法律の2つの体系

法律の世界では、ドイツ・フランスなどの大陸型の法体系と、英語圏の英米型の法体系の2つの潮流があると習いました。大陸型は実体法重視(刑事だと刑法重視)、英米型は手続法重視(刑事だと刑事訴訟法重視)とカテゴライズされていたように記憶しています。
わかりやすく言うと、誰かが犯罪を犯したとして、少々荒っぽい取調べ手続を踏もうが真実の追及を重視するのが大陸型、真実は神のみぞ知る、拷問したり手続に不備があれば真犯人の疑いがあっても無罪放免というのが英米型だと私は理解しています。

わが国は、明治の最初はヨーロッパ大陸の法律を模範にしましたが、太平洋戦争敗戦の後は英米法型の法体系になっています。
アメリカ法の法諺にいう「正当な手続なしに正義なし」です。


哲学にも2つの体系

話を広げると、物事の考え方そのものが「大陸型」と「英米型」に分類できると思っています。

絶対に正しい真理があって、それを人間は見つけることができる、その真理から演繹して正しい社会を構築することができるという考え方が「大陸型」です。ところで、この哲学に則ったのがマルクスに始まる社会主義であり、ヒトラーのファシズムだというのが私の意見です。ファシズムは第二次世界大戦のドイツの敗北によって、社会主義はソビエト連邦の崩壊によって、誤りであることが見事に証明されてしまいました。声高に「正義」を主張するものほど、平気で極端な悪をなすことができるのです。フランス革命も、中国の文化大革命も、正義の名によってなされた極端な悪の例です。

逆に、真理は存在するかもしれないが、神でない人間は絶対の真理に到達することはできない。人間にできることなんて、正しい手続を尊重し合い、遵守して、隣人にたいして極端に残酷なことをしにくい社会を作ることくらいだ、というのが私の言う「英米型」の社会観です。人間に完全な人などいない。いくら正義のためであっても、やっていいことと悪いことがある。その悪いことができない社会であることで妥協しようという考え方です。
今のところ、どうもこっちのほうが、人間の不幸の度合いは少ないんじゃないかと私は判断しています。


太平洋戦争における日本の失敗の原因

一世を風靡した司馬遼太郎史観は「明治以降の『統帥権』が国を滅ぼした」と総括しました。最近、司馬史観を信奉する人は以前ほど多くはありませんが、司馬史観に対してこれが正しい歴史観だというものも見かけないように思います。
私ごときが史観を語る資格があるなどとはつゆほども思ってはいませんが、明治にフランス、ドイツに範を求め、大陸型の哲学を国家として選択したことが敗戦までの不幸の原因であったのではないかという、ぼんやりとした意見は持っています。
日本人は本来、思想的にはルーズでいいかげんなところが長所であって(だからこそ、太古から中国の文物を多く輸入しながら、極端な抽象哲学はスルーしてきた)、絶対の真理から演繹して行動しようなんて国家として思い始めたら、ろくなことはない。太平洋戦争は、無理して大陸型の思考法を真似しようとしたから大失敗したのではないのか。


勉強にも類推できる

私は法律の世界はかじっただけで終わってしまいましたが、勉強の世界もまったく同じだと最近常々思っています。

問題を解くとき、答えが正解かどうかは(教える私の立場からは)たいして重要ではない、こうしたら確実に正解に達するという正しい手続、形式を習得するのが勉強であって、それを教えるのが私たちの責任ではないのかということです。




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