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勉強をしている子どもたちが、悩み、知りたい、理解したいと思いながら、今までは調べる方法がなかった事柄を、必要かつ十分な説明でわかりやすく記述したサイトです

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essay 今日、出会った言葉から 「数学とは長時間考えるという苦しみに耐える学問である」

『国家の品格』の著者で、数学者の藤原正彦さんの言葉です。

「数学とは長時間考えるという苦しみに耐える学問である。解けないという不安、焦燥、欲求不満、劣等感に耐える学問なのだ。」

「その報酬として、解けたときの『鋭い喜び』がある。中学生か高校生の頃、図形の問題を考えに考えて、とうとう一本の補助線を発見し一気に解決したときの、何とも言えぬ喜びは多くの人の共有するところだろう。他のいかなる喜びとも違う、『鋭い喜び』だ。」

「苦しい思考の末に、『鋭い喜び』があるということを知るのが数学を学校で教える大きな理由の一つだ。」

「この喜びを知らないと、一ヶ月の間昼夜を通して考え抜く、などという苦痛に人間は耐えられない。」

「自信を持って火の玉の如く考え続けることができない。」



塾講師のジレンマ

私たち塾講師が期待されるのは、子どもたちの成績を上げること、入試に合格できる学力をつけること、です。

そして、学校の定期テストレベルだと、例えば方程式の文章題で点がとれるようにしようと思えば、一番てっとりばやく効果の上がる方法は、機械的にパターンを覚えさせることです。
速さの問題はこういう図をかいて数値を当てはめれば誰でも解けるとか、食塩水の問題はすべてこの式に代入したらどんな問題でも解けるとか、そういう教え方をするとすぐに点数に反映しますし、子どもたちも(親も)喜びます。

また、今のこの時期は入試シーズンですが、入試科目の数学で失敗するとしたら、例外なく、一つの問題にこだわって時間を使い過ぎ、他の解けたはずの問題が解けなかったときです。
いきおい私たち塾講師は、「解けない問題があってもこだわるな。どの大問も(1)や(2)の基本問題さえ確実に解けたら合格ラインを超えるんだから、解ける問題を確実にとれ。」と指導することになります。

つまり、本来の数学の勉強法としては疑問が残るやり方を、テストで点をとるためだけ、入試に合格するためだけだったら、奨励せざるをえない場合があるのが私たちの仕事の一面です。


パターン学習が勉強だと錯覚した子の行く末

パターンを覚えて、それに当てはめるのが数学だと錯覚させられた子どもは、定期テストでは点がとれるようになり、入試では合格しても、進学した中学や高校で「数学嫌い」になってしまうおそれがあります。

塾講師を長くしていると、「成功」が実は「失敗」の原因であったという例を目にすることも皆無ではありません。

パターンだけを教えてそれで済ませてしまえば、いわば、「子どもたちの人生を狂わせる」わけで、「罪は万死にあたいします」。


本当に有効な策は、力をつけるしかない

子どもたちの才能の芽をつまないで、点数もとらせるようにしようと思えば、当たり前のことですが、子どもたちに、「自分で考える」、「自力で解く」力を身につけてもらうしかありません。

そして、数学で、本当の実力、学力を身につけようと思えば、「長時間考えるという苦しみに耐える」、その楽しさ、おもしろさを、自分自身の喜びとして体得してもらうしか方法はないのです。


答えは教えない、解き方も教えない、解くときの型(作法)を習得してもらう

塾講師のジレンマに陥らないために、私は、まず、試験の直前と、試験に直接関係のない時期とでは、教え方自体を大きく変えるようにしています。
普段は、パターンの機械的な修得はできるだけ避けます。

また、自分だけの力で解けるようにするには、「答え」も、「解き方」も教えないのが理想なのですが、何も教えないで子どもたちができるようになることはありません。
「教えたら子どものためにならない」と「教えないとできるようにはならない」の二律背反の解決策として、私は、例えば、関数の応用問題だと、「式を必ず書き込む」、「座標も書き込んで座標を使って考える」から始まって、こうすれば自分だけの力で解けるようになるという型、作法を教えることを目標としています。

子どもたちから、「解けたときの『鋭い喜び』」を奪ってはならないのです。


週刊新潮2011.2.10日号、藤原正彦『管見妄語』「鋭い喜び」より。




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essay じゃんけんの妙味(三すくみの効用)

身近なもので、人間の本質をかいま見せてくれるものがあります。

じゃんけんもその一つです。

小学6年生を教えていて、A、B、Cの3人がじゃんけんをしてAが勝つ確率を求めさせる問題がありました(答えは、勝つのも負けるのもあいこになるのも3分の1ずつです)。
そのとき、教えていて頭に浮かんだことです。


「三すくみ」がうまくいくコツ

グウはパーに負ける、パーはチョキに負ける、チョキはグーに負ける、これが素晴らしい。

政治の世界で、よく言われます。

民間人は官僚に弱い。
官僚は許認可権を持っていますから、民間人は官僚にはぺこぺこせざるをえない。

官僚は議員に弱い。
議員は選挙の洗礼を受けており、官僚が使う予算も議会が決めるから、官僚は議員には頭が上がらない。

議員は民間人に弱い。
民間人の言うことを聞いておかないと選挙で落とされてしまう。

3つの要素で成り立っていて、どれもそれぞれ苦手がある。
一人勝ちできない。

これがいいんですね。

世の中は三すくみでないとうまくいかない。
誰かが強すぎると、暴走してしまってどこかで綻びが出ます。


家族も三すくみがよいのかもしれない

ちょっと困ったところがある子は、家庭内で誰かが強すぎるような気がします。

お父ちゃんが強すぎる家の子は、外で度を過ごして羽目をはずしてしまう。
お父ちゃんの権威が絶対だから、お父ちゃんの顔色を見ることだけに敏で、よその大人の言うことを聞かない傾向があります。

かかあ天下が勝ちすぎた家の子は、やや自己中心な子が多い。
母親の家族愛、子どもに向ける愛情は盲目的です。
無条件にわが家、わが子が一番になるから、子どもが外でも自分が一番でふるまうようになってしまう。

お父さんは子どもには強いがお母さんのお尻に敷かれている、お母さんはお父さんには強いが子どもには甘い、子どもはお母さんにはわがままを言うがお父さんはこわい、そういう家庭の子がバランスがとれているように思われます。

三つどもえで、誰も一人勝ちできない状況が家族関係でも理想だということになります。


じゃんけんを思いついた人は偉大です。



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lounge 勉強と姿勢、手は「ハ」の字

手はハの字いい歳をして、若い人に教えられることも多い。

何年か前、個別指導の講師である20歳の女子大生が、「勉強をしているときの姿勢を見たら、その子の成績がわかりますね。」と言っているのを漏れ聞きました。

自分でもわかっていたはずなのに、それからあらためて注意して子どもたちを観察していると、本当に彼女の言うとおりです。



姿勢による得点推計

5教科合計点400点以上(平均点80点以上)の子で、机に向かう姿勢の悪い子は皆無です。

逆に、5教科300点(平均点60点)に届かない子で姿勢のよい子は一人もいません。

両者の間に位置する子は、姿勢にもどこか少し難点がある。


塾や公文に行くよりも

そう考えたら、幼児のときからお金を使って子どもを習い事に通わせるより、たった一つ、正しい姿勢で座るように躾けるほうがずっと将来のためになるということになります。

塾としては困るけれども、まあ、真理です。


正しい姿勢とは

正しい姿勢、座り方とは、上半身がまっすぐに伸びた、背骨だけで身体を支えている形です。

背骨はいくら身体を支えていても疲れない。

姿勢が悪いと、身体を支えるのに背骨ではなくてあちこちの筋肉を使います。
筋肉はすぐに疲れます。

だから、勉強しようと思っても疲れた筋肉が拒否してしまう。

姿勢の悪い子は、授業中大事なことをノートしない漢字や英単語を書いて覚えない計算の途中式を書かない文章題で式を書いて解こうとしないグラフや図に書き込みをしないなどの欠点を例外なく共有しています。

悪い姿勢が、疲れた筋肉が、姿勢の悪い子に悪い学習法を強いてしまうのです。


左手が決めて、手はハの字に

ところで、「正しい姿勢で座りなさい。」という指示は、何の役にも立ちません。

方程式を速く正確に解きなさいと言うだけでは何の効果もないのと同様です。
速く正確に方程式を解こうと思えば、イコールをそろえて書く、1行で一つの作業しかしない、などの「型」を習得しないといけない。

では、正しい姿勢をつくる決め手になるのは何かというと、「左手」です。

机の上に、左手と右手がカタカナの「ハ」、漢数字の「八」になるように左手を置いたら、誰でも自然に正しい姿勢になります。

座る姿勢の悪い子は、ほぼ全員、左手は肘をついているか、机の下にだらんと垂らしています。

特に最近は、左手を下に垂らしている子が目につきます。


子どもたちに嫌がられるのは承知の上ですが、授業中見つけるたびに、「左手!」と注意し続けるつもりです。





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essay おそるべし、橋本聖子さん

清水宏保さんの話の続きです。

遠征費用を支援してくれた企業のおかげで、清水選手は長野五輪出場の道がひらけ、見事金メダルを獲得します。

「だから、その企業のワッペンをつけて試合に出たかった。でも、アマチュア規定で出来ないという。だから、恩返しにするにはプロとして独立するしかないと考えたんです。」

決心した清水選手はプロ選手になる道を選びます。

前例がなかったために、世間は「金メダルをとって勘違いしている」とバッシングをあびせます。

ここで登場するのが、われらが橋本聖子参議院議員です。

「清水の背中を押してくれたのは、橋本聖子参議院議員だった。スポンサーも橋本が頭を下げて見つけてくれた。」

「清水が言う。」

「聖子さんにはいつも支えていただいた。絶対に表には出ない人ですけど、僕がピンチになるとどこからともなく現われる。いつも見ていただいているという安心感があったし、聖子さんのアドバイスは常に的確だった。」

「その橋本は、清水を支援し続けてきたのは「スポーツ界の宝だから」と言った。」

「それこそ“神の領域”まで自分を高めたのは清水くらいじゃないですか。清水一人といわないけど数少ない。彼を見ていると、
7回五輪に出場した私も、自分に何が足りなかったか分かる。それに、清水が貧乏な選手を集めて面倒を見ているのも、何かを感じ取ってくれているからだと思うんですよ。そういうことがスポーツ界の循環として根付けば、日本の底上げにもなるんです。」


『頭がよくないと一流のスポーツ選手には絶対なれない』でも書いたんですが、橋本聖子さん、とてつもない本物、大物かもしれない、いや、そうに違いないと私は思い始めています。

バンクーバー五輪の国母問題のときも、橋本さんが国母選手に懇々と道理を説き、態度を改めさせ、国母選手が帰国後何か常識に外れたことをしたとき、あるいは国民が国母選手を許さずに非難したときは、自分が責任をとろうと腹をくくって帰国したという記事を読んだ覚えもあります。

彼女の場合、清水選手も言っているように、「絶対に表には出ない」のです。

そして、常に「腹をくくっている」。

さらに、いつも「日本のスポーツ界」のことを最優先して考えている。

まさに「男の中の男」(女の中の女か)、政治家の鑑(かがみ)です。

橋本さんを誉めるのに他の人の悪口を言って対比する必要はないけれども、国会議事堂の中でファッションショーをして恥じない仕分け女史や、小沢氏の出陣式で先頭に出しゃばってエイエイオーと叫ぶ元柔道女史とは人としての格が違うのではなかろうか。


「ピンチになるとどこからともなく現われる」
「いつもちゃんと見ている」
「アドバイスは常に的確」

本当に頭がよい人なのでしょう。


「7回五輪に出場した私も、(清水選手を見ていると)自分に何が足りなかったか分かる」

こういう言葉をさらっと言える人間性は敬服に値します。


「日本の底上げ」のためにも、ぜひもっともっと出世していただきたいものです。



オール読物2010年11月号、『最速アスリートの決断・清水宏保』(吉井妙子)より。


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essay 今日、出会った言葉から 「黙って帰るわけにはいかないだろう。」 清水宏保の父

長野五輪で金・銅メダル、ソルトレーク五輪で銀メダルを獲得した清水宏保選手のお父さんの逸話です。

清水選手が小学2年生のとき、お父さんは末期がんを宣告されました。
余命半年と宣告されながら9年間生き続け、清水選手が高校2年生のとき、インターハイの1000mと1500mで優勝したのを見届けるように、その1週間後に亡くなったのだそうです。

「インターハイに優勝すると、大学から推薦枠がもらえる。主人はヒロが大学に行くまではと常々言っていましたから、安心したんだと思います。」清水選手のお母さんの言葉です。

そのお父さんですが、「建設会社を経営していた父は、暮れに資金の回収に回っていた。ある取引先を訪ねると、経営者から「年を越すお金もない」と頭を下げられる。子どもがお腹をすかして泣いていた。見かねた清水の父は、それまで集金した百万円をぽんと置いて帰ってきたのである。」

「母・津江子が思い出しながら笑う。」

「うちだって従業員にボーナスを払わなきゃならないのに「金は全部置いてきた」ですから。それに家の冷蔵庫にはものがいっぱい詰まっているだろう。あそこの家の冷蔵庫には何も入っていなかった。黙って帰るわけにはいかないだろう、という一言で終わり。」

「父が亡くなると、母は小さな身体で土木作業員をしながら清水に仕送りを続けた。ナショナルチームに選ばれても、遠征費用の半分は自己負担。大学3年生になった清水は、これ以上母に負担をかけられないと、「試験があるから」と嘘をつき、遠征を辞退した。」

「そんな噂を聞きつけた十勝の企業が、遠征費用の支援を申し出てくれたのである。」

「清水の父に助けられた人はその後札幌の会社に就職し、その会社の社長に頼み込んで清水の遠征費用を支援してもらったのだ。清水はそのお陰で遠征が可能になり、W杯に勝ち、長野五輪の内定ももぎとった。」



著者の吉井妙子さんのおかげで、私は清水宏保さんという人のすごさを初めて知りました。
世界一になった人ですから、常人の及びもつかない努力をした人だろうとは思っていましたが、彼の自己鍛錬は想像を絶するものでした。
まさに超人です。

しかし、それ以上に感動したのは、人の「思い」の強さです。

お父さんの「思い」が人を助け、助けられた人の「思い」が清水選手を助けます。

「黙って帰るわけにはいかないだろう。」
この一言に込められた「思い」が貧しさのどん底にある家族を救い、それが巡りめぐって清水選手の道を切りひらいたのです。

「黙って帰るわけにはいかないだろう。」
こう言って目をふせて家族や従業員に詫びながら、しかし心のどこかで胸を張るお父さんたちのやせ我慢が、今のこの国をつくってきたのです。

「黙って帰るわけにはいかないだろう。」
人を「思いやる」、なんと素敵な言葉でしょうか。


オール読物2010年11月号、『最速アスリートの決断・清水宏保』(吉井妙子)より。


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essay 恩返し、おかげ送り

夜、布団に入ったときなどにふと昔のことが頭にうかぶことがあります。

私の場合、よく思い出すのは自分がおかした失敗です。
若いときの恥知らずなおこない、恩知らずの行状を思い出して、後悔で「うわあ!」と頭をかかえてへたりこんでしまいそうになる(布団の中でですが)ことが多い。


恥知らず、恩知らずの行状とは、次のようなことです。

大学生のとき、下宿の隣家の人に大変可愛がってもらいました。ところがその家に犬がいて、よく鳴く。いらいらして石をなげつけたことがあった。
翌日会った隣家の人が、「あんたなあ・・」と言いかけて、口をつぐまれたことがあった。

20代で教室を任されていたとき、オーナーがとてもよくしてくださいました。その方のご好意に甘えて、言いたいことを言い、したいことができた。ところがそのご好意に応えるどころか、平気で裏切って陰でペロッと舌を出すようなことをいっぱいした。

歳をとってくると、良いこともしてきたかもしれないが、それは思い出しません。消しゴムで消したい恥ずべき出来事ばかり、忘れたはずの過去からぽこっと浮かんでくる。


歳をとるということは、あと何年先か何十年先かはわかりませんが、人生に決着をつけて自分の一生分の貸借対照表をかかえてあの世に行かなければならないということです。
借金の返済期限がだんだん近づいてきているということです。
自分の受けた恩を返し、負債を消しておかないといけない。

ところが恥ずべき行状を詫び、恩をきちんとお返ししておかないといけない方々には会うこともかないません。
亡くなられている方もある。
ご存命でも、今さら恥ずかしくてその人の前に立つ勇気はない。


できることで思いつくこといえば、その方々がしてくださったようなことを私の周りの人にし返すくらいのことしかない。
受けた恩を、その恩人にお返しすることはかなわないから、何か少しでも人のためになることをして自分の負債を減らしておくことくらいしかできないのです。

「ありがとうございました、おかげで・・・」の気持ちを、当の恩人にはお返しできないので自分の周囲の人に返す。
そろそろ人生の「おかげ送り」をするのが自分の務めだぞと、思い始めている今日この頃です。


(なんてことを考えながら、今でも日々受け続けている恩を、自覚しないままにあだで返しているのがわれら凡人のふるまいなのですが、ね。)



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essay 今日、出会った言葉から 「JET STREAM」 男の仕事と美学

週刊文春の『著者は語る』より、『JET STREAM 旅への誘い(いざない)詩集〜遠い地平線が消えて〜』の著者、堀内茂男さんを取り上げた記事です。

JET STREAMは、私が中学生の時に始まり、今も続いているFM東京の看板番組です。



番組冒頭に流れていた故・城達也氏の語りは、おそらくすべての日本人が一度は耳にしたことがあるはずです。

jet streamは「ジェット気流」、対流圏の上層を吹く強い偏西風のことです。
ずっと上昇気流の中を飛び続けることができていた幸せな時代のわが国とともに、この番組は40年以上歩み続けてきました。

堀内茂男さんは、城達也氏が番組内で朗読していたすべての詩を書いた放送作家の方だそうです。


「詩は1〜2時間で完成するときもあれば、2日かけても書けないときもありました。」

「収録は毎週火曜日の午後1時から。絶大な人気を誇り、多忙を極めた城氏だったが、収録サイクルは堅持した。」

「現場では城氏以下、全員がスーツにネクタイ姿。番組のダンディズムとロマンティシズムを、スタッフ全員で体現した。」

「城さんにアドリブは一切なし。ナレーターとしての美学がそれを許さないんです。『堀内の原稿を誰よりも巧く読んでやる』。その熱意が伝わったし、僕もそれに応えるべく原稿用紙に向かう毎日でした。」

「27年間、ふたりで食事にいったりしたことは一度もありません。城さんと僕の間には原稿しかなかった。馴れ合いのない距離感が、かえって僕には心地よいものでした。」

「94年2月、城氏に食道癌が見つかる。収録を続けるも満足のいく声が出せなくなり、自ら降板を決意。同年12月30日、通算7387回目の放送が“ラストフライト”で、2ヵ月後、城氏は還らざる地へ旅立った。」

「僕はね、城さんの声が本当に好きでした。
(この本に載せた)詩も原稿もすべて城さんの声を脳裏に置いて書いたもの。城さんのシャープでいて温かみのある声を思い出しながら読んでいただけたら、これ以上の幸せはありません。」


週刊誌の書籍紹介記事を読んで涙ぐむ人間なんて、私くらいしかいないかもしれん。

深夜12時、城さんの『遠い地平線が消えて・・・』で始まるナレーションを聴いて、ささくれだった心がすうっとしずまって、また明日から頑張ろうと思いながら眠りにつくことができた人間が、私をふくめておそらく何万人、いや何十万人もいたはずです。

私は城さんしか知りませんでしたが、城さんのかげには堀内さんのような方がおられたわけだ。

城達也氏も男、堀内茂男さんも男の中の男、私より20歳ほど年長の方のようですが、私も城さんや堀内さんのような仕事ぶりでありたい・・・。


世は移ろいます。

海外旅行が夢であった時代に始まったこの番組のスポンサー日本航空JALは、いまや経営不振で瀕死寸前のありさまです。
日航のジェット旅客機がテレビの画面に映っただけで心躍った時代があったなんて、今の人にはわかってもらえないかもしれません。


JET STREAMは、ボールペンの商品名にもなっています。

三菱の開発者が数年の歳月をかけて開発した新しいボールペンは、いまやボールペンの歴史を変える商品になりつつあります。
私の周りでも、「ジェットストリームを使い始めたらもう他のボールペンなんか使えない」とおっしゃる方が少なくありません。


堀内さんの記事を読んで、ひょっとすると商品名を考えていた三菱鉛筆の開発者の脳裏にもMR. LONELYの調べと城さんのJET STREAMが流れていたのかもしれないなと、想像してしまいました。







週刊文春平成22年10月21日号・「文集図書館」著者は語る『JET STREAM 旅への誘い詩集〜遠い地平線が消えて〜』(堀内茂男著)より。



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essay 「オープンエデュケーション」 今日、出会った言葉から

週刊文春平成22年10月14日号・「文集図書館」に、杉並区立和田中学校の藤原和博氏が、ちくま新書『ウェブで学ぶ オープンエデュケーションと知の革命』(梅田望夫・飯吉透著)の書評を書いています。


サルマン・カーン氏という人がいるらしい。

ネット上で、誰でも見ることのできるKhan Academyを開講している人です。

遠隔地に住む中学生の姪のためにネット上の電子黒板を使いながら勉強を教えていたものをユーチューブで公開したところ、世界中から評価されて、・・・、無料塾『カーン・アカデミー』が始まった」のだそうです。

2001年、マサチューセッツ工科大学で始まったオープンエデュケーションの奔流が、今、世界中を包み込んでいる」らしい。

オープンエデュケーションとは、「教材のすべてをウェブ上で公開し、いつでもどこでも誰でもが無料で学習することを可能にする流れ」のことです。

大学レベルの知に限らず、小中学生向けの教科書・教材もオープン・リソースになり、誰でもが自分に合った教科書を編集できるのが理想的であることを疑う人はないだろう。」と藤原氏は言います。

しかし、それは政府がハードウェアを何千万台撒こうが実現しない。

アップルもグーグルもアマゾンもウィキペディアもそうであったように、カーン氏のような個人的な『狂気』が、まず大事なのだと思う。」と、藤原氏は述べています。


以下は我が家での会話です。

私「おい、どうやら俺は世界の潮流の最先端を行ってるみたいやぞ。毎日、パソコンに向かって何の得にもならんことをやってって馬鹿にしてたけど、どうや、この記事、見てみい。」

家人「ふうん・・・。」(と、記事を読んで)「あんたとなんの関係もないみたいに思うけど。」

私「あほか、俺はこれ、これ、このオ、オープンエデュケーションがしたかったんじゃ。」

家人「そうか?そんなこと、一言も聞いたことないけどな。確かにオープンやけど、エデュケーションというほどたいしたことないんちゃう?」

私「んぐ・・・。」

家人「そうやなあ、この『個人的な狂気』いう部分はあたってるわ。1円にもならんのに、毎日2時間も3時間もかけて誰も読まんような記事を書いてるのん見てたら、『狂気』以外のなにものでもないとは言えるわな。」

だ、そうです。


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lounge 名選手必ずしも名監督ならず

塾講師にも、上(じょう)・中(ちゅう)・下(げ)があります。

まず、下。
「自分もできない」人。

問題を解く能力が子どもにも劣る人。

勉強のこわいところは、こういう人でも講師がつとまってしまうことです。
自分ができなくたって、「頑張れ!頑張れ!」と叱咤しておけば、子どもたちはそれなりに自分だけの力で成長することがないこともない。

私も、最初は「下」でした。

次に、中。
「自分はできる」人。

問題を解く能力はある。教科に関する知識もある。

子どもと同じ問題を、子どもよりはすらすら解いて(何年も同じ仕事をやっているんだから当然ですが)、それで「どうだ!」と教えている人。
子どもたちは一応尊敬はしますが、だからといって子どもたちに新しい力がついているわけではない。

私は長い間、この「中」だった(今でも「中」の「下」あたりかもしれません)。

その上の段階が、上。

力がある子であれ、ない子であれ、子どもが自力でできるようになる力と技を身につけさせることができる人。

私はずっとこの境地をめざしていますが、まだそこまで全然到達できていません。


地元の中学校のバレー部顧問とテニス部顧問の先生の話

私の地元のある中学に、M先生というバレー部顧問の先生がおられます。私が塾を始めた30年ほど前からいらっしゃった。
何度か転勤されましたが、この先生のおられる中学校のバレー部は、悪くても大阪府大会で優勝する。近畿大会優勝で当たり前、有望選手がいるときは全国大会でも優勝したりします。

地元の公立中学ですから、すぐれた選手を集めているわけではありません。入部してきた普通の子どもたちが、その先生が指導したら全国レベルに到達するわけです。

別の中学には、お名前は存じ上げないが、すごいテニス部の顧問がおられた。この中学は、1学年が20名もいない小規模校です。もちろん全員が地元の子です。
ところが毎年、この中学から高校へ進んだ子が大阪府の国体の選手に選抜される。中学校が団体戦で全国制覇をしたりする。

お2人とも、普通の子を全国レベルに「化けさせる」とほうもない指導力をお持ちなわけです。
指導者としては「上」の「上」、極上のクラスです。

いや、「化けさせる」と言うと真実ではありません。

ほとんどの普通の子は、「化ける」素質をもとから持っている。ほとんどの子のその素質は眠ったままですが、本当の優れた指導者はその素質を顕在化させる「技」を持っているのです。


太平洋戦争中の零戦(ゼロ戦)とグラマンの話

これから述べるのは読みかじりの、うろ覚えの話です。

太平洋戦争の初期、日本軍の戦闘機ゼロ戦は無敵でした。パイロットの訓練もいきとどいていたから技量抜群のの操縦士が何人もいて、まったくアメリカ軍の戦闘機は歯が立たなかった。

ところがこのゼロ戦、小旋回できるように機体の強度を犠牲にした、非常に扱いにくい飛行機だったそうです。
機体の長所を発揮できるように操縦するには名人級の腕前とコツが必要だったらしい。

それに対して、アメリカ軍の戦闘機グラマンはそこそこの訓練を経たパイロットであればたいした技量がなくても操縦できるように設計されていたらしい。ポイントをおさえれば、誰でも扱えるように作られていた。

戦争が長引き、日本軍の名人級の操縦士がアメリカ軍の物量戦の前に次々戦死して、ほとんどの搭乗員が急ごしらえの素人になると、今度は日本軍の戦闘機がなすすべもなくアメリカ軍機に撃ち落されるようになったと言われています。

日本軍は個人の技量に頼る部分が大きくて、「普通の人でもそこそこ扱えるように」武器をつくるという発想がなかったのです。

日本軍の指導者のレベルが「下」か、よくて「中」であって、「上」のレベルには到達していなかった、そういう発想自体がなかった、だからアメリカ軍に負けたのです。


「技は盗め」の真実と嘘

昔から、わが国の技能伝達法の1つは「技は盗め」です。

指導者は教えません。
指導される人は、指導者のすることをじっと観察して、そのよいところを「盗む」のです。

多分、「名人」を作るにはこの方法しかありません。

話を学習指導に転ずると、学校でも塾でも、特に数学などの理系の指導者は
「教えないこと」を理想とします。

数学の力は、「ああして、こうして」と教えていては決して身につきません。

ところが、「名人」を作るには「教えないこと」が理想なのですが、普通の子に「教えない」と大変なことになってしまいます。基本的なことさえ教えてもらえないで、放置されているのと同じことになるからです。

普通の子は、教えないといけない。


型(かた)、形(かたち)を身につける

「教えすぎると名人は生まれない」、「教えないと普通の子を伸ばすことはできない」、この相反する命題が学習指導にはつきまといます。

私は、この2つの矛盾を止揚するには、「型(かた)」、「形(かたち)」を教えること以外にはないのではないかと思っています。
問題の「解き方」を教えるのではなくて、解くときの(正確には「解く前」の)「型」、「形」を指導する。

柔道も、剣道も、華道も、茶道も、日本の習い事はすべて「型」、「形」から入ります。
そして、技量が上がるにしたがって、その技量にふさわしい技の「型」、「形」を習得していきます。

「型」、「形」を身につけた子どもたちは、その「型」、「形」を崩さない限り、自分の力で伸びていくことができる。

優れた指導者とは、この「型」、「形」を教えることができる人なのではないかと、最近やっとわかってきました。


塾の学習指導

大阪府公立高校の数学の入試問題、特に理数科(来年から文理学科に改編)の問題は、おそらく日本で一番むずかしい。

むずかしいけれども、数学を教えているものであれば解くくらいのことはできます。
しかし、解いてみせて威張っていたのでは、子どもたちが解けるようにはなりません。

また、ごくごくまれにいる「名人」級のこどもが「ひらめき」で解いたからといって、そういう子に出会えたことは幸運ではありますが、それでは指導者が仕事をしたことにはならない。

どんなむずかしい問題であろうと、その問題の解き方を具体的には習っていなくても、こうやれば絶対に自分だけの力で解けるという「型」、「形」を身につけさせることができる人こそがすぐれたコーチ、指導者なのだろうと、私は思っています。


(「講釈はいいから、ではその「型」、「形」を提示してみせろ。」というご意見が当然あろうかと予想します。実は、私のこのブログ全体が、学習指導における「型」、「形」を追究する試みでもあります。つたない試みの一端は、目次からたどって、例えば理数科の数学問題の解説記事を読んでいただければ(なんだこの程度かと笑われるレベルかもしれませんが)そこに書いています。)



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essay 「シミュレーション(simulation)」と「シュミレーション」

「模擬実験をする」、「あれこれ頭の中で試行錯誤をする」の意味にあたる言葉を書こうとして、書いている私がどっちだったっけ?と悩むのが、「シミュレーション」と「シュミレーション」です。

冷静に考えたら英語のsimulateの名詞形だからsimulationシミュレーションに決まっているのに、特にしゃべっているときなどシュミレーションと言ってしまいそうになります。

「的を射る」と「的を得る」と違って、シュミレーションは明らかな誤りであり、間違って使ってしまったらいいわけできません。


頑張るシュミレーション

グーグルで検索したとき、シミュレーションでhitする記事は3290万件、シュミレーションでhitする記事が1450万件(「もしかしてシミュレーション?(あなた間違っているんじゃないの?)」の注記があるにもかかわらず)。

このインターネットの世界に、とくとくとしてシュミレーションと書いて誤りと気づかずに記事をあげている日本人が1450万人もいるのです。
頭がくらくらしてきます(自分も、どっちだったっけ?と迷う人間なのは棚にあげて)。

ここまできたら、シュミレーション頑張れ!と言いたくなる。


見栄っ張りの言い訳

当然、私自身も思うのが、「シミュレーションって言葉、わざわざ見栄を張って使わなくていいじゃん。同じ意味の適切な日本語を使いなよ。」

ところが、シミュレーションにあたる適切な日本語が、探してもないのです。

simulateをgoo辞書でひくと、「シミュレートする、模擬実験をする」と書いてある。
simulationが研究社の新英和中辞典だと、「模擬実験、シミュレーション」とある。

私たちがシミュレーションと言いたいとき、「模擬実験」とまで意味を限定したいわけではない。
「模擬実験」でなかったら、シミュレーションの意味はシミュレーションだと辞書に断言されているわけで、またまた頭がくらくらしてきます。


混迷の犯人は大学教授と高級官僚

かくも日本国民を混迷のふちに追い込んだ犯人は、私見によると、文書にむやみやたらと新規の外来語をまぶす大学教授とキャリア官僚です。

大学の先生の文章と官庁の報告文書にけったいな外来語が最初に使われ始めて、それがいつのまにか流行になって、私たちはその言葉を使わないと時代遅れになると勘違いして、使わざるをえなくなる。

われら庶民は、「公約」を「マニフェスト(@民主党)」と言いかえられたらころっと騙され、さらに「アジェンダ(@みんなの党)」と叫ばれると嬉々として投票してしまうのです(2010年現在)。

それまでは、「頭の中でいろいろ考えてみたのですが、・・・」と言っておけば用が済んで平和だったのに、シミュレーションという言葉を聞きかじったばかりに、「いくつかシミュレーションをくりかえした結果、・・・」などと舌をもつれさせて苦労しないといけないことになってしまったのです(運がよければの話。運が悪かったら「いくつかシュミレーションをくりかえした結果」と発言して失笑をかうはめになる)。


私の提案

大学の先生や偉いお役人が、「おまえたち庶民とは違うんだよ」とばかりに外国産の新語を使いたがる心境を理解できないこともありません。
また、世の中には、外国から新しい概念が入ってきて、それを表すのにふさわしい日本語がない場合があることも承認します。

しかし、われら庶民が知ったかぶりをしたときに恥をかくような環境を国の指導者が作ってはいけない。

そこで、両者を止揚する私の提案です。

小学生や中学生が知らないレベルの外来語を使うときは、その言葉は原語のつづりで表記せよ。

「たこ焼きの焼き方についていろいろsimulationしたところ・・・」というふうに表記することを提案します。

偉い人は自尊心をさらに高級な方法で満足させられるし、読むわれら庶民は「お、またわけのわからん新しい言葉だぞ」という目印になって警戒もできるし、一石二鳥だと思いますが、如何?


追記:simulate,simulationには、もう1つ、「ふりをする(こと)」「まねをする(こと)」という意味があります。サッカーでイエローカードを出されるシミュレーションは「痛がるふり」で、こちらの意味ですね。


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