「あのっ、先ほどは未来が失礼なことをしてしまい、すみませんでしたっ!」
 響き渡る、悠音の声。
 未来が吹っ掛けた勝負をするにあたって、仁美と真里、そしてその二人の助っ人をすることになった悠音は、部室隣の空き教室へと移動してきていた。
「まあ……あなたも巻き込まれた側だと思うし、同情するわ……」
 頭を下げる悠音に対して、仁美は苦笑いを浮かべていた。そもそも悠音と早千代は普通に入部するつもりだったのだから、未来のワガママに巻き込まれた被害者なのだ。それを分かっているからこそ、仁美は悠音が気の毒で仕方が無かった。
「本当にすみません……勝負の結果がどうであれ、未来のことは私たちがしっかり説得しますので……」
 一度何かをすると決めたらそれを決して曲げないのが未来の長所なのだが、それは同時に短所でもあり、今回は悪い方向でその性格が表れてしまった形となった。だからこそ未来を説得するのならば勝負に勝って納得させるのが一番確実であると、悠音は考えていた。
 そんな悠音の苦悩もつゆ知らず、真里は握り拳を天に掲げ、勝負に向けて闘志を燃やしていた。
「どうであれ……やるなら勝つよ! ねっ、仁美! 悠音ちゃんも、よろしくね!」
「ねっ、って……なんであなたそんなに自信満々なのよ……。まあ、私も負けたくないし全力でやるわ」
 二人の決意を聞いて、安心する。
「はいっ、そうですね! やるなら、勝ちましょう!」
 ならば自分も足を引っ張らないように頑張ろうと、悠音は決意を新たにした。
 勝負で歌われる曲は、公平を期すために全員が知っている曲がいいだろうということで、『Nコン2016中学の部』の課題曲「結-ゆい-」となった。
 悠音としては未来や早千代とはよく一緒に歌っている曲だったが、会ったばかりの上級生と合わせる経験はあるはずも無く、不安と……しかしそれを上回る程の高揚感とで胸がいっぱいだった。
「それじゃあ、一回合わせてみましょうか。真里、音源の準備はいい?」
「おっけー!」
 真里がCDプレイヤーの再生ボタンを押して、演奏が始まった。
 最初はお互い手探りで崩れたところもあったが、サビに入る辺りには慣れてきて、呼吸も重なるようになってきた。そのまま最後まで歌い切ってから、大きく息を吐く。
「まあ……こんな感じかしらね。ごめんなさいね。私たち、佐野さんたちみたいに実力あるわけじゃないから、がっかりさせちゃってたら」
「そんなことないですよっ! お二人とも素敵な演奏でした!」
「そう? えへへっ」
「もう、お世辞に決まってるでしょ。なんでも素直に受け取らないの」
「いえ! 本当に素敵でした! ただ、その……」
 悠音が褒めたのは決してお世辞などでは無い。二人とも、佐田中で一緒に合唱をしていた友人たちに勝るとも劣らない実力であると、本気で思っていた。
 ただ――
「ただ……お二人、もうちょっと声出ますよね?」
「ほら! さっそく厳しいコメントが……!」
「うぅ……」
 落ち込む真里を前に、悠音は慌てながら言う。
「あっ、違うんですっ。そういう意味じゃなくてっ! その……お二人とも、私に遠慮しているのかなって思って……」
 悠音の言葉に、仁美は納得がいったように頷いた。
「あぁ……そういうことね。私たちだけ声出してもバランス悪くなっちゃうから、少し抑えていたところはあったかもしれないわね」
 それを「やっぱり」といった面持ちで受け止める悠音。ならば……と、未来を真似して、少しだけ挑発する感じで、言う。
「じゃあ、お二人とも……全力で歌ってみてもらっていいですか?」
 その言葉に、仁美と真里は互いに顔を見合せて頷く。無言のままに真里がもう一度CDプレーヤーの再生ボタンを押し、曲が始まると同時に二人揃って息を吸い込み――。
「どう……だったかしら?」
 悠音の心は、大きく揺さぶられていた。
 ……それはきっと、努力の賜物である。
 仁美と真里は二人だけで大会に出たり、発表会を開いたりしていた。
 たとえ大して注目されなかったとしても、ならば少しでも多くの人に歌を届けようと、歌い続けた。
 だからこそ得たであろう、圧倒的な声量。それは、とても二人だけで歌っているとは思えない程のものであり、さらにはそれに加えて、発声や発音などが先程の演奏よりも明らかに良くなっていた。
 幼馴染同士、長い間共に歌ってきた者同士で信頼を寄せ合っているからこそ生まれた、お互いに支え合ってお互いを高め合う相乗効果。
 そんな二人の演奏に……二人の世界に引き込まれた悠音は、自然とその言葉を口にしていた。
「あのっ、私も一緒に……! もう一度、一緒に歌わせて下さい!」
 
* * *

「では、全員揃ったようなので始めましょうか。まずは私たちから」
 三人が音合わせを終えて音楽部の部室に戻ると、未来と早千代……そして審判を任されてしまい逃げるに逃げられなくなった少女が待っていた。
「そういえばあなた名前は?」
 未来に聞かれて、少女は怯えながら答える。
「ひっ……!? は、原田はらだ乃々ののです……」
「ふーん。ちゃんと審判してね、原田さん」
 まずは未来たちの番ということで、悠音もそちらに加わり、三人で並び立つ。
「えっと……それでは……始めて下さい」
 乃々がおどおどしながらCDプレーヤーの再生ボタンを押し、未来たちの演奏が始まった。
「すごい……これが東北大会出場レベルの演奏……」
「悠音ちゃんの演奏はさっき聴いたけど、三人揃うとこんなに素敵な演奏になるんだ……」
 寸分の狂いも無い、完璧に揃った演奏。仁美と真里はその演奏に聞き惚れていた。
「――はい、以上で未来さんチームの演奏は終わりとなります……」
「未来さんチームって何よ? もうすぐ私たち三人が『音楽部員』になるのよ!」
「ひっ……」
「……まあいいわ。……さて、それでは先輩方の番です。どうぞお願いします」
 仁美たちの番を待たずして勝ち誇った笑みを浮かべる未来。
 その思い上がりに心の中でため息を吐きながら、悠音は仁美たちの方へと移動する。
「悠音ちゃん、さっきの感じで歌っていいんだよね?」
「はいっ。全力でいきましょう!」
 真里に笑顔を向けられ、悠音も何だか楽しくなってくる。
「うぅ……何度立っても発表の場は慣れないわね……」
「ふふっ、仁美はいつも通りだね。なんとかなるって!」
「そうですよっ、実力は私が保証しますから。自信持ってください!」
「同じ励ましの言葉なのに……なんでかしら。悠音ちゃんのその言葉聞くと安心する。自信湧いてきたわ……!」
「……ねえ仁美、それ、どういう意味……?」
 緊張していた様子の仁美も真里とのやり取りで緊張がほぐれたようで、悠音も釣られて心が温まったような気がした。
 笑顔で並ぶ三人。そして音源が再生されると共に、演奏が始まった。
『「大人のために生きてるわけじゃない」と
うつむいた瞳には映らないけれど
見上げればこんなに青空は広いのに
どんなにがんばったって うまくいくわけじゃないけど
夢は描いた人しか かなえられないんだから
信じることあなたの中に 眠ってる力に気づいて
あきらめないで
無駄なことなんて なにひとつないって思い出して
僕たちはなにより強い絆で結ばれている』
 ――楽しい。
 悠音は、心の底からそう感じていた。 
 合唱は一人で歌うわけでは無いので、ただ大声で歌えばいいというわけでは無く、少人数でいい演奏を聴かせるためには、声量とそれをよく聴かせることのできる安定感の両方が必要になってくる。
 それを兼ね備えた、仁美と真里の迫力のある演奏。
 決して手を抜いていたわけでは無いが、未来たちと一緒に歌っていた時もここまで限界まで声を張った覚えは無く、二人についていくのがやっとである。
 ――それなのに、すごく楽しい。
 その感情は、今まで経験したことが無いことに対する高揚感からなのか、仁美と真里が楽しそうに歌うのが伝わってくるからなのか、それとも――。
 悠音がそんなことを考えているうちに、三人の演奏は終わっていた。
「終わった……のかしら」
「みたい……だね」
 仁美と真里もいっぱいいっぱいだったのか、だいぶ息があがっている様子だった。
「あのっ……先輩っ、すみませんっ。私、ついていくのがやっとで……」
「そんなこと……無いよ。悠音ちゃんのおかげで……最高の演奏が出来た。その証拠に……ほら」
 真里に促されて、悠音は未来たちの方を向く。
「こんなの……悠音、こんな演奏、私たちとだってしたことないのに……どうして……っ」
「……悔しいけど、私たちの負けみたいね」
 悔しそうにしている未来と早千代。しかし自ら負けを認めている早千代に対して、未来はまだ諦めていないようである。
「ま、まだ分かんないでしょ! 審査をするのは私たちじゃない! ね? 原田さん!」
「ひぃっ!? あのっ……そのっ……」
 未来に指を突き付けられて怯えている乃々。やがて自然と集まる皆の視線に耐えられなくなったのか――
「あのっ……ど、どちらも……いい演奏でしたっ。あのっ、すみませんでしたーっ!!」
 ――乃々は、泣きながらその場から逃げ出してしまった。
「あはは……審判がいなくなっちゃったし、今日のところは引き分けみたい……ね?」
 お茶を濁そうとする未来。――しかし。
「みーらーいー?」
「あの……早千代さん……?」
 物凄い剣幕で未来に詰め寄る早千代。
 素直に負けを認めないどころか審判を引き受けてくれた乃々を泣かせた未来に対して、流石の早千代も堪忍袋の緒が切れたようである。
 こうなったときの早千代は物凄く怖いということを、悠音はよく知っていた。
「ねえサチ、未来も反省してるだろうし……」
「悠音は黙ってて! ……この機会だからしっかりと言っておかないと!」
「あ、あはは……」
 その鬼の形相に対して、悠音は苦笑いを浮かべることしか出来なかった。
 ……その後、早千代の未来へのお説教は三十分程続き――
「あのっ、先輩方、本当に申し訳ありませんでしたっ!」
 ――深々と頭を下げる未来。鼻をすすりながら涙を流しているその姿を見て、仁美も真里も未来のことが何だか可哀想に思えてきた。 
「細谷さん、もう大丈夫よ……」
「あははっ、気にしないで、未来ちゃん!」
「戸髙先輩……っ、笹木先輩……っ。ありがとう……ございます……っ」
 早千代のお説教が余程堪えているのか、仁美と真里の許しを得て、未来は顔を上げ、泣きながら喜びを露にしていた。
「あはは……何はともあれ……これで三人とも、音楽部に入部ということでいいんだよねっ?」
「「「はいっ!!!」」」
 一年生三人の元気な声が響き渡る。
 夕日に照らされた窓外そうがいの神室山は、いつもより一際眩しく輝いているような気がした。
 最初の山場を乗り切った少女たち。
 しかし夢への道のりはまだ、始まったばかりである。