動詞・形容詞・形容動詞などの活用のある語で、活用させても変化しない部分を「語幹」、活用させたときに変化する部分を「活用語尾」といいます。
例えば、動詞「書く」の場合、「書か(ない)」「書き(ます)」「書く」「書く(とき)」「書け(ば)」「書け」「書こ(う)」「書い(た)」と活用します。
変化しない「書(か)」が語幹です。
変化する「か」「き」「く」「く」「け」「け」「こ」「い」が活用語尾です。
「ない」「う」や、「ます」「た」は、付属するおもな助動詞、「とき」は付属する名詞、「ので」や「ば」は付属する助詞であって、語幹や活用語尾を見つける手がかりにはなりますが、動詞本体ではないので、語幹にも活用語尾にも含まれません。
おもな動詞、形容詞、形容動詞の活用は、次の表のようになります。

語幹・活用語尾で注意すること
語幹と活用語尾を考えるとき、注意しないといけないポイントが2つあります。
1、ひらがな3文字以上の上一段活用の動詞「起きる」は、「起き(ない)」「起き(ます)」「起きる」「起きる(とき)」「起きれ(ば)」「起きろ」と活用します。
語幹は「変化しない部分」、活用語尾は「変化する部分」のはずです。
ところが、「起きる」では、「起(お)」が語幹で、「き」「き」「きる」「きる」「きれ」「きろ」が活用語尾です。
「き」の部分は変化しないのに、「き」は語幹ではなくて活用語尾に含まれます。
つまり、イ段以下が、活用語尾です。
ひらがな3文字以上の下一段活用の動詞でも同じことが言えます。
「答える」で、「答(こた)」の部分が語幹で、「え」「え」「える」「える」「えれ」「えろ」が、「え」は変化していないのに「え」を含めて活用語尾です。
つまり、エ段以下が、活用語尾です。
2、ひらがな2字の上一段活用の「見る」、ひらがな2字の下一段活用の「出る」、カ行変格活用の「来る」、サ行変格活用の「する」などは、「語幹がない」とか、「語幹と活用語尾との区別ができない」と説明されます。
上一段活用の「見る」だと、語幹がなくて、「見(ない)」「見(ます)」「見る」「見る(とき)」「見れ(ば)」「見ろ」が活用語尾です。
下一段活用の「出る」だと、語幹がなくて、「出(ない)」「出(ます)」「出る」「出る(とき)」「出れ(ば)」「出ろ」が活用語尾です。
カ行変格活用の「来る」は、「こ」「き」「くる」「くる」「くれ」「こい」は活用語尾で、語幹はありません。
サ行変格活用の「する」は、「し・せ・さ」「し」「する」「する」「すれ」「しろ」は活用語尾で、語幹はありません。
疑問1:なぜ、上一段活用・下一段活用では変化していない部分も活用語尾なのか?
上一段活用の動詞「起きる」では、語幹は「変化しない部分」、活用語尾は「変化する部分」のはずなのに、「起(お)」が語幹で、「き」「き」「きる」「きる」「きれ」「きろ」が活用語尾です。
「き」の部分は変化しないのに、「き」は語幹ではなくて活用語尾です。
下一段活用の動詞「答える」では、「答(こた)」の部分が語幹で、「え」「え」「える」「える」「えれ」「えろ」が、「え」は変化していないのに「え」を含めて活用語尾です。
なぜでしょうか?
一つの説得力ある論は次のようなものです。
現代語の「起きる」は上一段活用ですが、古文では「起きる」ではなくて「起く」でした。
「起く」は、「起き(ず)」「起き(たり)」「起く」「起くる(とき)」「起くれ(ば)」「起き(よ)」と活用しました(「き」と「く」の二段に活用するので、古典の文法では「上二段活用」といいます)。
古典文法では、「起く」の語幹は「起(お)」で、「き」以下の「き」「き」「く」「くる」「くれ」「き」が、変化するので活用語尾です。
古文にあった、上一段活用、上二段活用の2種類の動詞が、現代国語では混ざって上一段活用になりました。
そのなごりから、「起(お)」が語幹であり、「き」以下が活用語尾である、という説明です。
また、利点として、古典文法と現代語文法との整合性を保つことができることをあげられます。
同様の理由から、下一段活用の「答える」も、「「答(こた)」の部分が語幹で、「え」「え」「える」「える」「えれ」「えろ」が、変化していない「え」を含めて活用語尾です。
疑問2:語幹のない語があってもよいのか?
上一段活用の「見る」、下一段活用の「出る」、カ行変格活用の「来る」、サ行変格活用の「する」などは、「語幹がない」とか、「語幹と活用語尾との区別ができない」と説明されます。
これも不思議です。
このことを説明する理論は次のようなものです。
私たちが学校で習う国語文法は、「学校文法」と呼ばれる特殊な「文法」なのだそうです。
国語学者の橋本進吉氏の著作を基礎に、戦後、中学校の教科書が作られ、今の教科書も橋本氏の説をほぼそのまま踏襲しています。
学校文法では、語幹と活用語尾を「ひらがな単位」で考えます。
だから、例えば、「見る」の場合、ひらがな単位だと、「み−ない」「み−ます」「みる」「みる−とき」「みれ−ば」「み−ろ」となるので、「見(み)」を語幹とすると、活用語尾がなくなってしまいます。それはおかしいので、「み」「み」「みる」「みる」「みれ」「みろ」が活用語尾だということになります。
ところが、「学校文法」は、他国の言語も視野に入れた言語学の立場からは説得力のない特殊な「文法」であって、「理屈にあっていない」のだそうです。
語幹と活用語尾を考えるときは、「学校文法」のように「ひらがな」単位で考えるのではなくて、「音」、つまり母音や子音を単位にして考えないといけません。
言語学の立場からは、五段活用の動詞や、カ行変格活用「来る」、サ行変格活用の「する」の語幹は子音で終わります。
例えば、「書く=kaku」だと、語幹が「kak」で、「u」が活用語尾です。
この立場だと、「来る」は「k+uru」、「する」は「s+uru」となって、すべての動詞に語幹と活用語尾があることになります。
どうやら、国語文法上の、語幹と活用語尾に関する、理屈に合わないようにみえるいくつかの事柄は、(1)古典文法と現代語文法との連続性や整合性、(2)「学校文法」という一種独特な文法の特殊性の、2点から説明がつくようです。
最後に、形容詞と形容動詞の語幹と活用語尾については、上述のような混乱はありません。
すべての形容詞で、「かろ」「かっ」「く」「い」「い」「けれ」が活用語尾であり、その上の部分が語幹です。
形容動詞だと、「だろ」「だっ」「で」「に」「だ」「な」「なら」が活用語尾で、その上が語幹です。
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例えば、動詞「書く」の場合、「書か(ない)」「書き(ます)」「書く」「書く(とき)」「書け(ば)」「書け」「書こ(う)」「書い(た)」と活用します。
変化しない「書(か)」が語幹です。
変化する「か」「き」「く」「く」「け」「け」「こ」「い」が活用語尾です。
「ない」「う」や、「ます」「た」は、付属するおもな助動詞、「とき」は付属する名詞、「ので」や「ば」は付属する助詞であって、語幹や活用語尾を見つける手がかりにはなりますが、動詞本体ではないので、語幹にも活用語尾にも含まれません。
おもな動詞、形容詞、形容動詞の活用は、次の表のようになります。

語幹・活用語尾で注意すること
語幹と活用語尾を考えるとき、注意しないといけないポイントが2つあります。
1、ひらがな3文字以上の上一段活用の動詞「起きる」は、「起き(ない)」「起き(ます)」「起きる」「起きる(とき)」「起きれ(ば)」「起きろ」と活用します。
語幹は「変化しない部分」、活用語尾は「変化する部分」のはずです。
ところが、「起きる」では、「起(お)」が語幹で、「き」「き」「きる」「きる」「きれ」「きろ」が活用語尾です。
「き」の部分は変化しないのに、「き」は語幹ではなくて活用語尾に含まれます。
つまり、イ段以下が、活用語尾です。
ひらがな3文字以上の下一段活用の動詞でも同じことが言えます。
「答える」で、「答(こた)」の部分が語幹で、「え」「え」「える」「える」「えれ」「えろ」が、「え」は変化していないのに「え」を含めて活用語尾です。
つまり、エ段以下が、活用語尾です。
2、ひらがな2字の上一段活用の「見る」、ひらがな2字の下一段活用の「出る」、カ行変格活用の「来る」、サ行変格活用の「する」などは、「語幹がない」とか、「語幹と活用語尾との区別ができない」と説明されます。
上一段活用の「見る」だと、語幹がなくて、「見(ない)」「見(ます)」「見る」「見る(とき)」「見れ(ば)」「見ろ」が活用語尾です。
下一段活用の「出る」だと、語幹がなくて、「出(ない)」「出(ます)」「出る」「出る(とき)」「出れ(ば)」「出ろ」が活用語尾です。
カ行変格活用の「来る」は、「こ」「き」「くる」「くる」「くれ」「こい」は活用語尾で、語幹はありません。
サ行変格活用の「する」は、「し・せ・さ」「し」「する」「する」「すれ」「しろ」は活用語尾で、語幹はありません。
疑問1:なぜ、上一段活用・下一段活用では変化していない部分も活用語尾なのか?
上一段活用の動詞「起きる」では、語幹は「変化しない部分」、活用語尾は「変化する部分」のはずなのに、「起(お)」が語幹で、「き」「き」「きる」「きる」「きれ」「きろ」が活用語尾です。
「き」の部分は変化しないのに、「き」は語幹ではなくて活用語尾です。
下一段活用の動詞「答える」では、「答(こた)」の部分が語幹で、「え」「え」「える」「える」「えれ」「えろ」が、「え」は変化していないのに「え」を含めて活用語尾です。
なぜでしょうか?
一つの説得力ある論は次のようなものです。
現代語の「起きる」は上一段活用ですが、古文では「起きる」ではなくて「起く」でした。
「起く」は、「起き(ず)」「起き(たり)」「起く」「起くる(とき)」「起くれ(ば)」「起き(よ)」と活用しました(「き」と「く」の二段に活用するので、古典の文法では「上二段活用」といいます)。
古典文法では、「起く」の語幹は「起(お)」で、「き」以下の「き」「き」「く」「くる」「くれ」「き」が、変化するので活用語尾です。
古文にあった、上一段活用、上二段活用の2種類の動詞が、現代国語では混ざって上一段活用になりました。
そのなごりから、「起(お)」が語幹であり、「き」以下が活用語尾である、という説明です。
また、利点として、古典文法と現代語文法との整合性を保つことができることをあげられます。
同様の理由から、下一段活用の「答える」も、「「答(こた)」の部分が語幹で、「え」「え」「える」「える」「えれ」「えろ」が、変化していない「え」を含めて活用語尾です。
疑問2:語幹のない語があってもよいのか?
上一段活用の「見る」、下一段活用の「出る」、カ行変格活用の「来る」、サ行変格活用の「する」などは、「語幹がない」とか、「語幹と活用語尾との区別ができない」と説明されます。
これも不思議です。
このことを説明する理論は次のようなものです。
私たちが学校で習う国語文法は、「学校文法」と呼ばれる特殊な「文法」なのだそうです。
国語学者の橋本進吉氏の著作を基礎に、戦後、中学校の教科書が作られ、今の教科書も橋本氏の説をほぼそのまま踏襲しています。
学校文法では、語幹と活用語尾を「ひらがな単位」で考えます。
だから、例えば、「見る」の場合、ひらがな単位だと、「み−ない」「み−ます」「みる」「みる−とき」「みれ−ば」「み−ろ」となるので、「見(み)」を語幹とすると、活用語尾がなくなってしまいます。それはおかしいので、「み」「み」「みる」「みる」「みれ」「みろ」が活用語尾だということになります。
ところが、「学校文法」は、他国の言語も視野に入れた言語学の立場からは説得力のない特殊な「文法」であって、「理屈にあっていない」のだそうです。
語幹と活用語尾を考えるときは、「学校文法」のように「ひらがな」単位で考えるのではなくて、「音」、つまり母音や子音を単位にして考えないといけません。
言語学の立場からは、五段活用の動詞や、カ行変格活用「来る」、サ行変格活用の「する」の語幹は子音で終わります。
例えば、「書く=kaku」だと、語幹が「kak」で、「u」が活用語尾です。
この立場だと、「来る」は「k+uru」、「する」は「s+uru」となって、すべての動詞に語幹と活用語尾があることになります。
どうやら、国語文法上の、語幹と活用語尾に関する、理屈に合わないようにみえるいくつかの事柄は、(1)古典文法と現代語文法との連続性や整合性、(2)「学校文法」という一種独特な文法の特殊性の、2点から説明がつくようです。
最後に、形容詞と形容動詞の語幹と活用語尾については、上述のような混乱はありません。
すべての形容詞で、「かろ」「かっ」「く」「い」「い」「けれ」が活用語尾であり、その上の部分が語幹です。
形容動詞だと、「だろ」「だっ」「で」「に」「だ」「な」「なら」が活用語尾で、その上が語幹です。
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