「若菜ちゃん、大丈夫?」
第二音楽室に来てから三度鼻をかんだ若菜に少し心配そうに尋ねる和音。
「ああ、風邪でも花粉症でもないんだけど、どうしてもこの時期は鼻がむずむずするんだよなあ」
ティッシュの減りを気にしながら若菜はずらしたマスクを口元に戻す。
「そうなんだ。クラスでも花粉症っぽい子いるよね」
「そうだな。授業中に鼻をかむ音がするとちょっと笑いそうになるよな。あと、普段眼鏡かけてない人がかけてたりして、なんか新鮮だよな」
「だねー。そういえば、心春ちゃんって授業中は眼鏡かけてるんだよね?」
「はい。そうでないと文字がぼやけて読みづらいので」
話を振られ、スマホから一旦目を離す。
「でも部活の時とかにはあんまりかけないのはどうして?」
「お二人にはまだ話していなかったですね。実は――いえ、やめておきます」
そう言って再びスマホに視線を落とす。
「えー、気になる!」
「やめとけ和音。どうせくだらないから」
「くだらないとは失礼な。そこまで言われて黙っていられる私ではありません。実は、私は眼鏡をかけると色々なものが見えるようになるのです」
若菜の言葉に鼻息を荒くする心春だったが一転、含みのある口調で淡々と話し始めた。
「色々なもの……?」
好奇と少しの恐怖を覗かせた瞳で和音が復唱する。
「空気中の細菌や、人の悪意などですね。あまり気分が良いものではないので普段はかけないようにしているのですが」
「やっぱりくだらないじゃないか。どうせまたアニメか何かの影響だろ?」
予想通りの答えにため息をついて一蹴する。
「菌が見えるって作品あったよねー。実写化もされてたっけ」
「まあ若菜さんは眼鏡をかけずとも悪意に満ち満ちているのがよくわかりますが」
「そうか、それならこれから私が何をするかもわかるよな?」
黒い笑みを浮かべて徐に立ち上がる若菜。
「……逃げるです! うわっ――」
出入り口に向かって走り出した心春だったが、タイミングよく入ってきた菫にぶつかり抱き止められた。
「あらら、こはるちゃんから抱きついてくれるなんて感激だわあ!」
「違うです! ぶつかっただけです!」
「はは、自業自得だな。って、菫先輩、その眼鏡どうしたんですか?」
普段は何もない目元に赤い縁の眼鏡がかけられていることに気付き驚く若菜。
「えへへ、昨日さやかと一緒にお買い物してた時につい買っちゃったの」
「そうなんですね、似合ってます!」
「とってもかわいいです!」
和音からも褒められ、心春を抱く腕に力が入る菫。
「……度は入っていないから伊達なのだけれどね」
「今、なんと?」
心春がひどく冷たい声で聞き返すと、菫は恐る恐るその名を呼んだ。
「こはるちゃん……?」
「……伊達って言ったわよ」
意に介さない様子で紗耶香が答えると、心春の様子が豹変した。
「眼鏡はファッションアイテムではありません! 矯正具です! 目が悪い人がかけるからこその良さがあるのです! うっかり家に忘れて目つきが悪くなったり、ここぞという場面であえて外すことで覚醒したりするのは王道ですよ!」
「ご、ごめんね?」
「……ただのあなたの好みじゃない」
勢いにたじろいだ菫から少し離れ、制服を整えながら心春は再び口を開く。それとなく菫から視線を外して。
「とはいえ、私も推しキャラが眼鏡をかけているグッズが出たら買いがちですし、気持ちはわからないでもないです。似合ってなかったらもっと怒ってたところですが、今日のところはこれくらいで勘弁してあげるです」
「それって……!」
「……素直じゃないわね」
「こはるちゃん大好き! ぎゅーっ!」
「前言撤回です! 即刻外すです! 離れるです!」
もみくちゃになりながら叫ぶが、その願いが届くのはしばらく後のことだった。