私は普段 眼鏡をかけてるのですが
瞑想のときは、外すように言われます。
瞑想中、眼鏡をそのまま坐ってる側に、床に時下置きしていると
踏みそうで、危なっかしいので
いつも、服の襟のところに、サングラスでも引っ掛けるように
引っ掛けてましたが
眼鏡のつるにヒモを付けて、
はずすと首飾りみたいになるのを、準備したら良かったと思った。
5日目は頭からつま先まで、つま先から頭までを、順番に意識して各部分の感覚を
感じて行きます。
これは、前の日 4日の寝る前の30分くらいの瞑想の時に翌日の瞑想法を
解説してくれるので、「眠たい、、、」とぼんやり聞いてると
聞き逃すので、注意したいと思った。
実は、1回聞き逃して困った。
私は普段ふつうに快便だが、旅行や緊張することがあると
よく便秘になったりするのだが。
今回も、3日目から調子悪くなり、すでに2日便がでてない
これはなんとかしないと行けない。
お腹に便が詰まってると、お腹が重たく瞑想も散漫になって
時間を無駄にするように感じる。
ベストの状態で瞑想に挑みたいと思っているので、
朝4時半からの瞑想が終わり、6時半の朝食の時に
普段 全然飲まない牛乳の冷たいのをがぶ飲みし
リンゴを一個食べて、これで絶対出ると思うので
8時からのグループ瞑想のその前に出れば良いなあと、思いつつ
1時間の休み中に外で歩いたり身体を動かしてみる。
、、、
、、、
が
8時のグループ瞑想の時間が来ても、出る気配がありません。
けっこうきつい便秘のようだ。
しかたがない、
せっかく
固い決意のもとで、身体を動かさず目も閉じたままで
部屋から出てはいけない 気合いの入ったグループ瞑想での時間が
無駄になるような気がしつつ、瞑想に入る。
、
、
、
ヴィパッサナー瞑想に入って、やっと2日目です
皮膚感覚を頭から順番に感じて行くのですが、
まだまだ、皮膚感覚を感じろって言っても、そんなに簡単にわからない
何も無いように感じる、
顔の周りや手足などは、なんとなくわかりやすい感じがするが
背中やお腹は、
ハッキリ言って、全然わからん
感覚っていっても、、、特にお腹の感覚って、、
お腹の感覚が無いってことを感じるって、
へりくつみたいなことを思いつつ、
自分の身体なのに意識を持って行くのが難しいのに
悩ませれる。
いろいろ悩むが、
「感覚を探すことにとらわれては、いけません
つねに平常心で、身体の感覚が感じられなくても、
微笑んで次に進みましょう」と
心のバランスを崩さないようにすることも
大切だと 話しを聞く。
そんなこんなで、いろいろ考えつつ
グループ瞑想始まって30分くらいしたときである。
「ぐぅるるるうぅぅぐぅるるるるぅぅうきゅ〜〜〜〜」
!!
!!
お腹が、ぐるぐる言い出した、
あれ?
そうです、朝食の冷たい牛乳がぶ飲みと、リンゴが効いてきたようです。
突然、怒濤の如く便意がぁぁ〜〜
めっちゃ うんこがしたい。
グループ瞑想中は
勝手に部屋を出て行っては行けません。
我慢するしか無いと思い、気合いを入れて
本気で気合いを入れて
後30分ほど我慢することにする。
何故か、子供の時 学校帰りや、授業中、うんこを我慢したときのことが
走馬灯のように駆け巡る、「あ〜あの時もそうだった、、、」
大人になって、こんなことは久しくなかったなあ、、、
いかんいかん妄想している、身体の皮膚感覚を感じないと。
我慢してると、上半身は、冷や汗がぞくぞくした感じで出だし
下半身お腹の周りからお尻にかけては、強力な電気がショートしてるように
ビリビリきだす。
「これは、感覚が身体中をかけめぐってる!、これがお腹や背中の皮膚感覚や!」
さっきまでの、ぼんやりした感覚と違って
はっきり、くっきり、がんがんに皮膚の感覚を感じます。
すごいぞ、こういうことかよく解った!
それで少し考えたが
呼吸とは、自分の考えと関係無しに勝手にするものだが
意識したら、自由に遅くしたり早くしたりも出来るので
呼吸が、心と身体の橋渡しになるとの話しがあったが
便意もそうでないか?と思った
自分とは関係無しに、突然「トイレに行きたい」と思うが
我慢することも出来る。
身体が勝手に動く、心臓や発汗、呼吸、等自律神経の働きによりますが
便意も自律神経の働きによるものだと、考えたら
呼吸と同じことが 便意を我慢することによっておこり
便意を我慢することで、身体と心が橋渡しされてるのではないか?
今は 身体が「便を出したい」心が「我慢しろ」という
別々の指令が、身体に出されて、ショートしてる状態で
身体にびりびり電機が流れるような、感覚が
身体中を駆け巡っている。
と考えられた。
これでなんか1つ、皮膚感覚がどういう感じかつかめたぞ
冷静な判断を、してみたが
もう一方では、「これで坐ったまま うんこしたら、前代未聞やで
ヴィパッサナーセンターでの語りぐさになりそう、どうしよう どうしよう」
冷や汗は、流れっぱなしで、腰回りはじんじんして
心の平静を保つのは、かなり難しい状況でした。
瞑想終わりの 合図の鐘と同時に、部屋から飛び出たのは言うまでもない。
この後、お腹も軽くすっきりして、心も落ち着き、
30分怒濤のように感じた、感覚は残ったままで
瓢箪から駒とは、まさにこのことか。
(使い方あってる?)
苦しかったけど、すごい進歩したグループ瞑想の1時間でした。
瞑想のときは、外すように言われます。
瞑想中、眼鏡をそのまま坐ってる側に、床に時下置きしていると
踏みそうで、危なっかしいので
いつも、服の襟のところに、サングラスでも引っ掛けるように
引っ掛けてましたが
眼鏡のつるにヒモを付けて、
はずすと首飾りみたいになるのを、準備したら良かったと思った。
5日目は頭からつま先まで、つま先から頭までを、順番に意識して各部分の感覚を
感じて行きます。
これは、前の日 4日の寝る前の30分くらいの瞑想の時に翌日の瞑想法を
解説してくれるので、「眠たい、、、」とぼんやり聞いてると
聞き逃すので、注意したいと思った。
実は、1回聞き逃して困った。
私は普段ふつうに快便だが、旅行や緊張することがあると
よく便秘になったりするのだが。
今回も、3日目から調子悪くなり、すでに2日便がでてない
これはなんとかしないと行けない。
お腹に便が詰まってると、お腹が重たく瞑想も散漫になって
時間を無駄にするように感じる。
ベストの状態で瞑想に挑みたいと思っているので、
朝4時半からの瞑想が終わり、6時半の朝食の時に
普段 全然飲まない牛乳の冷たいのをがぶ飲みし
リンゴを一個食べて、これで絶対出ると思うので
8時からのグループ瞑想のその前に出れば良いなあと、思いつつ
1時間の休み中に外で歩いたり身体を動かしてみる。
、、、
、、、
が
8時のグループ瞑想の時間が来ても、出る気配がありません。
けっこうきつい便秘のようだ。
しかたがない、
せっかく
固い決意のもとで、身体を動かさず目も閉じたままで
部屋から出てはいけない 気合いの入ったグループ瞑想での時間が
無駄になるような気がしつつ、瞑想に入る。
、
、
、
ヴィパッサナー瞑想に入って、やっと2日目です
皮膚感覚を頭から順番に感じて行くのですが、
まだまだ、皮膚感覚を感じろって言っても、そんなに簡単にわからない
何も無いように感じる、
顔の周りや手足などは、なんとなくわかりやすい感じがするが
背中やお腹は、
ハッキリ言って、全然わからん
感覚っていっても、、、特にお腹の感覚って、、
お腹の感覚が無いってことを感じるって、
へりくつみたいなことを思いつつ、
自分の身体なのに意識を持って行くのが難しいのに
悩ませれる。
いろいろ悩むが、
「感覚を探すことにとらわれては、いけません
つねに平常心で、身体の感覚が感じられなくても、
微笑んで次に進みましょう」と
心のバランスを崩さないようにすることも
大切だと 話しを聞く。
そんなこんなで、いろいろ考えつつ
グループ瞑想始まって30分くらいしたときである。
「ぐぅるるるうぅぅぐぅるるるるぅぅうきゅ〜〜〜〜」
!!
!!
お腹が、ぐるぐる言い出した、
あれ?
そうです、朝食の冷たい牛乳がぶ飲みと、リンゴが効いてきたようです。
突然、怒濤の如く便意がぁぁ〜〜
めっちゃ うんこがしたい。
グループ瞑想中は
勝手に部屋を出て行っては行けません。
我慢するしか無いと思い、気合いを入れて
本気で気合いを入れて
後30分ほど我慢することにする。
何故か、子供の時 学校帰りや、授業中、うんこを我慢したときのことが
走馬灯のように駆け巡る、「あ〜あの時もそうだった、、、」
大人になって、こんなことは久しくなかったなあ、、、
いかんいかん妄想している、身体の皮膚感覚を感じないと。
我慢してると、上半身は、冷や汗がぞくぞくした感じで出だし
下半身お腹の周りからお尻にかけては、強力な電気がショートしてるように
ビリビリきだす。
「これは、感覚が身体中をかけめぐってる!、これがお腹や背中の皮膚感覚や!」
さっきまでの、ぼんやりした感覚と違って
はっきり、くっきり、がんがんに皮膚の感覚を感じます。
すごいぞ、こういうことかよく解った!
それで少し考えたが
呼吸とは、自分の考えと関係無しに勝手にするものだが
意識したら、自由に遅くしたり早くしたりも出来るので
呼吸が、心と身体の橋渡しになるとの話しがあったが
便意もそうでないか?と思った
自分とは関係無しに、突然「トイレに行きたい」と思うが
我慢することも出来る。
身体が勝手に動く、心臓や発汗、呼吸、等自律神経の働きによりますが
便意も自律神経の働きによるものだと、考えたら
呼吸と同じことが 便意を我慢することによっておこり
便意を我慢することで、身体と心が橋渡しされてるのではないか?
今は 身体が「便を出したい」心が「我慢しろ」という
別々の指令が、身体に出されて、ショートしてる状態で
身体にびりびり電機が流れるような、感覚が
身体中を駆け巡っている。
と考えられた。
これでなんか1つ、皮膚感覚がどういう感じかつかめたぞ
冷静な判断を、してみたが
もう一方では、「これで坐ったまま うんこしたら、前代未聞やで
ヴィパッサナーセンターでの語りぐさになりそう、どうしよう どうしよう」
冷や汗は、流れっぱなしで、腰回りはじんじんして
心の平静を保つのは、かなり難しい状況でした。
瞑想終わりの 合図の鐘と同時に、部屋から飛び出たのは言うまでもない。
この後、お腹も軽くすっきりして、心も落ち着き、
30分怒濤のように感じた、感覚は残ったままで
瓢箪から駒とは、まさにこのことか。
(使い方あってる?)
苦しかったけど、すごい進歩したグループ瞑想の1時間でした。