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勉強法

essay 試験勉強の仕方と覚え方を考える(蛍光マーカーと記憶、文ではなくて単語で覚える)

試験勉強の仕方、大切なことの覚え方について考えてみました。

1、通読
MEMO黄まず、教科書や参考書の試験範囲を通読して要点を覚えようとするとき、次の3つの方法が考えられます。

1、教科書を黙読する
2、教科書を音読する
3、教科書の要点をノートにまとめる

「よくできる人」は黙読で充分です。
ほとんどの重要語句は頭に入っているので、試験範囲を見直しして、細かいことや見落としていたことを確認しておけばそれで充分だからです。
また、黙読は一番時間がかからない勉強法でもあります。

「あまり成績が良くない人」は音読をおすすめします。
声を出して教科書を読むべきです。
「成績が良くない人」に共通する欠点は、語彙(ごい)力の不足(言葉を知らないこと)です。
重要な語句が頭に入っていないので、テストで良い点がとれないのです。
言葉を言葉として頭に残すには、音読が最も効果的で手っ取り早い方法です。

教科書をノートにまとめる試験勉強は、あまり良い勉強法ではありません。
時間がかかりすぎて、テストには間に合いません。
また、ノートにまとめたからといって、重要な言葉が頭に残っているわけではありません。
教科書をノートにまとめる勉強法は、最も効果の薄い、試験勉強としては一番やってはいけない勉強法です。


2、マーキング

試験範囲を通読するだけでは不充分です。

人間の脳は、見たものすべてを頭に残すようにはできていません。
教科書や参考書を通読したとしても、読んだもののうち、重要なもの、覚えないといけないものを区別して取り出し、それだけを覚えるようにしないと、何も覚えられません。

そのための方法がマーキング(重要な語句にしるしをつけること)です。

マーキングの方法としては、重要部分に鉛筆やボールペンで線を引く方法もありますが、多くの人がおこなっているのはマーカーペン、特に蛍光マーカーを使う方法です。
そこで、蛍光マーカーを使うマーキングについて考察します。


3、何色の蛍光マーカーを使うか

私は、黄色の蛍光マーカーを使います。

赤色や緑色を使う人もいますが、赤色や緑色は濃すぎて、引いた部分の語句がマーカーで隠れてしまって、語句を読み取りにくくしているように思います。

マーキングは、重要な語句を覚えるためにするものです。
マーキングした語句が目に鮮やかに浮き上がってこないと意味がありません。

黄色は色そのものが目立ち、その上、引いた部分の語句をはっきりと読み取ることができるという長所があるように思います。


4、何をマーキングするか(言葉か文か)

マーカーの色よりも重要なのが、何をマーキングするか、です。

例えば、テスト範囲として、次の文を通読し、マーキングして覚えるとします。

大気の上層にある、酸素がもとになってできたオゾンの濃い層をオゾン層という。オゾン層は、生物に有害な紫外線を吸収し、地表に届く紫外線を減少させている。近年、フロンと呼ばれる化学物質がオゾンを分解し、オゾン層のオゾンの濃度が低くなっていることがわかってきた。オゾン層が破壊されると、地表に達する紫外線の量が増え、皮膚ガンの増加が懸念されている。

あなたなら、蛍光マーカーでどのようにマーキングしますか?

時々、次のように蛍光ペンで塗る人がいます。

大気の上層にある、酸素がもとになってできたオゾンの濃い層をオゾン層という

この塗り方は、マーキングとは言えません。
だらだらと引いてあるだけで、重要な言葉、覚えないといけない言葉をマークしているわけではないので、何の意味もありません。

「読んだもののうち、重要なもの、覚えないといけないものを区別して取り出し、それだけを覚えるようにする」のがマーキングです。

覚えないといけないのは、そして、覚えることができるのは、短い言葉単語だけです。

文章を覚えることはすこぶる困難ですし、仮に覚えられたとしても、実際のテストでは何の役にも立ちません。

正しいマーキングは次のようになります。

大気の上層にある、酸素がもとになってできたオゾンの濃い層をオゾン層という。オゾン層は、生物に有害な紫外線を吸収し、地表に届く紫外線を減少させている。近年、フロンと呼ばれる化学物質がオゾンを分解し、オゾン層のオゾンの濃度が低くなっていることがわかってきた。オゾン層が破壊されると、地表に達する紫外線の量が増え、皮膚ガンの増加が懸念されている。

「読んだもののうち、重要な言葉、覚えないといけない言葉を区別して取り出し、言葉だけを覚えるようにする」ための方法がマーキングであり、言葉さえ覚えておけば、どんな問題が出てきても対応できるのです。


5、なぜ重要な言葉をマーキングできるのか

正しくマーキングする人は、なぜ、「オゾン層」、「紫外線」、「フロン」、「皮膚ガン」が覚えないといけない言葉、重要な言葉だとわかるのでしょうか?

それは、抽象的に述べると、文章中で特別扱いされているのがそれらの言葉であるからです。
「大気」「酸素」「生物」「有害」…などは、この文以外にもよく使われる一般的な語なので、しいて覚えないといけない語ではありません。

上の説明ではわかりにくいのでさらに具体的に述べると、「オゾン層」、「紫外線」、「フロン」、「皮膚ガン」が重要な語だとわかるのは、授業中に先生がその語を強調されていたからであり、自分が問題を解いたときにしばしばその語が問われていたから、です(だから、授業は真剣に受けないといけないし、普段から多くの問題を解いておかないといけないのです)。

上手なマーキングは、勉強の出発点であり、ゴールでもあるのです。







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math 小学算数から中学数学へ(新中学1年生へ)

小学校の算数が中学校では数学と名前が変わります。
名前が変わると、解き方も大きく変わります。

例えば、小学算数では答えが仮分数のときは帯分数になおしますが、中学数学では仮分数のままにしておきます。
また、できるだけ小数を使わないで、数学では分数を使うのが原則です(逆に、理科では分数を使わないで小数を使うのが原則です)。

さらに、問題を解くときの心構えや、勉強の仕方自体が変わります。


中学数学を得意科目にするための3大原則

1、まず数学用語を正確に理解する。

2、答えよりは解き方が大事(単元ごとに解き方を学ぶのが数学)。

3、算数は答えが、数学はと、式を導き出すためのが重要(算数は計算をする、数学はできるだけ計算をしない)。


まず、数学用語を正確に理解しよう

小学校の勉強と中学校の勉強で一番違うのは言葉の重要性です。

成績の上がらない人の特徴を一言で言うと、問題が読めないことです。
そして、問題が読めない人とは、言葉の意味を曖昧なままにしたままで問題を解いている人です。

符号とは何か、自然数とは何か、絶対値とは何か、あなたは正確に言えますか?

符号+と−
自然数正の整数
絶対値原点からの距離
以上・以下…その数自身も含む
未満・より大きい・より小さい…その数は含まない
・・・

こうした言葉の意味を最初にしっかり覚えないと、数学は上達しません。
これが小学校の算数との大きな違いです。


答えよりは解き方のほうが大事

算数では、解き方がどうであれ、答えさえ合っていたらそれで誉められます。
数学は逆です。
極端に言うと、答えはどうでもよいのです。
正しい解き方を習得し、その解き方に従って解いていくと正解は自動的に出てくる、というのが数学の正しい解き方です。

例えば、(-15)+(+6)+(-10)+(+20)の計算を、あなたはどう解きますか。

(-15)+(+6)で-9、-9と(-10)で-19、-19と(+20)で+1と解くこともできます。
しかし、この解き方は誤りです。

誤りである理由は、「頭(脳)」を使って解いている、頭を使っているから時間もかかるし、間違いも増えるからです。

人間の頭、脳は、ほとんどあてになりません。
記憶は不正確だし、脳はすぐ疲れます。

例えば、あなたはお母さんの眉がどんな形をしているか言えますか?
生まれてから毎日お母さんの顔を見ているはずですが、どんな眉の形をしているか言えといわれたら言えないでしょう?
ところが目の前にお母さんの写真があれば、こういう形だと自信をもって答えられるはずです。
つまり、人間の目は信用できますが、頭は信用できないのです。


(-15)+(+6)+(-10)+(+20)の計算の正しい解き方はこうです。

(-15)+(+6)+(-10)+(+20)
=(+26)+(-25)・・・正の数は正の数で集める、負の数は負の数で集める
=+1

この解き方だと頭はほとんど使っていません。
式を書き直すときにを使っているだけです。

「正の数は正の数で集める、負の数は負の数で集める」という原則に従うだけで、最も短時間で、ミスをしないで、ほぼ自動的に、正解が出てきます。
これが数学の正しい解き方です。

時々、次のように解く人もいます。
(-15)+(+6)+(-10)+(+20)
=(+6)+(+20)+(-15)+(-10)・・・交換法則を使う
=(+26)+(-25)
=+1

教科書やテキストの解説には上のように書いてありますが、それは理屈を述べているだけで、実際に上のように書いて解くのは時間の無駄です。

を使って(頭を使わないで)、最短の時間で解く方法が、数学の正しい解き方です。


算数は答えが、数学は式と、式を導き出すための図が重要

正しい解き方を習得しようと思えば、正しい式の書き方を覚えるしかありません。

(-15)+(+6)+(-10)+(+20)の計算問題だと、

(-15)+(+6)+(-10)+(+20)
=(+26)+(-25)・・・この行をどう書くか!
=+1

2行目の、=(+26)+(-25)が書けるかどうかが大切なのです。

正しい解き方を知っているから2行目が書けるのではありません。
2行目を正しく書く癖のついている人だけが、正しい解き方に則って解けるのです、

答えより式が大切だというのはそういう意味です。


さらに、応用問題を解けるようになるには、図を書けるかどうかが重要になってきます。

例題:-0.9より小さい整数のうち、最も大きい整数は何か。

ほとんどの人が悩む問題ですが、誰でも自信をもって解ける唯一の方法があります。

数直線をかけばよいのです。

数直線










数直線に必要なことをかいて眺めれば、誰でも答えは-1だと自信を持って答えることができます。

中学生で、どんなに問題が難しくなっても解ける人、数学が特別によくできる人とは、図をかけと言われなくても自分でさっさと図がかけて、その図を見て問題を解こうとする人です。

計算が速くて正確であるからといって、それだけでは数学の応用問題を解けるようにはなりません。
図をかいて図を見て解く癖のついている人だけが数学の応用問題を解けるようになります。



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essay よい問題集とは、7割が自力で解ける問題集

受験生は、そろそろ学校や塾だけではなくて、自宅でも自分で教材を見つけて勉強を始めないといけない時期です。

自分の力だけで勉強をするときに、やって一番効果があがるのは、どんなワーク・テキスト・問題集でしょうか?

問題集(この稿は、自分だけで問題を解く場合を想定して書いています。横に指導者がいて、わからないところを教えてもらえる場合はまた違ってきます。)





7割の問題は自力で解ける問題集がよい問題集

日誌でも書いたのですが(I think that the best workbook is the one that 70% of problems in the book can be solved by yourself.)、自分で問題を解いてみて、テキストの中の問題のうち7割方は自分の力で解けるものが、そのときの自分に最も合ったよい問題集です。

3割、4割では目標に到達できない

問題集を解いてみて、3割、4割程度しか解けない、得点できないのであれば、まだその問題集を活用できるほどの基礎学力がついていない段階です。

もっとやさしいテキストで基礎をかためたあと、再チャレンジをしたほうがよい。

特別薄い問題集で、解説・解答が詳しいものであれば別ですが、ページ数が多いものだと、すぐに行き詰ってしまう可能性が高い。


9割以上を簡単に解ける問題集だと時間のムダ

逆に、9割以上の問題がすらすら解けるようであれば、そんな問題集を1冊仕上げたって、実力はつきません。
時間のムダです。

考えないで問題を解く癖までついてしまって、かえって害になる可能性さえあります。

もっと手ごたえのある問題集に換えるべきです。


文系科目と理系科目で少し違う

3割、4割は行き詰る、9割だと時間のムダと書きました。
5割〜8割は批判していません。
7割が最上と言いながら、5割〜8割を許容するのはなぜか?

それは、文系科目(国語・英語・社会)と理系科目(数学・理科)では目安が異なるからです。

文系科目は、知識の量が得点力を大きく左右します。
だから、やさしめの問題集であっても、どんどん問題をこなすほうが得点に直結します。

文系科目だと、8〜9割を自力で正解できる問題集は、自分に合ったよい問題集です。

理系科目は、思考力応用力が決め手です。
時間をかけて、あれこれ試行錯誤して、考える苦しみに耐える力をつけておかないと得点は伸びません。

5割、6割しかすぐには解けなくても、残りの5割、4割を時間をかけて解くほうが伸びます。

つまり、7割は平均値であって、文系科目の問題集はそれより易し目でよい、理系科目は少しむずかしめ目のものが役に立つということになります。

書店で、問題集を選ぶときの参考にしてください。



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Japanese 国語の成績を上げるただ一つのコツ

なかなか国語の成績が上がらない人の共通点は何でしょうか?

読書量が足りない、でしょうか?
漢字が読めない書けない、でしょうか?
問題練習が足りない、でしょうか?
知識や一般常識が不足している、でしょうか?

私は、どれも絶対的な決め手ではないと思っています。

私が経験上気づいた、国語の成績が上がらない人の唯一の共通点は、「国語の成績が伸びない子は、自分でわからないと判断すると解答を空白のままにする」です。


どんな問題で解答欄が空白であることが多いか

今、手元にある問題集の適当なページをぱっと開いたら、本文のあとに出ている問題は次のようなものでした。
問題の配列例としてはもっとも一般的なものです。

1、傍線部A〜Eのカタカナを漢字に改めて書きなさい。(漢字の問題)
2、傍線部「新しい」が直接修飾する言葉を次から一つ選び、記号で答えなさい。(文法の問題)
3、文章中の二つのカッコには同じ言葉が入る。次から一つ選び、記号で答えなさい。(文脈から適語を選ぶ問題)
4、文章中の「自然の時空と人間の時空が共振する」とはどういうことか。次から最も適切なものを一つ選び、記号で答えなさい。(文脈の理解を問う問題)
5、傍線部「様々な人々の中で模索がはじまっている」のはなぜか。後半の段落の内容を踏まえて、六十字以内で書きなさい。(記述の問題)


1、の漢字の問題ですが、意外に個人差はありません。書ける漢字はほとんどの人が書いているし、難しい漢字だとほとんどの人が間違うか空けています。
2、の文法問題を空白にする人はほとんどいません(合っているかどうかは別にして)。
3、4、の記号選択問題も、解答欄を空白にする人はまずいません。

問題練習をさせたとき、答えを書くことを断念して解答欄を空ける人が多いのは最後の5番の問題です。

この5番の問題を、頑張って解答欄を埋めようとするか、簡単にあきらめて空白のままで平気かで、国語の成績が伸びるかどうかが決まります。
空白
私は授業中、解答欄に空白がある間は終了と認めない、何か書かないと次に進ませないことがよくあります。

そのかわりに、頑張って何か書いてくれたら、合っているか微妙な問題でも、「よし」と誉めて次に進ませます。



なぜ解答欄を空白のままにしておいてはいけないのか

授業中は次のように言うことが多い。

「解答欄に何も書かないと最初から0点だ。何か書いてあれば、部分点は絶対にある。その差は大きい。空けたままにしないで、とにかくなんでもいいからまず書く癖を今からつけておかないと、実際の入試では書けないよ。」

しかし、本当の理由は入試の些細な損得ではありません。

解答欄を空白のままにしておいてはいけない理由はもっとシンプルなものです。

問題練習は、自転車に乗れない子が自転車に乗る練習をするのと同じです。

初めて自転車に乗るときは、誰でもいやなものです。怖いし、何度か転ぶから痛い。
うちの子もそうでしたが、ほとんどすべての子が最初はいやだと泣き叫びます。

乗るのをあきらめた子は、当たり前のことですが、絶対に自転車に乗れるようにはなりません。

覚悟を決めて乗って、何度か転んで痛い目にあった子だけが上手に乗れるようになる。

転ぶ痛さを経験する人だけが、どうして転ぶのかを本能的に察知しますから、転ばないコツを身につけることができるのです。

解答欄を埋めようと素直に努力できる「自転車に乗ろうとする」人だけが、知らないうちに国語ができるようになっていきます。


どうしたら解答欄を埋められるようになるか

まず、嘘でもいいから、大間違いでもよいから、とにかく書いてみるという心構えが必要です。

最初から満点の、欠点のない解答を書こうとするから書けないのです。
できない人ほどプライドが高い。

できる人は謙虚です。
最初から簡単にできるほど甘いものではないということを知っています。
自分にできる精一杯の答えを書いて、そのあとで自分の欠点を治そうとします。


答え合わせするときに大切なこと

答え合わせにもコツがあります。

記述問題では、答え合わせをするときは最大限自分に甘く採点します。
これが大事です。

模範解答と照らし合わせてみて、ちょっとでも「かすっていたら」、模範解答と同じ趣旨のことがわずかでも書いてあったら、すべて「丸」にします。

ないがしろにしてはいけないのは解答の最後だけです。

上に挙げた問題の5番だと、解答として要求している「なぜか」の部分、ここだけは要求に絶対に従わないといけません。

「なぜか」と聞かれているのだから、解答の最後は「〜だから。」や「〜なので。」以外は認められません。
国語ですから、最後の最後に句点「。」がないのも無効です。

最後の「〜だから。」さえ書いてあったら、自分に大甘に採点するのが書けるようになるコツです。


絶対に解答欄を空白のままにしないという心構え

本当は、「すぐにあきらめて解答欄をあけたままにしない」は、国語以外の科目でも大切な心構えかもしれません。

自分には荷が重いと思われる困難に出会ったときに、簡単にあきらめるのか、自分なりに精一杯の努力をするのか。

そこに、勉強に限らない人生の分岐点があるような気がします。





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homeroom 『解説』や『囲み記事』はハーゲンダッツの蓋についたアイス

授業中の会話から。

「問題のあとに、おまけで故事成語をまとめたページがあるやろ?あれも、じっくり読んだらためになるから、読んどいたほうがいいよ。」

しばらくして・・・

「あれ?もう、次の問題を解いてる。おまけのページちゃんと読んだんか?」

A君いや・・・。めんどくさいから。

B君はやく次の問題をやりたいし・・・。

「おいしいアイスクリームあるよなあ。あれ、なんやったっけ?」

ハーゲンダッツ



Cさんハーゲンダッツ!

「おう、それそれ!ハーゲンダッツもらって(高いから買われへんしなあ)、ふたをとっと食べるとき、もちろん中身もおいしいけど、ふたにくっついたアイス、ついつい食べてしまうやろ?スプーンで削って食べへんか?」

D君おれ、舐めてまうわ。

「ふたについたアイスのほうが本体よりおいしいような気がするよね。」

全員そうそう!あれ、なんでやろ。

「問題集なんかの解説や囲み記事は、ふたにくっついたアイスとおんなじやねん。かえって問題本体よりも後まで頭に残って、役に立つことが多い。おろそかにせんほうがええで。賢い子は、そういうのんまで、よく読んでるよ。」

E君うまいこと言うなあ。




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essay 友だちと一緒にするテスト勉強

朝日新聞2011年2月15日朝刊の記事から。
特集『いま子どもたちは』を連載中ですが、「教え合う 友達も『先生』」という記事がありました。

要約すると・・・

テスト前の土日の朝、大阪府池田市立池田中学校の図書室は「自習室」に変わる。

期末試験を控えた土曜日、3年生の20数人が集まった。

中2の春、東京から転校してきたHさんの手が止まると、他の単元を勉強していたFさんが助け舟を出す。

家では、ついマンガを読んだり、テレビを見たりしてエンジンがかかるまで時間がかかる。でも図書室で友だちと一緒なら、すーっと「勉強モード」に入っていけるという。

全員が集中しているわけではない。フラッと図書室を出ていく男子。友達とのおしゃべりをはさむ女子。

教師の参加も自由。
突然、理科の質問を振られた技術の男性教諭は「うそは教えられへんし」と携帯を使い、人体模型図を検索した。女子たちが集まって、小さな画面をのぞき込んだ。

池田中には、大学生が朝から空き教室に詰めている「まな部屋」や、地域の人が手伝う土曜授業がある。たまたま近くにいる人が、その日の先生。

そんな「ナナメの関係」の柔軟さが「ヨコの関係」も育てるのだろうか。校内では、友達同士で教え合う姿をよく見かける。


以上が記事の内容です。


仲良きことは美しき、かな?

この記事を読んだ私はどう感じたでしょうか?

「ええ記事やなあ、こうして子どもたちが一緒に勉強することの楽しさを覚えてくれたら、教える子も教えられる子も成長して成績が上がるぞ。」と思ったかというと、その正反対です。

読んだ瞬間思ったのが、「また、この記事を読んで騙されてしまうメディア・リテラシー(情報判断能力)のない親や子がいたらいやだなあ。朝日新聞はいい新聞だけど、時々こうやってきれいごとで世を誤らせる。困った記事だ。」です。


「友達と一緒に勉強する」は、最悪のテスト勉強


「友達を大切にする」、「友達のために尽くす」は、おそらく人生の徳目の中でも最上位に位置する大事な道徳の一つです。
友達に勉強を教えることそれ自体は素晴らしいことです。
私もそれは認めます。

しかし、それと「一緒に勉強する」こととは、次元も違うし、なんの関係もありません。


2学期の期末テスト前にもこういうできごとがありました。

別の校舎から事務室にもどったら机の上に講師からのメモが置いてありました。
「中1のA、B、Cさんの3人が、試験前の1週間テスト勉強を一緒に頑張りたいので教室を自習に使わせてほしいとのことです。」
読んだ私は、事務室の講師たちと顔を見合わせて苦笑い。

苦笑いの意味は、(1)子どもたちが自分で考えてよかれと思ってあれこれするのはいいことである、(2)そのことに塾として最大限協力するのはやぶさかではない、(3)しかし、結果は最初から見えている、です。

私が了承したので、3人は1週間張り切ってやってきました。私たちも、勉強に集中できるように席まで指定し、手があいていたら質問も受けました。

期末試験が終わってテスト結果を集計すると、1週間頑張った3人の成績は3人ともこれまでの点数を大きく下まわり、最悪でした。

これが、「最初から見えていた」結果です。

親御さんもよくご存知です。

直後の懇談会で3人の保護者の方が口をそろえておっしゃったのが、「ねえ、私もやめときなさいと言ったんですよ。でも、ま、いいか、やってみたらわかるだろうと。結果は案の定。次は一人でしいやと言ったら、ショックだったんでしょう、今度は素直にうなずいてました。」

この3人は、私たちの目を盗んで遊んでいたわけではありません。自分たちなりに、まじめにやっていたはずです。それこそ、わからないときは教え合って。

それでも、友達と一緒にテスト勉強をすると、100%以上の確率で(どんな確率やねん)確実に成績は大きく下がります。


「人に教えたら賢くなる」も嘘

当地の公立の小・中学校では、習熟度授業で「教え合い」を奨励する学校もあります。
意地悪な私に言わせれば、「先生の手抜き」に近い。

私は、塾の授業中でも、隣の子に聞いたりする子には「友達に聞いたらあかん、私たちが質問に答えるためにいるんだから、私に聞け。」とよく注意します。

友達同士で教え合うのを許したらざわついて、しいんとした中で勉強に集中したい子の迷惑になるから、も小さな理由の一つですが、最大の理由は、教え合いは「教える子も教えられる子も賢くはならない」からです。

よく、「人に教えたら自分自身もよくわかっていないことがわかって成長できた」などというきれいごとを言う人がありますが、まったくの大嘘です。

もしそれが真実なら、子どもたちに毎日ものを教えているわれら塾講師は、日々賢くなって大天才になっているはずです。

私たちアホな塾講師の存在こそ、「人に教えたら賢くなる」説が大嘘であることの最高の証明です。


勉強とは、孤独なものです。

自分ひとりで、自分とだけ向かい合って、自分ひとりで考え、自分ひとりで苦悩しないと、決して成績は上がりません。


余談:文章としても最低

今、公立入試直前で、中3生に小論文、作文を書かせていますが、私だったら、この記事の文章だとほとんど点はあげません。

もう一度、記事の最後の「そんな「ナナメの関係」の柔軟さが「ヨコの関係」も育てるのだろうか。校内では、友達同士で教え合う姿をよく見かける。」をながめてください。

記者さんは、「教え合い」が素晴らしいと読者に思ってほしいのです。
しかし、断定する自信はないし、自分の言葉に責任をもつ勇気もないものだから、「
「ナナメの関係」の柔軟さが「ヨコの関係」も育てるのだろうか。」などという、いい「気分」にだけはさせるが根拠も内容もまったくない空虚な言い回しで卑怯にも、自分自身の言葉に対する責任から完全に「逃げて」いるわけです。


世の中を誤らせるのは、こういう言説です。



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lounge 勉強と姿勢、手は「ハ」の字

手はハの字いい歳をして、若い人に教えられることも多い。

何年か前、個別指導の講師である20歳の女子大生が、「勉強をしているときの姿勢を見たら、その子の成績がわかりますね。」と言っているのを漏れ聞きました。

自分でもわかっていたはずなのに、それからあらためて注意して子どもたちを観察していると、本当に彼女の言うとおりです。



姿勢による得点推計

5教科合計点400点以上(平均点80点以上)の子で、机に向かう姿勢の悪い子は皆無です。

逆に、5教科300点(平均点60点)に届かない子で姿勢のよい子は一人もいません。

両者の間に位置する子は、姿勢にもどこか少し難点がある。


塾や公文に行くよりも

そう考えたら、幼児のときからお金を使って子どもを習い事に通わせるより、たった一つ、正しい姿勢で座るように躾けるほうがずっと将来のためになるということになります。

塾としては困るけれども、まあ、真理です。


正しい姿勢とは

正しい姿勢、座り方とは、上半身がまっすぐに伸びた、背骨だけで身体を支えている形です。

背骨はいくら身体を支えていても疲れない。

姿勢が悪いと、身体を支えるのに背骨ではなくてあちこちの筋肉を使います。
筋肉はすぐに疲れます。

だから、勉強しようと思っても疲れた筋肉が拒否してしまう。

姿勢の悪い子は、授業中大事なことをノートしない漢字や英単語を書いて覚えない計算の途中式を書かない文章題で式を書いて解こうとしないグラフや図に書き込みをしないなどの欠点を例外なく共有しています。

悪い姿勢が、疲れた筋肉が、姿勢の悪い子に悪い学習法を強いてしまうのです。


左手が決めて、手はハの字に

ところで、「正しい姿勢で座りなさい。」という指示は、何の役にも立ちません。

方程式を速く正確に解きなさいと言うだけでは何の効果もないのと同様です。
速く正確に方程式を解こうと思えば、イコールをそろえて書く、1行で一つの作業しかしない、などの「型」を習得しないといけない。

では、正しい姿勢をつくる決め手になるのは何かというと、「左手」です。

机の上に、左手と右手がカタカナの「ハ」、漢数字の「八」になるように左手を置いたら、誰でも自然に正しい姿勢になります。

座る姿勢の悪い子は、ほぼ全員、左手は肘をついているか、机の下にだらんと垂らしています。

特に最近は、左手を下に垂らしている子が目につきます。


子どもたちに嫌がられるのは承知の上ですが、授業中見つけるたびに、「左手!」と注意し続けるつもりです。





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Japanese 毛筆の習字に、はまる

幼少時より、字の下手なことがコンプレックスでした。
それで、字を書かなくてすむように、27年前に、まだ高かったワープロをさっさと購入したくらいです。

特に毛筆が下手。
結婚式やお葬式や式典のとき、受付で筆で自分の名前を記帳するたびに劣等感にかられます。

せめてもの慰めは、私たちの世代がおしなべて字が下手なこと。
親の世代はみな達筆なのに、私たち世代はまあ字は下手くそな人ばかりです。


隠れていた才能が開花か

懇意にしていただいている奈良白藤学園の前理事長さんが勇退されて、新しい理事長さんが挨拶に来られました。
新理事長は、かの筆ペンの『呉竹』の元会長さんです。
お帰りのとき、新製品を試してください、ということで、これを置いていかれました。

カートリッジを差し込んでおもむろに試し書き。
「うん?これって、俺の字?」
それくらい書き味が素晴らしくて、なにより別人の字に見えるくらいに字を上手く書ける。
「はらい」や「はね」も、手が動くより先に筆が走って見事に決まる。

さあ、それからです。
あいた時間を見つけては書きまくっています。

書道の師範免状を持つ講師の山田さんに筆の持ち方も教わりました。
試験監督で手持ち無沙汰のときは、教室にある国語辞典を引っぱり出して難しい漢字の練習。
教室の『国語便覧』を横において、漢詩の『春望』や『静夜思』を書き写して悦に入るくらい、はまり込んでいます。


われは字を知らざりき

パソコンばかり使っていて、手で字を書く機会はほとんどないので、歳とともにどんどん字を忘れていきます。
授業中、中学生に漢字を質問されて、「ううん、どうだったっけ?」と立ち往生することも多い。

商売上、よく使う字である「懇談会」の「懇」にしても、「劇」の字と違って左上の部分にチョン・チョンは不要ですが、その辺も普段は至極あいまいです。

ところが毛筆で書こうと思えば、当然、細部まで正確に字を知っていないと書けない。
「壇」の字の下が「目」ではなくて「日」であるなんてことも、わかっていないと書けません。
当地は葡萄の産地ですが、この「葡萄」という字、生まれて初めて書きました。
謙譲語の「譲」、右上は「大」ではなくて「六」だってことも、いつの間にか逆に覚えていた。
「俊」のルの部分、「空」の「穴」の最後の部分を、はねてはいけないのも知らなかった。

いかに自分がいい加減な人生を送ってきたか、(自分でもうすす感じてはいましたが)習字をしてみて初めて心底わかりました。


毛筆習字をして、初めて字がわかる

さらに、毛筆習字をしてみて、「ああ、漢字とはこういうものだったのか」と初めてわかった気がしました。

例えば、「壺」という字や、石鹸の「鹸」。
今までは「なんや、この字は。漢字というより記号みたいで、おかしな字だなぁ」と思っていたのが、筆で書くと「ああ、こういう字だったのか」と実感できる。

大げさに言うと、毛筆を使うことで、毛筆を使っていた中国の人、昔の日本人の心持ちがすうっと私の中に入ってくるのがわかるのです。

理科の電気図の記号のようだと思っていた「亞」の字や、※印だと思っていた「鹸」の字が、必然性があってそういう形をしているということが、理屈は何も理解できないのに、筆の感触だけでわかるのです。

さらに『筆順』。
今まで、「試験に出るから覚えや」としか言えなかった「必」や「飛」や「発」の筆順がなぜそうなのか、毛筆で書くとすんなり納得できます。


心を綺麗にし、精神修養になる

私の仕事は、数学の解き方を教えたり、理科の計算問題を解かせたり、今流行の言葉でいうと左脳を使うことの多い仕事です。
普段、字を扱うときも、左脳を使っているような気がします。

ところが習字で字を扱うときは、絵や音楽と同じで、右脳で字を見ているような気がします。

正しい字体を目で見て、それを手を使って再現する。
この行為はまさに絵を描く行為と変わりません。

そのためか、1日の終わりに毛筆で字を書くと、脳にこびりついた仕事の滓(かす)が、きれいに洗い流されるような気がしてきます。

もう一つ、習字には心を清めてくれる利点があります。

書くときに、「どや顔」で書いた字、「どうや、この字、うまく書けてるやろ、こういう字を書く俺ってすごい」という心持ちがちょっとでも気持ちの中にあって書いた字は、あとで見直すと目も当てられないほど醜悪です。

文章と同じです。
気持ちの中に「どうや!」が少しでもあって書いた文は、書いた自分がこの世から消してほしいくらいの「げす」な文章であることがほとんどです。

字や文章に限りません。
やることなすことのすべて、「どや顔」ですることほど醜いものはない。

わかってはいるのですがついつい忘れてしまう「どや顔」の醜悪さが、習字では一発で出る、見る人にわかってしまう。

これも、実際に毛筆で字を書いてみて、あらためてわかったことでした。


暇を見つけて、本気で習字を学んでみようという気になっています。


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homeroom 中学生になったら中学生の勉強法を

小学校のときはよくできる子だったのに、中学生になると定期テストで期待したほどの点がとれなくなる子がいます。
逆に、小学生のときは見劣りがしていたのに、中学校では高得点を維持する子も珍しくありません。

なぜだろうと?とずっと不思議に思ってきました。

最近やっとたどりついた結論が、小学校の勉強は自由演技、フリースタイルであり、中学校の勉強は規定演技だから、小学校の成績がそのまま中学生になったとき反映しないのではないか、というものです。

小学校での学習内容は、いわば身の回りで体験していることに毛が生えた程度のやさしいレベルです。
ませた子や雑学的知識のある子や生まれつき能力の高い子は、きちんとした勉強のフォームを身につけていなくても無手勝流、フリースタイルでなんとでもなります。
逆に、そういう子のほうが、正しいやり方でなくても苦労しないで正解にたどりつけたりするので、はたから見ると賢い子に見える。

それに対して、中学校の勉強レベルになると、もう身の回りの出来事から乖離していきます。今までまったく見たことも聞いたこともないことも習得していかなければならない。
そうなると、自己流、フリー演技は通用しなくなります。
最初に正しい解き方のルールを素直にのみこんで、そのルールを守って忠実に解き進められる人でないと、すぐに行きづまります。
つまり、あらかじめ決められた規定にそった演技、勉強ができる子でないと、いくら才能があっても得点には結びつきません。


昨日は新中1の授業を担当する曜日でした。

授業中、

「式を書く」、
「漢字で書く」、
「姿勢を正す」、
「大事なことはメモる」、
「イコールを揃える」、
「両手は机の上、片手でしない」、
「いちいち消さない、消してもよいのは誤答だけ」、
「図を書いてから解く」、
「マーカーを文に引いても意味がない、重要語にだけ引く」、
「絶対に答えを写さない、もう一度やりなおす」、
「思い出そうとしないと覚えられないから、前の説明をすぐ見直さないでまず考える」
・・・

と、規定演技の『規定』にあたるルールを口うるさく言い続けました(もちろん、口調はもっとずっとやさしく、ですが)。

物事は最初が肝心、悪い癖がついてからの矯正は困難であり、今、よいフォームを身につけていたら、後どれほど楽ができるかを強調しながら。



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essay 習慣にしないと力にならない

体を鍛えたいと考えたとします。
体脂肪の少ない、適度に筋肉のついたナイスボディになりたい。

一念発起して、毎日、腕立て伏せと腹筋運動を500回ずつ1週間、やったとする。多分、体には何の変化もないはずです。
やりすぎで、筋肉痛で起き上がれないかもしれないし、体のどこかを痛めている可能性もある。
なかなか人には真似のできない努力ではあるけれど、効果としては疑問符がつきます。

毎日10回ずつ、決まった時間に腕立て伏せと腹筋運動を3年間やり続けたとします。
知らぬ間に筋力がついて、3年後には惚れ惚れするほどの見違える体型になっているはずです。


頭も体の一部ですから、同じことが言えます。

1週間限定で長時間勉強したって、頭自体はよくなっているわけではない。

ところが1日10分ずつの勉強でも、それを何年もやり続けることができたら、やり始める前とは質の違う賢い頭になっていることは保証できます。


『継続は力なり』とはそういう意味だったんだと初めて気づきました。
私は今まで安易に、何事も継続するとそれが力になるという意味だと単純に思っていた。
そうではなくて、何をするにしても、一気にたくさんやったってそれだけでは真の力にはならない、少しずつでいいから毎日継続してこそ本当の力になるのだ、という意味だったんだとやっと気づきました。


最近、英文を読んでも英語のインタビューなんかを聞いても、また、ほとんど読めない、聞き取れないことに気づきました。
勉強しなおさないといけません。

毎日少しずつ、決めた時間に習慣として英語を勉強しなおそうと決意しました。



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    ご指導いただいた方々に感謝!
    ・2013.8.8.ぽんたさんにご指摘いただき、「社会科頻出事項(1)【地理編】」の間違いを修正することができました。
    ・2013.10.29.ヤマトさんのご指摘で、「超速まとめ 一次関数」の誤記2つを訂正することができました。
    ・2013.11.08.chappyさんにご教示いただき、「地球と宇宙(3)(太陽系・銀河系)」の光年の誤りを訂正しました。
    ・2013.12.08.中3さんのご指摘で、「相似(3)平行線と比」の記述間違いを訂正できました。ありがとうございます。
    ・2013.12.23.龍空さん、Mさん、名無しさんに教えていただき、「数量を文字式で表す」、「方程式の解き方」、「文学史」の間違いを訂正しました。
    ・2014.1.23.龍空さんに見つけていただき、「中学英語のまとめ(14) 疑問詞」の間違いを訂正しました。
    ・2014.1.28.龍空さんに教えていただき、「中学英語のまとめ(18) 現在完了」の記述ミスを修正しました。
    ・2014.2.22.いのりーさんのご指摘で、「【超速まとめ】 方程式の解き方」の記述間違いを訂正できました。感謝します。
    ・2014.2.25.名無し@受験生さんにご教示いただき、「高校入試 英語(4) 【英文法−その2−】」の記述ミスを修正しました。
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