの《一つの個体、モナドは無限に大きな全世界をやどす》 の[思想]を華厳経の
《一なものはすべての中にあり、すべては一なるものを宿す。》に、
梅原猛の≪無限についての神秘的な思弁 ― 華厳経と西洋思想≫の言及は、
ライプニッツの「理性に基づく自然と恩寵の原理」の《モナド》を、
≪…巨大な大仏の一つ一つの連弁には、また一つの巨大な世界があると華厳経ではいうのである。…小さな蓮台の含む大きな世界のその小さな蓮台の一つにまた、先と同じような大仏の世界があることを思え。…≫(華厳経の無限論)
から
≪…生命の原形を和合として考える…≫で、≪…生命…≫(エンテレケイア)ある数の言葉(自然数)は、絵本「もろはのつるぎ」(有田川町ウエブライブラリー)で・・・