IMG_0104大谷寺は泰澄大師が1300年前に開いた山岳信仰の古刹です。
最盛期にはこのあたりに一千坊があり、大谷寺の本坊は「大長院」と呼ばれていました。

泰澄大師(682−767)
伝説上の人物とされることもありますが、天武天皇の息子・大津皇子が父で、粟津王が泰澄ではないかとの説があります。この説が正しければ、泰澄は天皇の孫ということになります。
越前の育ての親・三神氏の財力で、泰澄11才の時にこの寺が創建されました。
越前から見ると、この越智山が真西にあたり、幼少期に亡くなった両親を思って、夕日が沈む方角に建てたようです。
奈良の大仏が建立されたとき、お金集めの責任者になったのは行基でしたが、金きんを集めたのが泰澄だったという話も。。。

IMG_0106泰澄大師は西の越知山・日野山・文殊山・吉野岳・白山等々に登峰し、77才の時に大谷寺に戻り、86才で亡くなりました。
平均年齢が25才の時代です。
境内に建つ御廟は室町時代に造られたものです。





越智山一帯は、まだ発掘が本格的に行われておらず、試掘で出てきた食器類をご住職の奥様が見せて下さいました。
また、蓮の茎から糸を作ることは奈良の當麻寺に行って知っていましたが、実際に蓮の茎を折って糸を縁っていく様子を再現して下さいました。

P1000784L本堂には泰澄像が、左右に浄定行者(きよさだぎょうじゃ、山形出身)像と臥行者(ふせぎょうじゃ、能登出身)像に挟まれて安置されていました。
体内に「明応2年(1493年)」の銘が残されているようです。
※画像は永平寺タクシーのHPより勝手に拝借