2008年03月23日
一人でもっちんとか和宮たんハァハァとか騒いでマイブーム中な訳ですが、実際にどんな人達だったか、また、二人を取り巻く色々な人物、情勢をちょこっとだけ説明したく思います。前にも書いた通り、歴史とか全然知らない人なんで、間違いがあったら是非突っ込みをお願いします。
ちなみに脳内設定全開なので突っ込まれても反論する可能性大ですが。
で最初は当時の国内情勢から。
二人が結婚した1862年というと、もう幕末も幕末、有名な事件が立て続けに起きて、日本が激動している真っ最中ですね。1853年にペリーの黒船が来航して、その最中に当時の将軍家慶が死去。十三代将軍に家定がつくも、これがまたかなり「アレ」な人で何にも政策らしいことも世継ぎも出来ずに1858年に死去。幕府内は次の将軍のことで対立が激化しつつ、国内情勢も尊皇攘夷だなんだと大荒れに荒れてる。そんな時代です。
当時幕府内には二つの大きな勢力があって、それぞれ「一橋派」「南紀派」と言います。
江戸時代っていうのは多産多死の時代。それは将軍家だって例外ではなく、大奥にいっぱい側室(愛人のこと。結構な人数を抱えてた将軍もいたらしい。それに対して正妻は「正室」といいます。こっちは一人だけ)がいて、たくさん子供がいても皆早世してしまってはお家が潰れてしまう。だから対抗策として、ほかの土地に直系の親戚を作り、本家に男子の世継ぎがいなければそこから貰う。というシステムがありました。家康の時に「御三家」。八代将軍吉宗の時に「御三卿」という「親戚」を設置しました。まあ、そうやっていくつか将軍候補の家系があって、実際に本家に世継ぎがいない状況になれば、「うちの子が!!」ってなるのは当然のことで、「一橋派」と「南紀派」の対立も、そんな親戚同士の対立だったわけです。
なんでも家定存命中から世継ぎ問題が浮上してたそうで。それが原因で家定はふてくされて、豆煮たりカステラ作ったりして政治に目を向けなかったんじゃないかって説があるぐらいだからね。相当激しい対立だったんでしょう(家定が○○○○だったり病弱だったていう理由もあるんだけど)。
二つの勢力はそれぞれ、一橋派が一橋慶喜(のちの十五代将軍)、南紀派が徳川慶福(家茂)をプッシュするんだけど、最初は一橋派が優勢だったらしい。ところが1857年一橋派の老中 阿部正弘が死去。そこで南紀派の彦根藩主 井伊直弼が「次期将軍は血筋が近いほうがいいべよ!!」(慶福は十一代将軍の孫なので直系に近い)なんて言い出して、さらには直弼が大老(将軍を補佐する中で一番偉い人)になっちまって、さらにさらにまだ存命中の家定までもが「井伊直弼の言う通りなんじゃね?」なんて言っちゃったもんだから、一橋派は見る見るうちに衰退。慶福が十四代将軍「家茂」になるわけです。
ちなみに脳内設定全開なので突っ込まれても反論する可能性大ですが。
で最初は当時の国内情勢から。
二人が結婚した1862年というと、もう幕末も幕末、有名な事件が立て続けに起きて、日本が激動している真っ最中ですね。1853年にペリーの黒船が来航して、その最中に当時の将軍家慶が死去。十三代将軍に家定がつくも、これがまたかなり「アレ」な人で何にも政策らしいことも世継ぎも出来ずに1858年に死去。幕府内は次の将軍のことで対立が激化しつつ、国内情勢も尊皇攘夷だなんだと大荒れに荒れてる。そんな時代です。
当時幕府内には二つの大きな勢力があって、それぞれ「一橋派」「南紀派」と言います。
江戸時代っていうのは多産多死の時代。それは将軍家だって例外ではなく、大奥にいっぱい側室(愛人のこと。結構な人数を抱えてた将軍もいたらしい。それに対して正妻は「正室」といいます。こっちは一人だけ)がいて、たくさん子供がいても皆早世してしまってはお家が潰れてしまう。だから対抗策として、ほかの土地に直系の親戚を作り、本家に男子の世継ぎがいなければそこから貰う。というシステムがありました。家康の時に「御三家」。八代将軍吉宗の時に「御三卿」という「親戚」を設置しました。まあ、そうやっていくつか将軍候補の家系があって、実際に本家に世継ぎがいない状況になれば、「うちの子が!!」ってなるのは当然のことで、「一橋派」と「南紀派」の対立も、そんな親戚同士の対立だったわけです。
なんでも家定存命中から世継ぎ問題が浮上してたそうで。それが原因で家定はふてくされて、豆煮たりカステラ作ったりして政治に目を向けなかったんじゃないかって説があるぐらいだからね。相当激しい対立だったんでしょう(家定が○○○○だったり病弱だったていう理由もあるんだけど)。
二つの勢力はそれぞれ、一橋派が一橋慶喜(のちの十五代将軍)、南紀派が徳川慶福(家茂)をプッシュするんだけど、最初は一橋派が優勢だったらしい。ところが1857年一橋派の老中 阿部正弘が死去。そこで南紀派の彦根藩主 井伊直弼が「次期将軍は血筋が近いほうがいいべよ!!」(慶福は十一代将軍の孫なので直系に近い)なんて言い出して、さらには直弼が大老(将軍を補佐する中で一番偉い人)になっちまって、さらにさらにまだ存命中の家定までもが「井伊直弼の言う通りなんじゃね?」なんて言っちゃったもんだから、一橋派は見る見るうちに衰退。慶福が十四代将軍「家茂」になるわけです。
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