2001年09月16日

M16LMG

   クラフトフェルトで軽機関銃を必要とされる様になったのは、1998年の中頃で、TPOに加盟してからである。それまで全銃種ホップを使用していたのが、小銃・拳銃のホップが不可になり火力的に不利になった事、しかしこれを不満とせず、4人一組の「班」で戦闘する方針をたて、その支援火器としてホップ可の軽機関銃を使おう、というのが軽機関銃の制式化への流れだった。
   問題は、M60やM249ミニミといった製品が、当時は値段が高い割にはチャチで、電動ガンの性能が良かった事もあり、M16A2の軽機版を作る事になった。当初はM16A2にM60の脚桿を付けた「M16A2 H-BAR(M741)」を使用していたが、「クラフトさん、M16にバイポッド付けてるんですか」と言われるのが嫌で、もっと軽機らしいM16LMGを作成する事になった。以下の記事は、その当時の製作記事である。
   M16LMGは2丁も作られ、1丁は保管されていたが、2005年初頭にM249ミニミを購入するため、2丁とも売却された。実銃のM16LMGはイラク派遣のオランダ軍が使用していた様である。

   クラフト技研は松島と東尾久に造兵廠を備え、おのおのが得意技能を有している。松島造兵廠は、もっぱら造形技術に通じており、ABS板を接着積層しこれを削り出す技術において抜群の能力を発揮する。東尾久造兵廠は金属加工に一日の長があり、補強器材はすべてここで生み出される。今回、九八式軽機関銃改が製作されるにあたって、クラフト技研では両造兵廠に作業分担を行い、作業過重の軽減、仕上げ水準の向上を図った

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九八式軽機のモデル、M16 H-BAR(1986)

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九八式軽機改のモデル、M16LMG(1990)

   上記の写真は、九八式軽機と九八式軽機改のモデルの写真である。ご覧の通り、九八式軽機は、M16A2にM60のバイポッドを付けただけで、極めてシンプル。それだけ製作も比較的簡単であった(といっても、このM60の脚桿を作るのは大仕事だったのだが)。しかし、知名度がない銃だけに、他のチームから全然機関銃としては見て貰えず、「M16にバイポッド付けてるんですか~」と言われる始末であった。
   そこで少しは機関銃らしく見える様に改造しようと、一念発起してM741の90年モデルを製作する事となったのであるが、これがまた大仕事。というのも、資料がほとんど無くて制式図を引くのが難しいのに、尾筒(レシーバー)から前の部分、被筒(ハンドガード)、提把(キャリングハンドル)、前部握把(フォアグリップ)、脚桿(バイポッド)は完全に新規に作れねばならず、その作業は膨大、困難を極めると思われたからである。
   当然、一つの造兵廠では作業過重で、いつ完成するか見通しも立たない為、作業分担がされる事なった。すなわち、被筒、提把、握把は松島造兵廠が、脚桿と提把・握把の取り付けを東尾久造兵廠が、それぞれ担当する事となったのだ。前者はABS板の積層、削り出し、後者は金属加工を担当するのである。

*松島造兵廠の作業~被筒、提把、前部握把~

   被筒はM16A2の円筒型から角形へ変更しなければならない為、まったく新規に製作される事となった。上記の写真を元に制式図を引き、それに合わせてABS板を切り出して行く。今回は2丁分の部品を同時に製作する為、切り出された部材の量も多く、それだけ作業量も膨大であった。従って、作業はなるべく同じ事の繰り返しになるよう、十分検討してから始められた。

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   写真の部材は、被筒の上下辺を占める物。九八式改の被筒は、M16A1と同様に左右開きである為、中心線に合わせて分割されている。今回はこの時点で放熱穴を開けたのであるが、これは大失敗であった。というのは、いくら製図を正確に行おうとしても人間の手で行う為に1枚1枚若干の狂いが生じ、部材を張り合わせた時に微妙に穴の位置がずれてしまうのだ。しかも左右での狂いも生じ易く、正確な造形が困難になった。結論から言うと、穴開けは一番最後に行った方がキレイに出来た筈である。こうした失敗経験も次回作の教訓として活かされる。

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   上下辺と側辺の部材が合わせられた状態。写真で見る分には、九八式改の被筒は製作に困難な形状をしている様に見えるが、確かに作業量は多いものの、箱状であるからそれほど大変なものではなかった。しかし、据銃の際には力の掛かる部分ではあるので、少々厚めにABS板を積層し、さらに角は丸く削り落としてしまうので、裏側に補強のABS板をつけた。

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   M16シリーズのハンドガードは、フロントサイト部のキャップにハンドガードの先端を入れ、レシーバー側のスリップリングで留める。ところが、九八式改ではキャップが被筒の断面に合わせて角形になっている為、これを新規に作り直さねばならなかった。もちろん、被筒止め(スリップリング)の方も新規で作っている。

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   この手の兵器を製作するに当たっては、一番最初に出来る限り正確な制式図(設計図)を準備するのであるが、それでも実際の作業は手作業である為、制式図通りにならない事の方が多い。また、経験によって見積もって作業する(例えば、10mmの積層の場合、ABS板は9枚積層で作る)事もしばしばである。写真は、左右の被筒のズレを、薄く瞬間接着剤を塗って序々に水平に削り直した様子である。真ん中の少し黒っぽいところが、瞬着で直した部分である。

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   被筒が一段落したところで、今度は前部握把の作業が始まった。柄の部分はABS管、鍔の部分はABS板の積層である。制式図は原写真を元に引かれるが、場合によっては市販の部材のサイズに合わせてリサイズやデフォルメされる事もある。この部分は、柄の太さが市販のABS管のサイズに合わせて設計されたのだ。この手の作業では、ABS板の切り出しがもっとも大変な作業であるが、特に円形に切り出す作業は困難で、しかも内円を開けるとなると、それは熟練を要する作業なのである。

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   研磨まで完了した前部握把。自分で言うのも何だが、作った奴を誉めてやりたくなる程の出来映えである。製作方法は軍秘である為、詳しくは言えないのだが、とにかく金ヤスリで丁寧に削りだし、その後はひたすらフィニッシュペーパーを掛けまくる。その心境はほとんど仏像を作る時と同じであろう。
   この作業の後、提把の製作に取り掛かったのであるが、その時にはもはや写真を撮る様な心境ではなく、一日も早い完成の為、日々寝食を忘れて作業に取り組んでいた。その製作過程はこの握把よりもハードで、テクニックも高度であった。その出来映えは、他の写真で見て貰いたい。

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*東尾久造兵廠の作業~脚桿、各部組み立て~

   完成した被筒と握把を組み合わせたところ。被筒は側面に溝が穿ってあり、これを磨き上げるのが大変であった。作業前は、本当に完成するか、全く自信が無かったのであるが、実際に出来上がってみると、何でも挑戦してみるものだ、とつくづく感心したのだった。松島造兵廠の作業担任はここまで。完成した部品は、東尾久造兵廠に持ち込まれ、その他の部品と組み上げられる事となった。

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   東尾久造兵廠で原銃に組み込まれた被筒、前部握把、提把。なるべく軽量化を試みているが、もとより追加された部品がある為、重量増は免れなかった。もっとも、我が隊ではガタイの良い兵隊が軽機手に専任されるので、少々の重量増は問題にならない(と判断された)。脚桿は細身の物に変更され、銃身も塩ビ管によってボリュームがアップしている。弾倉は九八式軽機を製造した時に量産したものだ。

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   今回新規に製作された軽機脚桿。前回のM60の物もアルミ部材によるフルスクラッチであったが、今回は現物をまったく参考にせず、写真と映像資料のみで制式図を引き製作した。今回もバネが仕込まれていて、脚桿を起こすと勝手に足が開く様になっている。脚桿の基部はアルミブロックから削り出されたもので、これも金ヤスリで手作業で作られた。アルミ加工は東尾久造兵廠の得意技術である。

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   削り出しの済んだ基部に脚桿を取り付け、銃を立ててみたところ。クラフト技研の製作物は、原則として武人の蛮用に耐えうるだけの強度がある事が条件とされている。軽機は小銃よりも重量があるため、伏射の際は脚桿を立てる必要がある。今回はコ型のフレームを脚部に使ったため、九八式の脚桿よりも強度がある、との事。ただし、強度優先の為、伸縮機能はデフォルメせざるを得なかった。

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*完成!

   各部が組み立てられ、塗装が済んだ状態。自画自賛になるが、素晴らしい出来映えである。各部は少々の衝撃では壊れない強度を有し、十分実用に耐えうる。提把は銃嚢に収納する際、ワンタッチで取り外しが出来る様に取り付けられているにも関わらず、伏射から躍進に移る際に銃を提げても大丈夫な強度を有している。

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   今回の大改造の目玉となった部分のアップ。照星下の着剣装置が削り取られている事に注目。また負紐(スリング)の前環(スエベル)も取り外されている。負紐は照星部分に結びつけ使用する。

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armee_kf at 00:00│ このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote クラフト技研