十一人は、全力で走っていた。 「まるでサッカーチームみたいだね!」 「真里先輩、キーパーは走りません!」 「未来、ツッコむ所そこじゃないから……」 仁美は、早千代の指摘に激しく同意だった。真里のネタに付き合っている程の余裕は無いほどに切羽詰まっている状態である。 会場に着いてご飯を食べてゆっくりして……などと考えていたのに、開会式に間に合うかどうかすらギリギリといった時間になっている。 「そもそも真里があんなメッセージ送るから!」 仁美の言うメッセージとは、真里の「霞城公園の門の前に集合」という文章のことである。霞城公園は門が複数個あるため、どこの門かまで書かれていなかったため皆バラバラの場所に着いてしまったのである。 ……ということを汐莉から聞かされた時には、流石の真里も反省していたようだったが―― 「いやー……でもミラちゃん、西門は無いでしょ」 「だからミラちゃんって呼ぶの――」 「ミラちゃん……ププッ……私もミラちゃんって呼ぼうかしら」 「佳子! アンタは黙ってなさい! ……私の第六感がそこって言ってたんだから仕方無いんです」 「……それ、ただ迷ってただけとちゃう?」 ――などと、二高の部員と共に軽口を叩いていた。 怪我の功名とはよく言ったもので、ある意味では交友を深めることが出来たと言えるのかもしれない。競い合う相手としてだけでなく、同じ合唱が好きな者同士で交流することは良い影響を及ぼすのでは無いかと、仁美は考えていた。 「えっと……確か会場前で伊藤先生が待ってくれているんですよね?」 乃々が言う。 「うん。さっき電話もしたし間違いないと思うよ。じゃないと会場内で迷って本当に遅れる可能性もあるからね。ご飯も用意してくれてるって。……まあ、流石にちょっと怒ってる感じだったけど」 「大丈夫よ悠音。その場合は真里先輩を生贄にしましょう」 「ねえちょっと!?」 ……などと話している間にも、会場までやってきた十一人。 入口の付近に立っている人影を見つけて――先頭を走っていた汐莉が、足を止めた。 「わっ!? しおちゃんいきなりどうしたの? あれってしょこちゃん先生じゃ――って、あれ……?」 続けて真里も足を止める。その視線の先には神室女子高校音楽部顧問の伊藤翔子――と、彼女と親しげな様子で話している女性の姿があった。 「あの人誰だろうねしおちゃ――ってしおちゃん!?」 真里が驚くのも無理は無い。女性同士の絡みに目がないはずの汐莉が、見たことも無い表情でその様子を見つめている。見つめている――というよりは、睨んでいる、と言った方が正しいのかもしれない。 「ん? あれって……」 唯が呟く。 「知ってるの? 唯ちゃん」 「知ってるも何も――」 悠音が問いかけると、唯は一拍置いてから、言う。 「あの人、ウチの顧問なんだ」 「え!? 顧問って、山形二高合唱部の!?」 「うん」 「そうなんだ……。伊藤先生、そんな人と知り合いだったなんて知らなかったな」 ……と、悠音が大声を出したからか、二人がこちらに気付いたようで近付いてくる。目の前まで来た所で―― 「あの!」 汐莉が、声を張り上げて言う。 「お二人は、どのような関係なんですか!?」 「急にどうした汐莉、血相変えて……。どのような、って……まあ腐れ縁ってやつだよ」 しかし汐莉は納得いかない、といった様子である。どうしたものかと翔子が頭を抱えていると、隣に立つ女性が何かに気付いたような笑みを浮かべながら言った。 「ははーん……。――汐莉ちゃん、だったな? アタシは天童茜、二高合唱部の顧問だ。大丈夫、アタシと翔子は本当にただの腐れ縁だから。……それにアタシには、お気に入りがいるし……なあ鬼塚!」 茜が声をかける――も、反応が無い。というより、仁美たちにとってそれは全く聞き覚えの無い名前だった。 しかし二高の面々にとっては知った名前のようで、唯と佳子は苦笑いを浮かべ、伊万里は今にも吹き出しそうな程に笑いを堪えている様子だった。 「あれ……?」 そこで真里は、ふと気付く。 ――三人。 四人いたはずの山形二高のメンバーが三人しかいない。そして鬼塚という名前に返事をする者がこの場にはいない。――つまり。 「ほらほら、そんなとこに隠れてないで出てこいって鬼塚!」 びくっ……と、ツインテールが揺れた。観念した様子で、仁美たちの後方の柱から、夢叶が顔を出す。 「その呼び方やめて下さいって言ったじゃないですかぁ! ボクは夢叶! ゆ・め・か! ゆめちゃん、が一番だけどせめて夢叶って呼んで下さい!」 そんな悲痛も意に介さず、茜は夢叶の下に駆け寄ると――その身体を、ひょいと抱き上げた。 「んー……相変わらずちっこいなあお前は! 妹そっくりで愛くるしいよ!」 「やめて下さいってばぁ! いくら先生でも怒りますよ! ねえ! あっ、ちょっ、頬擦りやめなさいってば!」 姉妹……というより身長差も相まってまるで親子のようである。 そんな様子に苦笑いを浮かべるしかない仁美たちだったが、それとは裏腹に、汐莉は安堵の表情を浮かべていた。 「良かったです……。――あれ? しお、なんで安心して……。……いやそれよりも! 新しい可能性が目の前に広がっているんですからちゃんと目に焼き付けなきゃです!」 ――と思ったら、いつも通りの様子だった。 『間もなく、開会式を行います。出演団体の皆様は、ホールに集合して下さい』 会場のアナウンスがかかると同時に、皆同時に我に返り、駆け出した。 「ほら急げお前たち! あと笹木、お前は後で勉強会な」 「え!?」 真里に罰が下ったことを密かに喜びながら、仁美は合唱祭本番へと思いを馳せていた。 * * * 「うぅ……緊張してきた……」 舞台袖で順番を待つ神室女子高校音楽部。 出場団体の半分程が演奏を終え、次は仁美たちの番である。 仁美は合唱祭を楽しみにしていた。去年まではほとんどこういったイベントに出演出来なかったのもあって、今日という日が楽しみだった。 ――しかし、直前になって、楽しみよりも不安の方が勝ってしまっていた。 元々仁美は不安症である。それでもこれまでは何とかやってきたが、部として、チームとして挑む初めての大きな舞台。 正直逃げ出したくなる程の思いで、仁美は胸を締め付けられていた。 「あ……この団体も大人数だね……。あはは……やっぱり私たちってちっぽけだよね……」 その思いは、表情に、言葉に出てしまい、自分だけでなく、後輩たちをも不安にさせてしまう。 特に乃々は、仁美以上に顔を青くして俯いてしまっていた。 しかしそんな中で、真里は言う。 「もうすぐ私たちの出番……楽しみだね!」 強がっているようには見えない。心の底から、ステージに立つことが楽しみで仕方が無い、といった様子である。 「なんで真里は平気なの!? 他の団体見てたでしょ!? どこも人数たくさんいて場馴れしてて息も揃っていて……。私は……怖い……!」 思わず声を荒げてしまう仁美。舞台袖なので声量は抑えたままだったが、その感情はとても大きく荒ぶっていた。 ――しかし、真里は。 「……たしかに、私たちは七人しかいないよ。ピアノのしおちゃんを抜いたら六人……各パート、二人ずつしかいない。――でもさ、逆に、『七人も』いるんだよ?」 「え……?」 「仁美も覚えてるでしょ? 去年私たちは二人だけだったから、アンフェスにしか参加出来なかった。頑張りはしたけど二人だけじゃパートも足りなくて全然ダメだった。でもそれが今は、七人もいるんだよ!?」 真里は、満面の笑みで話を続ける。 「ソプラノに悠音ちゃんと乃々ちゃんがいて、メゾに仁美とさっちゃんがいて、アルトに私と未来ちゃんがいる。その上しおちゃんっていうピアノ奏者までいるんだよ? それってさ、すごく幸せなことだと思わない!?」 不幸を嘆いていても意味は無い。幸せは、自分自身で見出さなくてはいけないことだから。 真里の想いが、仁美たちの心を、大きく揺さぶる。 「他と比べたら人数は少ないかも知れないけれど、それでも、私たちは一人じゃない。二人だけでもない。七人もいるんだよ! 想いの強さなら負けてないんだもん。私たち一人一人が持っている一つの色が、七色も重なればさ、それはきっと大きな――虹みたいになるんじゃないかなって!」 ――そうだった。 真里は、いつもそうなんだ。欲しい言葉で、いつも背中を押してくれる。 普段はだらしないけれども、こういう時には、とても頼りになる。 だから―― 「ありがとう、真里。もう大丈夫」 ――仁美は、素直な言葉を、真里に告げていた。 仁美だけでは無い。程度の差こそあれど沈みかけていた気持ちを、真里の言葉で救われた一年生たちも、次々に感謝の想いを口にする。 真里は少し照れたようにはにかみながらも、前の団体が退場を終えたのを見て、六人を近くに呼び寄せて円陣を組むように指示をする。 「さあ行こう、皆。私たちのステージに――虹を描きに!」
人差し指で、宙に曲線を描く真里。続けて、六人もそれに倣う。 それはまるで――虹の軌跡のようだった。 『続いての演奏は神室女子高等学校音楽部、星野源作詞・作曲『アイデア』と、工藤直子作詞、三宅悠太作曲『にじのうた』です。伴奏は、矢吹汐莉さんです』 アナウンスが流れ、七人がステージ上へと姿を現した。 ――仁美は、安心していた。 不安だった気持ちが嘘のように晴れている。それはまるで、雨上がりの空のように。 舞台袖から舞台中央へと、確実に歩を進めていく、七人。 ――真里は、喜んでいた。 仁美が、皆が笑顔になってくれた。最高の仲間たちと共にステージの上に立てることが、とてもとても、嬉しかった。 それぞれが位置に付き、客席の方へと向き直り、礼をする。 ――悠音は、楽しんでいた。 真里の言葉が、「合唱を楽しむ」という気持ちを思い出させてくれた。今からまた歌えることが、とても楽しみだった。 拍手が止むのを待ってから、汐莉がピアノ椅子へと腰を掛ける。 ――汐莉は、ドキドキしていた。 これまでの自分は一人で演奏をしていただけだったが、今は違う。誰かと一緒に演奏をする。だれかと一緒に音を作る。その音をステージで発表することに、胸がとても高鳴っていた。 ピアノの譜面台に譜面が置かれないことに、一部の観客がざわつく。視線が集まり、注目が大きくなる。 ――未来は、昂ぶっていた。 佐田中時代に立ったステージとはまた違う感覚。真里の言った言葉――自分という色。それを発揮出来るこのステージに、心が昂ぶっていた。 仁美と汐莉が視線を交わす。指揮は無いため、それが合図で前奏が始まる。 ――早千代は、驚いていた。 去年まで立っていたステージもたしかに充実したものだったが、今はまた、違うものを感じていた。喜び、昂ぶり、期待。そんな感情を抱いている自分自身に対して、とても驚いていた。でも全く――嫌では無かった。 ブレス。そして歌い出し。一つ一つの色が、積み重なって音を紡ぎ出す。 ――乃々は、震えていた。 真里の言葉にたしかに心は揺さぶられたが、実際にステージに立つと、足が震えてしまう。東京にいた頃は五倍以上の大人数でステージに立っていたため、どうしても会場が広く見えてしまう。足の震えは、声の震えへと繋がり、自分が音程を外したことに気付いてますます縮こまってしまう。 ――だがその時、制服の裾に、仄かな熱を感じた。 視線だけを移動させると、隣に立つ悠音が乃々の制服の裾を指先で掴んでいる。 普通であれば、制服を掴まれただけで相手の熱を感じるはずは無い。 だがこの時乃々は、たしかな熱を――悠音の、「大丈夫だよ」という想いを感じていた。 客席に視線を戻し、目を見開く。 怖さは完全には消えないけれども――それでも。「楽しみたい」という気持ちが、怖さを少しずつ塗り潰していく。 重なる呼吸。重なる想い。重なる色。 彼女たち七人のステージには、七色の虹が架かっているようだった。 * * * 『それでは、開票結果が出ましたので、後半の部のアンコール演奏の団体を発表します。前半の部と同様、投票上位の二団体にお願い致します。まず、山形第二高等学校合唱部の皆さん。それから、神室女子高等学校音楽部の皆さんです』 大きな拍手。山形二高合唱部の生徒たちが、客席から階段でステージの上へと上がっていく。 「やっぱり凄かったもんね〜!」 興奮しながら、真里が言う。 七人が自分たちの演奏を終え客席に戻った時、丁度山形二高の合唱が始まった。人数が五倍以上いるのもそうだが、何より一人一人の技術が高かった。 仁美たちも自分たちの演奏には満足していたが、それでもやはり大きな差を感じてしまうほど、その演奏に魅了された。 佳子が、伊万里が、夢叶が、その団体の一員となって素敵な音を紡いでいた。 唯に至っては、経験を、と言う意味もあるのだろうが一年生ながらにソロを務めており、悠音と乃々はとても驚いていた。 後半の部ラストだったということもあってか、退場後もしばらく拍手は鳴り止まなかった。 それほどに観客の心を魅了した山形二高なのだから、アンコールに選ばれるのは当たり前のようにも思えた。 「そんな二高と私たちが……これは流石に同情票だよね……」 苦笑いを浮かべる仁美。 出場団体最小の人数、女声のみ、指揮者無し、活動二年目などなど、仁美たち神室女子には同情を集める要素が多々あった。 演奏が終わった後の拍手は大きく、そして暖かったため、少なからず純粋な票はあったのかもしれないが、それでも他団体と比較してまだまだだということは、仁美たち自身が誰よりも強く実感していた。 「それでもいいんじゃないかな」 真里は言う。 「同情だってなんだって良いよ。だってまた、ステージに立てるんだよ? 私はそれだけで――嬉しい!」 そのポジティブさに仁美は半ば呆れながらも、その口元には笑みを浮かべていた。 「真里はほんっと……。でも、そうよね。折角なら、楽しまないと損だもんね」 「そうだよ! 楽しみながら、少しずつ経験を積み重ねて、Nコンの舞台でおっきな虹を描くの! それが、きっと『私たち』なんだよ!」 真里が、仁美が、悠音が、汐莉が、未来が、早千代が、乃々が、笑顔を浮かべて、ステージの方を向く。 『山形第二高等学校合唱部の皆さん、ありがとうございました。続いて、神室女子高等学校音楽部の皆さん、お願いします』 誰からともなく、人差し指を構える。 「さあ行こう、皆。もう一度、何度でも! 私たちのステージに――虹を描きに!」 宙に、七色の軌跡が――虹が架かる。 今日よりも明日。 明日よりも明後日。 日々、一輪ずつ積み重ねながら。 少しずつ、大きな虹を――描いていこう。
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