自然数で描くオイラーの単位円とリーマン予想実部1/2直線
ピタゴラスの時にはなかった勘違いが、ピタゴラスの時代から見れば近年、オイラーの数学で起こった。
平面図形は任意の点を繋ぎ合わせて描くが、任意の点を表すには、通常a、bの2つの数が必要な2次元の数である。
ところが、オイラーの等式では、複素数が発明されて、複素数によって2次元の座標平面の任意の点を表そうとしている。しかし、左辺のe^iθは、常に1であり、円の半径rによって変わる複素平面上の原点から任意の点までの距離rの円の半径の情報は相殺されている。
つまり、虚数と言う想像上の数を作り上げて、2次元の平面図形を1次元の単位円円周上で描く事が出来ると考えたのが、複素平面の大きな勘違いで、この様な平面上の任意の点を表す方法は、極座標形式 r∠θと言う事になるが。r/r=1と、rを相殺してしまって、θだけの変化で、平面上の任意の点を表す事は不可能である事は言うまでもない。元々、xーy座標形式も極座標形式も、A、Bまたはr、θの2つの数をつかって、2次元平面の任意の点を表すために考えられたものだか、複素平面と虚数と言う人間が創作したイメージによって神秘化され、1次元の複素数によって2次元の平面図形を描く事が出来ると考えたのがオイラーの大きな勘違いである。
極形式 r∠θのr とθは2つの数で2次元平面上の任意の点を表す事が出来るが、r/r=1と円の半径rを相殺した単位円円周上に表す事が出来る1点は、θに代入された1次元の自然数のみによって複素数化された、1次元の自然数と同じである。この単位円を数学的には、複素1次元直線と呼ぶ。2次元の複素数として、平面上の任意の点を表そうとすれば、円の半径rを相殺してはいけない事に気付いていない。
r/r=1で相殺されたフラクタル自然数1は,1から∞までの全ての自然数を内包している。
一方、x-y座標形式では、この様な相殺は出来ないが、x、yのどちらかの数の値を固定する事によって、1次元の自然数を2次元の複素数に変換して、複素平面上に持ち込む事は可能である。それが、複素数の実部を1/2と固定した、実部1/2の直線上である。本来1次元の自然数の中に配置された素数は、ζ関数によって複素数化されて複素平面上にばら撒かれたが、素数の数の次元と自然数のフラクタルな性質を考えれば、x、yのどちらかの数を固定した複素1次元直線上に揃うのは、当たり前の話である。
正多角形では1ペンの長さを実軸の原点から1までの長さと固定すれば、正多角形のもう一つ数として、正多角形が内接する円の中心点座標が実部1/2の直線上に揃う。

自然数nに対応する正n角形の中心座標が複素1次元直線上に揃うのは当たり前だが、先のオイラーの等式の様にrを相殺した単位円を円周上で正n角形の中心点座標を計算で求めようとすれば、全ての中心点座標は原点である事は自明である。
これで、単位円の円周上、複素1次元直線をn分割して、関数計算によって正多角形を描こうとして、作図不可能証明をしてしまった整数論が、数の次元を考えない本末転倒のアプローチである事は理解できると思うが、その原因がオイラーの単位円の数の次元の勘違いから始まっていたと言う事である。
それでも、自然数のフラクタルな性質同様に、円の半径rによって無限に存在するフラクタルな同心円の存在に気付けば、この複素平面上での勘違いを超えて、フラクタル自然数バイナリー線分は3次元の多面体までつながっている事が分かるようになる。
ピタゴラスの時にはなかった勘違いが、ピタゴラスの時代から見れば近年、オイラーの数学で起こった。
平面図形は任意の点を繋ぎ合わせて描くが、任意の点を表すには、通常a、bの2つの数が必要な2次元の数である。
ところが、オイラーの等式では、複素数が発明されて、複素数によって2次元の座標平面の任意の点を表そうとしている。しかし、左辺のe^iθは、常に1であり、円の半径rによって変わる複素平面上の原点から任意の点までの距離rの円の半径の情報は相殺されている。
つまり、虚数と言う想像上の数を作り上げて、2次元の平面図形を1次元の単位円円周上で描く事が出来ると考えたのが、複素平面の大きな勘違いで、この様な平面上の任意の点を表す方法は、極座標形式 r∠θと言う事になるが。r/r=1と、rを相殺してしまって、θだけの変化で、平面上の任意の点を表す事は不可能である事は言うまでもない。元々、xーy座標形式も極座標形式も、A、Bまたはr、θの2つの数をつかって、2次元平面の任意の点を表すために考えられたものだか、複素平面と虚数と言う人間が創作したイメージによって神秘化され、1次元の複素数によって2次元の平面図形を描く事が出来ると考えたのがオイラーの大きな勘違いである。
極形式 r∠θのr とθは2つの数で2次元平面上の任意の点を表す事が出来るが、r/r=1と円の半径rを相殺した単位円円周上に表す事が出来る1点は、θに代入された1次元の自然数のみによって複素数化された、1次元の自然数と同じである。この単位円を数学的には、複素1次元直線と呼ぶ。2次元の複素数として、平面上の任意の点を表そうとすれば、円の半径rを相殺してはいけない事に気付いていない。
r/r=1で相殺されたフラクタル自然数1は,1から∞までの全ての自然数を内包している。
一方、x-y座標形式では、この様な相殺は出来ないが、x、yのどちらかの数の値を固定する事によって、1次元の自然数を2次元の複素数に変換して、複素平面上に持ち込む事は可能である。それが、複素数の実部を1/2と固定した、実部1/2の直線上である。本来1次元の自然数の中に配置された素数は、ζ関数によって複素数化されて複素平面上にばら撒かれたが、素数の数の次元と自然数のフラクタルな性質を考えれば、x、yのどちらかの数を固定した複素1次元直線上に揃うのは、当たり前の話である。
正多角形では1ペンの長さを実軸の原点から1までの長さと固定すれば、正多角形のもう一つ数として、正多角形が内接する円の中心点座標が実部1/2の直線上に揃う。

自然数nに対応する正n角形の中心座標が複素1次元直線上に揃うのは当たり前だが、先のオイラーの等式の様にrを相殺した単位円を円周上で正n角形の中心点座標を計算で求めようとすれば、全ての中心点座標は原点である事は自明である。
これで、単位円の円周上、複素1次元直線をn分割して、関数計算によって正多角形を描こうとして、作図不可能証明をしてしまった整数論が、数の次元を考えない本末転倒のアプローチである事は理解できると思うが、その原因がオイラーの単位円の数の次元の勘違いから始まっていたと言う事である。
それでも、自然数のフラクタルな性質同様に、円の半径rによって無限に存在するフラクタルな同心円の存在に気付けば、この複素平面上での勘違いを超えて、フラクタル自然数バイナリー線分は3次元の多面体までつながっている事が分かるようになる。