今日の読書は渡辺和子さんの『置かれた場所で咲きなさい』
ノートルダム清心の理事長を務められていたクリスチャンである著者の本。
はじめは、キリスト教の教え的な抽象的なことや、綺麗事ばかり書いてあるのかなーと思いページを開いてみたが、ご自身の体験された病気(鬱や、膠原病)の時に思ったことなどについてもかかれていて興味深かった。
著者について、何度か雑誌で拝見したことがあり、健康そうで笑顔が素敵なおばぁちゃんだったが人は誰しも人知れず悩んでいるものなのだなぁと。
竹内結子さんの自殺のニュースもそうだし…
人の悩みは千差万別。
自殺の理由もメディアではあれやこれや言われてるけど。
人の心の中なんて本人にしかわからないよね。
今日は娘が水筒を忘れ学校に届けにいったんだけど。
まず、忘れたのを発見した時点で学校に電話したの。
忘れ物持ってくとか過保護かなーと思い
普通はどうすればよいのかわかんないから。
そしたら、宿題とかなら持ってこなくてよいけど水筒とか体調にかかわるものは持ってきてもらったほうがよいと。
(まだ暑いから脱水とかね、コロナだし不特定多数が使用する水道水から手ですくって水飲むのもね…)
そこで持っていくことにしたが、休憩中に教室に持っていくべきなのか?
門の前で先生に託けるべきか?
とか色々気にしてしまう私。
とりあえず休憩1分前に門のインターフォンおす。
そして入ってくださいといわれたから下駄箱までいくが『入って下さい』が門入って教室まで持っていけという意味か?
はたまた対応してくれる先生が下駄箱までくるのを待てばよいのか?と数分悩む。
結果は対応してくれた先生が下駄箱まできて、教室に持って行ってくれたんだけど。
水筒持ってくだけで、こんなにあれこれ考えてしまう自分に自己嫌悪。
そして、休憩中だったので体育とか、授業終えてハツラツと職員室に帰っていく自分よりも年配の先生達を見ながら、イキイキと働いてて羨ましいなー。
歳上なのに健康そうだなーなんて思ったり。
娘いわく、学校の先生って7時半くらいに出勤して夕方7時位まで働いて。元気なこども相手で疲れるだろうに、意外と二、三人こどもいる方も多いらしい(女性の先生で、私と同年代や年配の先生で)
大変なことも多いだろうけど毎日充実してるんだろうなーなんてついつい自分の私生活と比べてしまった。
自分もかつてはハツラツと働いて、患者さんの役にたててたなーと。
夜勤明けでスノボーとか行っても、少し寝れば回復してた20代前半などを思い起こし、今の少し普段と違うことしただけで疲れたり、水筒持って学校いくだけで気疲れする自分に悲しくなる。
その後の読書で出会ったのがこの言葉
失ったものを嘆いても前には進めない
悩みを抱えている自分も大切に。
そうねー。
失った健康や、自分の好きなようにいつでもなんでも決められ、どこにでも行ける独身ライフなどを振り返ってもねー…
疲れやすくなったけど、それでも足腰痛くてどこにもいけないわけじゃない。
自由に自分のことだけ考えればよかった、あの若かりし日には持ってなかったものもたくさんある。
可愛い娘の成長とかね。
失ったものより、自分の今の現状にフォーカスをあて、今出来ることをしたり、今持ってるものに感謝せねばね。
でも、さっき帰宅した娘が水筒を持ってったこと何も言わないから少しカチーン。
こいつは何でもしてもらってあたりまえなんだなぁなんて思ったらムカついてきて
『今日の習い事もそろそろ自分で歩いていったら?』なんて意地悪言ったら娘が泣いた…
同級生でも普通に一人で行ってるこもいるじゃんとか思うけど…一人娘なので私も夫もついつい過保護になっちゃってんだろうな…
昨日、仕事紹介の電話対応してる私の話を聞いてるだけで
『ママはお家にいてー働いたらヤダー』とか言って泣くし。
しまいには娘が
『私が大人になったら働いて給料もらってくるから、ママは一生働かなくていいの』
とかいう始末。
夫に言ったら証拠VTRとっとけだって。
うーん。まぁ、そこまで言ってもらえると嬉しいけどさ、この単調な毎日には正直疲れたわけよ…
娘よ…
まぁ、こんなこと言ってもらえるのも今だけなのかもしれないよね。
精一杯、娘の愛情に応えられるように私はのんびり読書でもしてるばよいのか?
人生のそういう時期なのか?
なんて開き直ったり、やはり落ち込んだり
自分でも何がしたいんだかわからない今日この頃。
さて、娘の習い事の迎えに行くか。
締めは著書にあった聖書の言葉より
神は決して、あなたの力に余る試練を与えない