働きアリ

勉強をしている子どもたちが、悩み、知りたい、理解したいと思いながら、今までは調べる方法がなかった事柄を、必要かつ十分な説明でわかりやすく記述したサイトです

随想

勉強で悩んだ時のお薬(おくすり)

45年間、塾で教えてきました。

今から10年ほど前、自分の生きてきた証に、若い人のために何か役にたつものを残しておきたいと思いました。
それから毎夜、少しずつ原稿を書きためたものを集めたのがこのサイト『働きアリ』です。
おかげさまで、サイト開設以来の訪問者は1,000万人を越えました(2020年)。

勉強とは、若い人々が日々の学習を通して人類が解明した真理を少しずつ学び、理解し、若い人自身の手でさらに一個一個真理の塵を積み重ね、未来に向かって人類に貢献するための営みです。

このブログは、真摯な営みに励む若い人の足元で一緒に歩み続けた、老いたアリの、若い人への応援歌です。


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contents 学習法・エッセイ 目次

鉛筆アップブログ『働きアリ』掲載記事のうち、学習法・エッセイの記事の目次です。
目次の項目にマウスをあててクリックすると、その記事を表示します。


 ///ホームルーム////////////////////////////////////////
 
 学習法 最強の勉強法とは何か?―成績が良い人に共通する学習習慣―
 学習法 試験勉強の仕方と覚え方を考える(蛍光マーカーと記憶、文ではなくて単語で覚える)
 学習法 知らぬ間に賢くなる「答え合わせ」「丸つけ」の仕方
 学習法 知らぬ間に秀才になるための4つの心構え
 学習法 テスト勉強は何をするか
 学習法 中間テストより期末テスト
 学習法 覚え方、暗記法を考える
 学習法 勉強は手と鉛筆でするもの
 学習法 勉強は「型」と「形」から入る
 学習法 式の書き方(1)1行で一つ
 学習法 式の書き方(2)等号・イコールの大切さ
 学習法 完璧を期す
 学習法 学校の『夏のワーク』を活用すべし
 学習法 「何(What)をするか」より「どう(How)取り組むか」
 学習法 高校数学が苦手な人の一発大逆転勉強法
 学習法 あせる受験生からの相談
 学習法 過去問(赤本)活用法:12月にやっておくこと
 学習法 音読のすすめ
 学習法 小学生とテスト(満点をめざす勉強)
 学習法 中学生になったら中学生の勉強法を
 学習法 友だちと一緒にするテスト勉強
 学習法 『解説』はハーゲンダッツの蓋についたアイス
 学習法 マイナス(−)は大きくはっきりと(計算まちがいをなくすコツ)
 学習法 わる数は分数の下(分母)に(「なぜ、そうなるのか」の大切さ)
 学習法 よい問題集とは、7割が自力で解ける問題集

 入試情報 中3受験生へ、夏休み前のアドバイス
 入試情報 良い学校、悪い学校
 入試情報 22年度入試の変更点
 入試情報 高校入試 自己推薦書・志願理由書・自己申告書
 入試情報 高校入試 大阪府の進学指導特色校・文理学科
 入試情報 2012年度大阪府高校入試の定員

 エッセイ 算数・数学が苦手な人の共通点
 エッセイ オリンピックとうるう年
 エッセイ 「国母選手」問題と受験生

 ///講師談話室////////////////////////////////////////

 保護者 できる小学生になる秘訣
 保護者 勉強と姿勢、手は「ハ」の字

 講師 勉強と景品
 講師 怒る、叱るのは下策
 講師 成績を伸ばすための誉め方
 講師 これは凄い、フリーソフト Everything
 講師 塾の先生におすすめの教材 『国文法の完成』(文理)
 講師 「勉強」はピラミッド型の三層構造 「勉強」の中身を分類することの利点

 エッセイ 教室の壁紙を補修する
 エッセイ なぜ挨拶は必要なのか?
 エッセイ なぜ挨拶は必要なのか?−2−
 エッセイ 馬鹿が正義である時代
 エッセイ 万物は流転する
 エッセイ 悪銭身につかず
 エッセイ 賢者は歴史に学ぶ
 エッセイ 買わないで嘘を見抜く
 エッセイ 百マス計算でバカにはならない
 エッセイ 情報化時代と言うけれど(グーグル・アマゾン・楽天への疑問符)
 エッセイ 勉強界の神秘の数字は『3』
 エッセイ OAバブルの終焉
 エッセイ ブログの目次作成に苦労する
 エッセイ 新学習指導要領・移行措置と入試
 エッセイ 拙速を尊ばず
 エッセイ メートル法の指導法に悩む
 エッセイ 「見なおし」について考える
 エッセイ 「的(まと)を射(い)る」と「的(まと)を得(え)る」
 エッセイ 「シミュレーション(simulation)」と「シュミレーション」
 エッセイ 恩返し、おかげ送り
 エッセイ リットルの表記
 エッセイ 橋下徹氏と豊臣秀吉

 今日、出会った言葉 「欲と夢」
 今日、出会った言葉 「渇え」
 今日、出会った言葉 「勝負は信用が第一」
 今日、出会った言葉 「世に羽ばたいてもらう努力」
 今日、出会った言葉 「批判してはいけない」
 今日、出会った言葉 「時間を費やせば」
 今日、出会った言葉 「頭がよくないと一流のスポーツ選手には絶対になれない」
 今日、出会った言葉 「誠実と献身が招きよせた贈り物」
 今日、出会った言葉 「日本は極めて孤独な国」
 今日、出会った言葉 「美しいと言われるものを一度も見たことがないのだから、模倣しようにもできないのだ」
 今日、出会った言葉 「オープンエデュケーション」
 今日、出会った言葉 「JET STREAM」 男の仕事と美学
 今日、出会った言葉 「黙って帰るわけにはいかないだろう。」 清水宏保の父
 今日、出会った言葉 「数学とは長時間考えるという苦しみに耐える学問である」
 今日、出会った言葉 なでしこジャパンは「情熱的で精神的で、戦術的」
 今日、出会った言葉 「勝つことよりも大切なことがある」 北島忠治・松尾雄治

 ///随想////////////////////////////////////////

 ブログを始めた理由
 なぜ掃除が大切なのか
 勉強界の神秘の数字は『3』
 「三平方の定理を証明する」前の雑談1
 「三平方の定理を証明する」前の雑談2
 習慣にしないと力にならない
 KY(空気をよめない)、MY(問題をよめない)、SY(先をよめない)
 一隅を照らす、これ則ち国の宝なり
 福島瑞穂氏、辻元清美氏を見直す
 形(かた)・フォームを教えるのが学習指導(塾が存在する理由)
 勉強が「できる」「できない」を考える
 天才と秀才と普通の人
 名選手必ずしも名監督ならず
 おそるべし、橋本聖子さん
 じゃんけんの妙味(三すくみの効用)
 それはないんじゃないの?東京書籍さん・・・
 ハゲ頭の記事で翻訳サイトを採点する
 入試問題でわかる、その高校の偏差値、得意分野と不得意分野
 学校と競争原理、そして塾(大阪府教育基本条例案に関連して)
 人間は2種類(ダーク・サイドに堕ちないために)
 Yu Darvish will be called Devilish
 見事な人生

世田谷に「ある」、日本一のWebラジオ局

何年か前に、toshibo's radioという世田谷発のWebラジオを知りました。
カントリー・ミュージック専門のラジオ局です。

音質は最高で、選曲も本当に素晴らしくて、私は毎日のように聴いていました。
toshibo's radioで初めて知ったカントリーの名曲も少なくありません。

個人が好意で運営されているラジオ局でしたが、おそらく日本で一番質の高いラジオ局だろうと私は思っていました。
はたせませんでしたが、感謝のあまり、お礼のメールを送ろうとしたこともあります。


今年になって、「お気に入り」から入ろうとしても、toshibo's radioにつながらなくなっていることに気づきました。
不思議には思ったのですがなすすべもなく、こうして私の日々の生活から一つの大きな楽しみが消え去りました。


今日、ひょっとすると復活しているかもしれないと「世田谷ラジオ」で検索したところ、ある胸の痛む事実を知ることになってしまいました。

toshiboさんがいかに素晴らしい人柄の方であるかを、そして、どれだけ偉くしかし謙虚な人たちにtoshiboさんが大親友、師と仰がれていたかを、私はご友人の方々の言葉で知りました。

私より少し上の世代の、こうした綺羅星のごとき人たちが、この国を支え、今の私たちの生活を豊かにしてくださったのだと、私はあらためて感じ入りました。


toshibo's radioの一ファンであったことを、私は、今、強く誇りに思っています。

吉田さんのご回復を、心より祈念します。

essay シンクロニシティ(内田樹,森田真生,仏像,梅原猛,荒木経惟,鎌倉,金澤翔子,そして仏教)

必然的な偶然
人生では、さまざまな偶然の出来事がある一点に向かって収斂していたと、後になってわかることがよくある。

私は内田樹さんが好きで、その内田樹さんが応援しておられることから森田真生さんを知った(正確には、内田さんが森田さんについて語るtwitterと、ある雑誌掲載の森田さんのインタビューと、テレビの特集番組とをほぼ同じ日に目にして、森田さんの名前を覚えた)。

その森田真生さんが愛読書だとおっしゃっていることから、amazonでNHKブックス『仏像』を即日購入した。


仏教の生命観
森田さんでさえ、「何度も読み返している」とおっしゃっている『仏像』である。
一読しただけでは、仏像についても、仏教についてもほとんど理解できなかった。

が、梅原猛さんの、「前者(現代ヨーロッパの生命観)は闘争を生命の原形と考えるのに対して、後者(仏教の生命観)は生命の原形を和合として考える」だけは、強く印象に残った。

梅原さんは、「慈悲(仏教の認識論)を主体として、知(キリスト教の認識論)をそれに従わせる」ことこそ日本人の方向性であると示唆しておられる。


横浜美術館のアラーキー
私の息子は、大学を出た後、就職もしないで在学中にのめりこんだ演劇の道を歩み始めた。
この連休、ふと「あいつの舞台を、一度見に行くか」と思いついて、横浜での公演を観劇することにした。

開演前の時間つぶしに、会場横の横浜美術館で展示品を見学した。

開催中の現代美術の展示品には、正直、全く心を惹かれなかった。
ただ、写真家荒木経惟の『横浜美人100人』だけは本気で見入ってしまった。

「あなただったら、この100人のなかだと・・・」
と、女性好きの私を揶揄するように妻が言ってきたので、
「一人もいてへん。たった一枚で、その人の本性がすべてさらけ出されてしまっているこんな写真を見たら、どの人も怖くて好きになんかなれるものか。」

一切の人間の目のくもりを遮断する写真芸術の真髄を、初めて理解できたような気がした。

荒木経惟が、なぜ天才アラーキーと呼ばれたのか、その理由がやっとわかった。


いざ鎌倉
北条泰時の記事を書きかけて中断しているので、せっかく横浜まで出かけるのだから、翌日、鎌倉を訪ねようと計画していた。

鶴岡八幡宮建長寺東慶寺円覚寺鎌倉大仏長谷寺が、予定したコースである。

二番目に訪れた建長寺の門に、金澤翔子展開催中との掲示があった。

皮肉屋の私だが、彼女の書『共に生きる』や、東北被災地で海に向かって無心に合掌する姿を見ると、そのたびに涙してしまう。

「本人も、お母さんも、会場にいらっしゃってます。」と案内の人が教えてくださったので、「こりゃあ、ついてる、来てよかった。」とわくわくしながら門をくぐった。


幸運
書展会場の階段を昇ると、入り口に腰かけている金澤翔子さんの姿が見えた。
思っていたよりずっと小さな人だった。

思わず微笑みかけたのだが、翔子さんはぷいっと横を向いてしまった。
卑小な私の本性を瞬時に見抜いてしまったのだろう。
翔子さんにかかると、それさえも潔くて心地よい。
金澤翔子さん、お母様と
「買ってくださあい。」と翔子さんが連呼されていたので、『金澤翔子書品集』を購入したところ、「写真をご一緒にいかがですか?」と受付の女性の方がおっしゃってくださった。

そこへお母様も来られたので、一緒に撮っていただいた(写真のブログ掲載については許可をいただいています)。

我が家唯一の家宝になりそうな気がする。



帰依
書展会場に入ると、すぐ右手の『南無妙法蓮華経』が目に跳びこんできた。

そして解説で、翔子さんのお母様が仏典を心の拠り所とされていることを初めて知った。

私が横浜美術館の現代美術に全然感銘を受けなかったのは、どう素直に見ようとしても、作品の後ろに人間の小賢しい作為の匂いを感じとってしまったからだ(それが、素人の軽率な誤解であろうことは私にもわかっている)。

しかし、翔子さんの書には、うまく書こうとか、自分を良く見せようとか、何かを訴えようとか、そういった邪念は微塵もない。

無垢な、たった一色の魂の叫びが、そこにぐわんと投げ出されているだけだ。

高僧が永年の修行を経てやっとたどりつけるであろう無我の境地に、翔子さんは生まれたときから既に雄々しくすっくと立っている。

それが私を圧倒して、涙を流させる。

翔子さんの書は、人智だけで書けるような代物ではない。

翔子さんの『般若心経』の素晴らしさは知っていたが、お母様の経典への深い造詣が翔子さんの大本、根っこをつくっていることが初めてわかって、私は心から、さもありなんと納得した。


慈愛
繰り返すが、私は、仏教についての知識をほとんど持っていない。

しかし、『金澤翔子書品集』の中にぽつんと置かれた、お母様の次の言葉を読んだとき、「ああ、これこそが仏教の真髄なのではないか」と思い当たった。

「『さあ、又ダウン症の子を一人、下界に授けます。この子を育てるにふさわしい、優しく力のある、祝福される母親は誰でしょう』《天上の会議》という詩。冗談じゃない、障害児の誕生を受け入れられる母なんていやしない。」


障害児の誕生は、母にとっては胸が張り裂けるほどのであったのであろう。

翔子さんのお母様は、その苦から逃れようとあらゆる手立てを探し求め、最後には慰めの言葉にまですがろうとされたのであろう。

しかし、どんな手立ても、言葉も、人を救うことはない。

仏教は、他の宗教と違って、あらゆる救済をきっぱりと拒絶する宗教なのではなかろうか。
苦しめ!
苦しんで、苦しんで、苦しみぬけ!

そして、どれだけあがこうと、この苦からは絶対に抜け出せないとを決めたとき、魂の根底に絶望を超える重い諦念が生まれたとき、人は初めて澄み切った平安の境地に近づくことができる。

人間は、あらゆる苦から決して逃れられない存在であると自覚して初めて、真剣に、力をふりしぼって、全身全霊で生に立ち向かうことができるようになる。

救いがないからこそ、救われる。

それこそが仏の慈愛であるとお母様はおっしゃりたいのではないだろうか。
金澤翔子『慈愛』














内田樹さんから始まって次々と先達に導かれた今回の小旅行、私は金澤翔子さんにたどりつき、翔子さんのお母様を通じて仏の教えの一端をかいま見た気持ちになることができた。

幸運な縁に、ただただ感謝するのみ。





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essay 見事な人生

従妹(いとこ)の恵美ちゃんが亡くなったと、故郷の母から電話があった。
享年46、クモ膜下出血による突然の死だった。

私の亡父は7人兄妹で、恵美ちゃんは、父の末の妹である明子叔母の長女である。

私たち従兄妹が恵美ちゃんが知的障碍児であることを知ったのはいつだっただろうか。
明子叔母は何も言わなかったが、正月に親戚が集まった席での恵美ちゃんの奇行を見たとき、私たちは子ども心に一瞬で悟ったように思う。
思わず顔を見合わせたときの私たちの表情と、その表情をうかがう叔母の悲しそうな目を、今でも思い出す。


恵美ちゃんの奇行はその時だけで、それから親戚の集まりに叔母についてくる恵美ちゃんはほとんどしゃべることもなく、いつもにこにこと笑っているだけだった。
何度か冷たい視線を浴びて、恵美ちゃんは自分が傷つかない方法を覚えたのだろう。

恵美ちゃんは特別学級に通い、そこを卒業した15歳のときから叔父さんと叔母さんの仕事である運送店を手伝うかたわら、施設の作業所に週2回ほど通ってわずかな給料をもらっていた。

明子叔母さんはある宗教の熱心な信者になった。
その宗教を毛嫌いしていた私の父だが、明子叔母さんには何も嫌味を言わなかった。
叔母はその宗教に救われたと、私は思う。


恵美ちゃんは何歳になっても小学生くらいの少女のままで、いつ会っても遠目には子どもに見えた。

フリルのスカートと髪につける可愛いリボンが大好きで、作業所でわずかな給料をもらうたびに、お気に入りの服とリボンと、大好きな姪、恵美ちゃんの弟の賢治君の長女のために、その喜ぶ顔が見たくてお菓子を買うのだと聞いていた。


亡くなった日も給料日で、恵美ちゃんはいつものように田舎の大型スーパーにいそいそと出かけたのだそうだ。

スーパーに寄るもう一つの楽しみであるハンバーガーを食べていて、そのまま倒れて、救急車が来たときにはもう意識がなかったらしい。

そのとき恵美ちゃんはスーパーの大きな袋2つを両手に提げていて、片方の袋には自分のために買ったお菓子やおしゃれな小物が一杯で、もう一つの袋は大好きな姪のために買ってあげたお菓子ではちきれんばかりだったそうだ。

姪はお通夜もお葬式のときも泣き通しだったらしい。


人は何のために生きるのだろうか?

私は私の人生をふり返ったとき、最近やっとわかってきたことがある。

お金がある程度儲かって喜んだときもあった。
しかし、多少裕福になると、いい人だけでなく悪い人も寄ってくる。傲慢になった私自身が呼び寄せるのだ。
正直、お金のない今のほうが、そのときよりはだいぶ幸せなような気がする。

名誉や地位に憧れたときもあった。
しかし、ある程度人から持ち上げられても、それは人生の喜びというにはあまりにも空しいものだ。
階段を一歩上がったらまた上の階段に上がって人を見下ろしたくなるだけで、きりがない。

(それに私は人生の途次で、どれだけ人に嫌な思いをさせ、どれだけ人を傷つけ、人を苦しめてきたことだろう。)

この歳になって初めてわかったのは、自分が一生懸命仕事をして、その結果として人が喜んでくれること以上に大きな喜びはないということだ。

私はそれに気づくのに何十年もかかった。


私たち従兄妹が馬鹿にしてきた恵美ちゃんだが、恵美ちゃんはその人生で誰も傷つけなかった、誰にも意地悪をしなかった。
喜んでくれる姪の笑顔が見たくて、そのために働き、給料日のたびに姪へのプレゼントでスーパーの袋を満たした。

私が何十年もかかってやっと理解できたことを、恵美ちゃんは最初から知っていた。
私などが到底及ぶところではない。


恵美ちゃん、あなたの人生は本当に見事な人生でした。

あなたのような人にこそ、天国がふさわしい。
どうか安らかに、お眠りください。
蓮






12.6.7

essay 人間は2種類(ダーク・サイドに堕ちないために)

賢い人は最初からわかっているのでしょうが、私のような凡人は長年の経験を経てやっとわかる、人間についての「真理」があります。

私は今まで、「幸せな人」と「不幸な人」、「善人」と「悪人」、「誰からも尊敬される人」と「人から忌み嫌われる人」等々を分ける基準は何なのか、ずっとわからないままで生きてきました。

最近、私の塾舎が襲撃されました(と言ったって、生卵を投げつけられただけですが)。
監視カメラに映っていた彼らの醜悪な表情と、事件解決の途中で出会ったいろいろ人の善意にあふれた姿を見て、やっとわかったような気がします。

それは、人間には、「人の喜びを自分の喜びと感じる人」と、「人の苦しむ姿を快感と感じる人」の、2種類の人がいるのではないかということです。


人が喜ぶ姿を見たいから、人は生きている

私はなぜ塾という仕事をしているのか?
その根本的な理由もわからないまま今までずっとこの仕事をしてきました。

お金がなかったら生活できませんが別に大金を儲けたいわけではないし、地位や名誉がほしいわけでもない(大金も地位も名誉も、塾という仕事には無縁のものです)。
では、何がうれしくてこの仕事をしているのだろう?

今回の出来事をきっかけにわかったのは、私は、「私の接する人達が喜ぶ姿をみたい」から、この仕事をしているのではなかろうかということです。
勉強がわかったときの子どもたちのうれしそうな顔、志望校に合格したときの塾生のこぼれるような笑顔、それを見ることが自分の幸せだと感じるから、この仕事をしてきたのではないだろうか。

私だけではない、ものを作っている人は、そのものを使う人の、お店の人は、いい買い物をしたと喜ぶお客さんの、農家の人は、自分が育てた作物をおいしいと食べる消費者の、はじけるような笑顔が見たいから、苦労を苦労とも思わないで働いているのではなかろうか。

親もそうだ。
わが子が喜ぶ姿を見ることが自分の最大の幸せだから、子どものためには何だってできるのではないだろうか。

人は皆、誰かの喜ぶ姿を見たいから、一生懸命仕事をしているのです。
それが人としての幸せ、生きるということの値打ちなのです。

こんな簡単なことを、私は今までまったく意識しないで、漫然と生きてきたわけです。


ダーク・サイドとは何か?

映画『スターウォーズ』中の印象に残る言葉に、「ダーク・サイド(暗黒面)に堕ちる」があります。
全編をつらぬく重要なテーマですが、私はただの「悪の道」だとしか思っていませんでした。

このダーク・サイドが何なのかも、やっとわかりました。

私という人間をかえりみても、私の中に「人の喜ぶ姿を見ることが本当にうれしい」という善良さと、「人の不幸を喜ぶ」醜悪さの、両方を持っています。
私だけではない。
「人の不幸は蜜の味」ということわざがあるくらいです。
人間は誰でも、人が喜べば自分もうれしくなる気持ちと、人の不幸を愉快に思う気持ちの、両方を持っています。

しかし普通は、人の不幸を喜んでいる自分をかえりみて反省し、その醜い感情に支配されることはありません。

「ダーク・サイドに堕ちる」というのは、人を苦しめて、それに快感を感じるようになる、その快感に自分の行動を支配されるようになるということなんですね。


うちの塾を襲撃した人たち、同じ夜に他の何ヵ所かも襲っていました。
その翌日も。さらに次の日も。
おそらく、酷い汚されように驚愕する人の顔や、冷え込む夜中に冷たい水で落ちない卵を苦労して洗い流す大人の姿を思いうかべながら、嘲笑いながら・・・。


ダーク・サイドに堕ちた人のために頭を下げて謝罪する人

ダーク・サイドに堕ちた人は、いわば病人です。
病気がはびこれば、社会自体が滅びの道をたどることになります。

私は、この人たちを徹底的に処罰するべきだと、当初は考えていました。

しかし、うちを訪ねてこられて深々と頭を下げて謝罪をされた生徒指導の先生、本来何の責任もないのに「申しわけない!」と電話をかけてこられた塾長さん、「怒りを抑えて更生のチャンスを与えてほしい」と私を諭された警察官、こうした善意の人たちのことを思いうかべると、どうしたらよいのか、今は正直、迷っています。

彼らを苦しめて鬱憤を晴らすような醜い行動だけはしたくないな、とは思っていますが・・・。




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essay 「勝つことよりも大切なことがある」 今日、出会った言葉から

新潮45平成24年1月号・「ビートたけしの達人対談」に、ラグビーの松尾雄治さんが登場しています。

松尾雄治さん:昭和29年生まれ。目黒高校・明治大学出身。明治大学で日本選手権準優勝、新日鉄釜石で日本選手権7連覇を含む8度の優勝を達成。日本ラグビー史上最大のスターであった。

私が感動したのは、松尾さんの言葉ではなくて、松尾さんが語った松尾さんの恩師、明治大学ラグビー部元監督の北島忠治さんの言葉です。

北島忠治さん:1996年に95歳で亡くなるまでの67年間、明治大学ラグビー部を指導した伝説的な名監督。人格の陶冶を掲げた愛情のこもった指導で1300人の卒業生を育てた。


松尾雄治さんが語る北島監督の言葉


北島先生の本の最後に、こう書いてある。「本当の勝者とは、四年間一試合も試合に出られずとも、四年間一日も練習を休まず、卒業したものである」と。

北島先生
(の教え)は、もう正々堂々、ずるいことはするなという教えです。


だから「早稲田に勝て」とか、「慶応に勝て」とかそういうことを一度も言われたことはないです。「普段通りに今までやってきたことを思いっ切り、全力で無我夢中で頑張れ」と、それだけでしたね。

北島先生は「試合に勝つことよりも大切なことがある」と言われていたので、「それって何だろう」と、(私、松尾は)ずーっと考えていた。


「試合に勝つことよりも大切なことがある」「それって何だろう」

一時(格差社会が言われ始めた小泉内閣の頃)、「勝ち組、負け組」なる言葉が流行ったことがあります。
私は当時、下品な言葉だなという感想を持ちましたが、では人生で「勝つ」こと以上に何が大事な価値かと問われれば、答えに窮して口ごもってしまいます。

松尾雄治氏は、北島監督の言葉をずうっと考えていて、「それはやっぱり『自分に勝つ』ということなんですよ」との結論に達したそうです。


「正々堂々、ずるいことはするな」

松尾さんはわかってらっしゃるのでしょうが、「自分に勝つ」だけでは、我ら凡人にはわかりにくい。

「勝つより大切なもの」について、もう少し考えてみましょう。

北島監督は、相手の選手が反則で退場したとき、「学生たちに正々堂々と戦わせてやりたい。同じポジションの選手をこちらも退場させて十四対十四でやらせてくれ」と審判に頼んだことがあるそうです。
「相手が一人足りないと、勝っても一生涯『あのとき十四対十五で勝った』ことになるのが不憫でならない」と。

十四対十五の勝利では、「得をした」という卑しい私心が、心のシミ、汚れとなって残るのです。
つまり、ズルをしたり、卑怯な手を使って勝つのがよくないのはもちろんのこと、あとに一点でも心に曇りが残ったら、そんな勝利には何の値打ちもないということです。

だから、本当の勝利は、私心なく「全力で無我夢中で頑張」ったあとの達成感の中にしかない、「全力をふりしぼって最善を尽くす」ことだけが人にできる最上のことであるというのが、北島先生の教えの真髄であり、松尾さんの言う「自分に勝つ」とは以上の意味であろうと、私は理解しました。




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essay 学校と競争原理、そして塾(大阪府教育基本条例案に関連して)

学習塾は、社会という川の流れに浮かんだ泡のようなものです。
川がどちらに向いて流れていこうが、泡は流れに浮かんだまま、社会と一緒に流れていくだけです(泡だから、たいがいは途中でパチンと割れてしまいますが)。
政治や社会の動きに口を出そうなんていう気は毛頭ありませんが、時々の感想くらいは頭にわいてきます。

今日書きたいのは、平成23年9月21日に橋下徹前大阪府知事の率いる大阪維新の会から大阪府議会に提出された大阪府教育基本条例案についてです。


大阪府教育基本条例案第44条

多くの人が教育基本条例案の内容に懸念の声を挙げていますが、直接塾に関係しそうなのは、学区制の廃止と、定員割れした府立高校の統廃合くらいです。

第44条  府立高等学校のうち、…入学定員…を入学者数が下回った場合、府教育委員会は当該学校の校長に対し、…改善に向けて指導するものとする。
2 …3年度連続で入学定員を入学者数が下回るとともに、今後も改善の見込みがないと判断する場合には、府教育委員会は当該学校を他の学校と統廃合しなければならない。
3 府教育委員会は、前項の規定を潜脱する目的で、入学定員を設定してはならない。


背後に流れる思想は、学校への『競争原理』の導入です。
公立高校は、保護者や生徒に選ばれる学校になるように努力しなさい、努力が足りずに負けた学校は退場しなさいというわけです。


誰もはっきりとは言わないが、誰もが知っていること

ところで、今年の入試でいわゆる定員割れを起こしている高校は、私の住む学区では受験生の偏差値が50に満たない学校ばかりです。
今春、学区内の高校の入学者数の一覧表を作ってみたのですが、偏差値50を超える学校は全校が定員以上の受験生を集めており、逆に偏差値50未満の学校のすべてが定員割れの状況でした。

つまり、公立高校の統廃合を一言でいうと、偏差値50未満の学校はなくなる可能性が大きいよ、ということです。

大阪維新の会が府議会では過半数を制していますから、この条例案は可決される可能性が大です。
条例案が可決、実施されることを前提に教育界は動いています(こちらを参照)。


公立高校側の見方

公立サイドは、偏差値50未満の学校がなくなっても、偏差値の高い高校の定員を増やすことで対処できると考えているようです。
実際、来春の入試の公立高校の募集定員は前年に比べて1120人の減ですが、7校だけは定員を増やしており、皆、偏差値の高い人気校ばかりです。

大阪府教育委員会は、文理学科10校の人気が高いこともあり、偏差値60をこえる高校の定員を増やすことで私学より優位に立とうとしているように見えます。

地方の県に見られるような、賢い子は公立高校に進学し、そうでない子は私立高校が引き受けてくれるというイメージを夢想しているのではないかと私は邪推しています。


私立高校側の見方

私立高校の多くは、現状にホクホク満足顔です。
授業料支援補助金制度によって経済的理由で私学を敬遠していた層が大挙して入学してくれるようになるは、公立高校が勝手に定員数を削減して私学にその分をまわしてくれるはで、苦労もなしに経営が上向きになるのですから当然です。

最初、橋下前府知事に警戒感を抱いていた私学人が雪崩をうって橋下徹シンパになっていったのもうなずけます。

しかし、現状を喜んでいる人たちが見えるのに見ようとしていないことが2つあります。

1つは、授業料支援補助金制度が永続する保証は全くないこと。
財政難の府がいつまで補助金を出してくれるのか、維新の会がずっと議会の多数派を占め続けることができるのかは、「神のみぞ知る」です。

もう1つは、学力上位層が公立高校に流れている現状から目を反らしていることです。
文理学科の設置で公立に受験生の上位層が流れ、「良い国公立大学に行きたいなら私学へ」という風潮は一気に消えてしまいました。
公立高校に行けない子の受け皿になりかかっているのに、干天の慈雨に浮かれて、そのことを忘れているようにも見えます。

入学者の学力が下がり、補助金が出なくなって高い学費を払わなければならなくなったとき、誰が私立高校へ行きたがるでしょうか。


競争原理の導入に隠されていること

競争で生まれる格差自体は良いことでも悪いことでもありません。
どんな社会でも格差は存在します。

悪いのは、競争で格差が生まれた後、勝者がさらに理由もなく優遇されて、敗者とみなされた人がいわれのない苦労をさらに加速させられることです。

文理学科に通う高校生の家庭が、他の公立や私学のどの高校の在学生の家庭よりも所得が高い層であることは、教育関係者なら誰でも知っています。

私学は学費が高いから設備が整っている、公立は建物も施設も貧弱だと誤解している人がいますが、それは金持ちだけが私学で学んでいた大昔のことで、実際は逆です。
私学で立派なのは建物の外観とエアコンくらいで、例えば実習設備や教育機器などには公立のほうがずっとお金をかけています。

特に、文理学科には潤沢な予算と選ばれた教員が投入されています(だから、塾は文理学科をすすめるのです)。

恵まれた家庭の子はさらに恵まれた環境で教育を受けることができる、学力が低いとみなされた子は安心して公立の学校で教育を受ける機会さえ奪われる結果になる、本当にそれでよいのか?というのが、流れに浮かぶ泡の私が今抱いている感想です。




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essay 入試問題でわかる、その高校の偏差値、得意分野と不得意分野

そろそろ受験生が受験する学校の過去問(過去の入試問題)に挑戦する時期です。
わが塾でも、過去問の演習に入りました。


英語の入試問題を一目見ただけでその学校の偏差値がわかる

「偏差値の高い受験生が受ける学校の入試問題ほど難問が多い」、これは当たり前です。

今日述べたいのは、もっと面白い判断基準です。

まず、入試問題の中身を見ないでも、ちらっと問題用紙を見ただけで偏差値を当てることができるのは英語です。

全問題中に占める長文問題の割合で、その学校の偏差値がわかります。

最近は、ほとんどの高校で、英語の入試問題は、最初に長文、後半に書き換えなどの文法問題という構成になっています。

全問題に対する長文問題のスペースの割合(英語全問題中に占める長文問題の面積の比率)で、その学校の偏差値が判断できます。

長文問題のスペースが3分の1以下・・・偏差値40以下の学校です。
長文問題のスペースが半分程度・・・偏差値50前後の学校です。
長文問題のスペースが3分の2くらい・・・偏差値50台後半から60台前半。
長文問題だけで、文法問題はほとんどない・・・偏差値65以上の難関校です。

つまり、英語の全問題中の長文問題の割合と偏差値の高さとは相関関係があります。


その学校の受験生のレベルからすると難しすぎる入試問題を出す学校

若い頃は、難しい入試問題を出す学校を尊敬していました。

その学校を受験する自塾の受験生だとおそらく手も足も出ないだろうと思える難問がバンバン出題されていたら、そこまで伸ばすことができなかったおのれの非力を恥じていました。
それでも何故受験生が合格してくるのか、それも大いに疑問でした。

若い純真な私は、ころっと騙されていたのです(こんな私にも、若くて純真な頃があったのです)。


最近、わかったことがあります。

その学校の受験生のほとんどが解けないような難問を入試問題として出題している学校は、その科目が不得意である。

当然のことですが、どの学校にも、長所と弱点とがあります。

そして、例えば、難関大学への進学実績がよくても、その進学先をつぶさに検討してみると、文系学部にはたくさん進学しているが理系の学部への進学実績は極端に見劣りするという学校も珍しくありません。

そんな学校の入試問題は、ほぼ例外なく、数学と理科の入試問題が難しすぎるということに最近私は気づきました。

受験生の平均得点が、他の科目は60点前後なのに、数学や理科の平均点が30点台、40点台という高校は、おしなべて理系の大学への進学実績が見劣りする高校です。


受験生の責任ではない

他の科目の平均点は60点なのに、数学・理科の平均点が低いのは、理系科目の弱い受験生が集まっているのではないかという推論も成り立ちますが、それはありえません。

高校2年生の段階で文系・理系を選択するときでさえ、多くの高校生は自分がどちらに向いているかを判断できずに悩みます。
ましてや中学生、文系か理系かに色分けできるほど成績に差はありません。

結局、難しすぎる入試問題を作成する高校の先生の技量の問題ではないかとしか考えられません。


逆に、理系科目を伸ばす力がある学校の数学の入試問題にも共通の特徴があります。

それは、体操の内村航平選手の鉄棒の演技に似ています。

入試問題の中に、受験生が彼らの力であれば確実に得点できる基礎的な良問と、自分の力を遺憾なく発揮すればぎりぎりクリアできる難しめの問題とがバランスよく配置されています。

そして、最後の関門として難度の高い問題が一問、デンと控えていて、本当に力のある人だけが見事に解ききって、完璧な着地を決めて喝采を浴びる、そういう問題構成になっています。



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essay 翻訳サイトを採点する(ハゲ頭の記事を題材に)

自分の勉強のために、最近、日誌を英文で書いています。

私の書いた英文が英文として正しいのかどうかを点検するにはネイティブスピーカーに見てもらうのが一番よいのでしょうが、私の身近にネイティブはいません。
そこで、私は私の書いた英文を翻訳サイトで和訳して、その訳の結果を見て書いた英文を修正するようにしています。

ところがこの翻訳サイト、個性があっていろいろ愉快です。

今日は、いくつかの翻訳サイトを採点してみました。

私が英文で伝えたかったことを日本語で書くと、
『あまり言いたくはないのだが、実は私はあたまのてっぺんが少し薄くなってきている。散髪をしたら、短い毛でハゲが露見する。だから私は長い間散髪をしていない。一人の生徒が私に会ったとき、先生、髪が伸びすぎやで、ハゲを隠すのは日本人だけらしいで、と言った。私は明日、散髪にいくつもりだ。』

私が書いた英文は、
To tell the truth I am bald on top a little, I'd rather not say anything about it.
If I cut my hair, short hair will reveal my bald head.
So I haven't cut my hair for a long time.
When a student saw me, he said to me that my hair was too long.
"I hear only a Japanese hides his bald head." he said.
I will cut my hair tomorrow.


さあ、この英文を翻訳サイトはどう和訳したでしょうか?


最も優秀なのはnifty翻訳

毎回、驚くほど的確な訳をしてくれるのはnifty翻訳です。
まず、期待を裏切りません。
今回のハゲ頭に関しては、いつもほどの切れはありませんが、まあ、合格でしょう。

niftyの訳は次のようになりました。

「正直なところ、先端で少しはげです、私はそれに関して何も言わない方がましです。
私が髪を切ったなら、短い髪は私の禿げ頭を顕にするでしょう。
それで、私は長い間、髪を切っていません。
学生が私を見たとき、彼は、私の髪が長過ぎると私に言いました。
「私は、日本人だけが彼の禿げ頭を隠すと聞きます」。彼は言いました。
私は、明日、髪を切るつもりです。」



安定度でniftyに迫るエキサイト翻訳

たまにピンボケをかましますが、エキサイト翻訳は毎回安定した訳をしてくれます。
ハゲ頭に関しても、niftyにせまる的確さでした。

「実を言えば、私は、トップで少しはげている。私はそれに関して何も言いたくない。
もし私が髪を切れば、短い髪は私のはげた頭を明らかにするだろう。
したがって、私は長い間髪を切っていない。
学生が私に会った時、彼は私の髪が長すぎると私に言った。
「私は、日本人だけが彼のはげた頭を隠すと聞いている。」
彼は言った。
私は明日髪を切ろう。」



見劣りするYahoo!翻訳

Yahoo!翻訳はnifty、エキサイトに比べるとだいぶ見劣りがします。
連語や慣用表現の訳が特に弱いように思います。

「私がトップで少しはげていると当り前のことに話すために、私は何でもそれについて言いたくありません。
私が髪を切るならば、短い髪は私の禿げ頭を露わにします。
それで、私は長い間髪を切りませんでした。
学生が私に会ったとき、彼は私の髪があまりに長いと私に言いました。
「私は、日本人だけが彼の禿げ頭を隠すと聞いています。」 彼は言った。
私は、明日、髪を切ります。」



Google本体の信頼度まで損ねるGoogle翻訳

論外なのがgoogle翻訳です。
とりえは速さだけで、訳としては全く役に立ちません。

私が一番少ない上にハゲです実を言うと、私はむしろそれについては何も言わないと思います。
私は私の髪をカットする場合、短い髪は私のハゲ頭が明らかになります。
だから私は長い間私の髪をカットしていない。
学生が私を見たとき、彼は私の髪が長すぎるように私に言った。
"私は唯一の日本人が彼の禿げ頭を隠して聞く。"彼は言った。
私は私の髪の明日カットになります。」



採点結果

私の採点では、
balt head1位 nifty翻訳
2位 エキサイト翻訳
下位 Yahoo!翻訳
番外 Google翻訳
となりました。


追記:
なお、私の表現「I am bald on top a little」に対して、a little(少々)は虚偽表示ではないのか?considerably(かなり、相当)か、to a great degree(大いに)が正しい表現ではないのか?という指摘を一部の塾生から受けました。
From my personal point of view(あくまで私見ですが)、a littleを譲ることはできないので、塾生の抗議は却下いたしました。




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