2012年05月
2012年05月25日
安全と安心
ジジイが考えたこと56
杞憂という言葉の語源は
空が落ちてくるとビビッていた心配していた男にたいして、無用な心配をすることの愚かさを説いたことわざ。
最近はいろいろな場面で、安全と安心に対する考え方について考えさせられます。
食の安全
原発の安全
高速バスの安全
先ほどの故事にならうと
「そんなことが起こる訳がないのだからそんなことを心配しても無駄だ」
という話なわけですが
たとえば原発事故
まさにその、「起こるはずのないこと」が起こってしまった。
そこで、「絶対に安全な原発を作れ、でなければ再稼働は許さない」
という発想になる。
そこで、人間の頭は神様ではないから経験則からでしかものごとを図ることはできない。
過去と現在の積み重ねから「未来はこうだろう」という予測はできても、「未来はこうなる」と予知することはできない。
それはもう確率の世界であって
「たぶんこうなるでしょう」という程度の話でしかない。
その程度では安心できない、というのであればこれはもう宗教にでも入って神様にお祈りするしかない。
安全とはなにか、無数にある選択肢の中から自分にとってリスクの少ない肢を選び続けること。
安心とはその選択に対して迷いなく選択をすること。
安心も安全も用意されているものではなくて、
自分自身で選択するものなんではないかと本当に最近はよく思うんですよね。
それはつまるところあなたの心の問題ではないんでしょうか?
と言ったら苛められそうですね。
杞憂という言葉の語源は
空が落ちてくるとビビッていた心配していた男にたいして、無用な心配をすることの愚かさを説いたことわざ。
最近はいろいろな場面で、安全と安心に対する考え方について考えさせられます。
食の安全
原発の安全
高速バスの安全
先ほどの故事にならうと
「そんなことが起こる訳がないのだからそんなことを心配しても無駄だ」
という話なわけですが
たとえば原発事故
まさにその、「起こるはずのないこと」が起こってしまった。
そこで、「絶対に安全な原発を作れ、でなければ再稼働は許さない」
という発想になる。
そこで、人間の頭は神様ではないから経験則からでしかものごとを図ることはできない。
過去と現在の積み重ねから「未来はこうだろう」という予測はできても、「未来はこうなる」と予知することはできない。
それはもう確率の世界であって
「たぶんこうなるでしょう」という程度の話でしかない。
その程度では安心できない、というのであればこれはもう宗教にでも入って神様にお祈りするしかない。
安全とはなにか、無数にある選択肢の中から自分にとってリスクの少ない肢を選び続けること。
安心とはその選択に対して迷いなく選択をすること。
安心も安全も用意されているものではなくて、
自分自身で選択するものなんではないかと本当に最近はよく思うんですよね。
それはつまるところあなたの心の問題ではないんでしょうか?
と言ったら苛められそうですね。
2012年05月21日
2012年05月17日
2012年05月16日
潔さ
ちょっと前回にもかかるかもしれない。
他人の評価を気にして生きることは格好悪い。
自分らしく生きることが大切だ。
確かに正しい気がする。
けれど人間なんて単純で
評価されなければやる気も出ない。
認めてもらえなかったら自己肯定も出来ない。
結局のところ、自分はこうしたいんだという欲求と向き合ってそれを追いかけていかなければならないんでしょうね。
他人に褒めてもらいたくて頑張る、どうすれば褒められるか一生懸命考える、そのモチベーションを否定することは誰にも出来ない。
自分を貫いて孤独に歩むか
他人に迎合して他者との関係の中で生きていくのか。
つまるところそれは生き方の選択の問題なわけで、他人がどうこう言うもんじゃないんだろうなぁ。
とりあえず今回はここまで
他人の評価を気にして生きることは格好悪い。
自分らしく生きることが大切だ。
確かに正しい気がする。
けれど人間なんて単純で
評価されなければやる気も出ない。
認めてもらえなかったら自己肯定も出来ない。
結局のところ、自分はこうしたいんだという欲求と向き合ってそれを追いかけていかなければならないんでしょうね。
他人に褒めてもらいたくて頑張る、どうすれば褒められるか一生懸命考える、そのモチベーションを否定することは誰にも出来ない。
自分を貫いて孤独に歩むか
他人に迎合して他者との関係の中で生きていくのか。
つまるところそれは生き方の選択の問題なわけで、他人がどうこう言うもんじゃないんだろうなぁ。
とりあえず今回はここまで
2012年05月13日
実力
良いものを作れば売れる
と言うのはある種の正解ではありますが、唯一解ではありません。
売れるものを作れば売れる
のです。
良いものを作ろうとして突っ走ってガラパゴス化した日本の家電に対して徹底的なマーケティングリサーチとブランディングで世界を接見する韓流メーカーな訳ですが。
同じもの(もしくはそれ以下)なのになんで売れないの?
と考えると、演出が下手としか言えない。
たとえば昔、クラスに必ず一人はいた『出来る目立つヤツ』
ぶっちゃけ、学年で一番勉強出来るヤツはほかにいるし、運動出来るヤツもいるのに『何故か目立つ』
子供ってそういうの凄くやっかみますし、大人になっても『アイツは実力がないのに評価されて』
みたいな話が未だにある。
僕からすればそんな発想自体がマヌケなだけで、
『評価されているという事実』こそが何よりの実(際の)力、だと思うんですよね。
能力が高い=評価される、商品スペックが低い=評価されない、訳ではない。
能力に対する評価の正当さなんて決めるのは評価する側であって、評価される側ではない。
その錯覚から抜け出せないところに悲しさがあるんでしょうね。
とりあえず今回はここまで
と言うのはある種の正解ではありますが、唯一解ではありません。
売れるものを作れば売れる
のです。
良いものを作ろうとして突っ走ってガラパゴス化した日本の家電に対して徹底的なマーケティングリサーチとブランディングで世界を接見する韓流メーカーな訳ですが。
同じもの(もしくはそれ以下)なのになんで売れないの?
と考えると、演出が下手としか言えない。
たとえば昔、クラスに必ず一人はいた『出来る目立つヤツ』
ぶっちゃけ、学年で一番勉強出来るヤツはほかにいるし、運動出来るヤツもいるのに『何故か目立つ』
子供ってそういうの凄くやっかみますし、大人になっても『アイツは実力がないのに評価されて』
みたいな話が未だにある。
僕からすればそんな発想自体がマヌケなだけで、
『評価されているという事実』こそが何よりの実(際の)力、だと思うんですよね。
能力が高い=評価される、商品スペックが低い=評価されない、訳ではない。
能力に対する評価の正当さなんて決めるのは評価する側であって、評価される側ではない。
その錯覚から抜け出せないところに悲しさがあるんでしょうね。
とりあえず今回はここまで