雨の日は図書館に行こう16 高木貞治著 数の概念 1945年
日本の大数学者最後の書 「数の概念」 と言うタイトルに興味があった。
虚数単位、複素数は数としてどのように捉えられていたのか?
手にとって目次を眺めてると、虚数どころか複素数も書かれていない。
現在、物理学者のジョークで人類の人類の至宝とまで呼ばれている
オイラーの等式e^iπ+1=0
の元になった複素数e^ixオイラーの公式が数に概念に書かれていない理由が、目次の前のまえがきにP6に書かれていた。
>引用
複素数は、解析学では重要であるけれども、それは多元数の特殊の一例で、おのずから別箇の思想圏に属するものとして、本書ではそれを述べない。


初めに複素数ありきの数学教育を受けて育った数学者達は古典的代数などと数値化して複素関数論を展開している中で、珍しく本書は数学史の中に埋もれた複素数誕生までをありのままに発掘している。
現在の殆どの数学書には、何の根拠もなく複素数が古典的代数と書いてあるが、志賀浩二著 数の大航海1999年 日本評論社を読めば、複素数e^ixは円周に生ずる超越的な点の座標で、現在まで≠数学であると分かる。
雨の日は図書館に行こう14 明解 ガロア理論にみる複素数の捉え方
2ヶ月ぶりの雨の日図書館だが今回も驚きの本発見!
虚数とは何かを知らぬ数学者達 ロジャーコーツが弧度法を発明しオイラーが定義した虚数単位iを使って作り出された複素数がこの本では不思議な数として紹紹介され複素関数論が展開される はじめに複素数ありきの数学教育100年の弊害が可視化している。
明解ガロア理論 p2
第1章 古典的代数 1.1複素数体
複素数とは、実数x、yおよびi^2=ー1に対する次の形式
z=x+iy
を持つ数のことである。よってi=√ー1と考えられる。
iを虚数と呼び、はじめに虚数ありき、複素数ありきの数学教育100年の弊害がここにも明らかに現れている。
iはオイラーが振動の位相差計算のために定義した虚数単位であり
2乗してー1になる数は、±√ー1である。i=√ー1としたオイラーの虚数単位iの定義によって、ー√ー1の虚数単位で描き出された筈の宇宙の1/2は消えた。

現在の虚数の数論では、 x軸から下のi=ー√ー1部分が描き出されていない事になる。
何を持って古典的代数と呼んでいるのかは不明だが、複素数はオイラーが二次関数の対称性を担保しない虚数単位i=√ー1を定義しなければ存在していない数である。
いや、複素数は数ではない。
複素平面上の0次元の点である。


複素平面上で、高次関数の解の在処である正多角形の頂点座標を表すための単なる表示法である。
0次元の点を数として関数計算に使うためには暗黙のうちに原点と繋いで2次元の数としてベクトル化しなければならない。
雨の日は図書館に行こう13 虚数の情緒に見る 複素数の捉え方
大間違いの複素数観発見! 複素数は数ではない!
p509 13行から15行
「自然数」に始まる数の概念は、「整数」「有理数」「無理数」「実数」と次第に広がっていき、遂に「虚数を導入するところまで来たのである。現在、これらの数は「複素数」と総称されている。
これが、現在の世界の数学者の複素数に対する概念とすれば、大変な間違いである。
複素数は数ではない。単なる複素平面上の座標点
オイラーが振動の位相計算のために定義した虚数単位i=√ー1を定義したことによって
a+ibと複素平面上の(a、b)の座標を現す表記法で、xーy座標平面の(a、b)となんら変わりがない。
数ではない複素数で表された座標点が、何を表しているのかを考えずに、ζ関数で算出された複素数が、複素平面上の実部1/2の直線上に揃うのを数学最大の謎として未解決問題と言っている。
その大きな原因が、虚数と複素数の理解不足によるものである事が明らかになった。
多変数複素関数論は複素変数の数が増えるほど(1/2)^n n=自然数 でゼロに近づいていくゼロ点探求の旅。
美しくない虚数の情緒 3次元の粒と振動で描き出される宇宙のフラクタルな粒の大きさを相殺して、振動の位相差計算だけで宇宙を語ろうとする大きな流れの始まりが見える。 想像上の数で現実の宇宙は語れない
オイラーの二次関数の解の対称性を担保しない虚数単位iの定義が、仮想空間で成立する複素関数論を生み、量子力学からフラクタル3次元立方体自然数1の粒の存在が消えて振動の位相計算のための情報理論と化した 虚数のオイラーの数学は数学ではない リーマン予想 証明完了! http://blog.livedoor.jp/art32sosuu/archives/42033644.html
ありがとうございます。 電気工学の専門的な話ですが、 虚数単位を定義したオイラーの了見は、インピーダンスz つまり、電圧と電流の2つの振動の位相差を数値的に固定したかったので、+√ー1だけを虚数単位と定義したわけで、±両方定義すれば虚部は相殺されて実部が見えると言うことです。
虚数を知らぬ数学者達は 1/2の虚数単位を定義し数学ではない複素関数論が描き出した1/2宇宙の矛盾を不思議がる 虚数は単なる平方根 虚数単位は±√ー1⭕️ 負の虚数ー√ー1を定義すれば鏡の中の宇宙も見える化する。 はじめに複素数ありきの数学教育100年の弊害 blog.livedoor.jp/art32sosuu/arc…
3次元宇宙の自然数の次元を混同して単なる代数記号πに3.14…、180と2重の意味をもたせたのはロジャーコーツさんの弧度法です。これは宇宙の真理ではありません。 π=1ですべての矛盾は解決します。 ビッグバン宇宙の菅数論 - 発想力教育研究所 素数誕生のメカニズム
多変数複素関数論は複素変数の数が増えるほど(1/2)^n n=自然数 でゼロに近づいていくゼロ点探求の旅。 メタセコイアの定理は、2次元の幾何学図形が、直線と同じフラクタル1次元の直角二等辺三角形は、Σ1/(2^n)=1で数の原子自然数1のフラクタル次元を繋いでいる。1+1=2次元正方形
オイラーがインピーダンス計算のために2次関数に2つある解の片方を虚数単位iと定義した。この1/2だけ正解の虚数に情緒があるのか?全ての複素数演算の結果は+しか見えない。 虚数単位iは確率論発祥の元 雨の日は図書館に行こう13 虚数の情緒に見る 複素数の捉え方 blog.livedoor.jp/art32sosuu/arc…





なぜ、数に概念に複素数は含まれないのか?
いつの時代にも時の流行に流されず、決して厳密性を手放さない数学者がいた。
ニュートンの微分積分法やオイラーの公式は、粒と振動の宇宙で2次元振動を可視化するための近似値計算法で確かに数と言う概念には当たらない。
複素数という点の存在は時間tの関数として、微分法は点の傾き、積分法は点の集合、オイラーの公式は複素平面上の原点を中心として回転する単位ベクトルの先端の点の座標を表しているに過ぎない。
複素数という点の存在は時間tの関数として、微分法は点の傾き、積分法は点の集合、オイラーの公式は複素平面上の原点を中心として回転する単位ベクトルの先端の点の座標を表しているに過ぎない。
いつの時代にも流行に流されず物事の真理を追究している数学者はいたのですね。
今では人類の至宝と呼ばれている複素数も、厳密性を決して手放さない数学と言う学問で見れば、ニュートンの微分積分法と同じような近似値計算のためにメソッドであり、数の概念には当たらないとまえがきで宣言している。
複素数は数ではない。
複素数は、解析学では重要であるけれども、それは多元数の特殊の一例で、おのずから別箇の思想圏に属するものとして、本書ではそれを述べない
多変数複素関数論が当時の世界の数学界で大流行だったが、ロジャーコーツの弧度法やオイラーの虚数単位iの定義によってやっと誕生したe^ix複素数とは何かを全く知らず、複素数がプラトンの時代からあった古典的代数などと言っていた時代だ。
当時の流行に流されない日本の大数学者の言葉は重い!虚数単位、複素数は数としてどのように捉えられていたのか?
手にとって目次を眺めてると、虚数どころか複素数も書かれていない。
現在、物理学者のジョークで人類の人類の至宝とまで呼ばれている
オイラーの等式e^iπ+1=0
の元になった複素数e^ixオイラーの公式が数に概念に書かれていない理由が、目次の前のまえがきにP6に書かれていた。
>引用
複素数は、解析学では重要であるけれども、それは多元数の特殊の一例で、おのずから別箇の思想圏に属するものとして、本書ではそれを述べない。


初めに複素数ありきの数学教育を受けて育った数学者達は古典的代数などと数値化して複素関数論を展開している中で、珍しく本書は数学史の中に埋もれた複素数誕生までをありのままに発掘している。
現在の殆どの数学書には、何の根拠もなく複素数が古典的代数と書いてあるが、志賀浩二著 数の大航海1999年 日本評論社を読めば、複素数e^ixは円周に生ずる超越的な点の座標で、現在まで≠数学であると分かる。
複素数≠数学
1999年 数の大航海 志賀浩二著
1899年 関数の理論の歴史 チムシェンコ著
1748年 無限解析入門 オイラー著
1715年 テイラー展開 アクセプトe^x
1714年 ロジャーコーツのオイラーの公式e^ixリジェクト
リーマン予想 証明完了! - 発想力教育研究所 素数誕生のメカニズム http://blog.livedoor.jp/art32sosuu/archives/42033644.html
リーマン予想 証明完了! - 発想力教育研究所 素数誕生のメカニズム http://blog.livedoor.jp/art32sosuu/archives/42033644.html
2ヶ月ぶりの雨の日図書館だが今回も驚きの本発見!
虚数とは何かを知らぬ数学者達 ロジャーコーツが弧度法を発明しオイラーが定義した虚数単位iを使って作り出された複素数がこの本では不思議な数として紹紹介され複素関数論が展開される はじめに複素数ありきの数学教育100年の弊害が可視化している。
明解ガロア理論 p2
第1章 古典的代数 1.1複素数体
複素数とは、実数x、yおよびi^2=ー1に対する次の形式
z=x+iy
を持つ数のことである。よってi=√ー1と考えられる。
iを虚数と呼び、はじめに虚数ありき、複素数ありきの数学教育100年の弊害がここにも明らかに現れている。
iはオイラーが振動の位相差計算のために定義した虚数単位であり
2乗してー1になる数は、±√ー1である。i=√ー1としたオイラーの虚数単位iの定義によって、ー√ー1の虚数単位で描き出された筈の宇宙の1/2は消えた。

現在の虚数の数論では、 x軸から下のi=ー√ー1部分が描き出されていない事になる。
何を持って古典的代数と呼んでいるのかは不明だが、複素数はオイラーが二次関数の対称性を担保しない虚数単位i=√ー1を定義しなければ存在していない数である。
いや、複素数は数ではない。
複素平面上の0次元の点である。


複素平面上で、高次関数の解の在処である正多角形の頂点座標を表すための単なる表示法である。
0次元の点を数として関数計算に使うためには暗黙のうちに原点と繋いで2次元の数としてベクトル化しなければならない。
雨の日は図書館に行こう13 虚数の情緒に見る 複素数の捉え方
大間違いの複素数観発見! 複素数は数ではない!
p509 13行から15行
「自然数」に始まる数の概念は、「整数」「有理数」「無理数」「実数」と次第に広がっていき、遂に「虚数を導入するところまで来たのである。現在、これらの数は「複素数」と総称されている。
これが、現在の世界の数学者の複素数に対する概念とすれば、大変な間違いである。
複素数は数ではない。単なる複素平面上の座標点
オイラーが振動の位相計算のために定義した虚数単位i=√ー1を定義したことによって
a+ibと複素平面上の(a、b)の座標を現す表記法で、xーy座標平面の(a、b)となんら変わりがない。
数ではない複素数で表された座標点が、何を表しているのかを考えずに、ζ関数で算出された複素数が、複素平面上の実部1/2の直線上に揃うのを数学最大の謎として未解決問題と言っている。
その大きな原因が、虚数と複素数の理解不足によるものである事が明らかになった。
中学生向けに書かれた数学書で大変良くまとまっているが、やはり始めに複素数ありきで、虚数に矛盾を感じながらも複素数を数として認識している現在の数学界の立場を中学生にも理解させようと言う感がある。
その方向性が虚数の情緒という題名にも表れている。
一方では虚数とは負の数の平方根であると言い切りながらも、他方ではオイラーが、ー√ー1を虚数単位から外した選択には、どちらでも結果は同じだからと重大な数学的誤りをスルーしている。
オイラーはインピーダンスz つまり電圧と電流の位相差を可視化する目的で±√ー1のうちの+√ー1だけを虚数単位と定義したが、振動は±で相殺されるので敢えて+√ー1だけを虚数単位とした物で最早この段階でオイラーの公式は数学の2次関数の解の対称性を担保していないので数学とは言えない。
この虚数単位によって合成された新しい数が複素数だが、数学ではない虚数単位によって成立した合成数は勿論数ではなく、解の公式が存在しない高次関数の解の在処を表す複素平面上の座標点である。オイラーはインピーダンスz つまり電圧と電流の位相差を可視化する目的で±√ー1のうちの+√ー1だけを虚数単位と定義したが、振動は±で相殺されるので敢えて+√ー1だけを虚数単位とした物で最早この段階でオイラーの公式は数学の2次関数の解の対称性を担保していないので数学とは言えない。
そして、次に複素数を原点と繋げば数値計算が出来ると、いつの間にか解の公式が存在しない高次関数の解の在処を示す座標でである複素数が大きさと方向を持ったベクトル量に変化しそれを持って複素数は2次元の数であり数値計算出来るとまとめている。
ζ関数も同じ様な多変数複素関数論であり算出された複素数は全て解ではなく解の在処つまり正多角形の頂点座標なので正素数角形の頂点座標が実部1/2の直線上に揃うのは何の不思議もない当たり前のことですね。
しかしこれも素数の特徴ではなく奇数の特徴で偶数の場合は虚軸と実部1の直線上に揃う。
これは、数学的には大変な論理飛躍だが、多変数複素関数論で世界にインパクトを与えたこの国の数学者が、虚数の矛盾を抱えながら何とか数ではない複素数を数として認識させようとする忖度が滲み出ている。
だが
複素数は数ではない
中学生向け数学書 虚数の情緒 を見ると、虚数単位iが√ー1と定義された理由がp460脚注に書かれています。
2次関数の2つの解はどちらを選んでも同じ結果を得るので通常+を取る。
これが、鏡の中の宇宙が消えた瞬間です。
虚数の情緒 p465
複素平面上の「複素数は2次元の数である」には但し書きが付いている。「原点と直線で結べば」
複素数と言っているのは1次元直線のベクトルである
複素数は数ではない
オイラーの虚数単位iだけでも1/2の宇宙は見えなくなったがその複素数を数として扱い多変数複素関数論が展開された(1/2)^nの関数論を数学者達は認知できたのだろうか?
虚数など使わなくてもΣ1/(2^n)=1である
多変数複素関数論は複素変数の数が増えるほど(1/2)^n n=自然数 でゼロに近づいていくゼロ点探求の旅。
メタセコイアの定理は、2次元の幾何学図形が、直線と同じフラクタル1次元の直角二等辺三角形は、Σ1/(2^n)=1で数の原子自然数1のフラクタル次元を繋いでいる。1+1=2次元正方形
多変数複素関数論は複素変数の数が増えるほど(1/2)^n n=自然数 でゼロに近づいていくゼロ点探求の旅。
メタセコイアの定理は、2次元の幾何学図形が、直線と同じフラクタル1次元の直角二等辺三角形は、Σ1/(2^n)=1で数の原子自然数1のフラクタル次元を繋いでいる。1+1=2次元正方形
虚数の情緒?
摩訶不思議、奇妙奇天烈、虚数なしには量子力学の世界は語れないと2次関数の対称性を担保しない虚数単位iによって引き起こされた数論と幾何学の矛盾を誤魔化しているが、オイラーの数学は数学ではない。単なるインピーダンス計算美しくない虚数の情緒 3次元の粒と振動で描き出される宇宙のフラクタルな粒の大きさを相殺して、振動の位相差計算だけで宇宙を語ろうとする大きな流れの始まりが見える。 想像上の数で現実の宇宙は語れない
オイラーの二次関数の解の対称性を担保しない虚数単位iの定義が、仮想空間で成立する複素関数論を生み、量子力学からフラクタル3次元立方体自然数1の粒の存在が消えて振動の位相計算のための情報理論と化した 虚数のオイラーの数学は数学ではない リーマン予想 証明完了! http://blog.livedoor.jp/art32sosuu/archives/42033644.html
ありがとうございます。 電気工学の専門的な話ですが、 虚数単位を定義したオイラーの了見は、インピーダンスz つまり、電圧と電流の2つの振動の位相差を数値的に固定したかったので、+√ー1だけを虚数単位と定義したわけで、±両方定義すれば虚部は相殺されて実部が見えると言うことです。
虚数を知らぬ数学者達は 1/2の虚数単位を定義し数学ではない複素関数論が描き出した1/2宇宙の矛盾を不思議がる 虚数は単なる平方根 虚数単位は±√ー1⭕️ 負の虚数ー√ー1を定義すれば鏡の中の宇宙も見える化する。 はじめに複素数ありきの数学教育100年の弊害 blog.livedoor.jp/art32sosuu/arc…
3次元宇宙の自然数の次元を混同して単なる代数記号πに3.14…、180と2重の意味をもたせたのはロジャーコーツさんの弧度法です。これは宇宙の真理ではありません。 π=1ですべての矛盾は解決します。 ビッグバン宇宙の菅数論 - 発想力教育研究所 素数誕生のメカニズム
多変数複素関数論は複素変数の数が増えるほど(1/2)^n n=自然数 でゼロに近づいていくゼロ点探求の旅。 メタセコイアの定理は、2次元の幾何学図形が、直線と同じフラクタル1次元の直角二等辺三角形は、Σ1/(2^n)=1で数の原子自然数1のフラクタル次元を繋いでいる。1+1=2次元正方形
オイラーがインピーダンス計算のために2次関数に2つある解の片方を虚数単位iと定義した。この1/2だけ正解の虚数に情緒があるのか?全ての複素数演算の結果は+しか見えない。 虚数単位iは確率論発祥の元 雨の日は図書館に行こう13 虚数の情緒に見る 複素数の捉え方 blog.livedoor.jp/art32sosuu/arc…





コメント
コメント一覧 (9)
>2次関数の解の対称性を担保していないので数学とは言えない。
とありますが,i=+√-1と置いただけであって,2次関数の解の対称性はそのままですよね。
なぜ解の対称性を担保していないのかが知りたいです。
コメントありがとうございます。
オイラーの公式やロジャーコーツの弧度法、円分体ガロア群などはご存じの方だと言う前提でお返事を書いてもよろしいでしょうか?
ロジャーコーツのオイラーの公式e^ix(複素数)は1714年にイギリスの数学会でリジェクトされています。指数関数e^xとはなんの関係もありません。
志賀浩二 数の大航海 より
オイラーが虚数単位i=√ー1と定義して作ったオイラーの公式
e^ixは、作った本人でさえ数ではなく円周に生ずる超越的な量と言っていて、現在に至るまで複素数が数であると数学界で認識された事実はありません。
70年も前に日本の近代数学の祖と言われた大数学者高木貞治さんが鳴らした警鐘がなぜ当時の数学者達に届かなかったのか?残念ですね。
オイラーの公式の変数はx=ωt
ω=2πft すでに周波数fと時間tの二次関数、そこに2次関数の解である虚数単位i=±√ー1が入って4次関数、円分体2π/nで見れば、解の在処は正方形の頂点座標入れ替え個数は4!=24 実数との繋がりは全くありませんね。
そもそも、数学教育では2次関数の解の公式で実数解が存在するかのような教育をしていますが、2次関数にも実数解は存在していません。
解ありの時算出されるのは実軸とグラフの交点座標、実数ではなく2つでワンセットの複素数の点です。
オイラーのようにi=√ー1と+だけを虚数単位としたのは、オイラーの公式がロジャーコーツの弧度法で1次元の自然数の∞(円の半径r)をr/r=1と相殺して単位円円周上の2πの長さに囲い込んで、必ず±で相殺される虚数振動を可視化するために定義したものです。
そして、虚数単位iの定義は、回転ベクトルのスピンを左とし、振動数学の宇宙の1/2(スピン右)を見えなくしたことになります。
オイラーの虚数単位i=√ー1の定義はシュレディンガーの波動方程式にも大きな矛盾を与えていますよ。
一方では虚数とは負の数の平方根であると言い切りながらも、他方ではオイラーが、ー√ー1を虚数単位iから外した選択には、どちらでも結果は同じだからと重大な数学的誤りをスルーしている
虚数の情緒に見る 複素数の捉え方http://blog.livedoor.jp/art32sosuu/archives/86396501.html
望月理論の定義では虚数単位i同様宇宙の半分しか見えない。
xが±自然数の時の解が平方数である
平方数y=9の時x=±√yと必ず2つの解を持つので
x=±√9となり x=3、ー3
粒と振動の宇宙を数学で読み解くバイブル 素数と魔方陣 完成! http://blog.livedoor.jp/art32sosuu/archives/86151922.html
大体わかりましたが
リーマンゼータ関数の非自明なゼロ点
が実部1/2の上にあることは
やはりわかりません
私が悪いのでしょうか
0と1を頂点とする
正p角形の頂点が
実部1/2をみたすから
ですか
なるほど
完全に理解したと思います
よかった
望月新一さんも虚数単位についてよくわからなかった様なので上記の様に解説しました。
taiさんに以前質問させて頂いた時に複素数は古典的代数だと考えているとのお答えだったので、数ではない複素数をベクトル化して2次元変数として構築した複素関数論に違和感を感じない様な教育を受けてきただけだと思います。
ζ関数で算出したのも複素数の点なので、正n角形に関わる外接円の中心点や、正奇数角形の頂点座標が実部1/2の直線上に揃うのは当たり前だと気付けると思います。
これがビッグバン宇宙の菅数論フラクタル自然数1単位ベクトル→の定義です。
この後リーマン予想QEDをお読み頂ければ、全ての正素数角形の頂点が実部1/2の直線上に揃う事は証明できますが、数学的には正多角形には正2角形が存在していないので、リーマン予想は素数についてに予想ではなく単なる正奇数角形の複素数点についての予想だと言えます。
正偶数角形の頂点は実部0の虚軸上と実部1の直線上に揃い、正奇数角形の頂点(複素数点)は実部1/2の直線上に揃う。
これらはみな、フラクタル自然数1単位ベクトル→を実軸上に正多角形の1辺と定義した事によって複素平面上に描き出されたフラクタルな正多角形のミニチュアによって確認できた複素数点配置の幾何学的な事実です。
私からも質問があります。
宇宙際タイヒミュラー理論でABC予想が証明できた事が承認されても、リーマン予想の証明には程遠いと言うコメントを聞いた事がありますが、それは何故ですか?