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故事成語

Japanese 故事成語(11) 蛍雪の功(けいせつのこう)

蛍雪の功(けいせつのこう)の意味

「苦労して学問に励むこと」、あるいは、「苦労して学問に励み、功績をあげること」を蛍雪の功といいます。

夜、勉強をするのには灯り(あかり)が必要です。
昔は、皿に入れた油に糸の芯をたらし、それに火をつけて灯りにしました。
灯りをともすための油も買えないほどの貧乏でありながら、蛍の光を灯りの代わりにしたり、窓の外の雪明かりで本を読んだりして苦労して勉強し、やがて高位高官に出世したという故事から生まれた言葉が「蛍雪の功」です。


故事成語のもとになった出来事・出典

蛍の光を灯りに勉強をした人は車胤(しゃいん)、雪の明かりで学問に励んだ人は孫康(そんこう)で、ともに中国の晋の時代の人です。

(しん:265〜420年)
三国時代(魏・呉・蜀)の、魏の最後の皇帝から禅譲を受けて司馬炎が建国した王朝が晋です。
317年、匈奴に華北を奪われるまでを西晋、華南の建業(建康)に都を移してからを東晋といいます。

車胤(しゃいん)も孫康(そんこう)も東晋時代の人です。
ともに、貧困の中で学問に励み、やがて中央政府に出仕して高官に取り立てられ、活躍しました。


『蛍雪の功』の原文と書き下し文、現代語訳

『晋書』車胤伝

(原文)晉車胤字武子、南平人。
(書き下し文)晋の車胤、字(あざな)は武子(ぶし)、南平(なんぺい)の人なり。
(現代語訳)晋の時代に生きた車胤は、呼び名を武子といい、南平の人だ。

(原文)恭勤不倦、博覽多通。
(書き下し文)恭勤(きょうきん)にして倦(う)まず、博覧(はくらん)多通(たつう)なり。
(現代語訳)謙虚で勤勉で、学問に励んで飽きることがなく、広く文献を学び精通していた。

(原文)家貧不常得油。
(書き下し文)家、貧(ひん)にして常には油を得ず。
(現代語訳)家が貧しかったために、灯り用の油を買えないことがよくあった。

(原文)夏月則練囊盛數十螢火、以照書、以夜繼日焉。
(書き下し文)夏月(かげつ)になれば則(すなわ)ち練囊(れんのう)に数十の蛍火(けいか)を盛(も)り、以(もっ)て書を照らし、夜を以(もっ)て日に継ぐ。
(現代語訳)夏になると練り絹の袋に数十匹の蛍を入れて、その明かりで書物を照らし、夜、暗くなっても学ぶことをやめなかった。


『蒙求(もうぎゅう)』孫康映雪・車胤聚螢

(原文)孫氏世録曰、康家貧無油。
(書き下し文)孫氏世録(そんしせろく)に曰(いわ)く、康(こう)、家貧(ひん)にして油無し。
(現代語訳)『孫氏世録』に書いてあることによると、孫康は家が貧しく、灯りに用いる油がなかった。

(原文)常映雪讀書。
(書き下し文)常に雪に映(てら)して書を読む。
(現代語訳)いつも雪の反射の明かりで本を読んだ。

(原文)少小清介、交遊不雜。
(書き下し文)少小(しょうしょう)より清介(せいかい)にして、交遊雑ならず。
(現代語訳)若いときから清潔な人柄で、交際する友人も慎重に選んでいた。

(原文)後至御史大夫。
(書き下し文)後(のち)に御史大夫(ぎょしたいふ)に至る。
(現代語訳)仕官したあと、御史大夫(官僚を監督する役所の長官)にまでなった。


『晋書』は、646年、唐の時代に編集された晋の歴史書であり、『蒙求』は、唐の時代に出版された子ども向けの教科書です。


歌曲『蛍の光』

明治14年に文部省の「小学唱歌集」に採用され、かつては必ず卒業式で歌われていたのが『蛍の光』(原曲はスコットランド民謡、作詞者不詳)です。
一番の歌詞の冒頭は「蛍雪の功」を踏まえたものです。

螢の光、窓の雪、
書(ふみ)読む月日、重ねつつ、
何時(いつ)しか年も、すぎの戸を、
開(あ)けてぞ今朝は、別れ行く。


以前は、「故事成語「蛍雪の功」ってのは、『蛍の光』の最初に出てくるでしょう?」と言えば、「ああ!」と皆がわかってくれたのですが、最近は卒業式で『蛍の光』を歌われることもまれになっているようで、『蛍の光』の歌詞を知らない人も増えてきました。


「蛍雪の功」を使う例

・蛍雪の功を積まなければ学問をきわめることはできない。

・蛍雪の功なって彼はこのたび博士号を取得しました。


似た意味の語

「苦学力行(くがくりっこう)」

「蛍窓雪案(けいそうせつあん)」




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Japanese 故事成語(10) 漁夫の利(ぎょふのり)

漁夫の利(ぎょふのり)の意味

「二つのものが争っているとき、争いに乗じて第三者が苦労なく利益をえること」を漁夫の利といいます。

貝と鴫(しぎ:鳥の一種)が争って身動きがとれないでいたら、表れた漁師が何の苦労もなしに貝と鴫の両方を捕えることができたという「たとえ話」からできた言葉です。

貝と鴫の争いに乗じて両方を捕えた漁師の話を創作して、無益な争いをやめるように国王を説得した故事からできた言葉です。


故事成語のもとになった出来事・出典

中国の戦国時代(紀元前403年〜紀元前221年:晋が韓・魏(ぎ)・趙(ちょう)の三国に分かれてから秦(しん)が中国を統一するまで)、強国の趙に侵略されそうになった燕(えん)の依頼を受けた蘇代(そだい)(縦横家で有名な蘇秦の弟)が、趙の国に行き、趙の王を相手に、燕を攻めないよう説得したときのたとえ話が出典です(『戦国策・燕策』)。
戦国時代の中国
戦国時代に有力だった七国(秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓)を戦国七雄(せんごくしちゆう)といいます。

時代が進むにつれ、徐々にが他を圧倒する力を持つようになりました。

春秋戦国時代、さまざまな思想を主張して立身出世をめざした学者たちが現れ、諸子百家(しょしひゃっか)と呼ばれました。

諸子百家のうちで、秦以外の六国が協力して秦にあたるべきだという説(合従策:がっしょうさく)を唱えた蘇秦(そしん)に代表される思想家たち((じゅう):縦に並んだ国々が協力するので)と、秦と結んで国を維持するべきだという説(連衡策:れんこうさく)を説いた張儀(ちょうぎ)に代表される思想家たち((おう):横にある秦と結ぶので)を、合わせて縦横家(じゅうおうか)といいました。

蘇代は、蘇秦の弟であり、のために、燕を攻めようとしていたの国王に合従策(趙と燕が協力して強国の秦に対抗するべきだという策)を説いたのです。


『漁夫の利』の原文と書き下し文、現代語訳

(原文)趙且伐燕。
(書き下し文)趙(ちょう)、且(まさ)に燕を伐(う)たんとす。
(現代語訳)趙が、今にも燕に攻め込もうとしていた。

(原文)蘇代為燕謂恵王曰、
(書き下し文)蘇代(そだい)、燕の為(ため)に恵王に謂(い)いて曰(いわ)く、
(現代語訳)蘇代は燕の意を受けて趙の惠王に説いて言った、

(原文)「今者臣來過易水。
(書き下し文)「今者(いま)、臣(しん)来(きた)るとき易水(えきすい)を過(す)ぐ。
(現代語訳)「今日、私は趙に来るとき、易水(趙と燕の国境にある川)を通りました。

(原文)蚌方出曝。
(書き下し文)蚌(ぼう)方(まさ)に出(いで)て曝(さら)す。
(現代語訳)ちょうど(貝の一種、どぶ貝)が河原に出てきて貝殻を開きひなたぼっこをしていました。

(原文)而鷸啄其肉。
(書き下し文)而(しこう)して鷸(いつ)其(そ)の肉を啄(ついば)む。
(現代語訳)すると(鳥の一種、鴫(しぎ))がその貝の肉をたべようとしてついばみました。

(原文)蚌合箝其喙。
(書き下し文)蚌(ぼう)合わせて其(そ)の喙(くちばし)を箝(つぐ)む。
(現代語訳)どぶ貝は貝殻をとじて鴫のくちばしをはさみました。

(原文)鷸曰、『今日不雨、明日不雨、即有死蚌。』
(書き下し文)鷸(いつ)曰(いわ)く、『今日(こんにち)雨ふらず、明日(みょうにち)雨ふらずんば、即(すなわ)ち死蚌(しぼう)有らん』と。
(現代語訳)鴫は貝に言いました『今日も雨が降らないで、明日も雨が降らなければ、貝のおまえは干からびて死んでしまうぞ』と。

(原文)蚌亦謂鷸曰、『今日不出、明日不出、即有死鷸。』
(書き下し文)蚌(ぼう)も亦(また)鷸(いつ)に謂(い)いて曰(いわ)く、『今日(こんにち)出(い)ださず、明日(みょうにち)も出(い)ださずんば、即(すなわ)ち死鷸(しいつ)有らん』と。
(現代語訳)貝も鴫に言いました『今日もくちばしをはずさないで、明日もはずさなかったら、おまえは動けないでここで死んでしまうぞ』と。

(原文)両者不肯相舎。
(書き下し文)両者(りょうしゃ)、相(あい)舎(す)つるを肯(がえ)んぜず。
(現代語訳)お互いが譲らず、離そうとしませんでした。

(原文)漁者得而并擒之。
(書き下し文)漁者(ぎょしゃ)、得(え)て之(これ)を井(あわ)せ擒(とら)えたり。
(現代語訳)漁師が、お互いに争って動けないでいる鴫と貝を見つけて、両方を苦もなく捕らえてしまいました。

(原文)今趙且伐燕。
(書き下し文)今、趙(ちょう)且(まさ)に燕(えん)を伐(う)たんとす。
(現代語訳)今、趙は燕に攻め込もうとしています。

(原文)燕趙久相支、以敝大衆、臣恐強秦之爲漁父也。
(書き下し文)燕と趙久(ひさ)しく相(あい)支(ささ)えて、以(もって)大衆(たいしゅう)を敝(つから)さば、臣(しん)、強秦(きょうしん)の漁父(ぎょほ)と為(な)らんことを恐(おそるる)なり。
(現代語訳)燕と趙が長期にわたって戦い、両国が互いに疲弊すれば、強国の秦が漁師と同じように苦もなく利益を得ることになります、それを私は恐れるのです。

(原文)願王之熟計之也」。
(書き下し文)願(ねが)わくは王(おう)之(これ)を熟計(じゅくけい)せんことを」と。
(現代語訳)お願いです、惠王さま、そこをよくお考えになってください」と。

(原文)惠王曰、「善」。
(書き下し文)恵王(けいおう)曰(いわ)く、「善(よ)し」と。
(現代語訳)惠王は「なるほど、そのとおりだ」と言った。

(原文)乃止。
(書き下し文)乃(すなわ)ち止(や)む。
(現代語訳)兵を出すことをすぐにとりやめた。


蘇代のたくみな比喩に心を動かされて、趙の恵王は燕への派兵を中止したのです。


下は、日清戦争直前のアジアを描いたとされるジョルジュ・ビゴー(日本に滞在していたフランスの画家)の有名な風刺画です。
漁夫の利朝鮮(魚)をねらっている日本(左)と清(右)、そして両国が戦い疲れるのを待っているロシア(上)を描いたものです。
しばしば「漁夫の利」と題して引用されます。







「漁夫の利」を使う例

・アメリカが戦争をしたイラクやアフガニスタンで影響力を増している中国は、漁夫の利を得る世界戦略をめざしている。

・南シナ海の領有をめぐって中国とASEAN諸国の緊張が高まっているが、漁夫の利を得るのはアメリカではないだろうか。


似た意味の語

「鷸蚌(いつぼう)の争い」、「犬兎(けんと)の争い」

「両虎食を争う時は狐その虚に乗る」

「トビに油揚をさらわれる」

英語では、Two dogs fight for a bone,and the third runs away with it.(二匹の犬が骨を争い、三匹目の犬がくわえて逃げる。)





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Japanese 故事成語(9) 玉石混交(ぎょくせきこんこう)

玉石混交(ぎょくせきこんこう)の意味

「玉(ぎょく:宝石)と石(せき:石ころ)、つまり、すぐれたものと価値のないものが入り混じっていること。」

玉石混淆とも書きます。

時折見かける「玉石混合」は書きまちがい、誤りです。

○…玉石混・玉石混(ぎょくせきこんう)
×…玉石混(ぎょくせきこんう)


故事成語のもとになった出来事・出典

三国時代(魏・呉・蜀)の魏の宰相司馬懿(しばい)の孫の司馬炎(しばえん)が建国した国が(しん)です。
晋(西晋)が劉淵(りゅうえん)に滅ぼされた後、晋の皇族の司馬睿(しばえい:司馬懿のひ孫)によって建てられた王朝が東晋(とうしん:317〜420年)です。

東晋の時代、道教を修め、神仙術(仙人になる術)の修行をしながら著述に励んだ人に葛洪(かっこう:283〜343年頃)という人がいました。
その葛洪の著作が『抱朴子(ほうぼくし)』や『神仙伝』です。

道教の教えを説いた『抱朴子』のうち、神仙術についてまとめた部分が『内篇』、儒教の教えを加えて政治思想を述べた部分が『外篇』で、玉石混交の語は、『外篇』で出てきます。


葛洪が述べたのは・・・

「昔の人は、儒教の経典である『詩経(しきょう)』や『書経(しょきょう)』で大きな道義を学び、儒家以外の諸子百家(春秋戦国時代に表れた、墨子、韓非子、恵施、老子、荘子などのさまざまの思想家)の書でさらに道義を深めた。」

「昔の人は、修養の助けになるものであれば儒教の経典以外のものでも良いものは尊重した。崑山(こんざん:伝説の山)の玉ではないからという理由で、それ以外の玉を棄てたりはしなかった。」

「ところが、漢や魏の時代以降、すぐれた書は多くあるのにそれを評価できる聖人が現れなくなった。」

「今の人は見識眼がないので、経典の表面上の字義の解釈だけにとらわれ、それ以外のものはたとえよい思想でも、いろいろな理由をつけて排斥しようとするばかりだ。」

この後に、「玉石混交」を含む文が出てきます。


『玉石混交』の原文と書き下し文、現代語訳

(原文)或貴愛詩賦淺近之細文、

(書き下し文)或(あるいは)詩賦(しふ)浅近(せんきん)の細文(さいぶん)を貴愛(きあい)し、

(現代語訳)また、詩や賦(ともに中国の韻文のこと)や浅薄で俗な軽い文学を尊重し愛したりして、


(原文)忽薄深美富博之子書。

(書き下し文)深美(しんび)富博(ふはく)の子書(ししょ)を忽薄(こつはく)す。

(現代語訳)深みがあって筋が通り、表現が豊かで知識にあふれている諸子百家の書物を軽視してかえりみない。


(原文)以磋切之至言爲騃拙、

(書き下し文)磋切(させつ)の至言(しげん)を以(もっ)て騃拙(がいせつ)と為(な)し、

(現代語訳)自分の向上に役立つ、道理にあった言論を、愚かでつたないとみなして、


(原文)以虚華之小辯爲妍巧、

書き下し文)虚華(きょか)の小弁(しょうべん)を以(もっ)て妍巧(けんこう)と為(な)し、

(現代語訳)嘘やつくりごとばかりのつまらない弁舌を、精妙なものだとみなし、


(原文)眞僞顚倒、玉石混淆。

書き下し文)真偽(しんぎ)顛倒(てんとう)し、玉石(ぎょくせき)混淆(こんこう)す。

(現代語訳)真実と偽りが逆転していて、玉と石とがごちゃごちゃに混ざった状態だ。
石








「玉石混交」を使う例

・予選を経ていないコンクールの応募作品は玉石混交で、審査に長い時間がかかった。


似た意味の語

「ピンからキリまで」

下品な表現ですが、「味噌も糞も一緒」




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Japanese 故事成語(8) 蟷螂の斧(とうろうのおの)

蟷螂の斧(とうろうのおの)の意味

蟷螂(とうろう)とは、カマキリのことです。
カマキリの前足は斧(おの)の形をしており、威嚇するとき、他の昆虫を捕えるとき、カマキリはこの前足を振り上げますが、相手が人間でも前足を振りかざして立ち向かってきます。
かまきり







故事成語『蟷螂の斧(とうろうのおの)』はこのカマキリの習性からできた言葉で、「力のないものが、自分の非力もかえりみず、強い相手に立ち向かうこと」をいいます。


故事成語のもとになった出来事・出典

カマキリの習性は古代中国人にとっても周知のことであったようで、「蟷螂の斧」にはいくつかの出典があります。

唐以前の文学作品を収録した『文選(もんぜん)』では、大軍の袁紹(えんしょう)に敵対する曹操(そうそう)を陳琳(ちんりん)が罵倒する言葉として「蟷螂の斧」の語を使っており、『荘子(そうじ)』の「天地篇」では、凶暴な王の子の教育係になろうとする人にやめるように忠告する人の言葉として、この言葉が使われています。

わが国では、『淮南子(えなんじ)』の「人間訓」や『韓詩外伝(かんしがいでん)』の「巻八」に出てくる文章がよく引用されますので、そちらを原文として取り上げました。


『蟷螂の斧』の原文と書き下し文、現代語訳

(原文)斉荘公出猟。
(書き下し文)斉(せい)の荘公(そうこう) 出(い)でて猟す。
(現代語訳)斉(春秋時代の強国の一つ)の荘公(斉の国王の名)は野に出て狩猟をしました。

(原文)有一虫。挙足将搏其輪。
(書き下し文)一虫(いっちゅう)有り。足を挙げて将(まさ)に其(そ)の輪(りん)を搏(う)たんとす。
(現代語訳)(荘公の乗った車の前に)一匹の虫がいました。足を挙げて今にも車輪に打ちかかろうとします。

(原文)問其御曰、此何虫也。
(書き下し文)其の御(ぎょ)に問ひて曰(い)はく、此(こ)れ何の虫ぞや、と。
(現代語訳)(荘公が)御者に尋ねました、「これは何という虫だ。」と。

(原文)對曰、此所謂螳螂者也。
書き下し文)対(こた)へて曰はく、此れ所謂(いわゆる)螳螂なる者なり。
(現代語訳)御者は)答えて言いました、「これはいわゆる『かまきり』というものでございます。」

(原文)其為虫也、知進而不知却。不量力而軽敵。
書き下し文)其の虫為(た)るや、進むを知りて却(しりぞ)くを知らず。力を量(はか)らずして敵を軽んず、と。
(現代語訳)その虫は、進むことは知っていますが、退くことを知りません。自分の力量を知りもしないで、敵を軽く見るのです。」と。

(原文)荘公曰、此為人而必為天下勇武矣。
書き下し文)荘公曰はく、此れ人為(た)らば必ず天下の勇武と為(な)らん、と。
(現代語訳)荘公は言いました、「この虫がもし人間であったならば、必ず天下に名をとどろかす勇武の人になるだろう。」と。

(原文)廻車而避之。
書き下し文)車を廻(めぐ)らして之(これ)を避く。
(現代語訳)車をぐるっとまわらせて、カマキリを避けて通りました。

(原文)勇武聞之知所尽死矣。
書き下し文)勇武之を聞き、死を尽くす所を知る。
(現代語訳)勇気と武術を自負する者はこの話を聞き、力及ばずとも死力を尽くしてはたらかないといけないことがあるのを知ったのです。


『文選』や『荘子』では、「蟷螂の斧」は「力の及ばない者が、身のほどもわきまえず、無謀にも強者に立ち向かうこと」の意味で、否定的なニュアンスで使われています。

『淮南子』と『韓詩外伝』では、「力が非力な者でも、ときによっては強敵に身を捨てて立ち向かわないといけないことがある」という意味の、肯定的な使われ方をしています。

蟷螂の斧の用法としては、どちらも正しい使われ方だと思われます。


「蟷螂の斧」を使う例

・たかが一市民が増税に反対しても、蟷螂の斧に過ぎない。(だから無駄だ、の意味で使っている。)

・蟷螂の斧であっても、市民一人ひとりが地道に声を上げ続けることで政治を動かすことができるのだ。(無駄ではない、の意味で使っている。)


似た意味の語

「蟷螂が斧をもって隆車に向かう」、「蟷螂車轍に当たる」

「ごまめの歯軋り(はぎしり)」、「匹夫の勇(ひっぷのゆう)」




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Japanese 故事成語(7) 画竜点睛(がりょうてんせい)

画竜点睛(がりょうてんせい)の意味

物事を完成させるために必要な、最後の大事な仕上げのことです。


故事成語のもとになった出来事・出典

9世紀の中頃、の高級官僚だった張彦遠(ちょうげんえん、生没年不明)の、絵画に関する評論と絵画の歴史をまとめた著書『歴代名画記(れきだいめいがき)』が出典です。

唐代までの中国の有名な画家371人の伝記をまとめた中に、南北朝時代(439〜589年)、梁(りょう)の画家であった張僧繇(ちょうそうよう)の逸話があり、画竜点睛の語が生まれるもとになった話が出てきます。


『画竜点睛』の原文と書き下し文、現代語訳

(原文)張僧繇、呉中人也。
(書き下し文)張僧繇(ちょうそうよう)、呉中(ごちゅう)の人なり
(現代語訳)張僧繇は、呉中の人です。

(原文)武帝崇飾仏寺、多命僧繇画之。
(書き下し文)武帝、仏寺(ぶつじ)を崇飾(すうしょく)するに、多く僧繇に命じて之(これ)を画(え)がかしむ。
(現代語訳)梁の武帝は、仏教寺院を飾るのに、多くを僧繇に命じて、絵を描かせました

(原文)金陵安楽寺四白龍、不點眼睛。
(書き下し文)金陵(きんりょう)の安楽寺(あんらくじ)の四白竜(しはくりゅう)は、眼睛(がんせい)を点ぜず。
(現代語訳)金陵にある安楽寺に描かれた四匹の白竜(四海を治める青竜・白竜・赤竜・黒竜の一つ)には、瞳は描かないままでした。

(原文)毎云、點睛即飛去。
(書き下し文)毎(つね)に云(い)う、睛(ひとみ)を点ぜば即(すなわ)ち飛び去らん、と。
(現代語訳)(張僧繇は)常に言っていました、「睛(ひとみ)をかきくわえたら即座に飛び去ってしまうであろう」と。

(原文)人以爲妄誕、固請點之。
(書き下し文)人以(も)って妄誕(もうたん)と為(な)し、固くこれに点ぜんことを請(こ)う。
(現代語訳)人々は張僧繇の言葉をでたらめだとみなして、竜の絵に睛(ひとみ)をかきくわえるように強く頼みました。

(原文)須臾雷電破壁、両龍乗雲、騰去上天。
(書き下し文)須臾(しゅゆ)にして雷電(らいでん)壁を破り、両龍(りょうりゅう)雲に乗じ、騰去(とうきょ)して天に上(のぼ)る。
(現代語訳)(張僧繇が睛(ひとみ)をかきくわえると)たちまち雷と稲妻が壁を破り、二匹の竜は雲に乗り、飛びあがって天に昇っていきました。

(原文)二龍未點眼者見在。
(書き下し文)二竜未(いまだ)眼(まなこ)を点ぜざるものは、見(げん)に在(あ)り。
(現代語訳)二匹のまだ目をかきくわていない竜は、まだもとのまま現存しています。


画竜点睛の語は、「画竜点睛を欠く」という使われ方をすることが多い。

「画竜点睛を欠く」は、「最後の詰めが甘い」、「せっかくいいところまできているのに、肝心な最後のことができていないから、結局不完全に終わってしまっている」という意味で使われます。


また、「がりょうてんせい」が正しい読み方ですが、「がりゅうてんせい」と読む人もいます。
間違いとまでは言えませんが、国語のテストなどでは「がりょうてんせい」と読んでおくほうが無難です。


画竜点睛の「睛」の字は「ひとみ」という意味の漢字であり、「はれ」の「晴」とは別の字です。
画竜点「晴」と書くと間違いになってしまいます。


「画竜点睛」を使う例

・テストの四字熟語の問題で、正しく読むことができたし、正確な漢字を書くこともできたが、例文を作る問題でミスをして画竜点睛を欠く結果となってしまった。


似た意味の語

点睛開眼(てんせいかいげん)


対照的な語

画竜点睛は、完全にするために最後の仕上げをすることであり、逆に、完全なものに余分なものをつけ加えるのが「蛇足(だそく)」です。




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Japanese 故事成語(6) 杞憂(きゆう)

杞憂(きゆう)の意味

普通の人ならまったく心配しないことを、あれこれ心配して不安に思うこと。


故事成語のもとになった出来事・出典

中国、戦国時代(紀元前403年〜221年)の思想家、列氏(れっし)(列禦寇(れつぎょこう))の著作とされるのが、『列氏』です。
『列氏』8巻のうちの『天瑞(てんずい)』にある話が「杞憂」です。

杞(き)は、中国の殷の時代から戦国時代にかけて、現在の河南省杞県に存在した小国です。一度、滅亡した後、周の時代に再興されましたが、紀元前445年、当時の強国である楚によって滅ぼされました。
常に周辺の国々から圧迫を受ける、存在の危うい小国であったことが、『杞憂』の話の背景にありそうです。

『杞憂』の原文と書き下し文、現代語訳

『列氏』天瑞篇にある「杞憂」は、やや長い話であり、原文自体も少し難しいので、最初の部分だけを掲載します。

(原文)杞国、有人憂天地崩墜、身亡所寄、廃寝食者。
(書き下し文)杞の国に、人の天地崩墜し、身寄する所亡きを憂えて、寝食を廃する者有り。
(現代語訳)杞の国に、いつか天が落ち地が崩れて身を寄せる所がなくなるのではないかと心配し、夜も寝むれないし、食物も食べられなくなった者がいました。

又有憂彼之所憂者。
又、彼の憂うる所を憂うる者有り。
また、その人が心配するのを知って、そのことを気にかけてくれる人がいました。

因往暁之曰、天積気耳、亡処亡気。若屈伸呼吸、終日在天中行止。奈何憂崩墜乎。
因(よ)って往(ゆ)きてこれを暁(さと)して曰(いわ)く、天は積気のみ。処(ところ)として気亡きは亡し。屈伸呼吸の若(ごと)き、終日天中に在りて行止(こうし)す、奈何(いかん)ぞ崩墜を憂えんや、と。
そこで、出かけて行って、彼にさとして次のように言いました。「天は大気の積み重なったものにすぎません。どんな所でも大気のない所はありません。体を曲げたり伸ばしたり、息を吸ったり吐いたり、一日中、天の中で行動しています。なぜ、天が落ちてくるなどと心配する必要があるのですか。」と。

其人曰、天果積気、日月星宿不当墜耶。
其(そ)の人、曰(いわ)く、天、はたして積気ならば、日月(じつげつ)星宿(せいしゅく)は当(まさに)に墜(お)つべからざるか、と。
彼が(さらに心配して)言うことには、「天が大気の重なったものだとしても、では、日や月や星座はすぐにも落ちてくるのではないですか。」と。

暁之者曰、日月星宿亦積気中之有光耀者。只使墜、亦不能有所中傷。
之(これ)を暁(さと)す者、曰(いわ)く、日月星宿も亦(また)積気中の光耀有ある者なり。只(たとい)墜ちしむるも、亦(また)、中(あたり)り傷(やぶ)る所(ところ)有る能(あた)わじと。
さとしに来た人は言いました、「日や月や星座もまた大気の中で光っているものなのです。たとえ、落ちてきたとしても、また、それが当たってけがなどすることはありえません。」と。

其人曰、奈地壊何。
其(そ)の人曰(いわ)く、地の壊(くず)るるを奈何(いかん)せんと。
(心配する)人が言いました、「地が崩れるのはどうしたらいいのでしょうか。」と。

暁者曰、地積塊耳。充塞四虚、亡処亡塊。若躇歩蹈、終日在地上行止。奈何憂其壊。
暁(さと)す者曰(いわ)く、地は積塊のみ。四虚に充塞(じゅうそく)し、処として塊亡きは亡し。躇歩跐蹈(ちょほしとう)の若き、終日地上に在りて行止す、奈何ぞその壊るるを憂えんや、と。
さとしに来た人は言いました。「地は、土の塊にすぎません。土は四方いっぱいに満ちあふれていて、土のない場所はありません。歩いたり踏みつけたりして、一日中、土の上で行動しています。どうしてその地が崩れることを心配する必要があるでしょうか。」と。

其人舎然大喜、暁之者亦舎然大喜。
その人舎然(せきぜん)として大いに喜び、これを暁(さと)す者も亦(ま)た舎然として大いに喜ぶ。
その(心配していた)人はすっかり心が晴れて喜びました。さとしに来た人も安心して大いに喜びました。


「杞憂」の出典として、ここまでを掲載する文章が多いのですが、実は『列氏』にはこのあと、さらに興味深い文が続きます。簡単に内容を書きますと・・・

この話を聞いた長廬子(ちょうろし)は、「天と地は、これをきわめたり、すべてを測り知ることはできない。そう考えると、天地が壊れることを心配している者は話にならないが、逆に、天地は壊れないと断言する者も間違っている。壊れるときに会えば、やはり憂えずにはいられない。」と言いました。

これに対して列子が言います。「天地が崩壊するというのも誤りだが、天地は崩壊しないというのも誤りである。崩壊するか否かは、我々の知るところではない。生も死も未来もわれわれは知ることなどできない。そんなことに心を煩わせても益はない。」


「杞憂」という言葉には、心配し過ぎる杞の人を小馬鹿にするニュアンスがありますが、実はもとの話は奥が深いようです。
原典の『列氏』には、(1)心配し過ぎる杞の人、(2)何も心配することはないとさとす楽観的な人、(3)単純な楽観をいましめる人、(4)人知の及ばないことを心配することも楽観することも意味はないと無為を至上とする人、の4種類の人が出てきて、深く考えさせる話になっています。


「杞憂」を使う例

・君は仕事もできるし信望も厚いんだから、将来のことを心配するなんて杞憂に過ぎないよ。


似た意味の語

とりこし苦労




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Japanese 故事成語(5) 五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ)

五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ)の意味

五十歩逃げても、百歩逃げても、逃げたことにかわりはないことから、小さなちがいはあっても本質は同じであること。


故事成語のもとになった出来事・出典

孟子は、紀元前372年に生まれ、紀元前289年に没したとされる中国・戦国時代(紀元前403年〜紀元前221年)の思想家です。

孔子の孫の子思の門人に学び、性善説(人の生まれながらの性質は善であるとする説)を唱えて、各国の王に自説を説いてまわりました。

孟子の言論や行動を、孟子と弟子たちがまとめた書物が『孟子』です。

『五十歩百歩』の話は、『孟子』の冒頭、梁の恵王との問答を記述した『梁恵王上』に出てきます。


少しむずかしい文章なので、漢文の前に、だいたいの意味を書いておきます。


梁の国の恵王は、軍事や政治に励んでいるのに隣国に勝てないことを嘆き、孟子に相談します。

「私は自分の国で心を砕いてよい政治をしてきた。隣の国々の政治を観察してみても、私のような心がけで政治をしている国はない。(それなのに、)隣国の人口は減らず、(私を慕って人が集まってこないので)人口は増えない。なぜだろうか?(人口が増えないので国が栄えないのを嘆いたのです)。」

寡人之於国也、尽心焉耳矣。
…(略)…
察隣国之政、無如寡人之用心者。
隣国之民不加少、寡人之民不加多、何也。

寡人(かじん=私)の国に於(お)けるや、心を尽くすのみ。
…(略)…
隣国の政(まつりごと)を察するに、寡人の心を用うるが如(ごと)くなる者なし。
隣国の民少なきを加えず、寡人の民多きを加えざるは、何ぞや。



孟子は次のように答えました。

「王は戦いを好まれます。どうか戦いにたとえさせてください。合図の太鼓を打って、両軍の兵士が近接し武器を交えています。(恐怖におびえた兵士が)よろいを捨て、武器をひきずって逃げ始めました。ある兵士は百歩ほど逃げて止まり、ある兵士は五十歩逃げた後、止まりました。五十歩逃げた兵士が、自分はわずか五十歩しか逃げなかったのに百歩逃げたからということで百歩逃げた人を(臆病だと)笑いました。いかが思われますか?」

孟子対曰、
「王好戦。
請以戦喩。
填然、鼓之、兵刃既接。
棄甲曳兵而走、
或百歩而後止、或五十歩而後止。
以五十歩笑百歩、則何如。」

孟子対えて(こたえて)曰(いわ)く、
「王戦を好む、
請う戦を以って喩えん。
填然としてこれを鼓って(つづみうって)、兵刃(へいじん)既に接する。
甲(よろい)を棄て兵を曳いて走げ、
或(あ)るは百歩にして後止まり、或るは五十歩にして後止まる。
五十歩を以って百歩を笑わば、則(すなわ)ち何如(いかん)。」



恵王は言います。

「それはだめだ。
百歩ではないというだけではないか。
五十歩の者も、また逃げたことにかわりはないぞ。」

曰、
「不可。
直不百歩耳。
是亦走也。」

曰く、
「不可なり。
直(ただ)百歩ならざりしのみ。
是(これ)も亦(また)走げる(にげる)ことなり。



孟子は答えます。

「王が(五十歩逃げたものも百歩逃げたものも逃げたことにかわりはないということを)おわかりなら、(あなたも隣国の王と大差はないので)人民の数が隣の国より多くないことを望んではいけません。
(王は、まだ政治でしなければならないことをしてはおられません。)
生きている者たちが十分うるおい、死者を安心して弔うことができる政治こそが、(私が主張する)『王道』のはじめなのです。」

曰、
「王如知此、則無望民之多於隣国也。
…(略)…
養生喪死無憾、王道之始也。」

曰く、王如(も)しこれを知らば、則ち民の隣国より多からんことを望むなかれ。
…(略)…
生を養い死を喪して憾みなきは、王道の始めなり。」



人は自分には甘いものです。
自分が大変な善行を積んでいるように思っていても、実は他の人と同様、しなければならないことを完璧にはしていないということを自覚せよという、いましめの言葉として発せられたのが『五十歩百歩』です。


「五十歩百歩」を使う例

・君はA君をいじめた友人を非難するが、見て見ぬふりをしていたわけだから、君も五十歩百歩だよ。


似た意味の語

どんぐりの背比べ(せいくらべ)




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Japanese 故事成語(4) 推敲(すいこう)

推敲(すいこう)の意味

文章を書くとき、あるいは書いた後、さらに良い表現にならないか、あれこれ考えて文を練り直すこと。


故事成語のもとになった出来事・出典

中国で漢詩が全盛を迎えたのは唐(618年~690年、705年~907年)の時代です。詩人では、杜甫(とほ)、李白(りはく)、白居易(はくきょい)などが有名です。

唐の詩人の逸話をまとめた書物が、宋(960年~1279年)の時代に出版された『唐詩紀事(とうしきじ)』です。
故事成語「推敲」のもとになった話は、その『唐詩紀事』にのっています。

少しむずかしい文章なので、漢文の前に、だいたいの意味を書いておきます。


「賈島(かとう)という若い詩人が、科挙(役人になるための試験)を受験するために都の長安にやってきます。当時の乗り物であるロバに乗って、詩を口ずさんでいて『僧は推(お)す月下(げっか)の門』という詩句が頭にうかんできました。」

島赴挙至京、騎驢賦詩、得僧推月下門之句。
島(賈島)、挙(科挙)に赴きて京(けい:都の長安)に至り、驢(ろ=ロバ)に騎(の)りて詩を賦し、『僧は推(お)す月下の門』の句を得たり。



「賈島は、『門を推(お)す』の句をやめて、『門を敲(たた)く』のほうがよいのではないか、「敲(たた)く」に変えようかと思いました。ロバに乗ったまま、手で門をおしたりたたいたりの動作をしながら考えましたが、どちらがよいかなかなか決まりません。」

欲改推作敲。引手作推敲之勢、未決。
推(すい)を改めて、敲(こう)と作(な)さんと欲(ほっ)す。手を引きて推敲(すいこう)の勢いを作(な)すも、未(いま)だ決せず。



「どちらの文句がよいかを考えることに夢中になっていたので、気がつかないで都の長官である韓愈(かんゆ)の行列にロバに乗ったまま突っ込んでしまいました(身分の差がうるさい当時、偉い人の行列のじゃまをすることは大変な罪でした)。(護衛の役人に捕らえられた賈島は)あわてて無礼なおこないをした理由を詳しく説明しました。」

不覚衝大尹韓愈。乃具言。
覚えず大尹(だいいん)韓愈(かんゆ)に衝(あた)る。乃(すなわ)ち具(つぶ)さに言う。



「当時の有名な詩人でもあった韓愈は、賈島の話を聞いて、罪をとがめないで、『推(お)すより、敲(たた)くのほうが、月明かりの下で門をたたく音が感じられて余情があってよいのではないか』と助言しました。そして、並んで進みながら、漢詩についてあれこれ楽しく話し合いました。」

愈曰、敲字佳矣。遂並轡論詩。
愈(ゆ)曰(いわく)く、敲の字佳(よ)し、と。遂(つい)に轡(くつわ)を並べて詩を論ず。



上記の故事から、一度書こうとした文章を、「こう書き換えたほうがよいのではないか、いや、こっちの表現のほうがいいかもしれない」とあれこれ練り直すことを『推敲』というようになったのです。


「推敲」を使う例

・読書作文コンクールに応募する前に、何度も推敲を重ねた。

・書いたあと、何度も推敲しないと良い文章にはならないよ。


似た語との区別

校正(こうせい)

校正とは、手書きの原稿と、印刷用に活字に組んだ原稿とをくらべ合わせて、文字の誤りなどを正すことを言います。

誤字や誤植を見つけることなどが目的で、原文の語句自体の変更をするわけではありません。
そこが、どの語句がよいか、あれこれ文章を練り直す「推敲」と違います。

なお、「校正」は漢字の書き取りの問題でよく出題されます。


文章の見直し

「自分の書いた文章をよく見直しなさい」と言われるときの「見直し」には、「推敲(さらによい表現ができないか文を練り直すこと)」も「校正(誤字や脱字がないかを調べること)」も、さらには内容自体の妥当性の再考慮(文章全体の内容が果たして適切かどうかを再検討すること)もふくみます。


添削(てんさく)

他人が、人の書いた文章に手を加えて直すことです。
自分の書いた文章を直すときには「添削」の語は使いません。



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Japanese 故事成語(3) 朝三暮四(ちょうさんぼし)

朝三暮四(ちょうさんぼし)の意味

おろかな人が目先のちがいに気をとられて実際は同じであるのに気がつかないこと。
または、ずるがしこい人がうまい言葉や方法でおろかな人をだますこと。

暮四朝三(ぼしちょうさん)ともいいます。


故事成語のもとになった出来事・出典

中国春秋時代(紀元前400年頃)の人、列子(れっし)の著書『列子』の「黄帝(こうてい)」、中国戦国時代(紀元前300年頃)の人、荘子(そうし)の著書『荘子(そうじ)』の「斉物論(せいぶつろん)」にある話が出典です。


「宋の国に狙公という人がいました。猿を可愛がって多くの猿を飼っていました。急に貧しくなったので、猿に与えるえさである茅(しょ・とち=どんぐり)を減らすことにしました。」

先誑之曰、與若茅、朝三而暮四、足乎。
先ず之(これ)を誑(たぶら)かして曰(い)はく、「若(なんじ)に茅(しょ・とち)を与えんに、朝に三にして暮に四にせん。足らんか」と。
衆狙皆起而怒。
衆狙(しゅうそ)皆起って怒る。
俄而曰、與若茅、朝四而暮三、足乎。
俄(にわか)にして曰(い)はく、「若(なんじ)に茅(しょ・とち)を与えんに、朝に四にして暮に三にせん。足らんか」と。
衆狙皆伏而喜。
衆狙(しゅうそ)皆伏して喜ぶ。

(まず猿たちをたぶらかして言いました。「お前たちにどんぐりを与えるのに、朝は三つで暮(夕方)は四つにしようと思う。足りるかな?」猿たちは皆立ち上がって怒りました。狙公はあわてて、「朝は四つで暮は三つにしようと思う。足りるかな?」と言いかえました。猿たちは皆おじぎをして喜びました。)

おろかな猿たちは、朝にもらえるえさが3個だと聞くと少ないと思って怒り、実際には1日のえさの量は変わらないのに、朝が4個だと言いかえられると多いと判断して喜んだのです。


「朝三暮四」を使う例

・扶養手当の廃止で捻出した予算で子ども手当てを支給するなんて朝三暮四そのものだ。

・政治家は、国民を朝三暮四の猿とでも思っているのだろうか。


用例の混乱

2010年1月22日、時の首相である鳩山由紀夫さんは、国会で野党の議員に「朝三暮四の意味を知っているか」と尋ねられ、「朝決めたことと夜決めたことがくるくる変わるという意味だ」と自信満々で答えて、「言うことがくるくる変わる」の意味の「朝令暮改(ちょうれいぼかい)」と混同している、四字熟語の意味も知らないと批判されました。

鳩山元首相を擁護すると、現代の中国では「言うことがくるくる変わる」の意味で「朝三暮四」を使うことがあるのだそうです。

しかし通例では、実際は同じなのにうまく言いくるめられてだまされること、上手に言いくるめてだますことの意味で「朝三暮四」を使います。


似た意味を表す言葉

「小人(しょうじん)は養いがたし」…目先の利益にしか興味がない人はあつかいにくいものだ。



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Japanese 故事成語(2) 出藍の誉れ(しゅつらんのほまれ)

出藍の誉れ(しゅつらんのほまれ)の意味

弟子が師よりもすぐれていること。

先生の指導を受けていた生徒が先生をしのぐようになったとき、それを誉める場合に使います。

なぜ「藍(らん、訓読みは「あい」)」の字が使われているのかを理解するには、この言葉のもとになった文である『青は藍(あい)より取りて藍より出でて藍(あい)より青し』を知る必要があります。


故事成語のもとになった出来事・出典

紀元前4~3世紀、中国の戦国時代の思想家である荀子(じゅんし)の言説を唐の時代の人がまとめた書物である『荀子』が出典です。

荀子は、先輩の儒学者である孟子(もうし)の性善説に対し、人間の本性は悪であるとする性悪説を唱えた人です。

人間は生来愚かであるから、学問をしてよい人間にならないといけないと主張する『荀子・勧学編』の中に、「出藍の誉れ」のもとになった一節があります。

君子曰、學不可以已(君子いわく、学はもって已(や)むべからず)
青取之於藍、而青於藍(青はこれを藍(あい)より取りて、藍よりも青く)
冰水爲之、而寒於水(氷は水これをなして、水よりも寒し)

「偉い人がおっしゃっている、学問は途中でやめないで継続しないといけないと。
青(布を青色に染める染料)は、(植物の)藍(という草)から取ってできるものだが、藍よりも青く、
氷は、水からできたものだが、水よりも冷たい
(このように、学問を継続して本来の自分よりもすぐれた人にならないといけない)。」

この『青は藍より取りて藍より青し』を、簡潔な言い方に言い換えたのが「出藍の誉れ」です。


意味の変遷

荀子が述べた「
青は藍より取りて藍より青し」は、学問を継続して高い人格を涵養しないといけないという意味でした。

それが後代、「藍=師・先生」、「青=師をしのぐ弟子・先生よりすぐれた生徒」の意味に解釈されて、
青は藍より取りて藍より青し」が、先生に学びながら先生をこえたすぐれた生徒の意味に転化しました。


「出藍の誉れ」を使う例


・A先生は多くの弟子を教育したが、特に2人の門弟が学問にすぐれ出藍の誉れをうたわれた。

・高校時代の恩師が、最後の授業で「「青は之を藍より取りて、藍よりも青し」「出藍の誉れ」の言葉を君たちに贈る。」と、私たちを激励してくださいました。


用例の混乱

誤用例とまではいえないかもしれませんが、「出藍の誉れ」を「鳶が鷹を産む(たいしたことのない親からとびぬけてすぐれた子が生まれること)」と同じ意味で使っている例が多く見られます。

青は藍より取りて藍より青し」を、青=すぐれた子、藍=平凡な親と解釈しているわけです。

親も師の一人だといえないこともないので誤用だとまではいえませんが、本来の言葉の意味は「
弟子が師よりもすぐれていること」です。


似た意味を表す言葉

同じ意味の慣用句はほとんどありません(英語にも、似た意味のことわざはないようです)。

「鳶が鷹を産む」と同じ意味で使うことが許されるとすると、英語ではBlack hens(めんどり) lay(産む) white eggs.といいます。


対義語は「不肖(ふしょう)の弟子」です。

「鳶が鷹を産む」と同じ意味で使うことが許されるとすると、対義語に「蛙の子は蛙」、「瓜(うり)の蔓(つる)に茄子(なすび)はならぬ」があります。



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