2016年12月03日

武州巡察2016/11-(2)忍藩と江戸湾沿岸警備4

IMG_1168bsw11月27日、武州巡察で忍城址を訪れたところ、偶然にも行田市郷土博物館で、企画展「江戸湾沿岸警備と忍藩」の最終日とのこと。
文化年間からの詳細年表製作に当たって、随所に江戸湾警備の項目があり、全体像を調べてみたいと思っていたので、まさにタイムリーな企画展です。
数年前に竹ヶ岡砲台跡へ行って以来、昨年6月には、浦賀や横須賀へ行き、品川台場などと供に、江戸湾警備には興味がありました。

最終日に来られたのも、これを見るためだったのかな〜などと思いながら、(失礼ですが)予想以上に充実した内容で、じっくり観覧することが出来ました。
先の記事で触れた忍藩士御子孫のお婆さんからも、「御爺様が沿岸の警備に行ったと聞いています」とのお話を伺っていましたが、150〜180年前というのは、まだ手の届く時代のような気がします。
ちなみに、写真は、忍城本丸跡の土手です。
ブログ村 幕末維新  ←応援クリックお願いします→ ブログランキング

arteiji at 14:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0) △史跡:関東 

2016年12月02日

武州巡察2016/11-(1)忍城址4

IMG_1176csw10月に沼田へ行った際、大河ドラマ「真田丸」で注目されている沼田城の解説をした資料を作成しました。
後日、そのツアーに参加されたお婆さんが、私の事務所に来訪され、忍城まつりのポスターを頂戴しました。
青色の見事な甲冑が大きく映ったポスターでしたが、お婆さんは、「実は、このポスターの甲冑は、私の先祖のものなんです」と仰ったのです。

以前から、忍城址に足を運んでみたいと言いながら、訪れたい場所も各地にたくさんあり、なかなか腰が重いまま過ごしていました。
これも何かの縁と思い、11月27日は、武州巡察を行うことになりました。
IMG_1183csw
この時期は、日没が早いこともあり、朝7:30に流山を流誠号で出発、早めに到着しそうだったので、途中で桶川宿に立ち寄り、かねてから断続的に行っている「旧中山道を辿る旅」の一環として、旧中山道を上りながら、忍城址へ。

忍藩は、江戸時代には永らく阿部家の領地として栄えました。
偶然にも先日、大多喜城を訪れましたが、本多忠勝から数えて6番目に大多喜藩主となった阿部正能(まさよし)は、阿部家初代忠秋の養子となり、忍の二代藩主となりました。阿部家は初代〜五代まで連続して5名が老中に就任し、九代阿部正権が奥州白河に転封するまでの184年間、江戸幕府を支える重要な位置にありました。そして、この阿部家が忍藩主だった時に、新選組沖田総司の沖田家は、阿部家の歩兵小頭などを勤めています。
写真の三階櫓は、現在の本丸付近に新たに建てられたもので、行田市郷土博物館の一角にあります。幕末の本丸には木々が生い茂り、御殿は本丸南側の「二ノ丸」にあったようです。当時の三階櫓は、その南側の「三之丸」からさらに南側の郭にありました。
忍城といえば、水攻めが有名ですが、忍藩は、江戸後期から幕末期に江戸湾沿岸警備を担当しています。
今回は、偶然にも、企画展「江戸湾沿岸警備と忍藩」の最終日でしたので、じっくり観覧することが出来ました。
ブログ村 幕末維新  ←応援クリックお願いします→ ブログランキング

arteiji at 14:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0) △史跡:関東 

2016年11月24日

大多喜城下を巡察4

IMG_0771wcsw11月21日は、大多喜町を訪問しました。
毎年、流山市観光協会ではバスツアーを実施してきましたが、今年は電車を利用しての視察研修。
朝6:45に南流山駅に集合して、武蔵野線〜外房線と乗り継いで、大原駅へ。大原町は、近年の広域合併で、現在は「いすみ市」と変わっています。
ここから、いすみ鉄道で大多喜駅へ向かいました。
赤字路線として廃止が検討されていたローカル線でしたが、公募で就任された鳥塚社長によって、再生を果たし、「ムーミン電車」として、全国的にも注目されています。
今回は、まず大多喜駅で、鳥塚社長よりお話をお聴きしました。
IMG_0818wcs
そして午後は、「ユネスコアジア太平洋文化遺産保存賞功績賞」を受賞した「大多喜町役場」の屋上や議場などを、職員さんに特別にご案内いただきました。

大多喜は城下町ですが、大多喜藩は江戸時代を通じて藩主が入れ替わり、途中二度にわたって廃藩になるなど、なかなか安定しませんでしたが、元禄15年(1702)に、大河内長沢松平家が入封し、幕末まで9代継承しました。
最後の9代藩主・11代大河内松平家の正質(まさただ)は、鳥羽伏見の戦いでの旧幕府軍総督を勤め、敵兵の頬肉をあぶって酒の肴にしたと伝わりますが、大敗を喫しました。
そのためか、地元ではあまり触れられず、最初の藩主である徳川四天王の一人「本多忠勝」がクローズアップされていました。
この日は月曜のため、大多喜城へは入城できず、城下町から見上げるのみ。写真の手前に移る三角形の建物群は、大多喜小学校です。
IMG_0813dsw市役所や市内には、「本多家の幟」と、『「本多忠勝・忠朝」を大河ドラマに』と書かれたのぼり旗のほかに、見慣れた旗が!
なんと「真田の里 上州沼田」と書かれたのぼり旗が掲げられていました。
私は1ヶ月前に沼田へ行ってきたばかりですが、まさか大多喜で、こののぼり旗に遭遇するとは想いもしませんでした。
今年の「真田丸」で本多忠勝を演じられた「藤岡弘、」さんが、大多喜祭りにも参加されたようです。
残念ながら、2019年の大河ドラマは、戦国や幕末ではなく、東京オリンピックに向けたスピンオフ的な年になるそうで、本多親子の大河ドラマ化は、まだ遠いようです。

本多忠勝から数えて6番目に大多喜藩主となった阿部正能(まさよし)は、その後に忍藩主となり大多喜を後にしましたが、この阿部家に仕えることになるのが新選組沖田総司の沖田家です。
これについては、来週にでもご紹介したいと思います。
ブログ村 幕末維新  ←応援クリックお願いします→ ブログランキング

arteiji at 01:17|PermalinkComments(1)TrackBack(0) △史跡:関東 

2016年11月23日

「関東一両御神社」を詣でる4

IMG_0767dsw11月20日は、船橋市にて、千葉県ボランティアガイド連絡協議会「ベイ・東葛エリア」の交流会が開催され、参加をしてきました。
流山市には、「新選組流山隊」のほか、「流山史跡ガイドの会」と「流山史跡探訪友の会」がありますが、この日は流山の3団体を含む12団体が集まりました。
午前中は、石井食品の本社内にて、代表者会議と交流会があり、新選組流山隊も活動紹介をさせていただきましたが、当隊以外の参加団体はすべて高齢化が課題のようで、ボランティアガイドが主目的ではない当隊のみが、少し異質な感じです(笑)。

そして午後は、主管された船橋の2団体のガイドにより、市内の史跡案内がおこなわれました。
コースは2通りあり、ひとつは「太宰治と玉川旅館を巡る」コース。
新選組流山隊は、もうひとつの「徳川家康ゆかりの地を巡る」コースに参加しました。
「日本一小さい東照宮」とされる「船橋御殿跡」の東照宮などを巡った後、最後は「意富比神社」へ。
IMG_0765dswここは、通称「船橋大神宮」として、天照大神が祀られています。
本社の隣に建つ「常磐神社」は、江戸時代には「関東一両御神社」、あるいは「関東一船橋両宮」として、「意富比神社」と並び称された「東照宮」で、日光・久能山・上野・紅葉山・仙波・世良田と同格とされ、8代将軍吉宗公は、「船橋へ参宮いたし候らへは伊勢日光参拝いたし候も同じ」と伝わっているようです。
そして、今回のルートには、戊辰戦争時の「市川・船橋戦争」の史跡も含まれていましたので、個人的には興味深い史跡巡りとなりました。

紅葉も進み、すっかり晩秋の景色でしたが、この日は、なんと10月並みの気温であり、上着が不要なほど。絶好の散策日和に加えて、境内には七五三詣での家族連れも多く、微笑ましい光景に、こちらまで和やかな気持ちになりました。
ブログ村 幕末維新  ←応援クリックお願いします→ ブログランキング

arteiji at 00:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ★行事:流山(下総東葛) | ▲史跡:流山(下総東葛)

2016年11月11日

神楽坂を歩く〜知られたくない史跡?を案内5

IMG_0689csw11月9日は、神楽坂界隈の案内解説をする史跡ガイドツアーを行いました。
某団体の20名弱の方々をご案内し、昼食を含めて4時間半で約4kmを歩いて巡りました。
この付近は、幕末に関する史跡は少ないので、普段はあまり巡察をすることもないのですが、今回は「神楽坂を歩きたい」というご依頼をお請けしての「江戸巡察会」でした。
地下鉄の「神楽坂駅」で待ち合わせ、地上へ出ると、そこは酒井修理太夫の下屋敷跡。
幕末の当主は、京都所司代や寺社奉行を務めた若狭小浜藩12代藩主酒井修理太夫忠義でした。この忠義は14代藩主として復帰し、明治期を迎えました。
この屋敷内にあった「正雪地蔵」は、由井正雪に因んだ地蔵ですが、現在は「秋葉神社」に安置されています。
秋葉神社に立ち寄った後は、奥羽越列藩同盟にも参加した、越後黒川藩・柳沢摂津守光昭の上屋敷跡に沿って歩き、尾崎紅葉の旧宅跡へ。
続いて、住宅街の細い路を南下しますが、ここは、江戸時代は市中引廻しのルートでした。その先は、袖摺坂。
IMG_0684csw新宿区の標柱によると、袖が擦り合うくらい狭い坂道というのが名称の由来とのことですが、江戸時代後期にはこの西側に別の坂道が造られました。坂道の名称を表す標柱はありませんが、その理由は、あまりよくない意味の名称だからでしょう。
この付近には、ほかにも標柱の建てられていない坂道がいくつかあります。
また、神楽坂の公園などに設置された案内板にも、そこで起きた事件などが記されていなかったりします。
現代において、その事実を広く告知したくないとの理由なのかもしれませんが、埋もれた歴史を知ることで見えてくるものもあります。
今回の巡察会では、このあとも、10ヶ所以上の史跡などを案内、解説を行い、飯田橋駅で解散しましたが、知られざる史跡と併せて、11月度例会でも詳細地図や写真をもとに、解説をする予定です。
ブログ村 幕末維新  ←応援クリックお願いします→ ブログランキング

arteiji at 23:33|PermalinkComments(1)TrackBack(0) △史跡:江戸(東京23区) 

2016年11月03日

新選組隊士の総数は?5

新選組の隊士は、延べ何人くらいいたのでしょうか?
この質問に即答できる方はあまりいないでしょう。

以前、新選組を詳しく知りたいと思って、基礎データをまとめようとしたことがありました。
書籍等に記載されている事柄を調べるうちに、旧説や通説が入り交じり、信頼できないものが多かったため、途中で中断せざるを得ませんでした。
じっくり時間をかけて、データベースを独自に作製するしか無いとの判断で、「新選組超詳細年表」の作製などを進めることにつながっています。

年表については、新選組結成までの時代背景を把握するため、文化元年(1804)から開始し、ようやく新選組結成となる文久3年が終わりました。
これについては、新選組の前身となる「上洛浪士組」の完全名簿を作成することが必要でしたが、この先の元治〜慶応〜明治といった新選組の活動期間の調査を進めるにあたっては、必要不可欠となるのが、「新選組隊士名簿」です。

10年ほど前に、私が仮に製作した「新選組隊士名簿」の記載人数は、425名でした。その後、近年に発表された書籍などでは、424名、468名、520名といった数字が記載されています。
この数字の違いの理由がわかりにくいうえ、全体の2割もの人数が増減しているのでは、冒頭の「新選組隊士の総数は?」との問いかけの返答に困るのは当然のことです。

これでは、専門家でも、新選組隊士の総数は、「420名から520名程度」といった、かなり曖昧な回答になります。
近年、確証の無いまま、新たな人物が実は新選組隊士だったなどという説が発表されましたが、このように、在隊の事実が確定できない人物が多く含まれているのも、人数のばらつきの一因です。
また、変名や改名などの別称がある人物も多い上、史料の誤読や誤記、同じ読みでも漢字が異なったり、様々な形で、同じ人物が複数の表記となって記録に残されているのも一因です。
これを、類似した名前は同一人物と推定するのは良いのですが、なかには確証が無いまま確定してしまい、別人を同一視してしまうケースも見受けられます。
「斎藤一」と「斎藤一諾斎」、「新見錦」と「田中伊織」、「芹沢鴨」と「下村継次」など、様々な例がありますが、書籍によって異なるのでは迷うばかりでしょう。

現在、当方で製作を進めている「新選組隊士完全名簿」では、約590名をリストアップしています。
これをどうやって、利用しやすい名簿にするか。
11月13日の例会までに、暫定版を完成させる予定です。
ブログ村 幕末維新  ←応援クリックお願いします→ ブログランキング

arteiji at 22:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ◇研究:新選組全般 

2016年10月24日

5層天守があった要衝・沼田城4

IMG_0991-2dmw沼田市は、大規模な河岸段丘上に広がる町ですが、沼田城址からは、越後方面への道筋が見渡せます。
最初の写真の左の小山の裾野で利根川を渡り、川沿いに抜けていくと、越後長岡方面へ向かう三国街道へと繋がります。
左の小山の右下で、道を回り込んだ付近が、名胡桃城址です。
真田昌幸が、上杉景勝の命を受けて沼田城の攻略のために築いた拠点でした。

そして、2枚目の写真は、真田昌幸と叔父・矢沢頼綱によって、無血開城に追い込んだ当時の沼田城址です。「天保國繪圖」では、「古城」と記されています。
IMG_0999ds2w当時の遺跡は見当たらず、現在では、ここが初期の沼田城だと気づく方は、あまりいないでしょう。
眼下は、急な崖になっているようで、天然の要害です。
沼田城はその後、武田滅亡から織田の天下となり、北条家臣となった真田昌幸が一時的に支配するも、徳川や上杉などとの間で軋轢が生じ、秀吉の裁定で、真田は退城することになりました。

3枚目の写真は、秀吉の小田原征伐によって、北条氏が滅亡し、沼田を真田が再び支配した後、昌幸の長男・信幸が、慶長2年に建造した天守の跡地です。
5層の天守を建造したことから、真田信幸がこの城を重要視していたことがわかります。
IMG_1003csw残念なことに、信幸の孫の代でお家騒動があり、本家の松代藩から分離独立した真田信利の沼田藩は、天和元年(1681)に改易され、翌年に天守も破却されました。

関東では、5層の天守は、江戸城とこの沼田城しかなかったため、現存していたらもちろん国宝でしょうし、再建されていたら、観光の目玉になっていることでしょう。
現在は、「利根英霊」を祀る社が建っています。

ブログ村 幕末維新  ←応援クリックお願いします→ ブログランキング

arteiji at 14:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0) △史跡:関東 

2016年10月22日

関東有数の城・沼田城址へ4

IMG_0970wcsw大河ドラマ「真田丸」で話題になった「沼田城址」へ行ってきました。
雨天が続いた10月上旬でしたが、16日は夏のような日差しで、絶好の行楽日和。
今回は、流山商工会議所おおたかの森支部の視察研修旅行で沼田を訪れ、私が沼田城址の解説を行いました。
戦国時代は専門外でしたが、むしろ元々は戦国時代の方が好きでしたので、基礎知識は持っています。
「真田丸」でクローズアップされた沼田ですが、本来の「関東」の位置づけ、そして現代において「北関東」とされる地域の重要性は、当時の感覚で考えていく必要があります。
例えば、筑波山の南側の「小田」、栃木から群馬にかけての「足利」「新田」周辺なども同様です。

IMG_0982bsw沼田城は、現在は天守をはじめとする櫓類が現存せず、石垣や壕なども大部分が残されていません。最初の写真は本丸跡ですが、往時を偲ばせる建物は、平成になって建てられた鐘楼くらいで、一般の方々が観覧するには、あまり面白くない城址でしょう。
しかし、その重要性や歴史的経緯を知ると、興味深い史跡となります。
櫓跡の後ろに回り込めば、真田氏が城主時代の石垣も残っています。
現地に、わかりやすい解説板などが無いのが残念ですが、それぞれの史跡を巡ってきましたので、次回記事でもう少し紹介していきます。

関連記事は、流山商工会議所おおたかの森支部のブログ「おおたか通信ブログ」にも掲載しています。
ブログ村 幕末維新  ←応援クリックお願いします→ ブログランキング

arteiji at 10:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0) △史跡:関東 

2016年10月07日

文久3年の超詳細年表が完成。5

IMG_0642bsw江戸後期の詳細年表に続き、幕末の詳細年表を製作中ですが、いよいよ文久3年が完成しました。

詳細年表については、数年間をかけてのプロジェクトです。
まずは、今から200年以上前の文化元年から文政年間、続いては、近藤勇や土方歳三が誕生した天保年間から弘化年間、そしてペリーが来航した嘉永6年までを、「幕末への50年」として、「江戸後期詳細年表」を製作、完成しています。
幕末については、延べ16年間のうち、安政年間から文久2年までを「幕末前期10年」として、これもすでに完成しています。
「幕末後期6年」に関しては、動乱の時期であり、非常に項目が増えていて、製作は困難を極めていました。

そのなかで、新選組の前身である浪士組が上洛した「文久3年」が、ようやく完成しました。
区分を記号で分類しているので、抽出をすると、「新選組町詳細年表」や「中岡慎太郎年表」、あるいは「幕末京都年表」などにも絞り込むことが出来ます。また、大雪や洪水など「自然災害年表」などにもなります。
A4判1頁に1行1項目で65行を記載しています。
「文久3年版」は、25頁、1620項目ものボリュームです。つまり、2頁で約1ヶ月ということになります。

10月9日の新選組流山隊例会で、配布し、解説を行います。
また、例会では、彦五郎忌の講演会内容の再検証、暦の解説も行う予定です。
ブログ村 幕末維新  ←応援クリックお願いします→ ブログランキング

arteiji at 22:43|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 幕末全般 | ◇研究:新選組全般

2016年09月26日

墓参と崙書房創立45周年祝賀会3

IMG_6101csw「第13回彦五郎忌」が開催された9月19日は、彼岸の入りでした。新選組隊士など先人の慰霊はもちろん大切ですが、やはり自分の先祖が一番大切です。彼岸の終わりである9月25日は、松下家の墓参をしました。
幕末研究調査はもちろんですが、地元における観光協会や商工会議所の役員としての活動、そして、本業であるデザインや印刷・看板・WEB製作等の仕事や打合せ、そして今週は自宅の玄関の改修で、棚を製作したりと、ゆっくりする間もなく一週間が過ぎ、彼岸の最終日にようやく墓参が出来ました。

ところで、24日は、流山を拠点とする「崙(ろん)書房出版」の創立45周年記念祝賀会に出席して参りました。
千葉県や茨城県の郷土史など約700冊を出版してこられた功績は、「血の出るような努力」であったとは、今回の発起人の一人である元・新人物往来社社長の大出俊幸氏のお言葉です。
この700冊のなかに、微力ながらも拙著が含まれていることは、光栄なことと感じました。
当日は、参加者への抽選会の賞品に、拙著もご紹介いただき、うれしい限りでした。
今後も、郷土史に関する執筆を進め、機会がありましたら、崙書房さんにお世話になりたいと思います。

9月も残すところわずか。
10月9日の「10月度例会」では、彦五郎忌の講演会内容を再検証する予定です。
ブログ村 幕末維新  ←応援クリックお願いします→ ブログランキング

arteiji at 00:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ☆行事:関東 | 年中行事・季節

2016年09月21日

彦五郎忌は「今年で最後」ではなく、「節目に開催」。2

「第13回彦五郎忌」は、前回記事でもお伝えしたように、「佐藤彦五郎新選組資料館開設10周年」を記念しての開催でした。
そのため、講演会は、「新選組研究御三家」といわれる菊地明氏・伊東成郎氏・山村竜也氏の3名が、9年ぶりに同じ壇上に揃うという、貴重な機会となりました。
そのためか、雨天にもかかわらず、今回は過去最多となる参加者が集まり、普段あまり見かけない関係者も参加していました。

しかし実は、「今回が最後の彦五郎忌」という噂が流れていたことも原因の一つだったのかもしれません。
当日、佐藤家からも再三コメントされたように、正確には、「これで最後」ではなく、毎年開催するのは今回で最後、今後は「節目での開催」をしていくということです。
 

良識ある編集者というフィルターを通したメディアとは別に、誰もが自由に発信できるネット環境においては、正確でない情報が掲載されることも多く、それが半永久的に残され、いかにも正しい情報であるかのごとく、蓄積されていきます。


ネット情報を検証せず利用することの危険性は、研究家などであれば常識ですが、一般的には、不正確な情報も、鵜呑みにした人により拡散され、真実であるかのごとく広がります。

熊本地震の直後に、動物園からライオンが逃げたという偽情報を多くの人が拡散したケースでは、最初に発信した犯人は逮捕されましたが、拡散した方々の罪は問われていません。


私も、ネットによる被害者の一人になっていますが、匿名の不特定者への反論は、意味がありません。
実際に、誹謗中傷の嫌疑を晴らすことの証明は困難であり、悪意を持った者への反論よりも、自身の力不足や人徳不足を克服することが必要です。
皆様には、噂では無く、現在から今後への、私の実際の言動を見ていただき、おつきあいの深度をお決めいただくしかありません。

ネット社会の脆弱性に対しては、各個人がそれぞれ責任ある言動について、考えることが大切と思います。

話が少しそれましたが、先人を顕彰する「彦五郎忌」が、節目に開催されることを期待しつつも、行事が無い年においても、命日に慰霊の心を持つことは、忘れないようにしたいですね。 

ブログ村 幕末維新 ←応援クリックお願いします→ブログランキング

arteiji at 15:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ☆行事:関東 

2016年09月20日

御三家が登壇。第13回彦五郎忌。5

IMG_6084csw9月19日は、「第13回彦五郎忌」に参加しました。
新選組の後援者でもある日野宿名主・佐藤彦五郎の法要で、大昌寺での法要と墓前焼香、午後は記念講演会、閉会後は懇親会にも参加させていただきました。
 
数々の史料も所有する現当主・佐藤福子さんは、現在「佐藤彦五郎新選組資料館」の館長です。
私も、佐藤家の皆様とは大変懇意にさせていただいており、「彦五郎忌」には毎年必ず参加をしております。

今回は資料館開設10周年ということで、記念講演会は、菊地明氏・伊東成郎氏・山村竜也氏の3名が講師でした。
新選組に興味のある方であればご存じでしょうが、「新選組研究御三家」といわれる3名が、同じ壇上に立つのは、9年前の「彦五郎忌」以来とのこと。

3名によるそれぞれの発言は、新選組ブーム盛衰に関わる事柄も多々あり、当隊で作成済みの年表「新選組現代史(昭和35年〜現在)」にも、それぞれの発言内容からの追加を行います。
コーディネータ役の佐藤福子さんからも重要な発言があり、私も聞いていて、そこまで言ってしまうの? とドキドキする場面もありました。

『燃えよ剣』などに影響を受けたという「御三家」のコメントには、なるほどと納得させられる部分があった反面、創作物を未見の私にとっては、ちょっと違うのでは?と史実性に疑問を感じる部分もありました。
新選組で一番強かったのは誰か?なども、再検討の必要があると思います。
懇親会でじっくり質問したかったのですが、3名がそれぞれ隅のテーブルに座られて、ファンに取り巻かれていたため、これはまたの機会に。

これらについて、新選組流山隊10月度例会では、それぞれの発言を分析して、当日の講演内容を振り返るとともに、新選組研究を進める上での「新選組現代史」も復習したいと思います。
ブログ村 幕末維新 ←応援クリックお願いします→ブログランキング

arteiji at 17:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ☆行事:関東 

2016年08月31日

天然理心流の免許を解読5

免許1ssw8月28日は、新選組流山隊の8月度例会を開催しました。
そして、プログラムの一つ、「古文書解読会」では、天然理心流の免許・目録を題材にしました。

私の知人から、母方の実家に天然理心流の免許が保管されているのだが、古文書が読めないため、何が書かれているのか知りたい、というお話を聞き、このたびの解読を行うことになりました。
近藤勇は、天然理心流の四代宗家でしたが、この目録と免許は、勇の義父で三代目宗家の近藤周助によるものです。

過去に解読され、書籍に掲載されている解読文と比較すると、基本的には同じなのですが、異なる漢字、解読が散見しています。
同じ人物による免許でも、違いが見られるのは何故なのか?
書籍に掲載された解読文には、免許を授けた相手が略され、原文写真も無いので、解読間違いや誤記なのかも判りません。
また、秘技については口伝であり、和歌に例えて記されている部分には、多くの謎が残ります。
今後も、引き続き、内容の吟味を継続していきます。
新選組流山隊では、毎月一回、月例会を開催していますので、ご興味のある方はご連絡ください。
ブログ村 幕末維新 ←応援クリックお願いします→ブログランキング

arteiji at 23:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ◇研究:新選組全般 

2016年08月30日

ブログ再開のお知らせ3

IMG_9402bsw久々の更新となりました。
昨年末より、いろいろと集中して行うことなどがあり、ブログ更新よりも他の事柄を優先して行っておりました。
ご心配された方からは、ご連絡をいただいたりし、あらためて御礼申し上げます。

その中でこのたび、7月27日を以て、大きな案件がひとつ終了しました。
実はしばらくの間、流山おおたかの森駅から徒歩2分の賃貸マンションから、新選組流山屯所へ通勤する生活を続けていました。
都内で飲んだりして帰宅する際には大変便利でしたが、逆に駐車場まで徒歩5分も掛かり、実家である新選組流山屯所との二重生活のようになり、いろいろと不便もありました。
今春、新たな道路が開通し、新選組流山屯所から流山おおたかの森駅まで、3回曲がれば行けるようになり、距離も短縮され、徒歩約15分となりました。
8月27日に引っ越しを完了し、まだ実家の部屋には荷物が山積み状態ですが、通勤の時間は無くなりました。

7月の「新松戸まつり」以降は、引っ越し準備に加え、8月6日〜13日まで、遠方へ巡察に行ったりしていたので、ブログ更新が1ヶ月も空いてしまいましたが、更新を再開します。
冒頭の写真は、8月7日に訪れた「断魚渓」です。近いうちに巡察の様子も紹介していきます。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
ブログ村 幕末維新 ←応援クリックお願いします→ブログランキング

arteiji at 11:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 流山隊からの案内 

2016年07月23日

殺陣演武−新松戸まつり初日-15

DSC03427csw「第30回新松戸まつり」では、7月16日(土)と17日(日)の二日間、殺陣演武を行いました。
まずは、初日のドキュメントを少しだけ紹介します。

今年は、「氷処!新選組」の出店を行わないため、午前中に少しだけ練習ができるという利点があったが、朝は、起きると雨。
しかし、新松戸に着く頃には、ほとんど止み、横倉甚五郎@流山隊と連絡を取って、会場へ竹光などの荷駄を運んでもらう。

DSC03428cswYH@流山隊には、先に着替えてもらい、私は流誠号を指定の駐車場に移動。
ステージ裏にて、仮本陣を置き、全員着替えて、いよいよ練習。

いつものように、当日にシナリオを考えながら、撮影などを手伝ってくれる隊士たちも集合し、いよいよ本番。

土方歳三役の隊長@流山隊が、観客のみなさんに話をしていると、おきまりの乱入者が!
「おい! お前ら、なんだか楽しそうに集まってるじゃねえか!」
と、現れたのは、横倉甚五郎@流山隊演じる坂本龍馬の偽物「逆供流馬」。
DSC03429cswDSC03430csw「怪我をしないうちに帰りな」
という、土方の忠告を無視し、刀の鍔に手をかけたが、
その瞬間、土方は鉄扇で、流馬の刀の柄を叩き、左手で流馬を殴り倒した。

もんどり打って倒れる流馬。
「この野郎!やりやがったな」
起き上がって、再び刀を抜こうとする流馬。
土方は、流馬が抜こうとする刀の柄を押さえ、ねじり、突き倒した。
再び、もんどり打って地面に転がる流馬。
「ふざけやがって!」
起き上がりざまに刀を抜く流馬。
「どうしても、命を粗末にしたいなら、相手をしてやる」
土方は、ゆっくりと刀を抜いた。

流馬と土方の闘いが始まった。

<続く>
ブログ村 幕末維新 ←応援クリックお願いします→ブログランキング

arteiji at 19:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ★行事:流山(下総東葛) | ☆殺陣・行軍