2018年12月16日

番組収録時のドキュメンタリー5

181119-hama11bsw約20分の人物紹介番組「東葛人図鑑」の週路奥は、11月19日でした。
収録を終えるまでのドキュメントを紹介します。

8:00 いつものことではあるが、休み明けの朝は本業での確認作業。一通り終えた後で、土日の行事の資料や写真整理で午前中を終えた。
12:00 続いて隊士装束などの荷駄をまとめてから、昼食。
13:00 珈琲を飲みながら一息。なんとなく全身がだるい。体調降下の気配を感じる。
13:50 荷駄を流誠号に積み込み、いざ出陣。
14:00 流山おおたかの森駅で、KH@流山隊と合流。新松戸に向かうが、鼻水が出始める。
14:40 スタジオ入り、隊士装束に着替えて、背景などの仕込みをスタッフさんにお願いする。
15:00 北翔さんがスタジオ入り、打合せ開始も、私は鼻水が止まらず、台本をまともに読めない。
15:30 とりあえず、カメリハで、一緒に歌を唄うも、手の振り方が逆で声も上手く出ない。
 「もう少し笑顔でお願いしま〜す」と、スタッフの茂木さんから、やさしい笑顔でのダメ出し。
う〜ん、この状況で一発撮りは厳しいなぁ。そこで、再度確認した。 
「ちょっと待ってくださいね。流しで一発撮りですよね?」
「はい、そうです」
「どうしても、鼻水が止まらない場合は、途中で、編集をお願いします」と、情けない依頼。
 写真のように、カメラには移らない場所に、安心のため、ティッシュと飲料を用意して頂いた。
「はい、では、本番行きます!」
 この後は、実際の番組をご覧ください。
収録中は、何を話すかよりも、頭の中にあったのは、「鼻水止まれ」と「カメラを止めるな!」

おかげさまで、「本番に強い松下」のジンクス通り、収録に集中している間は鼻水はピタッと止んだ。
「はい、オッケーで〜す」
その瞬間、「がんばった!」
羽生君の気持ちが少しだけ解った気がした(笑)

16:20 収録を終え、記念写真を撮ったりして、着替えて撤収。
終えてから、いろいろな点に気付いたが、すでに遅い。
「新選組の話をあまりしなかったですね」
「松下さんの新選組以外の面がわかるので、かえって良かったと思いますよ」
なるほど、これは結果オーライかも。
そんなわけで、多少の食い気味やかぶりも気にはなったが、台本も見ずに最悪のコンディションでの一発撮り、なんとか形に収めたということで、自己採点50点でした。

というような状況を踏まえて、再度、番組を御覧頂くと、途中で左を向いたり、といった不可思議な行動の理由が判ったりして面白いかと思います。
私が至らぬばかりに、ご迷惑をお掛けしましたが、無事に放映された事で安心しました。
関係者の皆様に、あらためて感謝申し上げます。ありがとうございました。
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2018年12月15日

番組収録の前日と前々日4

前回記事でも紹介した番組は、11月19日に収録でしたが、思いがけないハプニングがありました。
収録を終えるまでのドキュメントを少し紹介します。

これに先立つ2日前の11月17日(土)は、都内で幕末の慰霊祭があり、その直前に開催された史跡巡りにも参加。さらに終了後は関係者での懇親会にもお誘い頂き、急きょ出席して、楽しい時間を過ごし、夜10時に帰宅した。
しかし、本来ならば早めに帰宅して製作予定だった、翌日のウオークイベントの配付資料を、今から作らなくてはならない。
入浴後、資料作成に集中すること3時間、完成後の就寝は深夜2時だった。
そして翌11月18日(日)は、朝6時に起床。自宅から25分歩いて、ウオークイベントの集合場所へ。ここから約4kmの行程を、途中の史跡案内解説をしながら歩き、12時半に解散、昼食へ。
その後、すぐに帰宅すれば良かったかもしれないが、どうしても早く観たかったため、映画館へ。
ブーム前だったため?もしくは都内ではないからか、館内のボルテージはおとなしい観客ばかりだったが、ボヘミアン・ラプソディーに感動し、帰宅後も自宅でクイーンのライブ映像などを鑑賞した。
そして、壁に掛かっているギターを(二週間ぶり?)に取り、しばし楽しんだ後、夕食、入浴して0時に就寝した。
8月下旬の京都行き以来、ずっと過密スケジュールだったのが、ようやく一息ついたので、少し気が楽になった。
という感じの2日間に続く、11月19日(月)が番組の収録日だった。

書き下ろしで綴っていたら、長くなったので、当日ドキュメンタリーは、次回あらためて掲載します。
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2018年12月14日

番組収録の裏話−自己採点は50点5

181119-hama12csw元・宝塚のトップスター、北翔海莉さんとの対談番組は、御覧になりましたでしょうか?
12月10日から16日まで、Jcomで繰り返し放映されている「東葛人図鑑」という番組です。

さて、収録に関する裏話を少し。
この番組は、千葉県東葛飾地域に在住する人々の、生き様(というと、すごくカッコ良く聞こえますが)を紹介する番組です。
市長や会社経営者などをはじめ、様々な分野で活躍されている方々が多いのですが、今回で37回目となります。
司会役の北翔海莉さんも冒頭でお話しされていましたが、今までと大きく違うのは、私がスーツなどでは無く、新選組の隊士装束で出演している事、そして背景に誠の旗などが飾られていることでしょう。
そして、その割に、新選組の話が意外と少なかったりしています。
2回に分けても良かった?というお声も頂戴しましたが、新選組の活動については、ほかにもいろいろなところで紹介されているので、今回は新選組以外の部分で、松下英治という人間の側面を知っていただくということでは、充分意義のある企画だったと思います。
企画のお話しを頂戴し、取材にもお越し頂いたアナウンサーの茂木敬世さんには、あらためて感謝しております。
また、北翔海莉さんは、この収録の直前にご結婚が報じられ、ささやかなお祝いとして、今春の新選組行事限定の巾着袋をプレゼントさせていただきました。

ただ、私が生まれてから現在までの歩みを、わずか20分で紹介するには、なかなか時間配分も難しく、至る所で話が割愛されていたりするので、ちょっと戸惑われる方もいるかもしれませんね。
もっと詳しく聞きたいという方は(多分いないと思いますが・・・笑)、お会いした際にでもお尋ね下さい。
そして、当日の収録では、もう少し上手く話せたらなぁ・・という思いも少し残りました。
なぜなら、今回の収録は、自己採点では50点だからです。
その理由も含めて、次回記事では、収録日のドキュメンタリーも掲載したいと思います。
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arteiji at 15:34|PermalinkComments(0) 映像・番組 

2018年12月12日

私の半生を番組で紹介していただきました5

IMG_8167csw今までも色々な場面でお話をしていますが、実は私は、新選組のファンではありません。こんな格好をして人前に出ていて、何を今さらと思う方もいらっしゃるでしょうが、新選組に関わるには、様々な経緯がありました。

私が生まれてから、現在に至るまで、なにがあってこうなったか。
そんな私の半生を番組で紹介していただく機会をいただきました。
元・宝塚のトップスター、北翔海莉さんとの対談番組で、12月10日から16日まで、Jcomで繰り返し放映されています。
「東葛人図鑑」という番組で、朝・昼・夜と時間を変えて毎日放映されています。
あまりに紆余曲折があるので、いったいどうなっているのと思われるかもしれませんが、ご興味を持たれた方はご笑覧ください。
ただし、千葉県東葛飾の専門番組なので、視聴できる方は限られるとは思いますが、来週以降はネットでの視聴ができるようになるので、少々お待ちください。
なお、収録に関しては、いろいろな裏話もあるので、あらためてご紹介したいと思います。
せっかく、何回も放映されるので、裏話を知った後だと、また違った見方が出来ると思います。
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arteiji at 23:45|PermalinkComments(0) 映像・番組 

2018年11月29日

近藤勇らの甲州行きの真実とは5

DSC09123csw近藤勇らが甲府城を目指した本当の理由、そして行軍日程、土方の江戸往復の真実、戦いの経緯など、いわゆる「甲陽鎮撫隊」については、間違った「物語」が流布しており、研究家(歴史作家?)でも、今なお、それを堂々と発信している例があります。

前回記事で触れた某ブログから、「」内の記述について、以下に記します。

▲新選組は剣豪集団?
「新選組は剣術道場の師範を務めた近藤勇が局長、その道場で技を磨いた土方歳三が副長を務める剣豪集団です。」
→初期は将軍上洛に関する警護が目的の剣豪集団だったが、
後期は、洋式兵法の訓練を実施、情報収集などの政治工作もおこなうため、剣豪以外の隊士も増えていた。

▲鎮撫隊の甲州派遣の真実
「勝海舟は「甲府城を新政府軍から守るように」と命じて、新選組を江戸から出すことにしたのです。
しかも甲陽鎮撫隊という新しい名前を与えて、新選組とわからないようにしました。」
→「甲陽鎮撫隊」という名称は後のもので正式名称ではない。
派遣したのも勝海舟ではなく、大久保一翁。
新選組が江戸にいると邪魔なので甲府に追いやったというのも、構成の研究家の推論。

▲新選組は困りもの?
「将軍や幕府の役に立ちたいという思い」で「どんな過激な手段も使ってしまうところは困りもの。」
→過激な手段という意味では幕府も薩長も同様。幕府は近藤勇らを「困りもの」という処遇にはしていない。
※主戦派幕臣や会津・桑名は登城禁止や江戸払いとなっているが、近藤には登城命令に続き、任務の指示があった。

▲新選組の進軍が遅いため、土佐が先に甲府に入った?
「(甲府城が)板垣退助にやすやすと取られてしまったのは、新選組の歩みが遅すぎたためです。」
→本来、甲府に入るのは東海道軍だったが、東山道軍の迅衝隊が急きょ進軍して甲府に入った。

▲新選組は宴会で引き止められて進軍が遅れた?
「新選組は歓迎と激励の宴会に引き止められて、ここ(府中)で1泊してしまいました。
→しかも府中の前に新宿、府中のあとにも八王子で1泊して遊んでしまったので、
板垣退助に先手を取られたのは当然だったのです。」
→新宿泊でなく、新宿を出発。江戸屯所を引き払った近藤勇らは、ここで弾左衛門らと全員集結して出発した。
府中泊はひきとめられたのではなく予定通り。八王子泊は近藤・土方らのみ。本隊は与瀬泊。
新選組の宿泊・進軍はすべて「先触れ」(宿への事前連絡)に記された計画通りの進軍だった事が判明している。

▲「(新選組は)幕府から借りた6門の大砲を、行軍のじゃまになるからと4門も置いてきていました。」
→どこに置いてきたのでしょう? 置いてきたという史料は知りません。
「佐藤彦五郎は新選組の大事な大砲などとともに後方の花咲宿に退いた」という後世の作家の推論を鵜呑みにしたのでしょうか?
 
以上、少しだけ書きましたが、同様の例は他にも見受けられます。
また、土方歳三が江戸へ援軍を要請に行ったという一件についても、そんなに早く移動できないといった主旨で、批判している方、さらにはそれを鵜呑みにして拡散している方もいるようですが、視野が狭いとしか言いようがありません。
新政府側びいき?や新選組や近藤勇が嫌い?な方が書いた記事なのかもしれませんが、真実のように流布すると、近藤勇たちが可愛そうです。
ご存知の方もいるでしょうが、実は私は、もともと新選組ファンではありませんが、この件については少しだけ、新選組を擁護したいと思い、記事にしました。
なお、冒頭の写真は、甲州街道の小仏峠への旧道です。
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arteiji at 05:30|PermalinkComments(0) ◇研究:戊辰前期 | △史跡:関東

2018年11月28日

近藤勇が泣いている・・・2

KIF_5186bsw今朝、新選組流山隊士からの連絡で、あるブログの記述を知りました。
ブログ「隊長日記」は、以前は毎日更新をしていましたが、近年は調査研究の時間を少しでも多くするため、また本業や社会活動に費やす時間も増えていることなどもあり、更新の間隔が空いています。
最新研究については、ブログで公表する事ではなく、新選組流山隊の月例会で解説する事にしていることもあり、あえてネットでの発信は控えています。
この2ヶ月も、伊豆や箱根をはじめとする史跡調査や、行事への参加、番組収録、その他様々な活動をしています。毎月必ず開催している月例会も、通算167回を数えています。詳細年表も元治元年秋までが完成、江戸幕末史跡千ヵ所敷地地図も、印刷版・デジタル版を並行して進めています。
活動は、順調に進んでいますので、今後ともどうぞよろしくお願いします。

さて、冒頭のブログの件、非常にがっかりする内容でした。
今年は、明治維新150年=戊辰戦争150年ということもあり、昨年より新しい関連書籍発刊や雑誌での特集、番組やネットでの特集などが目に付くのですが、その内容には、残念な物も多いのが現状です。
流山での新選組について言えば、詳しくないフリーライターなどが、旧説で書かれた書籍などから安易に引用したために、いまだに「長岡屋」で「近藤勇が自首した」などの旧説を流布しているケースが多々見受けられます。
2018年発刊の新しい書籍であっても、旧説を引用していては、さらにこれを引用して旧説が流布するという連鎖を引き起こします。
同じような例が、冒頭のブログです。
近藤勇らの甲州行きについて、残念な内容となっています。

そんなわけで、久々にブログを書く事にしました。
今週も昨日の行事を終え、明後日は高校での授業を控え、さらに幕末や新選組以外でも、役員会・忘年会など、過密日程なのですが、あまりに新選組や近藤勇が可愛そうなので、正誤を書きます。
詳細は次回記事にて。
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arteiji at 20:02|PermalinkComments(0) ◇研究:戊辰前期 | △史跡:関東

2018年10月09日

奈良巡察-2 東大寺3

IMG_3732csw8月24日の午後は、法隆寺と平城宮を訪れたのち、東大寺に参詣しました。

16:00 東大寺に到着。ここは中学時代の修学旅行で訪れて以来。当時の記憶もあいまいで、柱の穴をくぐり抜けたことは覚えているものの、ほかは現地を歩いていても、あまり覚えていない。
IMG_0661cswただ、観光客の多い事に辟易しながら、その中でも外国人が実に多いと感じた。当時はここで外国人を見た時に、あっ、外国人だと、遠くから見ていた事を思いだした。
IMG_0653cswそして、境内にはたくさんの鹿が放し飼いになっていたが、昔はこんなにいなかった様な気がする。
餌で釣りながら、写真を撮っているのは、日本人よりもアジア系外国人。
たくさんの人とたくさんの鹿で、本堂へ歩いて行くのも遮られる。
どうしても、今朝から巡ってきた神聖な境内と比較してしまう。
南大門、金剛力士像、大仏様と、その大きさには圧倒されるが、これが日本の目指す観光産業なんだなぁと感じた。
IMG_3724csw大仏様の後ろ側に回ると、例の柱があった。
取り囲む人は意外と少なかったので、私も・・・
無事にくぐり抜ける事が出来た。
17:00 東大寺を後にして、京都に向かう。
明日の収録の打合せの時間が20時と決まっているので、その前にホテルにチェックインをしなくてはならない。
高速道路を一路、京都に向かった。<続く>
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arteiji at 14:30|PermalinkComments(0) △史跡:京都・畿内 

2018年10月08日

奈良巡察-1 法隆寺と平城宮4

IMG_0651bsw8月24日の午後は、法隆寺を訪れました。

12:50 斑鳩に到着。6年振りの法隆寺。前回は新選組史跡の訪問のついでに立ち寄ったので、あまりゆっくり出来なかったが、今回は約1時間半を掛けて、西伽藍から夢殿、宝物殿などをしっかり見学できた。
五重塔、金堂などはもちろん宝物殿の所蔵品まで、国宝や重文が数多く、見応えがあった。
台風の影響で雲が流れるように移動していくが、風はあまり激しくなく、酷暑の高気温に対して、もう少し吹いて欲しいくらいだった。
世界遺産の史跡にしては、交通の便があまり良くないためか、観光客も少なめで、ゆったりと落ち着いて境内を巡る事ができて、神聖な雰囲気を堪能した。
IMG_3663csw14:20 法隆寺を後にして、土産を購入し、お決まりのソフトクリームを食べてから出発。のんびりとした情景の斑鳩の里を、法起寺の三重塔などを見ながら進む。
15:20 平城宮に到着。今回は時間が無いため、車窓から眺め、周囲を流誠号で走行し、その広大さを実感した。
まだ整備事業には何年も掛かるようで、そのうちあらためて訪問したいと思う。<続く>
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arteiji at 15:27|PermalinkComments(0) △史跡:京都・畿内 

2018年09月18日

飛鳥巡察-3 飛鳥寺4

IMG_0634bsw8月24日、談山神社への参詣後に、飛鳥寺を訪れました。

10:40 飛鳥に到着。ここは6年振り。前回は新選組の史跡を巡るのが主目的で、時間的制約から参詣できなかったので、今回が初めて。
「乙巳の変」の相談は多武峰で、蘇我入鹿の暗殺現場はこの飛鳥寺への道中にある飛鳥板蓋宮で、そして蘇我入鹿の首塚がこの飛鳥寺の至近にある。
その距離感を感じながら、飛鳥寺に着いた。

IMG_3617bsw飛鳥寺は、蘇我馬子の発願で推古天皇4年(596)に創建された。
日本最初の寺院とされている。これには諸説有るが、本格的寺院としては最古と思われる。
創建当時は、塔を中心に東西と北側に金堂が建ち、その外側に回廊を巡らせている大寺院だったという。
古くは法興寺といい、現在は安居院というのが正式名称。

IMG_3599csw通称「飛鳥大仏」の釈迦如来坐像も、日本で造られた最古の仏像とされる。※伝来の仏像では信州善光寺の本尊が最古ともいう。
ほかに観光客がほとんどいなかったので、お話しを伺うことが出来て、撮影もぜひどうぞと薦めていただいたので、大仏様のお写真も数枚納めた。
今まで各地で多くの寺社仏閣を巡っているが、日本最古といわれる時代の流れを感じながら、その時々の時代を考えた。
繁栄を極めた飛鳥時代ののち、荒廃していた室町時代は人々からも忘れ去られていたのだろう。再建された江戸時代後期、そして幕末の人々にとって、この寺の知名度はどのくらいだったのだろうか。そして、現代において。
法隆寺や東大寺を知らない人はいないだろうが、飛鳥寺を訪れたことがある人は少ないと思う。
そんなことを考えながら、飛鳥寺を後にして、斑鳩へと向かった。<続く>
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arteiji at 08:00|PermalinkComments(0) △史跡:京都・畿内 

2018年09月17日

飛鳥巡察-2 談山神社5

IMG_3561csw8月24日に初めて参詣した談山神社は、まさに聖域を感じる空間でした。
以下は前回記事の続きです。

境内の重要文化財を巡った後、これもまた重文の拝殿へ。左右に建つ西宝庫と東宝庫も重文だ。
楼門(重文)を潜ると本殿(重文)が見える。
まずは拝殿の中へ。
IMG_3547csw誰もいない空間は、まるで自分が招かれた主賓のような錯覚を生じさせる。
本殿に手を合わせて、拝殿の展示物を観覧する。
『多武峰縁起絵巻』の模写作品は、大化の改新に繋がる「乙巳の変」などを描いたもので、蘇我入鹿暗殺の場面は有名。
明治維新150年記念ということで、天忠組(天誅組)の関係の展示も興味深かった。
IMG_0614bsw
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この談山神社は、元は妙楽寺という寺院で、明治の廃仏毀釈により、神社となっている。そのため、建造物が神仏習合のまま残っている。
10:25 夏空の青と木々の緑が鮮やかで、もっとゆっくりしたいところでしたが、この後の予定もあり、談山神社を後にした。

10:40 流誠号で山を下り、蘇我馬子が埋葬されていたとされる「石舞台古墳」を見た後、飛鳥寺を参詣した。<続く>
 
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arteiji at 12:11|PermalinkComments(0) △史跡:京都・畿内 

2018年09月11日

飛鳥巡察-1多武峰5

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8月24日は、吉野の金峯山寺〜吉野神宮に参詣した後、以前から一度行ってみたかった談山神社に詣
でました。以下、巡察を報告します。
IMG_3597csw 8:45 金峯山寺を後にして、登ってきた山道を戻り、ひと山越えるといった感じで何も無い山道を過ぎ、再び山中の峠道を登る。ここも台風の後で道路上に木々が散らばっている。
 
 9:25 談山神社に到着。ここもほかに観光客は誰もいない。聖域といった雰囲気に包まれていた。
 
蹴鞠の庭から山麓の「十三重塔」(写真1)を望む。日本で唯一残る十三重塔を見てみたいと思っていた。
左に見える「総社拝殿」(写真2)は、日本最古の「総社」とされる。正面の「権殿」(写真3)も、右に見える「神廊拝殿」(写真4)も素晴らしい。これらを含め、境内には15棟もの重要文化財が建ち並ぶ。 
 ここは「多武峰」(とうのみね)という地域で、「乙巳の変」の縁の地。いわゆる「大化の改新」の際に、中大兄皇子と中臣鎌足が密議をした場所であったことから「談山」と呼ばれるようになったという。
IMG_4461cswIMG_4459bsw
 しばし境内を散策した後、拝殿の中に入れるとのことで、拝観をさせていただいた。<続く>
 
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arteiji at 09:57|PermalinkComments(0) △史跡:京都・畿内 

2018年09月02日

吉野巡察-2 吉野神宮5

IMG_3511bsw 8月24日朝、吉野の金峯山寺に詣でた後は、山を少し下って吉野神宮を訪問しました。以下、紹介します。
 8:25 台風の影響はすでに和らぎ、雲は速く流れているものの風は穏やか。時折晴れ間が広がり、気温も上がり始めたようだ。
 参詣のため本殿に向かうと、時間が早かったこともあり、禰宜さんが私服で作業をされていた。「どこから来られたのですか?」と問われたので、「千葉の流山からです」と答えた。
IMG_3512csw この後、談山神社へ行き、飛鳥〜斑鳩・法隆寺〜平城京跡〜奈良・東大寺を巡り、夕方には京都のホテルにチェックインして、20時半には二条城近くで番組収録の打合せがある。過密な日程のため時間も無く、禰宜さんも作業中だったので、長話はせずに神前に詣でて本殿を後にした。
IMG_4454csw 吉野神宮は、明治25年の創建だが、後醍醐天皇を祀る神宮。吉野山の吉水神社から像が遷座されている。境内は2万7千坪ということで、とにかく広い。流誠号を駐車場に停めたため、拝殿近くから入ってしまったので、摂社にも詣でてから神門を潜り大鳥居へと足を進めたとき、禰宜さんが着替えて追いかけて来られて、ありがたいことに人数分の落雁を頂戴した。後から、時間が無いとはいえ、御札を授かってくれば良かったと少し後悔した。次に吉野を訪れる機会には、天忠組(天誅組)関連の史跡巡察とともに、必ず御礼参りをしたいと思う。
 最近は人気の観光スポットへ行くと、多くの観光客がいて、マナーの悪い行動に辟易とすることも増えたが、ここでもまた朝早かったため、観光客は皆無。禰宜さんの親切なおもてなしとともに聖域でパワーをたくさん頂戴して、今回の巡察は、実に気持ちの良いスタートを切ることが出来た。
8:50 吉野神宮を後にして、談山神社へ向かった。
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arteiji at 19:10|PermalinkComments(0) △史跡:京都・畿内 | 幕末全般

2018年09月01日

吉野巡察-1 金峯山寺5

180824-0738ycsw 今夏は、遠方に行く予定は無かったのですが、ある番組の収録を京都でおこなうことになり、2泊3日の予定で出掛けてきましたので、少しずつ紹介していきます。
 今年は台風の当たり年のようで、この週2つ目となる台風20号が8/23の夜21時頃に徳島県に上陸、そんな状況で、この夜23時半に流山を流誠号で出発。
 帰省からのUターンが終わり、台風が迫っている中で、行楽に出掛ける車は少なく、あっという間に都内を抜けて御殿場へ。しかし、台風の影響で東名高速道路が通行止め、新東名高速を進むも、まもなく暴風雨となりました。フロントがラスには雨が激しく吹き付けたが、これを想定して事前に撥水処理を施しておいたので、ワイパーを使用せずに雨は流れていく。
 IMG_3488csw浜松SAでの休憩時には雨は止んだが、その後再び雨。岡を過ぎてようやく雨が止むも、ハンドルをしっかり握っていないと車が振られるような強風は続く。 伊勢湾岸自動車道も名港トリトンが通行止めのため、名古屋へ迂回。
 朝7時、無事に吉野に到着、濁流で溢れんばかりの吉野川を桜橋で渡河し、台風の爪痕が残る山道を登っていく。黒門を潜り、鳥居を過ぎると金峯山寺。黒門と鳥居の組み合わせが、神仏習合の入山修行の場を現代に伝える。東大寺大仏殿に次ぐ木造巨大建築の蔵王堂、見る者を圧倒する金剛力士像を配した山門はいずれも国宝。
IMG_3479csw ここを訪れたのは6年振り。前回同様に早朝のため、ほかに観光客が皆無で、聖域を体感した。
 吉野山は桜の名所で、豊臣秀吉も花見に訪れた。古くは源義経が静御前との最後の時を過ごした場所といわれ、後醍醐天皇が南朝を置いた場所。
 今回は行けなかったが、幕末には天忠組(天誅組)がこの近くで終焉を迎え、吉村寅太郎の墓もある。いつか墓参をしたいと思います。
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arteiji at 23:58|PermalinkComments(0) △史跡:京都・畿内 | 幕末全般

2018年08月30日

小千葉道場と龍馬の剣術修行4

IMG_7684bsw お盆の最中の8/15は、ある要件のため都心に出掛け、その後に散策をしました。少し歩いただけで汗が流れ出るような暑さでした。
 写真は、「小千葉道場」と呼ばれた桶町の千葉定吉道場跡です。
 千葉周作の弟の定吉は、自身も道場を創設し、嘉永6年(1853)12月改正の絵図では新材木町にあった道場ですが、翌年正月改正の絵図では桶町一丁目に記載され、移転していたようです。
 土佐の坂本龍馬は、嘉永6年3月〜翌年6月まで剣術修行のための出府をして、安政3年(1856)9月にも再出府、1年間の予定を延長して2年間滞在しました。その結果、安政5年1月には「北辰一刀流長刀兵法目録」を授与されました。
 龍馬が剣術の達人で「北辰一刀流免許皆伝者」という表記をよく見かけますが、実際には長刀の目録だったことが判明しています。
 2015年の10月以降は、「龍馬が北辰一刀流の免許皆伝者」といわれてきたことが事実だったという説が広がっていますが、これは、龍馬を英雄視したい気持ちからの勇み足の報道が原因と思います。
 新たに発見された資料からは、−「北辰一刀流兵法皆伝」「北辰一刀流兵法箇条目録」「北辰一刀流長刀兵法皆伝」が明治43年後期に北海道で開催された「坂本龍馬遺品展」に出品されたようだが、大正2年の釧路大火で焼失した−とする内容が読み取れます。
 しかし、通常は10年近くは掛かる皆伝までの修行を、2年半ほどの修行で為し得ることはほぼ不可能で、他に例を見ません。安政5年1月に長刀兵法目録を授与した龍馬は同年9月には帰国しており、いつすべての皆伝を受けたのか?という疑問があります。そしてこの目録を出したとされる千葉周作は、安政2年に死去しています。もっともこれは連名を誤解したともとれますが。
 それぞれの皆伝は現存しないので詳細を検証することは出来ませんが、龍馬が免許皆伝だったと示す書簡などの当時史料も皆無です。おそらくは、明治期に龍馬の事蹟を意図的に過大評価したりした中での、贋作なのではないかと推測されます。
 ちなみに清河八郎の場合は、通常は3年かかるという「北辰一刀流兵法箇条目録」を入門からわずか1年で修得しましたが、「北辰一刀流兵法免許」(現存)を修得するのには9年を要しています。
 幕末で人気があるのは、新選組、坂本龍馬、続いて西郷隆盛といったところでしょうが、後世の過大評価と史実を見極めていくことが、本当の歴史を知るために必要なことでしょう。
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arteiji at 12:15|PermalinkComments(0) △史跡:江戸(東京23区) | 幕末全般

2018年08月29日

西郷・勝会談の再現?5

IMG_0198csw2 今年は明治維新150年、そして大河ドラマの効果もあり、西郷隆盛にスポットライトが当たっていますね。そして西郷といえば、幕末では「薩長盟約」(薩長連合)と「江戸無血開城会談」が有名です。
 前者は、西郷が仲が悪かった長州の桂小五郎と、坂本龍馬の仲介で軍事同盟を結んだとされ、後者は、敵対していた徳川家臣の勝海舟と二人きりの会談で、江戸を戦禍から救った無血開城が実現したとされています。もっともこれは一般に知られている通説ですが。
 少し前になりますが−7月下旬、有楽町国際フォーラム内にて、ある会合がありました。ここは松下一族にも縁のある土佐藩邸跡ですが、すぐ隣りには新選組の江戸屯所跡があり、私にとっても出版記念祝賀会を催していただいた場所です。
 実はある番組の企画があり、出演をしていただくために勝海舟玄孫の高山みな子さんと、西郷隆盛本家直系五代目の西郷隆太郎さんにお越し頂きました。これは江戸無血開城会談の再現のような場? 私は坂本龍馬のように仲介に入っている? そんな感覚を受けながら、新選組流山隊2名と番組スタッフ2名とともに、約3時間の貴重なひとときを過ごしました。そして、西郷さん、私、高山さんと、順次収録をおこなうことになりました。続報はあらためて。ブログ村 幕末維新  ←応援クリックお願いします→ ブログランキング


arteiji at 21:20|PermalinkComments(0) ☆行事:江戸(東京23区) | △史跡:江戸(東京23区)