「えっと……汐莉ちゃん、でいのかな? 伴奏をやりたいって、つまり……ウチに入部したいってこと?」
「はいそうです! 近くで皆さんの人間関係を観察……じゃなくて! 一緒に全国を目指したいんです!」
仁美に問われて、汐莉は力強い言葉を返す。それを受けて真里は目を輝かせながら汐莉へと駆け寄り、その手を握る。
「ホントに!? 歓迎だよ! 是非入部して欲しいな! じゃあ早速入部届けを……」
早速真里が入部手続きを行おうとした……その時だった。
「ちょーっと待ったあ! 却下です! いくら悠音の推薦とはいえこんなヤバそうな子入れていいんですか!?」
「え、えーっと……」
困惑する仁美。しかし、未来の言わんとしていることが分からないわけでは無い。
「……汐莉、だっけ? まずアンタ、なんで……っていうかどうやってそんな所に隠れてたのよ!?」
それは他の五人にとっても気になる疑問だったようで、六人の視線が、汐莉へと集まった。
「えっと……休み時間の間に先生に自主練習がしたいって言って鍵を借りて扉の鍵を開けたままで返して、授業終わってすぐ部室に入って中から内鍵をかけた……っていう感じですね。理由は……そうですね、より近くで皆さんのことを見てみたかったから……ですかね」
何食わぬ顔で平然と言ってのける汐莉。
思わず後退りしながら未来が呟く。
「ねえちょっと平然とヤバいこと言うのやめて貰っていいかしら?」
「なるほど……考えたわね……」
「サチは感心しない! まったく……。……ねえ悠音、なんでその子なのよ? ピアノ引ける子なんて他にもいるんじゃないの?」
早千代にツッコミを入れつつ、未来は悠音へと問いかけた。
「アハハ……未来が言いたいことは分かるよ? でも私、実は去年たまたま観に行ったピアノコンクールで偶然汐莉ちゃんの演奏を聴いて……それでその時、感動したんだ。凄く心が動かされる感じがしたんだよ」
「あ、ありがとうございます。そう感じて貰えたなら嬉しい……ですけど、あの時は、その……」
褒められて照れる汐莉。だが悠音にはそれが、どこか浮かない表情をしているようにも見てとれた。
悠音がそれを指摘するかどうか迷っている間に、未来が汐莉に向けて言う。
「ふーん……まあ、悠音がそう言うなら実力は確かなのかも知れないけれど……それならどうしてわざわざうちの学校にきたのよ? 音楽系の学校に進むとか、合唱の伴奏やるにしてももっと強そうな学校入るとかあったんじゃない?」
「……違うんです。その……私、廃部寸前の弱小部が強豪校を倒して全国優勝を目指す、みたいな漫画やアニメが大好きなんです! 私も部活やるならそういうの経験してみたいな、と思いまして……!」
突然饒舌になる汐莉に対して未来は若干引き気味になりながら問いかける。
「え……? まさか……それで……うちに進学を?」
「はい。休部状態だった音楽部が去年から活動していたのは知っていましたから! 先輩方、去年のアンフェスに二人で出ていましたよね? 合唱連盟のホームぺージで確認して観に行ったんです! 部員が幼馴染の二人きり……そんな美味しいシチュエーション、しおが見逃すはずありません!」
キラキラと目を輝かせながら嬉々として言う汐莉。興奮しているのか鼻息も荒くなっている。
それを見て未来は引きつった顔で、隣に立つ早千代の耳元で囁いた。
「ねえサチ……この子ちょっと怖いんだけど……部室から追い出してもいいかしら?」
「こーら未来? そういうこと言わない。……まあ、怖いのは分からないことも無いけれど」
軽く未来の頭を小突きながらも、早千代も汐莉から少し距離をとる。汐莉はそれを全く気にせずにうっとりとした表情でさらに言葉を続ける。
「先輩方二人だけかと思ってたら四人も新入部員の方が入ってきたのは嬉しい誤算で……。やっぱりしお、この高校選んで良かったです!」
「な、なんか動機が不純な気もするけど……。でも入ってくれるなら拒む理由は無いんじゃないかな? ねえ真里?」
仁美に話を振られた真里は、少し考えてから、横目で未来の方を見ながら言った。
「んー……私もそう思うんだけどさ、ほら、うちの部のツンデレちゃんが納得してないみたいだから……」
「誰がツンデレちゃんですか! 誰が!」
「未来さん……それ、自分だって言ってるのと変わらないです……」
自ら被弾していく未来に対して、乃々が苦笑いを浮かべながら言う。
「うっ……。とにかく! 私はそんな適当な理由での入部は認めないわ!」
「えっと……では……どうすれば……?」
未来に指を突きつけられ、汐莉は困り顔で首を傾げる。
「そうね……。歌ってもらって……と思ったけどアナタ伴奏志望なのよね……。うーん……」
「あ、じゃあこういうのはどう? 課題曲を決めて、私たちは合唱を、しおちゃんは伴奏を練習して、それを合わせるの! そうすれば私たちもしおちゃんもそれぞれの実力が分かるし、実際に合わさってどんな風になるのか感じられると思う!」
未来の代わりに、真里が提案する。
「真里先輩にしてはまともな意見ですね……ってイタタタタ!」
「先輩に生意気なこと言う子にはこうだ〜! で? しおちゃんはどうする……ってしおちゃん!?」
未来の頭を小脇に抱えながらこめかみをぐりぐりとする真里。それを目にした汐莉は――鼻から血を流していた。
「どうしたの!? はいこれ使って!」
慌てて懐からポケットティッシュを取り出し汐莉へと差し出す仁美。
汐莉はそれで止血をして呼吸を落ち着かせてから、心配そうに顔を覗き込む仁美を手で制しながら言う。
「はぁ……はぁ……すみません……。想定外の供給でつい興奮してしまいまして……」
「え……?」
「ああすみませんこちらの話です。えっと……課題曲、でしたっけ。なら……提案があるんですけれど――」
* * *
「……でも、まさかこの曲を提案されるなんてね」
仁美が呟く。
汐莉が自らの入部テストに用いる曲として提案してきたのは、『君の隣にいたいから』――今年度のNコン中学生の部の課題曲である。
漫画やアニメの展開に憧れていると話していた汐莉のことなので、てっきりアニメの曲を提案してくると仁美たちは思っていたのだが、汐莉曰く――
「アニソン合唱……ですか? しお、あんまり好きじゃないんですよね。おかしいですか? 私はアニメの世界に浸りたいのであって、アニソンを合唱したいわけではないんです。アニメに浸るならやっぱり普通に観た方がいいじゃないですか? そしてより雰囲気を味わうには、しおがその登場人物の一人になるのが……つまり同じシチュエーションを体験するのが一番だと思うんです! アニメキャラが歌う曲は、そのキャラからすればアニソンじゃ無いんですよ!」
――とのことであった。
正直何を言っているかは理解出来なかったが、汐莉が並々ならぬこだわりを持っていることだけは分かった。
仁美たちも、普段あまり触れないような曲を歌うよりは、むしろ他の世代の課題曲を歌うことが良い刺激になるのではという意見でまとまり、入部テストの曲が決定した次第だった。
当の汐莉本人はと言うと、
「しおはまだ部員では無いのでおうちで練習してきます」
……とのことだった。
そんなわけで課題曲に取り組むことになった六人は、基礎練を終え、パート練習へと取りかかるところだった。
「楽譜、乃々ちゃんが持ってて助かったよ! 見せてもらうねっ!」
「はい、もちろんです。……楽譜集めは、半分趣味みたいなものですから」
悠音の言葉に、乃々が答える。乃々自身の入部テストの時もそうだったが、今回も乃々の鞄の中には必要な楽譜が入っており、楽譜集めにかける熱意が窺えた。
「楽譜集めか〜。そういう趣味があるって、なんか憧れるな〜。あれ? でも未来ちゃんも今回のは持ってたみたいだけど、もしかして同じ趣味?」
真里がそう言うと、未来はビクリと身体を震わせて、何故か明後日の方向を見ながらそれに答えた。
「い、いえ……私のはその……そう! 勉強です! 他の世代がどんな曲を歌っているか知るための! 決して間違って中学生のを買ったわけじゃ無いですから!」
「未来、それ自白してるのと一緒」
「うっ……。ひとみせんぱぁ〜い……」
早千代の追撃で撃墜された未来は、よろよろと歩いて仁美の胸元へと泣きすがる。
「はいはい、よしよし。次からは気を付けようね。……真里もあまり未来ちゃんをいじらないの」
「むう……私だけ……。はいはいママ分かりましたよ〜」
「誰がママよ!? まったく……そろそろ練習に入るわよ!」
仁美の一声で、六人は各パート毎に分かれての練習場所に向かおうと――した所で、足を止めた。
「ハァ……ハァ……本当に尊いですぅ……」
――理由は単純で、ピアノの下に汐莉の姿があったからである。
「いやなんでいるのよ!?」
「あ、お構い無く〜」
「あ、お構い無く〜……じゃないわ! だいたいアンタ練習は!?」
未来が言う通り、汐莉は家で練習してくると言っていた……はずだったのだが。
「しお、おうちにピアノあるので〜。ちゃんと家では練習しますよ〜」
部室に来ない、とは言っていなかったので、汐莉は別に嘘は言っていない……のだが。
「家では、って……。まあ練習足りなくてもアンタが自分の首締めるだけだから構わないけど……。……まあ、後悔だけはしないようにね」
「……優しいんですね、未来さん」
「違っ……!?」
「……でも、本当に大丈夫です。しお、家ではどのみちピアノを弾いてなきゃ……ですから」
「え……? それって――」
一瞬、汐莉の表情に差した影。だが未来がそれに言及するよりも先に、汐莉は顔を緩ませて恍惚とした表情で言う。
「それに、皆さんの様子を観察することが、しおのモチベ向上にも繋がるんですよ〜!」
「はぁ……。まあいいわ、邪魔さえしなければ……」
とうとう折れた未来。その言葉に、汐莉は満面の笑みを浮かべた。
「はいっ……!」
結局汐莉はそれからの一週間、毎日部室に顔を出してはピアノの下で人間観察を満喫していたのだった。
* * *
週明けの月曜日。部室では約束通り、汐莉の伴奏付きでの合唱……汐莉の入部テストが行われようとしていた。
「じゃあ早速……合わせましょうか。汐莉ちゃん、準備は良い?」
「はい、大丈夫です。……しおの合図で始めていいんですよね?」
「うん。あはは……なんか私の方が緊張してきたかも〜」
「こら真里、真面目にやるっ。……来るわよ」
汐莉が鍵盤に指を掛ける。
「……!」
真里には、その瞬間、汐莉が纏っている雰囲気が……ふわふわしたものから鋭いものへと変わったように見えた。
そして音色は――奏でられる。
『縦結びになったスニーカーの紐 直すこともせず
今日もただ歩いてる
だらしない私の隣に 背筋の伸びたいつもの君
ちゃんと上手にやれたかな
ちゃんと思いやりを持てたかな
ちゃんと優しくできたかな
鏡に映る私に今夜も問いかける
君がまっすぐ ただまっすぐに
飛ぼうとしてる姿見てると
時々不安になるけれど
いつまでも胸張って君の隣にいたいから
君のやつほど立派じゃない羽 精一杯広げて
自分の空を探すよ
君を馬鹿にする奴がもしもいるなら
そんな奴気にすることはない
そんな奴の言葉に
律儀に傷ついてあげることはない 優しい君でも
いつも見てたから分かるよ
うまくいかないこともあったけれど
どんな時でも前を向いてる
そんな君みたいになりたくて
まっすぐ ただまっすぐに
私が前だけ見ていられるのは
そこに君の背中が見えるから
いつも輝いてる君が見えるから
君がまっすぐ ただまっすぐに
飛ぼうとしてる姿見てると
時々不安になるけれど
いつまでも胸張って君の隣にいたいから
君のやつほど立派じゃない羽 精一杯広げて
自分の空を探すよ』
――歌いやすい。
それが、曲を歌い終えての、六人共通の感想だった。
合唱の伴奏は、ただ楽譜通りに弾けば良い……というものでも無い。
あくまでもメインは合唱で、ピアノはその引き立て役に過ぎない。しかし、同時に欠かせない土台でもあるのだ。
歌い手のバランスが崩れた時、それを上手く支えられる存在があるとすれば、それは伴奏という土台なのだ。
そして六人はその存在を――汐莉の存在をひしひしと感じた。しっかりと支えられながら歌った。……それは同時に、あることを意味していた。
――レベルが、違う。
綺麗に揃った箇所が無かったわけでは無いが、音程なり強弱なりの些細なズレによって綺麗なハーモニーにならない箇所の方が多かった。それを汐莉が上手く支えていたため、傍から聴いていれば違和感が少なかったかも知れないが、歌っている本人たちにはズレが大いに自覚出来た。
つまり、汐莉の伴奏が入ったことによって、今までよりも急に歌いやすくなったことは、「まだ実力が足りない」ということを表しているのである。
「どう……でしょうか……?」
自信なさげに、汐莉が尋ねる。その雰囲気は、元のふわふわした状態へと戻っていた。
「えっと……」
言い淀む仁美。何て言ったらいいのかが分からない。それは他の皆も同様であった。……だがその中で、真里だけは――
「凄かった!」
笑顔で、素直な言葉を口にした。
「凄かった、ってそんな小学生みたいな……」
仁美が苦言を呈するが、真里は悪びれた様子も無く答える。
「だって凄かったじゃん! 仁美もそう思わなかった?」
「それはもちろんそう思ったけど……」
「なら今はそれでいいんじゃないかな? いやそりゃ私も合唱まだまだだな、とか思うところはあるよ? でもさ、逆に当たり前とも思わない? だって六人で歌うようになってからまだ半月も経ってないんだよ? これで完璧だったら最早練習いらないよ。だから上手くなるために練習するんでしょ? 自信を失くすことと目標を掲げることは違うよ!」
「真里……。確かに……そうなのかも。今私たちがやるべきことは下を向くことじゃない……前を向いて、歩き出すこと……だよね」
真里は仁美の言葉に大きく頷く。そして未来の方に向き直って、言う。
「ってことで私はしおちゃんの頑張りを認めてあげたいんだけれど……どうかな、未来ちゃん」
未来は少しだけ考えてから、ゆっくりと口を開いた。
「あんな凄い演奏されて……そんなもの見せられて、断れるわけ無いじゃないですか。……汐莉、歓迎するわ。ようこそ音楽部へ。これからよろしくね」
「はいっ! ありがとうございます!」
こうして汐莉は、未来のお眼鏡に適って入部テストに無事合格することが出来たのだった。
「というかいつの間にか未来ちゃんに権限が……まあいっか! とにかくこれで体制は整ったもんね! 頑張っていこー!」
いつものように笑みを浮かべながら元気いっぱいに、真里が。
「いやいや部長はちゃんと真里先輩ですから、しっかりして下さいね。私たちもちゃんと支えるし駄目なとこは駄目って言うので。……目標はただひとつですから」
手厳しい言葉を真里に向けつつ、未来が。
「後は練習あるのみ……です……!」
拳を握り締めながら、乃々が。
「実力不足を思い知りましたからね……。もっともっと頑張らなくては」
眼鏡を直しながら、早千代が。
「無理は禁物……だけどそうも言ってられないかもね。日程、再調整しなきゃね」
ノートを開きながら、仁美が。
「お姉ちゃんを越えて……全国の舞台へと立つために……!」
そして悠音が、姉という存在を強く意識しながら。
六人それぞれが、改めて決意を言葉にする。
「だからしおちゃん……一緒に……この山を登ってくれるかな?」
悠音が差し出した手。その手をしっかりと握る汐莉の顔には、晴れやかな笑みが浮かんでいた。
「はいっ……! 不束者ですが……どうぞ皆さんよろしくお願いします……!」
人生は、無数の分かれ道で出来ている。
進んだ先の道で仮に雨に打たれたとしても、決して引き返すことは出来はしない。
……それでも、雨の後には必ず、七色の虹が架かるから。
分かれ道を楽しみながら進めば、きっと聳え立つ山を越えていくことが出来るから。
雲をも越えて、遥か高くへと。希望が示すその先へと。
――天翔けて、虹の彼方へと行こう。
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