2016年05月29日



2015年03月10日

モデルのリンジーペラス。

d730eabb817bbfb2fc23184b47315c045c7cbe8cb271e7e80d47f713904ad240pelas-lindsey9LindseyPelas-4U2B11881LindseyPelas-4U2B0728





2015年01月07日

作家・角田光代さんインタビュー (転載 日本経済新聞)

「無個性」な文章への目覚めが私を変えた 作家・角田光代さんインタビュー


 『八日目の蝉』が130万部を突破、先ごろも柴田錬三郎賞、泉鏡花賞を受賞するなど、めざましい活躍を続ける小説家・角田光代さんは、しかしというかだからというか、本当にまじめに作品を作っている。
平日の9時から5時はパソコンに向かい文章を書く生活を続け、締め切りの半月前に原稿が上がっている状態も
「時間がなくて思い通りに書けなくなるのがいちばん怖いので、前倒しにしているんです。時間がなくならないように」
と話す。

 「私、たぶん仕事が好きなんですよね。仕事って捉え方がいろいろあって、ちょっとの労力で多くを得ようとする人もいれば、周りの声を聞いて反映しようとする人もいる。さまざまな仕事論があると思うんですが、その中で、私はものすごくまじめにやりたいんです。例えば、100やって(返ってくるのは)50くらいかな、と。100やって1000返ってくるのは嫌なんです。100返ってくるのも何か信じられない。その時に、100やったのになぁと思わないのがいい仕事だと思っていて」

 ボクシングを描いた角田さんの最新作『空の拳』にも「仕事を究める瞬間」が出てくる。人が何かに集中するときの、周りの雑音が届かないほどの高みが描かれるのだが、似た境地を角田さんは過去の作品『くまちゃん』では、次のように描写していた。

■珍しく自らの考えを小説に反映

 「何かをやりたいと願い、それが実現するときというのは、不思議なくらい他人が気にならない。意識のなかから他人という概念がそっくりそのまま抜け落ちて、あとはもう、自分しかいない。自分が何をやりたいかしかない。だれが馬鹿だとか、だれが実力不足だとか、だれがコネでのしあがったとか、だれが理解しないとか、だれが自分より上でだれが下かとか、本当にいっさい、頭のなかから消え失せる。それはなんだか、隅々まで陽にさらされた広大な野っぱらにいるような、すがすがしくも心細い、小便を漏らしてしまいそうな心持ちなのだ。自分を認めないだれかをこき下ろしているあいだはその野っぱらに決していくことはできないし、野っぱらを見ることがなければほしいものはいつまでたっても手に入らない」(『くまちゃん』より)


 これらには、通常は小説に書かない角田さんの考えが、珍しく反映されているそうだ。

 「『空の拳』や『くまちゃん』では、人が何かを究めることについて書いたから、どうしても雑音とは関係のないところだとか、一人で行かなければならない場所とかいう話が出てきたんだと思う」

 『空の拳』で、角田さんは初めてスポーツを題材に小説を書いた。登場人物が男性ばかりというのも角田作品では異例だが、それに関しては「私はずっとダメな男しか書かないと言われて、言われ飽きてたんです」と言う。ほぼ男性しか出ないような小説を書くことが達成でき、「今までの自分のテリトリーの外に出られて楽しかった」と。なぜ、スポーツを描こうとしたのだろう。

「大きいのは三浦しをんさんの『風が強く吹いている』を読んだこと。すごく面白くて、駅伝選手の動きが目に見えたんです。しかも、しをんさんは運動しない。するしないにかかわらずこんなに書くなんて言葉ってすごいな、と。その時初めて、動きを書きたいと思った」

 話より動きを書きたかった作品だが、書き始めると、今まで自分でもボクシングジムに通い、試合も見ていたのに、本当には見ていなかったのだと気づいたそうだ。

 「書くなら、単純だけど単調でなく、きれいなスポーツでもあるボクシングをと思っていましたが、前に見た時にはわちゃわちゃ動いているのを、音を聞いて判断したり、最後の一撃で入ったと理解したりしていた。細かく書くとなるとどう動いているかわからない。なので、ユーチューブにあるボクシングの試合をスローで見て、左ジャブ、右ストレートと全部書きだしてみたりした。頭で書けても実際にできない動きにならないようにすごく注意したのは、大変だけど楽しかったですね」


■デビュー時は文体で勝負する作風を追求

 近年も得意分野の外にある作品に挑戦する角田さんだが、そもそも、昔から幅が広い小説家である。20代でデビューした頃は純文学作家だった。今のように読者を引き込んで読ませる作風とは異なり、あえて1行ずつに目を止めさせて、物語ではなく文体で勝負する中編小説群を書いていたのだ。

 2002年に刊行した『空中庭園』では自分に近い立ち位置からではない連作小説を作り、2004年には初の長編『対岸の彼女』を発表した。この作品で直木賞を受賞した後には集中的に短編を書き続け、その後は長編を中心に書いてきた。なぜ、これほどいろんなことに挑戦し続けてきたかを問うと「目指すスタイルがなくてずっと苦しんでいたから。まずいと思ったら変えて、ただ、のたうちまわってきただけ」と角田さんは答えた。

 「20代の頃は1年に1作ぐらい、しかも中編小説を書いていれば良かった。でもだんだん需要がなくなってきた。このままだとやばい、自分でも面白いものが書けてないし何かループしてるなという感じがあって、これは変えなければならないと考えて『空中庭園』や『対岸の彼女』のほうに行ったわけです」

 当時の出版社側には、直木賞に近いところにいる作家だからとにかく書かせろという思惑があった。

 「ちょうど私も、今までの方法を変えて、つけてこなかった筋肉をつけなければならない、何年か量を書かなければと思っていた。だから小説の依頼は何一つ断らずにやっていたんですね。3、4年たって、そろそろ筋肉はついた、こんなに短編を書かなくてもいい、と思った。短編が書けるようになると書ける範囲もわかって、書けちゃうんだから(というだけで)書いてもつまんないじゃないか、この筋肉はもう鍛えないでいい、と考えるようになったんです」

 今度はもっと大きな筋肉をゆっくり育てなければ、と長編にシフトしたそうだ。

 「何も考えず、ただ何かを書きたくて作家になろうと決めてなってしまったので、目指すスタイルがなかったんです。他の方を見てると、デビューした時から自分のスタイルがあったほうが、完成形もちゃんと思い描けたりもする。で、そこを究めていくわけですよね。自分にはあまりにもそういうものがなかったので、書くのがどんどん苦しくなってくると方法を変えよう、となっていった。その時には『次はエンタメに行こう』なんて戦略も何もないわけです。何かおかしい、変えなきゃ変えなきゃ、このままだと自分が苦しい、ということの繰り返しでした」

■20代と30代の悩みと変化

 「書かずに悩めない」性分なので、悩みの推移はすべて作品に刻まれることになった。

 「20代で純文雑誌に書いてた頃は、自分自身が本当につらかったんですね。書けば書くほどのびのびできない。何かにとらわれていてすごく不自由にやっていて、しかも、自分から出てくるものが前の焼き直しにすぎない。そんな意識があったので、初めて違うところで小説を書けた時には『あ、こっちがあったのか』と言うか。実際の山には絵と違い、近づいたら裏も奥行きもあるんだなと気づいたようなものです」


 30代は、変わるにはいい年齢でもあった。

 「30代にはもう若者ではいられないですよね。だから、いわゆる小説誌と分類される雑誌で書くようになる中で文章も変えていった。今もそうですが、書き手の名前を伏せて一文を抜いた時に誰の文章かわからない、無個性な文章を書こう、と。すると、文体の個性で読ませる、立ち止まらせる小説と違って、物語が具体的にはどう起きたのかをよりしっかり書かなければならないので、物語の背景となる知識を勉強しなければリアリティーのある話は書けない、とよくわかりましたね」

 文体を変え、平明な言葉で複雑な物語を展開してから、角田さんは生まれ変わった。

 「『空中庭園』の前までは、たぶん自分のことを書いてたんですよね。自分の文体を意識もしていたし、文体とは何かもすごく考えていた。ただ、それを究められない中で、まずは『空中庭園』を書いて楽になったんです」

 9時5時の習慣を始めたのも偶然その時だと言うが、30代には、すべての面で今までと違うことをしなければと思っていたそうだ。

「そこでたまたま『対岸の彼女』の仕事を頼んでくれた編集者に『ページをどんどんめくりたくなるような小説を』と言われたのが、本当に新鮮だったんです。そんな小説ってあるのか、と。考えてみるとあるんですね」

 どんどんページをめくりたくなる小説を書くには、それまでの書き方では引っかかってしまう、と気づいた。

 「前はむしろ、引っかかるように書いていた。でも引っかかるところをそぎ落としたら、そぎ落とした方が文章は早く伝わるな、と。物語の輪郭がはっきりしている場合は早く伝えた方がいい、立ち止まらせてはいけない、とわかったので、そこからは、基本的に短く簡潔な文章を心がけています」

 角田さんは、仕事の成果物でもある小説について「人を楽にしたりも変えたりも救ったりもしない、何の為にもならない、私は救われたことはない」と捉えているという。

 「本当につらい時、音楽をがっと聴いて救われたことはある。小説ではそれはない。ただ小説って読んでる間だけどこか別の場所に行かせてくれるから、救ってはくれないけどそばにいるみたいなものなのかな、と思ったんです。教養が記されるわけでも、人生の解答が書かれるわけでもない」

 それでもふと、本が生活の傍らにあることについて考えたことがあったそうだ。


 「ラオスのホームレスタウンにいった時、商店が何軒かあったんです。ホームレスの人たちが集まる場所だから必要最小限のものしか売っていない。青空床屋があったりとか。その中に本屋があったんです。べらべらのわら半紙みたいな本がわちゃーっと広げて置いてある。そこではだしの、おしりを半分出したような子が本を読んでいるのを見て、あ、と思ったんですよね。水とかに比べたら、本なんて全然要らないじゃないですか。でも、食料品店の中に本屋が併設してあるのを見た時には、何かいい光景だな、と思ったんです」

■リアリティーを大切に

 今の角田さん自身の、読者との関係はどのようなものかと聞くと、「気が弱いので、人にいろいろ言われると打たれ弱いんですよね」という言葉が返ってきた。『八日目の蝉』がミリオンセラーになるほど大ヒットした後に今までの読者層とは違う反応もあり、正直なところ、困惑したという。

 「想像できないほどの量の人に読まれると、ふだん小説を読まない人も含めて、本当にいろんな反応があるな、とわかった。ネガティブな声も真に受けすぎちゃって、そういうのにいかに触れないようにするか考えたりもしました。前より、書くのが怖くなった」

 雑音とも戦わねばならない中、書く時に最も大切にしているのは何だろうか。

「やっぱり、リアリティーですね。自分にとってウソっぽくないことを信じるしかない。ウソっぽい時ってちょっとズルしているんです。楽をしていると言うか。どうしても会わない男女をぶつけて会わせるとか、それはズルじゃないですか。だから会わなそうな二人を会わせる何かを考える。自分でやったズルって絶対に覚えているし、あ、つらかったけどズルしないでよかったと思うことはよくあるんです。それは私なりの基準かもしれない」

 最後に、最近の読書に関して尋ねてみた。今、読んで面白いのはどんな本だろうか。

 「はっとするものですね。書くことに関連する話で言えば、こんな雰囲気を書きたいと思わせてくれる本があるんです。こんな話を書きたい、じゃなくて、中で流れている空気がいいなと思わせてくれる小説が面白くて。最近で言うと、イーユン・リーさんの『黄金の少年、エメラルドの少女』を読んでいる時に、あぁ、やっぱり小説はいいな、書きたいな、と思ったんです(笑)」

 十分すぎるほど小説を書いてきたのに、いまだに「小説はいいな、書きたいな」と思う。聞いていて、すてきだなと感じた言葉だった。


▼角田光代氏(かくた・みつよ) 1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。90年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。96年「まどろむ夜のUFO」で野間文芸新人賞、98年に「ぼくはきみのおにいさん」で坪田譲治文学賞、2003年「空中庭園」で婦人公論文芸賞、05年「対岸の彼女」で直木賞、06年「ロック母」で川端康成文学賞、07年「八日目の蝉」で中央公論文芸賞、11年「ツリーハウス」で伊藤整文学賞を受賞。著作多数。近刊に「空の拳」「かなたの子」「曾根崎心中」「紙の月」「月と雷」「まひるの散歩」「異性」(穂村弘氏と共著)など。


取材・構成/木村俊介  撮影/佐々木孝憲 [日経プレミアPLUS Vol.2の記事を基に再構成]


2014年10月21日

これいい! Sara X Behind











人気ブログランキング
トピックス
イラスト
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ