Armonia

Armonia Projectでは5人の少女達が主役の合唱をテーマにした物語を作っております。 ぜひぜひ読んでみてください!

Armonia Projectと申します!

このプロジェクトは、『Armonia』という創作合唱物語を作ろうという目標の元活動しており、以下にあらすじとキャラクターの紹介を記載します。

あらすじ
舞台は合唱弱小県、山形県のとある市。
主人公の和音は中学生の時に合唱が好きになり、高校では合唱部に入りたいと思うが、近くに合唱部がある高校がないと知る。
そこで、和音はある高校に進学し、自分が合唱部を作ろう!と決意するが……?

 菫がもう一度合唱に向き合うと決めたその日、第二音楽室の一番後方にいた紗耶香は、数日前の出来事を思い出していた。
「二人にいいお知らせがあるの。あなたたちが去年作ろうとしていた合唱同好会、今また新入生の子たちがメンバ―を集めているわ」
 葉月の呼び出しを受けて訪れた生徒会室で、それを伝えられた時、菫は隣にいた紗耶香からも目に見えるほど、喜びを隠し切れない様子だった。自分たちにできなかったことを、後輩たちが。ただでさえ分かりやすい菫のそんな思いは、付き合いの長い紗耶香からすれば手に取るように分かったのだ。
 一方で、二人は葉月の計らいにより、吹奏楽部に所属している。菫も紗耶香もその恩を忘れていない。
「はづきせんぱい……」
 我に返り、顔色が悪くなる菫。その訴えかけるような目を葉月は気遣い、穏やかなト―ンで答えた。
「今すぐ決める必要はないんだから、じっくり考えてみて」
 そうして、自身に選択肢があることを知った菫と紗耶香。
 戸惑い、人知れず取り乱し、迷走を重ねていた菫は、幼馴染の紗耶香にとって、本当の思いに気づけるよう自分が導かなければならないと思わせる様子だった。既に部活動として行っていた吹奏楽と比べても迷うほど、菫は合唱への強い思いを持っていた。それならば、事情を知る者は皆理解してくれるだろう、と紗耶香は菫の傍らでその役割を受け持ったのだ。
 菫が自分の中に滾っていた合唱への熱意を選び、同じ目標を持つ一年生たちに加わっていく姿を目にして、紗耶香は自分の役目を終えたと感じながら、ほっと胸を撫で下ろしていた。一番小さい一年生に、良からぬことをしないかという不安もあるが、菫の性格上何か問題が起これば介入すべきかどうかはすぐにわかるはずだ。紗耶香はそう考え、もっと素直に喜びたがっているであろう菫と、三人の一年生を見つめていた。
 やがて、その一年生が何かを思い出し、急に慌て始めた。同好会の設立に必要な人数が集まった訳ではないため、今日もまた勧誘をしに行くらしい。それを察した紗耶香は第二音楽室を出て、物思いに耽っていた。その脳裏を、一つの疑問がかすめた。
 ――菫が一番やりたいことに辿り着いたのなら、自分自身はどうなのだろう。
 よりはっきり揺らいでいた菫に付きっ切りで、考えがまとまらなかった紗耶香。しかし今、菫が自分の意思で同好会への加入を決めたことから、自身の示した「どうしたいか」という命題が紗耶香本人に返ってきていた。
「それじゃ、さやか。私頑張ってくるわっ」
 しばらくして第二音楽室から出てきた菫は、力強くそう告げた。その宣言に、もう迷いはないだろう。紗耶香はそんな菫をじっと見て、小さく手を振った。一年生たちもまた、紗耶香に軽く頭を下げてその場を離れていき、そこには紗耶香一人が残された。
「……頑張れてるのかしらね。私は、やりたいことを」
 ぽつりと呟いたその声を聞いたのは、他でもない紗耶香しかいなかった。

 翌朝から、菫は紗耶香と共に行動できないことが徐々に増えていった。
『勧誘の準備があるから先に行くね』
 ある時は、登校のために身支度をしている最中、スマ―トフォンに届いてくるそういったメッセ―ジを目にする度、紗耶香の手はほんの少しの間止まるのだった。同好会に入ってすぐ、自分にできることを見つけ、すぐさま行動に移す。そんな菫は、紗耶香にとって誇らしい幼馴染であると同時に、引け目を与えてもいたのだ。
 またある時は、授業を終え昼休憩に入ってすぐのこと。
「……菫。お昼は忙しいかしら」
「ううん、一緒に食べましょ。さやか」
「それで……勧誘は順調?」
「そうねえ、とっても楽しいわよっ。一年生たちもみんなかわいくて――」
 菫の席にやってきた紗耶香が、同好会の様子について尋ねた。すると、待っていましたとばかりに、菫は目を輝かせて語り始めた。
 菫は見知らぬ他人であっても、三日も経てばすっかり相手に馴染み、打ち解けていく。それは、紗耶香にはできないことだった。紗耶香はそれを自覚し、性格の違いだと割り切っている一方で、そんな菫への羨ましさも全くないとは言い切れないようだった。
 溌剌と続けられる菫の話に耳を傾けていた紗耶香は、勧誘を楽しいとした菫に、楽しいかどうかより重要なことがある、と指摘し損ねていたことを後から気づいていた。普段なら真っ先に反応できていたであろう菫の天然ぶりも気に留められない。そんな紗耶香自身の異変をはっきりと感じ取っていたのは、やはり紗耶香だけだった。
 そしてその理由に、話を遮る隙もくれず、菫が気ままに喋り続けているのと、また別の要因があることも、紗耶香は痛いほど自覚していた。
「――それでね。『すみれでいいわよ』って言ってみたんだけど、こはるちゃんは聞いてくれないし。かずねちゃんとわかなちゃんは、呼ぼうとはしてみてるけど、慣れないって結局名字に戻っちゃうし」
「……まさか菫、あの子たちにまた変なことしてないでしょうね」
「も、もちろん! スキンシップが苦手な子もいるってちゃんと分かってるわ、今度こそっ。それにこれから仲良くなっていきたいもの、もっともっと――」
 苦手かどうかと言うより、知り合って間もなくスキンシップを許す人の方がそもそも珍しい。紗耶香は言うまでもなくそう考えたが、それを指摘するより早く、菫はまた同好会での話を再開した。
 しかし今度は、長くは続かなかった。一年生が、このクラスまで菫を呼びにやってきたのだった。
「あっ、かずねちゃん!」
 気づいた菫にそう呼ばれた生徒は、教室にいるクラスメイトたちの姿を気にしている様子。三人の中では一番大人しい彼女が用事のようで、菫は昼食を急いで口に入れた。
「……詰まらせないようにね」
「ごめんさやかっ、ありがとう。それじゃ行ってくるわ」
 焦らないように、と言いたかったところを、引き止めたがっているように感じられて言葉を変えた紗耶香は、菫を見送ると人知れず一息ついた。
「すごく元気になったねえ、菫さん」
 そんな紗耶香の元を通りかかったのは、吹奏楽部でもあるクラスメイト。紗耶香は突然のことに内心びくりとしながらも、平静を装って応えた。
「……そうね。本当に良かったわ」
「先輩たちが何人か不満がった時は、全くどうしようかと思ったけど。『これだけ上手い生徒を手放すなんてやっぱり無理』とかってさ」
「……ごめんなさい」
「大丈夫だよ、みんな分かってくれてたじゃん。こっちはこっちで気合入ってるし、菫さんが抜けるならその分もっと頑張ろうって」
「……ええ」
 紗耶香が再びため息をつくと、クラスメイトは更に続けた。
「それで、大丈夫なの?」
「え……何かしら、大丈夫って」
「紗耶香さんも合唱やらないのかなと思って。同好会が今度こそできるかも、って話だし、てっきり一緒に移るんだと」

 上級生らしきその生徒の微笑みは、心春からすれば嫌に不敵な物として映っていた。
「どうしたの……?」
「ど、どうしたもこうしたもないです!」
 何か良からぬことをしてしまったか、といった風で少し申し訳なさそうにする生徒へ、心春は立ち上がってはっきりと目を吊り上げた。入り交じる狼狽と警戒に、側の和音と若菜も固唾を呑む。
「あの―……ご用件は」
 二人の仲介をするように、若菜がおそるおそる尋ねた。
「そうそう! あなたたち、合唱同好会を作るのよね?」
「はい、え―と、こっちの二人が――」
「こんなに小さくてかわいい子が、素敵だわあと思って、それでお近づきに……」
 若菜を遮る勢いでなされたその反応が不躾に感じられたからか、心春の中では徐々に嫌気も差していった。
「け、結構です! そんな用件でここにいられても困ります。どこかへ行ってくださいっ」
「その……ごめんなさい。言い方が悪かったわ、ええと」
「行かないならこっちが別の場所に行きますからっ」
 声を荒らげて一息に言い切る心春。しかしその上級生にも何か思惑があるようで、堪らず彼女は心春を引き止めようとした。
「待って!」
 その拍子に、上級生は心春のほうへ腕を回して抱き締めていた。手ぐらいは引かれるかもしれないと覚悟していた心春も、それほどの大胆な行動に出られるとは思わず、驚きで甲高い悲鳴を上げた。
「ひゃあああっ!? 何するんです!!」
 ここへ至り、流石に非常事態だと真っ先に考えたのが若菜だった。思い切り心春を引き剥がし、和音共々腕を引いて走り出す。
「先輩すみません――二人とも、一旦ここを離れよう!」
 若菜の足は速く、体育会系でもなければ到底追いつけないほどだった。そんな若菜がいきなり逃げていったとなれば、その生徒も止めようがなかったらしい。彼女はその場に、一人だけ取り残されることとなった。
 それからしばらくして、若菜たちが走り去っていった方から、また別の生徒がやってきて彼女を呼んだ。
「……あなたまた何かやったわね、菫。突然どこに行ったのかと思ったら」
 淡々と落ち着いた推測に、菫と呼ばれた彼女は弱々しく反論した。
「何もしてない、と思う……だってあの子たちも、同じことをやってるんだもの。私たちがやりたかったこと」
「それで、どうしたの」
「頭がごちゃごちゃしてたけど、嬉しくて、せめて顔を合わせて話してみたかったのは確かで……怖がられたみたいだったから、つい無理に抱き止めようとして」
「……抱き止める? 引き止めるの間違いじゃなくて?」
「いいえ、違わない」
「……全く。何かやったって言うのよ、そういうのは」
 自身の振る舞いが悪かったことをようやくまざまざと自覚した彼女の名前は、宝条菫と言った。菫が反省し、項垂れるのを目にしながら、同学年であるもう一方の生徒・一ノ瀬紗耶香は深くため息をついた。

 合唱同好会を設立しようと勧誘に励む新入生の存在を知り、菫の心はざわついていたのだった。
 二年D組の教室の自分の席で、頬杖を突いて考え込むだけの時間が増えた菫。それを気にかけていた紗耶香は、昼休憩の時間になる度に彼女の様子を窺っていた。二人は元から一緒に行動することが多かったが、新学期以来、更に多くなった。紗耶香はその昼もまた、弁当を持って菫の側へ近づいた。
「菫。お昼は?」
「まだ、食べてない」
「……分かってるわ。食べないの、ってこと」
「私今日、お弁当持ってきたっけ……」
 紗耶香は菫と近い席の椅子を借り、菫の机に自身の昼食を広げていく。菫も弁当を家に忘れてきたりはしていなかったようだが、ぼんやりしたまま鞄を覗く菫はやはり上の空で、様子を眺めていた紗耶香はまたため息をついた。
「……重症ね。一言で済む話でしょう、それを三日も四日も続けて」
「私たち、諦めていた側だもの。それを――まさか合唱同好会を作りたがってる子たちが、また新しく入ってくるなんて」
 自分たちにできなかったことを目指している新入生への、羨みと憧れ。一年前それができず、上級生から誘いを受けて別の部に所属した自分自身への引け目。全てが菫にとっては、和音たちを眩しく見せる要因となっていた。
「……だからってあの子たちを驚かせて、あんなに追いかけてどうするのよ。むしろ勧誘の妨げだわ」
「さやかぁ、そんなストレ―トに言わないでっ」
「……というか、メンバ―が五人集まるかどうかよ。もっと大事なのは」
 紗耶香が持ち出した問題は、菫にとっても耳の痛いものだった。もしあの新入生たちが同じ目を見たとしたら。そんな可能性が脳裏をかすめ、菫の手は弁当を開きかけたところで止まる。
「それは……だめっ」
 押し殺したような喉声を漏らす菫。それを聞いた紗耶香は、菫の目を真っ直ぐ見つめた。
「菫は、どう思ってるの」
「私……合唱も好きだし、吹奏楽も楽しいって思ってる。吹部や、部のみんなにはお世話になってるし……あの子たちも気になるし、また合唱同好会にいられなかったらって思うと……」
「……それで、どうするの?」
「私どうしたらいいのかしら……さや姉っ」
 さや姉――その呼び方をする菫は、途方に暮れていた。そして紗耶香も、そんな菫が自分自身ではどうにもならなくなっていることを理解していた。静かに、それでいてはっきりとした声で、紗耶香は菫の奥底にある意思を引き出そうと問いかけた。
「菫。そうじゃないわ。どうしたいか、よ」
「私の、やりたいこと――」

 好きなものに真っ直ぐになる時の勢いは、菫の確かな長所。紗耶香はそう伝えて、菫の思いを後押しした。
「……大丈夫よ。吹部のみんなも事情は知ってるんだし。あの子たちだって、ちゃんと話せば分かってくれるわ」
 今また合唱同好会を結成しようとしている新入生がいることを、改めて葉月からも聞かされた菫と紗耶香。だが二人はそれより前から、和音たちをその目に焼きつけた時点で予感していた。過去の自分たちのように、その場所を中心として活動が始まるはずだということを。
「さやか。私の思い、伝えに行くわ。だから……力を貸してっ」
 紗耶香に背中を押されたことで決心ができた菫は、その日最後の授業を終えると、荷物をまとめて教室から駆け出した。
 選ぶべきなら、選んでいいなら――一番やりたいことを、自分自身で選ぶのなら。頭の中で繰り返しながら、菫の答えは既に出ていた。
 後ろからは、同じように息を切らして走る声が聞こえてくる。それが誰のものなのかは、菫自身も確信を持っていた。菫が迷えば、その背中を押すのはいつも紗耶香だった。そんな紗耶香への感謝と、これから一緒に望みを果たす仲間への思いを胸に、菫が向かった目的地は第二音楽室。上がった息を整えるより前に、菫は入口の扉を開いた。
「あのっ――あれ!?」
 中はもぬけの殻。生徒のものであろう荷物も、人がいた気配もない。
 自分の間違い、早とちりだったのだろうか。涙を浮かべそうになりながら、菫は振り返る。すると、後ろにいる紗耶香の更に向こうで、唖然としている一年生たちがいた。
「あっ、あなたたち……! あのね、私も、一緒に歌いたくて……だから、合唱同好会に、みんなの輪の中に入れてくださいっ……!」
 一心不乱に伝える菫。それに戸惑う生徒の中で、一人が前へ出て菫に問いかけた。
「もしかして先輩が、生徒会長の言ってた人――す、好きな合唱曲とか、ありますか?」
「橋留さん、まだこの人と決まったわけではっ」
「う、うん。だから、聞きたいなって。園内さんみたいに」
 菫の顔を見て、警戒を解けない心春。しかしその制止をものともせず、和音は進み出ていく。菫も応えるように頷くと、第二音楽室の中へ先に足を踏み入れた。
「見てて! 今、教えてみせるからっ」
 和音たち三人にも、紗耶香にも聞こえるように。教室を出る直前、紗耶香からその手に預けられたリボンを菫は握り締め、大きく息を吸ってから歌い始めた。

『暑い八月の海で
風に体つつまれて
眩しい水平線を眺めてる君』

 それは、和音と心春もよく知っている曲だった。気づけば和音は、前に立つ菫と一緒に歌詞を口ずさんで いた。

『君の乾いた素肌に
涙こぼれている
重ね過ぎた悲しみ
少しずつ砂ににじませてくように

海よ 海よ 海よ
素直な気持ち気づかせてくれる
君とみた夏の日の思い出は
いつまでも輝いてる』

 歌い終わった後、彼女は辺りを見渡す。嬉しそうに顔を輝かせる和音、なおも困惑したままの心春、笑顔で拍手をしながら目の前の光景を見守る若菜。三者三様の姿を見つめ、再び深呼吸してから彼女はその名前を告げたのだった。
「二年生の、宝条菫って言います。みんな、これからよろしくねっ」

 入学式の翌日。合唱同好会の設立を目指している橋留和音は、放課後を迎えて荷物をまとめる最中、教室の外から呼ぶ声を聞き、扉のほうに目をやった。
「橋留さん、早くしてもらいたいですが」
「う、うん! ちょっと待ってて」
「時間はできるだけあったほうが良いんですから」
 和音を急かす声の主は、同じく合唱同好会の設立を目指す園内心春。言葉に反し落ち着いていつつも、どことなく圧を感じさせる雰囲気に、和音は少しちぢこまりながら支度を終え、隣の席の人物と共に教室を出る。
「そちらの方は?」
「ああ、よろしく。私は中篠若菜、色々あって手伝いをと思ってね」
 和音の横で自己紹介をした若菜は、心春へ軽く頭を下げた。
「お手伝い、とは? 入ってくれるなら歓迎しますが」
「いや……私自身は、部活とかはいいかなって。でも、なんか放っておけなくてさ」
「そうですか。私も改めて、園内心春です。お見知りおきを」
 心春は若菜に対して素気なく返事をし、先頭に立って廊下を歩いていく。その後を和音と若菜も追いかけ、三人で場所を移動し始めた。
「ちょ、ちょっとどこ行くの、園内さん?」
「どこって……勧誘ですけど。ここよりもっと人通りが多い場所がありますし」
「ま、待ってよ―っ」
 慌てている和音を尻目に、心春はあっけらかんと言ってのけた。曰く、別に二年生以上が入ってもいいだろうという目論見らしく、早々と階段を下へ降りていく。
 その間、心春はもう一つ注意点として二人に言い聞かせた。
「いいですか。今月中、二六日までにあと三人メンバ―が必要なんですからね」
「ええっ!? どうして……?」
「勧誘活動自体がその日までと決められているからです。同好会設立の申請はそれを過ぎても大丈夫ですが、あってないようなチャンスと思っておいたほうがいいですね。同好会について知ってもらう機会がほぼなくなるわけですから」
「三週間もないのに、その中で五人……」
 肩を落とし不安がる和音に、心春は発破をかけた。
「始まってもないのにそんな弱気でどうするんです。だいたい、生徒会長から聞いてなかったんですか?」
「あ……そ、それは……『合唱できるんだ、やるんだ』って思って、それで私、頭がいっぱいで」
 和音がしおらしく苦笑いをする様子に、心春は呆れ返った。
「はあ。大変そうですね――中篠さんも」
「え!? い、いや―、どうなんだろうな」
 心春が今度は若菜へと視線を移す。突拍子もなく話を振られた若菜は、戸惑いつつ言葉を濁した。

 一番前を歩いていた心春が足を止めたのは、一階にある購買の前。そこは通路に面しており、購買を利用するかどうかにかかわらず多くの生徒が通っていく場所だ。三人は壁際に荷物を置き、揃って声を上げた。
「私たちは、合唱同好会を作ろうとしています! 興味のある方はぜひ――」
 しかし、反響したのはほとんど一人分の声だけ。怪訝に思った心春は、左にいる二人を鋭い目付きで睨み付けた。
「二人とも、もっと声を張れないんです?」
「いや、なんか久々で、こういうの……ついむずがゆいなって」
「まあいいですが。橋留さんはそれと、もう少しはきはきできませんか」
「う、うん」
 合唱に興味のある方、ぜひお待ちしています――物怖じせず声を張り上げる心春に比べ、羞恥の消えない若菜と、言葉がつっかえがちな和音。それでも二回、三回、四回と繰り返し声を上げるが、通りすがった中に立ち止まる生徒はいなかった。三人に目を向け、勧誘を意味ありげに眺めていく生徒はたまに見られたが、合唱に関心を寄せている訳ではなかったようだ。
 人通りが一旦落ち着いた時、和音がぽつりと溢した。
「か、覚悟はしてたけど、そう簡単にはいないよね」
「さっきも言ったでしょう、今から弱気になるのは――」
「うんっ。が、がんばらなくちゃ」
 心春が言うより先に、和音は気合いを入れ直した。その姿を目にし、心春は何も言わずに前を向いた。三、四人、また通りがかった生徒たちに興味をもってもらえるよう、和音たちは声を揃えようとする。
「私たちは、合唱同好会を作ろうとしています! 興味があったらぜひどうぞ!」
 するとその中に、立ち止まって和音たちへ優しい眼差しを送る姿があった。生徒会長の外城葉月だ。和音が驚いてびくりと跳ね上がっても、葉月はその笑みを絶やすことなく三人の元に歩み寄る。
「早速やってるわね。興味あるって子、誰か来てないかしら」
「いえ……今のところは、誰も」
 心春が肩をすくめると、葉月は不思議そうに首を傾げた。
「あら、そう? 心当たりがいるのよ、話し忘れていたんだけど」
「入ってくれそうな人、ということですか!?」
「ええ。去年あなたたちと同じように、合唱同好会を作ろうとしていたの。私からも言っておこうかしら、後でその子に」
「ありがとうございます。お願いします」
 心春が頭を下げると、葉月は申し訳なさそうにした。
「ごめんね、私も行かないといけなくて……ああ、それと第二音楽室、ひとまず活動場所として使っていいことになったわ。それじゃ、頑張って」
 曰く、同好会が結成された暁には正式に活動の場となる旧校舎の部屋を、現在使われていないのもあり先回りする形で手配できたとのことだった。葉月はそれを伝えた後、若菜とも二言三言交わし、その場を離れていく。残された和音たちは、合唱同好会への加入を希望する生徒がいるはずだと聞かされたことで、更に一段と気持ちが高まっていた。

 次の日、放課後を迎えた和音たちは三人で第二音楽室で勧誘の準備をしていた。今日も頑張ろう、と呟く和音を、心春が鼓舞して言った。
「もっとたくさんの人に見てもらえるよう、今日はこれを持って勧誘しましょう」
 心春が意気揚々と鞄から取り出したのは、大きく「合唱同好会」の文字が書かれた立て札だ。
「これ、園内さんが?」
「興味をもってもらうためには、できる限りの手を尽くさないとですから。会長が言っていた人も、昨日は結局来なかったわけですし」
 その札と心春を交互に見て嬉しそうな顔をする和音に、そこはかとなく自慢気な様子を心春が窺わせていると、今度は若菜が鞄を開けて中から紙の束を出していた。
「私も作ってきたんだ、ほら。勧誘のチラシ」
「へえ……すてきっ」
 和音はわけられた分の紙束を若菜から受け取ると、まじまじと眺めて再び喜びの表情を浮かべる。それに対して、心春は疑問を抱かずにいられないようだった。勧誘場所への移動を促しつつ、若菜へと尋ねる。
「気になっていたんですが、どうしてそこまで熱心に手伝ってくれるんです?」
 同好会に入るつもりはないんですよね、そう念を押したげなのを堪えているらしい心春。それに答えようとして、若菜は小さく声にならない息を漏らした。一瞬のうちの、悲しげな響きだった。
「あ―……その、私も合唱好きでさ。聴くほうの話だけど、励まされて元気をもらったことがあるんだ。ちょっとしんどかった時」
 言い終わる頃には、普段通りのさっぱりした笑顔を見せていた。
「そうでしたか」
「あとは――ほっとけないのもあるかな」
 若菜は横の和音をちらりと見やる。気づいた和音は、少しショックを受けた顔になった。
「そっ、そこまでじゃないもん、私」
「ごめんごめん――というか、二人はどうなんだ? 合唱に興味を持ったりとか、部活にしようって思ってる理由」
 話が変わるや否や、即答したのは心春だった。
「私の好きなもの、理想や夢を伝える力があるからです」
「へえ……それはまた、詳しく聞きたくなるなあ」
「惜しいですが、話すと長くなるので。機会があれば」
 心春は凛とした言い方で語った後、次はあなたですよと言わんばかりに和音のほうを注目した。
「わ、私は……二人みたいなのって、ないんだ。実を言うと」
「……そうですか」
「でもね! 合唱は授業とか、合唱コンク―ルでやるでしょ? すごく楽しいなあって、自分の声で、みんなと調子を合わせて、音楽を聴かせられるっていうのが! だから――」
 話ながら少しずつ、和音の声量は大きくなっていく。その様子に、心春は思わず茶々を入れていた。
「橋留さん? そのくらい、勧誘でも出せないものですかね」
「えっ! ごっごめん」
 とは言え、すぐさま謝る和音だったが心春の口ぶりは非難ではなく、楽しげに、うんうんと頷いていた。
「納得したです、色々と。続きは早いうちにしたいですね。同好会を結成してから」
「うん、そうだねっ」
 そうして購買の前に着き、勧誘を始めようとした三人。そこへ、三人より背の高い、青黒い長髪の生徒が訪れていた。
「新入生……かわいいわねえ……」
「うわあっ!? な、何ですかっ」
 その言葉が聞こえたほうを振り返った心春は、驚いて尻餅をついた。穏やかならないト―ンで放たれた言葉の主は、心春から十数センチもないような間近まで近づいて、その様子を見つめていたのだ。

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