例えば、授業中、子どもたちの私語がうるさいとき、「うるさい!」「静かにしろ!」と言っても子どもは聞きはしません。もっというと、私語でうるさい状態を作り出したこと自体、既にこちらの負けです。

子どもたちが私語できない状況を先にこちらで作り上げておかなければなりません。

私語以外の他のことも同様で、子どもがなにか「悪いこと」を始めた後に、それを「するな!」と怒ったり叱ったりするのは、子どもの操縦法としては下の下です。

孫子の兵法がいうところの「いくさは最後の手段」、いくさにならないように、あらかじめ万全の手を打っておくのが大人の責任です。

最良の策

塾だと、授業中しゃべれるような低級な塾ではないという印象を子どもたちに先に持たせておくことがもっとも手っとり早いと思われます。親や子が舐めてかかっているような塾だと、何をしても子どもが言うことを聞くわけがない。尊敬される塾であること、これが最善の策です。

しかし、これは一番難しい。入塾するときから子どもが尊敬しきって来てくれるような、すべてにおいて理想的な塾なんて、多分どこにもない。理想に近づくことを忘れてはいけませんが、あくまで目標にとどまります。

で、次善の策ということになる。

次善の策

システムを作っておく。私語をさせたくなければ、私語ができないような学習環境、システムをあらかじめ作っておけばよい。おしゃべりな友だち同士を横並びに座らせておいて、しゃべるなと言ったって聞くわけがない。

教室の設計、机や椅子の配置、子どもたちの座る席順といった外的環境から始まって、クラス分け、クラスの編成、クラスの人数、学校別の構成、友人関係の把握などの人的要因を考慮して、しゃべりたくてもしゃべれない教育環境を用意しておく。これが次善の策です。

しかし、これも資金や経費による制約などもあって、万全のものが常に用意できるとは限りません。

最後の策

最後に、個々の講師の指導力の問題になる。

子どもを怒らずにしつけられる講師とは、「精神論を語らない」「具体的な解決策が提示できる」人です。

何事も例外なくそうだと思っているのですが、例えば「計算ミスをしないように気をつけなさい。」「問題をよく読むように努力しさい。」などと、子どもに精神論を語るだけでは何の効果もありません。まったくの時間の無駄です。

子どもだって、好きで計算間違いをしているわけではない。好んで問題を読まないわけではない。できたら計算ミスはしたくない、問題をよく読んで良い点をとりたい。それができないから、治すために、面白くもない勉強をしに塾に通ってきてくれているわけです。

計算ミスをするなというのなら、こうしたら計算ミスをしないようになるという具体的な方法を教えてあげなければならない。こういう書き方をしたらほとんど計算間違いはなくなるというやり方を具体的に指示してあげなければならない。

うまくいくための手段、方法を提示してあげることが我々の仕事のすべてであり、型を見つけ、それを教えることがプロの果たすべき責任です。

とは言うものの

以上かっこよく書いてきましたが、とはいうものの、私たちも子どもも欠点だらけの生き物です。怒っても無駄、叱っても無意味と思っていたって、私も毎日のように怒っています。

最後には、親や大人は子どもを理不尽に怒るのが仕事、私たちもそうされて大きくなってきたんだから、ま、しかたないかと自分を慰めながら。



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