素数配置の法則性を数学的に証明しようと考えたリーマンは、決められた範囲の中にある素数の数に一定の法則性を感じて、整数論のゼータ関数を使って素数を複素平面に持ち込み、素数点を表す複素数の解の実部に1/2と言う定数の存在を予想した。この予想が、リーマン予想という名前で、150年以上も証明されていない数学未解決問題になっている事は、時々、テレビやマスコミなどでも取り上げられるのでご存知の方も多いと思います。 ところで、素数と言うのはどんな数でしょうか? 学校教育では小学生の教科書で登場します。自然数の中で、1と自分自身でしか割り切れない数と言う定義で、2、3,5,7,11,13・・・,7と11の間が空いていますが、これは、9が3で割り切れるため奇数の中で最初に素数と言う名前をもらえなくなって素数列から外れたためです。偶数は、最初の偶数2のために2以外の全ての偶数は素数と言う名前をもらえないので、2が唯一の偶数素数である事はご存知の方も多い事でしょう。この素数列の並び方が気まぐれで、曖昧で神出鬼没と言って神秘化する元になったのが、ゼータ関数で素数の出現確率を予想したリーマン予想です。確率が予想出来るとなれば、ギャンブルには夢の数学になって、神秘の証明を期待する気持ちも湧きそれが数学を専攻する動機になったなどと言う数学関係者もあると思いますが、9が素数列から外れて行ったのは、3という約数を持っているためであって、曖昧でも気まぐれでも神出鬼没でもない事はわかると思います。3に着目すれば、3の偶数倍の数は偶数なので素数ではありません。 また、9のような3の奇数倍の数は、3で割り切れるため素数にはなれないので、素数列から外れて行きますが、3の偶数倍の数は偶数でも、その前後の数は奇数なので、3で割り切れないで、素数として残る可能性があります。3の偶数倍の数は6の倍数なので、2,3まで考えただけで、残りの素数が6n±1の2本の数列の中にしか存在できない事が証明できます。さらに、自然数に0の概念を導入して、0と1の間を自然数1と置けば、全ての素数が見える化して、曖昧や気まぐれな要素が存在しない事は、ビッグバン宇宙の菅数論で証明されています。
ビッグバン宇宙の菅数論 - 発想力教育研究所 素数誕生のメカニズムhttp://blog.livedoor.jp/art32sosuu/archives/18927757.html
今回は、リーマン予想のアプローチの中に、数学的な誤解、誤り、論理的飛躍などの可能性について考えてみました。整数論で使われている整数と、数学の始まりである自然数の関係について考えてみると、自然数は1から始まり、0の概念を持たないままツノの数を数字を使って表すところから始まり、のちにインド人によって0が発見されたそうですが、0の概念を持たない自然数は現在に至るまで、1が定義出来ていないので、数学上は、全ての自然数が1の、または、1に相当するもの単なる倍数であると言えます。したがって、自然数と自然数の中に含まれる素数は、大きさだけのスカラー量と考えることができます。それに対して、のちに考えられた整数論の元になる整数には0とマイナスの概念が導入されて、人間が想像上で考えた虚数と、複素数という数字が発明され数字の世界は2次元の複素平面に持ち出されて、大きさと方向を持ったベクトル量に変換され、整数論は数学に大きな発展をもたらしました。最近は、シンメトリー・フラクタル・ラングランズプログラムなども紹介され,整数論は少し前に全盛期を迎えたような感があります。しかし、リーマン予想をはじめとして、数学は、今でも多くの未解決問題を抱えています。整数論では、n/n=1 と言う数学の基本概念に反して∞/∞≠1がアタリマエとされていると言う事実があります。これは、ガウスが言った「∞を完結した物と考えるのは止そう」と言う言葉によるもので、これらのほとんどが、完結したものと考えることができないと言う、整数論の∞の概念のによるものだと考えることが出来ます。このガウスの言葉に誤りはないのでしょうか? 虚数の発明で数学を発展させた複素平面は、ガウス平面とも呼ばれています。この複素平面(ガウス平面)について考えて見ましょう。
複素平面を紙に書いてみてください。 どうしますか? 縦軸横軸を直交させて交差点に0と書き込んで縦軸横軸にメモリを書いて、横軸は右が+,左がー。縦軸は上が+、下が−,虚数記号のiを忘れずに書いてください。

ところで、目盛りはどう書きましたか?等間隔で刻むのは当たり前ですが、1は何ミリですか?誰にも相談せずに決めたと思いますが、1つだけ誰でも同じようにした事があります。それは、必ず原点のとなりに1を刻んで、0と1の間の間隔を1と決めて等間隔に2以降の目盛りを刻んで行くという事です。いくつまで目盛りを付けるかは自由に決めた事でしょう。それが数学です。
特に問題はないようにも思えますが、数学の概念の問題として1点、数学の概念を超えて勝手にやってしまった事があります。それは、0の概念を持たない数学に於いて、複素平面を描くために、数学の概念にはない、原点0を作り、自然数1を原点0から1までの間の数ミリの長さと定義したという事です。
人間が考えた虚数という想像上の数字を使って、複素数を考えるためのフィールドとして考えられた複素平面自体が、数学の概念の超えて、自然数1を定義したために見える化したものである事が分かります。 ここで重要なことは、原点0と1との間の長さを1としたことです。これは、自然数の概念には無い新概念ですが、横軸はいつの間にか自然数に0の概念を導入しマイナスも加えた整数になっていることが分かります。だから、複素平面に刻まれている数字は自然数ではなく整数なのです。
さて、全ての複素数は、この複素平面上に置かれた物理的な1点として表す事ができます。そして、原点0を始点として、その点までの矢印を描いてベクトルで表す事ができます。大きさと方向を持ったベクトル量として数学の爼上に載せて、数学的に取り扱う事も出来ます。そう考えれば、全ての素数点もこの複素平面上の1点としてベクトルで考える事も出来るわけですが、先に無意識に自然数1を定義しているので横軸上に刻まれている自然数は、この横軸(実軸)の線上から離れて、複素平面上の点になることはできなくなっています。なぜなら、自然数1を原点0から1までの長さと無意識でも定義してしまったからです。これによって横軸に刻まれる自然数の目盛りは、自然数1の長さを決めると一義的に決定され、1の長さをいくつに取るかで、フラクタル性を持っている事も分かります。
素数の神秘化を助長するマスコミの役割
ビッグバン宇宙の菅数論 - 発想力教育研究所 素数誕生のメカニズム http://blog.livedoor.jp/art32sosuu/archives/18927757.html
リーマン予想 証明完了! - 発想力教育研究所 素数誕生のメカニズム http://blog.livedoor.jp/art32sosuu/archives/42033644.html
2017.2.24
菅野正人
【素数と魔方陣】https://www.creema.jp/item/5074195/detail
【大学生のための発想力脳トレパズル Seek10 】https://www.creema.jp/item/5074010/detail
【発想力教育用 テキスト ねこパズル&Seek10】https://www.creema.jp/item/5073239/detail
ビッグバン宇宙の菅数論 - 発想力教育研究所 素数誕生のメカニズムhttp://blog.livedoor.jp/art32sosuu/archives/18927757.html
今回は、リーマン予想のアプローチの中に、数学的な誤解、誤り、論理的飛躍などの可能性について考えてみました。整数論で使われている整数と、数学の始まりである自然数の関係について考えてみると、自然数は1から始まり、0の概念を持たないままツノの数を数字を使って表すところから始まり、のちにインド人によって0が発見されたそうですが、0の概念を持たない自然数は現在に至るまで、1が定義出来ていないので、数学上は、全ての自然数が1の、または、1に相当するもの単なる倍数であると言えます。したがって、自然数と自然数の中に含まれる素数は、大きさだけのスカラー量と考えることができます。それに対して、のちに考えられた整数論の元になる整数には0とマイナスの概念が導入されて、人間が想像上で考えた虚数と、複素数という数字が発明され数字の世界は2次元の複素平面に持ち出されて、大きさと方向を持ったベクトル量に変換され、整数論は数学に大きな発展をもたらしました。最近は、シンメトリー・フラクタル・ラングランズプログラムなども紹介され,整数論は少し前に全盛期を迎えたような感があります。しかし、リーマン予想をはじめとして、数学は、今でも多くの未解決問題を抱えています。整数論では、n/n=1 と言う数学の基本概念に反して∞/∞≠1がアタリマエとされていると言う事実があります。これは、ガウスが言った「∞を完結した物と考えるのは止そう」と言う言葉によるもので、これらのほとんどが、完結したものと考えることができないと言う、整数論の∞の概念のによるものだと考えることが出来ます。このガウスの言葉に誤りはないのでしょうか? 虚数の発明で数学を発展させた複素平面は、ガウス平面とも呼ばれています。この複素平面(ガウス平面)について考えて見ましょう。
整数と複素数の関係
整数と虚数は1次元の数直線上の数ですが、その関係は90°傾いて直交し、原点の交差点のみを共有しています。この2つの数を使って2次元の平面上の点を表したのが複素数です。 複素平面を紙に書いてみてください。 どうしますか? 縦軸横軸を直交させて交差点に0と書き込んで縦軸横軸にメモリを書いて、横軸は右が+,左がー。縦軸は上が+、下が−,虚数記号のiを忘れずに書いてください。

ところで、目盛りはどう書きましたか?等間隔で刻むのは当たり前ですが、1は何ミリですか?誰にも相談せずに決めたと思いますが、1つだけ誰でも同じようにした事があります。それは、必ず原点のとなりに1を刻んで、0と1の間の間隔を1と決めて等間隔に2以降の目盛りを刻んで行くという事です。いくつまで目盛りを付けるかは自由に決めた事でしょう。それが数学です。
特に問題はないようにも思えますが、数学の概念の問題として1点、数学の概念を超えて勝手にやってしまった事があります。それは、0の概念を持たない数学に於いて、複素平面を描くために、数学の概念にはない、原点0を作り、自然数1を原点0から1までの間の数ミリの長さと定義したという事です。
人間が考えた虚数という想像上の数字を使って、複素数を考えるためのフィールドとして考えられた複素平面自体が、数学の概念の超えて、自然数1を定義したために見える化したものである事が分かります。 ここで重要なことは、原点0と1との間の長さを1としたことです。これは、自然数の概念には無い新概念ですが、横軸はいつの間にか自然数に0の概念を導入しマイナスも加えた整数になっていることが分かります。だから、複素平面に刻まれている数字は自然数ではなく整数なのです。
さて、全ての複素数は、この複素平面上に置かれた物理的な1点として表す事ができます。そして、原点0を始点として、その点までの矢印を描いてベクトルで表す事ができます。大きさと方向を持ったベクトル量として数学の爼上に載せて、数学的に取り扱う事も出来ます。そう考えれば、全ての素数点もこの複素平面上の1点としてベクトルで考える事も出来るわけですが、先に無意識に自然数1を定義しているので横軸上に刻まれている自然数は、この横軸(実軸)の線上から離れて、複素平面上の点になることはできなくなっています。なぜなら、自然数1を原点0から1までの長さと無意識でも定義してしまったからです。これによって横軸に刻まれる自然数の目盛りは、自然数1の長さを決めると一義的に決定され、1の長さをいくつに取るかで、フラクタル性を持っている事も分かります。
素数の神秘化を助長するマスコミの役割
『福岡伸一の動的平衡』、素数に魅せられて という2017年 朝日新聞1/26付朝刊の記事で、2017は虚数を使うときれいに因数分解できるとありました。虚数を持ち出されると一般人は弱いので、リーマン予想のように、素数も、もしかしたら複素平面上にある神秘の数か?と想いを馳せてしまいがちですが、そんな事はありません。ダブル素数年の平成29年も29=(5+2i)(5-2i) ときれいに因数分解できます。 因数分解出来ない素数の方が多いですが、それは、複素数には全く関係がなく、2乗数列によって、たまたま現れた現象であり、素数の中に虚数できれいに因数分解できる数が存在しているのは、数学的にも簡単に証明出来る当たり前の事です。最初の素数で唯一の偶数素数である2も、虚数できれいに因数分解できる素数の1つです。
2=(1+i)(1ーi)
3は無理のようですが、次の5も出来ます。
5=(2+i)(2ーi)
これは、少し見方を変えればピタゴラスの定理です。
(√5)^2=2^2+1^2
三平方の定理が成立しているだけのことで、虚数は入れてみただけで、展開すれば相殺される仕組みを持った因数分解の公式 X^2ーY^2=(X+Y)(XーY)が利用されています。したがってこれは、虚数や2次元の複素数のフィールド(複素平面)には全く関係のない話であって、全ては、1次元の数直線上に現れる現象です。電卓のなかった時代に数学を学んだ私達の世代には、昔懐かしい、ものさしに刻んだ目盛りを擦り合わせて計算する計算器、計算尺で事足りる世界です。三角関数も計算尺で計算できます。あの東京タワーは、計算尺1本で設計されたのだと、高校生時代によく先生に聴かされました。
それどころか、全ての素数は1以外にも、分子を1として自然数を分母とする全ての単位分数で、きれいに割り切れます。
1次元のスカラー量であるために起こる素数配置のフラクタル性について
素数は全く特別な数でも、魔法や神秘の数でもありません。ただの1の倍数です。0.5を自然数1と定義すれば、1,1.5,2.5,3.5,5.5,・・・は、素数になります。 自然数1を1cmとして、ゴム紐を2倍の長さの伸ばした状態で素数点を描いてみれば分かるように、元の戻しても素数点の配置は変わりません。自然数1が0.5cmになるだけです。だから1,1.5,2.5,3.5,5.5,・・・のようになります。素数の配置はフラクタルですが、自然数1が決まれば一義的に決まり、決して曖昧で気まぐれな要素はありません。自然数の中で、2つの2乗数の和で表される自然数は全て、虚数を使ってきれいに因数分解できると言えます。複素数に因数分解できても、1次元の数直線上のある自然数と、2次元の複素平面上とは無関係の話で、神秘でも何でもなくアタリマエのことなのです。
自然数を複素数に因数分解出来たとしても、最終的には虚部は相殺されて常に0になります。自然数が刻まれている数直線上の点は、横軸上に方向が決定されている1次元のスカラー量であり、複素平面上の点は大きさと方向を持った2次元のベクトル量だからです。これは、リーマン予想から派生して、現在まで言われているように、素数が神出鬼没で曖昧、などという可能性はないことを証明しています。
3は無理のようですが、次の5も出来ます。
5=(2+i)(2ーi)
これは、少し見方を変えればピタゴラスの定理です。
(√5)^2=2^2+1^2
三平方の定理が成立しているだけのことで、虚数は入れてみただけで、展開すれば相殺される仕組みを持った因数分解の公式 X^2ーY^2=(X+Y)(XーY)が利用されています。したがってこれは、虚数や2次元の複素数のフィールド(複素平面)には全く関係のない話であって、全ては、1次元の数直線上に現れる現象です。電卓のなかった時代に数学を学んだ私達の世代には、昔懐かしい、ものさしに刻んだ目盛りを擦り合わせて計算する計算器、計算尺で事足りる世界です。三角関数も計算尺で計算できます。あの東京タワーは、計算尺1本で設計されたのだと、高校生時代によく先生に聴かされました。
それどころか、全ての素数は1以外にも、分子を1として自然数を分母とする全ての単位分数で、きれいに割り切れます。
1次元のスカラー量であるために起こる素数配置のフラクタル性について
素数は全く特別な数でも、魔法や神秘の数でもありません。ただの1の倍数です。0.5を自然数1と定義すれば、1,1.5,2.5,3.5,5.5,・・・は、素数になります。 自然数1を1cmとして、ゴム紐を2倍の長さの伸ばした状態で素数点を描いてみれば分かるように、元の戻しても素数点の配置は変わりません。自然数1が0.5cmになるだけです。だから1,1.5,2.5,3.5,5.5,・・・のようになります。素数の配置はフラクタルですが、自然数1が決まれば一義的に決まり、決して曖昧で気まぐれな要素はありません。自然数の中で、2つの2乗数の和で表される自然数は全て、虚数を使ってきれいに因数分解できると言えます。複素数に因数分解できても、1次元の数直線上のある自然数と、2次元の複素平面上とは無関係の話で、神秘でも何でもなくアタリマエのことなのです。
自然数を複素数に因数分解出来たとしても、最終的には虚部は相殺されて常に0になります。自然数が刻まれている数直線上の点は、横軸上に方向が決定されている1次元のスカラー量であり、複素平面上の点は大きさと方向を持った2次元のベクトル量だからです。これは、リーマン予想から派生して、現在まで言われているように、素数が神出鬼没で曖昧、などという可能性はないことを証明しています。
素数が複素数に因数分解出来るのは、ピタゴラスの定理が成立している時だけです。数学的には、共役複素数をかけて虚部を相殺するマジックです。このピタゴラスマジックが、3乗数以上では全く効かなくなるというのがフェルマーの定理で、最近証明されたそうです。つまり簡単にいうと、答えを求める解の公式の中に、虚部が相殺できるような因数分解マジックが存在していないという事です。必ず虚部が相殺されずに残る。実数解なしと言う解です。もともと、これを想像上の数で表そうとしたのが、複素平面であり虚数なのですから、相殺されるピタゴラスの定理は、やはりレアケースのマジックと言えます。
この状態を、2次関数の定数項cの変化に着目して複素平面上に解の変化をグラフ化してみると、丁度実軸を中心にしたキレイな2次関数のグラフになります。ピタゴラスが成立していなければ、この軸がぶれて虚部が相殺されずに残る訳です。

縦軸は虚軸 横軸は定数項 c の値
ピタゴラスの発見は、べき乗数の世界でも非常に貴重で重要な発見だったと思いますが、素数と複素数の共通点は原点0だけです。いや、もっと正確な言えば、1から始まる自然数の中に存在する素数と複素数の共通点は何も無いと言うべきでしょう。 素数の存在を、定義が曖昧な数学を使ってゼータ関数で証明しようとすれば、話は複素平面に持ち込まれますが、0と1が定義されて横軸(実軸)に刻まれた数字は、自然数でも素数でもありません。それは、整数です。素数をゼータ関数で2次元の複素平面持ち込む事は、数学上の素数の定義に反していることになります。自然数は整数と違って0の定義がないので1の位置だけ整数と同じにしても、2の位置は自由だからです。整数と同じように、横軸に目盛りを刻むためには、自然数に0の概念を導入し、0と1の間を自然数1と定義しなければなりません。そうして初めて、横軸上の数字は、整数=自然数となりますが、それでもまだ、自然数=複素数にはなり得ません。なぜなら、自然数は1次元の横軸上に刻まれた点であり、横軸が複素平面上の任意の点を通ることはできないからです。それに対して、複素数は、複素平面上の任意点を表すことができます。数学的に表現すれば、素数というスカラー量を複素数というベクトル量で表すことは可能だが、大きさだけ持った、1次元のスカラー量である自然数は、複素平面に持ち込む段階でその方向が、実軸方向に固定されたベクトル量になっています。整数論で正確な計算が出来ずに、素数が虚数を含む複素平面上の点になってしまっても、それは、整数論の不備であり、それを素数の神秘へと転嫁するのは間違いであると言えます。0と1を定義すれば、素数は複素平面上でも、常に、実軸上、1次元の数直線上に存在しているからです。
複素平面で考える自然数(素数)・虚数・整数・複素数の次元
自然数と整数とでは次元が違います。ここに上げた数学ではおなじみの4つの数のうち、自然数だけは次元が違います。自然数は大きさだけで1次元のスカラー量で、他の数は、2次元の複素平面上で原点0を始点とする大きさと方向を持ったベクトル量ですので、1次元の数と2次元の数で次元が違うと言う訳です。
ベクトル量とスカラー量
0の概念を持たない自然数(素数)は大きさだけのスカラー量
複素平面の虚軸、実軸に刻まれる数字は整数で、0と1の間隔を1として等間隔で刻んだベクトル量です。実軸は横軸方向に、虚軸は縦軸方向の固定されています。
複素平面上の複素数 A+Bi は、原点0を始点とするベクトル量で、方向は tan^-1 B/A (アークタンジェントB/A)で表すことができます。
さて、ここで、横軸の実軸に着目してみると、ここに刻まれている数字は自然数ではありません。自然数は大きさだけのスカラー量で、横軸に配置すれば、大きさと方向を持った数はベクトル量になるので、横軸の数字は自然数ではありません。それは、大きさと方向を持ったベクトル量である原点0と-が定義された整数です。
複素平面は、想像上の虚数で創り出された2次元の平面ですが、自然数の中の素数の配置について考えるとき、スカラー量である自然数を複素平面に持ち込んだ時点で、自然数は実軸方向に固定されてベクトル量として横軸に刻まれます。したがって、自然数の中に配置されている素数は、1次元の横軸数直線上に固定された数であることが証明できます。ゼータ関数の計算で証明出来ても出来なくてもベクトル量に変換されて実軸に刻まれた自然数(素数)が、実軸方向から外れた方向を持つ可能性はありません。このような数学的事実を曖昧にして発展してきたのが整数論で、現在まで多くの未解決問題を生み出し、∞/∞≠1などの数学的な矛盾を遺しています。整数論で、自然数Aをn乗した数のn乗根が元の自然数Aではないと言う答えを出してきても、それは、事実ではないことを私達は知っています。0の概念を持たずにスタートした数学の中で、自然数が未だにスカラー量のまま放置されていることが、数々の矛盾と未解決問題を遺している事に気付きましょう。1次元と2次元,自然数と整数、スカラー量とベクトル量をつなぐためには、数学の新概念として自然数にも0の概念を持ち込む必要があると言うことです。
複素平面の数学 1次元の素数の次元を考えなかったリーマン予想の誤り
(スカラー量とベクトル量)
数直線 と複素平面
1次元と2次元
今の数学では、次元が違う話が、同次元の話かのように語られています。この原因は、数学が0の概念を持たずに論理展開し発展してきたためで、その一部を人間が想像した虚数のフィールドである、複素平面に見ることが出来ます。スカラー量の自然数に、方向を与えれば複素数に変身します。複素数は、2次元のベクトル量です。自然数を実軸上に刻むことは、数学の定義に反して、スカラー量である自然数矢印の始点が、原点0である事を暗黙の内に決めています。原点0から始まる自然数を0から1i までの間隔を自然数1として、虚軸上に刻めば、虚軸上にも素数点が表れます。複素数(1+i)を自然数1と定義して目盛りを刻めば、y=xの数直線上にも素数点が現れます。1年を自然数1と定義すれば、年号の中にも素数年が現れます。素数年や素数ゼミなどと言う言葉は、アタリマエのように使われ耳にします。しかし、そのためには、スカラー量である自然数を新概念で定義しなければなりません。スカラー量である、自然数の矢印の始点を、原点0とする事で、数学の世界は広がります。そして、素数という概念が、自然数1を宇宙の森羅万象の中から、何と定義するかによって。その配置が一義的に決定されるものであることが分かります。さらに素数は、非常にフラクタル性を持って、1次元の数直線上に配置されるスカラー量であることが分かります。
この一次元のスカラー量である素数を、2次元の大きさと方向を持ったベクトル量として、複素数フィールドである複素平面上に持ち込むためには、数学の自然数の概念を超えて、自然数に原点0と方向与えなければなりません。それが、原点0から1の間を自然数1と定義して実軸に目盛りを刻む事です。したがって、素数の存在は、ゼータ関数を使って複素平面上に持ち込んでも、素数は0から1の間隔を自然数1として、方向を実軸方向としたベクトル量として、複素平面上に配置されているので、素数の存在は実軸上にしかありえないと言う事になります。ゼータ関数で、この事実が証明出来ずに予想だけが残っているのは、整数論の不備が原因である事は言うまでもありません。
リーマン予想は、自然数Aのn乗数のn乗根が、元の自然数Aに戻らないと言う整数論が作り上げた、世紀を超えた未解決問題と言えるでしょう。 現在の数学の概念では 、整数1=自然数1 がアタリマエと思われていますが、これがアタリマエに成立するためには、自然数の概念に0を導入して、原点0と1の間の間隔を1として、大きさと方向を持ったベクトル量として、自然数1を定義しなければならないと言う事です。複素平面では、暗黙の内に実軸方向にその操作がされて自然数が刻まれているので、自然数の中に存在する素数が、実軸の数直線上にベクトル量として刻まれている事になり、実軸の直線上を越えて、複素平面上に素数点が表れる事はアリエナイと言う証明になります。
この事実を認識できていないリーマンは、ゼータ関数を駆使して素数の出現確率論から素数配置に法則性を解明しようと試みたわけですが、素数が1次元のスカラー量であると認識していれば、このアプローチは無かったと考えられます。リーマン予想が証明できないのは四捨五入を常套手段として∞の壁を持つする整数論の問題であると考えることが出来ます。そして、証明出来ずに遺された実部1/2予想は、菅数論を拡張して、素数配置のフラクタル性を利用して、∞を完結した物と考えることによって証明することが出来ます。
リーマン予想の証明
この状態を、2次関数の定数項cの変化に着目して複素平面上に解の変化をグラフ化してみると、丁度実軸を中心にしたキレイな2次関数のグラフになります。ピタゴラスが成立していなければ、この軸がぶれて虚部が相殺されずに残る訳です。

縦軸は虚軸 横軸は定数項 c の値
ピタゴラスの発見は、べき乗数の世界でも非常に貴重で重要な発見だったと思いますが、素数と複素数の共通点は原点0だけです。いや、もっと正確な言えば、1から始まる自然数の中に存在する素数と複素数の共通点は何も無いと言うべきでしょう。 素数の存在を、定義が曖昧な数学を使ってゼータ関数で証明しようとすれば、話は複素平面に持ち込まれますが、0と1が定義されて横軸(実軸)に刻まれた数字は、自然数でも素数でもありません。それは、整数です。素数をゼータ関数で2次元の複素平面持ち込む事は、数学上の素数の定義に反していることになります。自然数は整数と違って0の定義がないので1の位置だけ整数と同じにしても、2の位置は自由だからです。整数と同じように、横軸に目盛りを刻むためには、自然数に0の概念を導入し、0と1の間を自然数1と定義しなければなりません。そうして初めて、横軸上の数字は、整数=自然数となりますが、それでもまだ、自然数=複素数にはなり得ません。なぜなら、自然数は1次元の横軸上に刻まれた点であり、横軸が複素平面上の任意の点を通ることはできないからです。それに対して、複素数は、複素平面上の任意点を表すことができます。数学的に表現すれば、素数というスカラー量を複素数というベクトル量で表すことは可能だが、大きさだけ持った、1次元のスカラー量である自然数は、複素平面に持ち込む段階でその方向が、実軸方向に固定されたベクトル量になっています。整数論で正確な計算が出来ずに、素数が虚数を含む複素平面上の点になってしまっても、それは、整数論の不備であり、それを素数の神秘へと転嫁するのは間違いであると言えます。0と1を定義すれば、素数は複素平面上でも、常に、実軸上、1次元の数直線上に存在しているからです。
複素平面で考える自然数(素数)・虚数・整数・複素数の次元
自然数と整数とでは次元が違います。ここに上げた数学ではおなじみの4つの数のうち、自然数だけは次元が違います。自然数は大きさだけで1次元のスカラー量で、他の数は、2次元の複素平面上で原点0を始点とする大きさと方向を持ったベクトル量ですので、1次元の数と2次元の数で次元が違うと言う訳です。
ベクトル量とスカラー量
0の概念を持たない自然数(素数)は大きさだけのスカラー量
複素平面の虚軸、実軸に刻まれる数字は整数で、0と1の間隔を1として等間隔で刻んだベクトル量です。実軸は横軸方向に、虚軸は縦軸方向の固定されています。
複素平面上の複素数 A+Bi は、原点0を始点とするベクトル量で、方向は tan^-1 B/A (アークタンジェントB/A)で表すことができます。
さて、ここで、横軸の実軸に着目してみると、ここに刻まれている数字は自然数ではありません。自然数は大きさだけのスカラー量で、横軸に配置すれば、大きさと方向を持った数はベクトル量になるので、横軸の数字は自然数ではありません。それは、大きさと方向を持ったベクトル量である原点0と-が定義された整数です。
複素平面は、想像上の虚数で創り出された2次元の平面ですが、自然数の中の素数の配置について考えるとき、スカラー量である自然数を複素平面に持ち込んだ時点で、自然数は実軸方向に固定されてベクトル量として横軸に刻まれます。したがって、自然数の中に配置されている素数は、1次元の横軸数直線上に固定された数であることが証明できます。ゼータ関数の計算で証明出来ても出来なくてもベクトル量に変換されて実軸に刻まれた自然数(素数)が、実軸方向から外れた方向を持つ可能性はありません。このような数学的事実を曖昧にして発展してきたのが整数論で、現在まで多くの未解決問題を生み出し、∞/∞≠1などの数学的な矛盾を遺しています。整数論で、自然数Aをn乗した数のn乗根が元の自然数Aではないと言う答えを出してきても、それは、事実ではないことを私達は知っています。0の概念を持たずにスタートした数学の中で、自然数が未だにスカラー量のまま放置されていることが、数々の矛盾と未解決問題を遺している事に気付きましょう。1次元と2次元,自然数と整数、スカラー量とベクトル量をつなぐためには、数学の新概念として自然数にも0の概念を持ち込む必要があると言うことです。
複素平面の数学 1次元の素数の次元を考えなかったリーマン予想の誤り
(スカラー量とベクトル量)
数直線 と複素平面
1次元と2次元
今の数学では、次元が違う話が、同次元の話かのように語られています。この原因は、数学が0の概念を持たずに論理展開し発展してきたためで、その一部を人間が想像した虚数のフィールドである、複素平面に見ることが出来ます。スカラー量の自然数に、方向を与えれば複素数に変身します。複素数は、2次元のベクトル量です。自然数を実軸上に刻むことは、数学の定義に反して、スカラー量である自然数矢印の始点が、原点0である事を暗黙の内に決めています。原点0から始まる自然数を0から1i までの間隔を自然数1として、虚軸上に刻めば、虚軸上にも素数点が表れます。複素数(1+i)を自然数1と定義して目盛りを刻めば、y=xの数直線上にも素数点が現れます。1年を自然数1と定義すれば、年号の中にも素数年が現れます。素数年や素数ゼミなどと言う言葉は、アタリマエのように使われ耳にします。しかし、そのためには、スカラー量である自然数を新概念で定義しなければなりません。スカラー量である、自然数の矢印の始点を、原点0とする事で、数学の世界は広がります。そして、素数という概念が、自然数1を宇宙の森羅万象の中から、何と定義するかによって。その配置が一義的に決定されるものであることが分かります。さらに素数は、非常にフラクタル性を持って、1次元の数直線上に配置されるスカラー量であることが分かります。
この一次元のスカラー量である素数を、2次元の大きさと方向を持ったベクトル量として、複素数フィールドである複素平面上に持ち込むためには、数学の自然数の概念を超えて、自然数に原点0と方向与えなければなりません。それが、原点0から1の間を自然数1と定義して実軸に目盛りを刻む事です。したがって、素数の存在は、ゼータ関数を使って複素平面上に持ち込んでも、素数は0から1の間隔を自然数1として、方向を実軸方向としたベクトル量として、複素平面上に配置されているので、素数の存在は実軸上にしかありえないと言う事になります。ゼータ関数で、この事実が証明出来ずに予想だけが残っているのは、整数論の不備が原因である事は言うまでもありません。
リーマン予想は、自然数Aのn乗数のn乗根が、元の自然数Aに戻らないと言う整数論が作り上げた、世紀を超えた未解決問題と言えるでしょう。 現在の数学の概念では 、整数1=自然数1 がアタリマエと思われていますが、これがアタリマエに成立するためには、自然数の概念に0を導入して、原点0と1の間の間隔を1として、大きさと方向を持ったベクトル量として、自然数1を定義しなければならないと言う事です。複素平面では、暗黙の内に実軸方向にその操作がされて自然数が刻まれているので、自然数の中に存在する素数が、実軸の数直線上にベクトル量として刻まれている事になり、実軸の直線上を越えて、複素平面上に素数点が表れる事はアリエナイと言う証明になります。
この事実を認識できていないリーマンは、ゼータ関数を駆使して素数の出現確率論から素数配置に法則性を解明しようと試みたわけですが、素数が1次元のスカラー量であると認識していれば、このアプローチは無かったと考えられます。リーマン予想が証明できないのは四捨五入を常套手段として∞の壁を持つする整数論の問題であると考えることが出来ます。そして、証明出来ずに遺された実部1/2予想は、菅数論を拡張して、素数配置のフラクタル性を利用して、∞を完結した物と考えることによって証明することが出来ます。
リーマン予想の証明
正弦波の周波数をn[Hz]とするとその半周期は1/2n[S]になります。
この半周期を自然数1と置いて周期が2倍3倍・・・・・n倍という正弦波を重ねて行くと
n=10倍の時
n=10倍まで重ね合わせれば最大周波数 10 [Hz] の半周期が
1/20 となり
この半周期を1としてその10倍の半周期は
(1/20)×10 = 1/2
n倍の時
n倍まで倍振動を重ねれば最大周波数 n [Hz] の半周期が
1/2n となり
この半周期を1としてそのn倍の半周期は
(1/2n)×n = 1/2
つまり、リーマンが予想したように倍振動をn倍まで重ねて行くと0から0.5の間に
自然数1からnまでに配置される素数点が現れる。
これを∞倍まで計算すれば0から0.5までの間にすべての素数点が現れると
予想したのがリーマン予想です。
予想したのがリーマン予想です。
やってみましょう。
∞倍まで倍振動を重ねれば最大周波数 ∞ [Hz] の半周期が
1/2∞
この半周期を1としてその∞倍の半周期は
∞/2∞=1/2 となり
∞は相殺されて数学者を悩ませ続けた∞の壁を超えて私達人間の目でも
わずか0から0.5(秒)の間の時間軸に、0から∞までの間のすべての
素数点が現れている事がわかります。
∴ リーマン予想は正しい
リーマン予想QED 2015.8.30
2015.9.3追記
2015.9.3追記
ビッグバン宇宙の菅数論 - 発想力教育研究所 素数誕生のメカニズム http://blog.livedoor.jp/art32sosuu/archives/18927757.html
リーマン予想 証明完了! - 発想力教育研究所 素数誕生のメカニズム http://blog.livedoor.jp/art32sosuu/archives/42033644.html
2017.2.24
菅野正人
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