設計事務所 アルテモーダ  (茨城県守谷市)

〜アジアンデザインそして和風モダンの世界へ〜  自然素材が生む知的空間へのプロローグ   

道徳の授業

FAMILY 022昭和45年11月25日、4時間目の道徳の授業が始まろうとしたそのとき、先生が「今大変なことが起きている」と私たちに話してくれたことを今でも鮮明に覚えている。
当時小学5年生だった私は三島由紀夫の名を知っていても、彼の小説を読んだこともなく、ただ先生が言う三島が国を憂いて市谷の自衛隊駐屯地を占拠したその事実を知らされるのみだった。なぜ私たちのような年端のいかない子供たちにこのような話をしたのか、その後恩師を囲む機会はあったものの、その真意を確かめることなく師は鬼籍に入ってしまった。しかし三島の死後、道徳の授業は明らかに変わった。それまで行ってきた、文部省推薦図書を題材にした議論はなくなり、その代わりに師の右手にはいつも「葉隠」があった。山本常朝の説く「武士道というは、死ぬことと見つけたり」この有名な一句が戦中政治的に利用されたことがこの書の不幸であったが、師はこの句が象徴する逆説的な意味をていねいに私たちに説いてくれた。それはまさに美しく生きるための授業であり、紳士、淑女たることを初めて意識するものだった。改めてこの場でこの書の解説をしないが、学校、社会、政治の場、あらゆる場面においてモラルを問われる中、「葉隠」の意味する本当の道徳観を改めて見直す機会が来ているのではないかと思う。そして今まさに品性を必要とする民主党のニューリーダー、彼らにこそこの書を読んで欲しい。

3ヶ月点検

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O様、3ヶ月点検に行ってきました。
小さな3人のわんぱく坊主を持つ23歳の若いママ。チャーミングな中にも母親としてのたくましさを感じます。
御希望だった真白い壁は、オリジナルのカッティングシートで可愛く飾られ、男性陣の中で奮闘される奥様の様子がうかがわれます。白の壁に白の床、当初お子さんの年齢(小1、5歳、2歳)を考えると少々不安でしたが、これも多分奥様の努力の結果でしょう。素敵な白が保たれています。しかしそうは言っても元気の良い坊やたち、洗濯物は山のよう。ホームセンタで売っているコンクリートの重しにステンレスポールのついた物干しに抵抗を感じたご主人が作ったものがこれ(左下写真)です。いかにもプロが作ったという風も無く、素人らしいシンプルな感じに好感が持てます。いつもながらですが、お邪魔してオーナーの方たちの創意工夫を見せていただくたびに、まさに「住みこなしていただいている」という実感とともに喜びが湧き上がります。肝心の3ヶ月点検はというと、「光熱費がアパートの時と比べて安くなったし、住みごごち良く家族5人の生活が何よりも楽しい」などお喜びの言葉ばかりで少々気恥ずかしい思いです。入居後3ヶ月ということもあり、まださほど不具合が出る時期ではありませんが、夏を終え乾燥の時期に入ります。建具の調整を含め、無垢のフローリングの具合など、次回の6ヶ月点検まで見守っていきたいと思います。

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小さな知的空間

                         和風外観3

       回に続き、現在企画中のタイ二ーハウスの紹介です。

                Tiny  House
(ちっぽけな家)

三州瓦をのせた離れ風個室は、和の雰囲気たっぷりの書斎に最適です。休日の午後、学生時代に触れた荷風や谷崎の文章を楽しむのもこの空間ならではのひと時です。
蕎麦打ちや陶芸の趣味をお持ちのかたには、和風アトリエとしての利用はいかがでしょうか。
土間に小さくとも窯を置き、飾り棚から自作の器を選び客人とお茶を楽しむ。 考えただけで心がはずみます。 内部仕上げは、室内の空気を汚さない珪藻土を壁に用い、畳もすっきり したデザインの縁なし畳を用意しています。 また用途により、床をフローリングや土間に変えることも可能です。
自分だけのオリジナル空間をぜひ御堪能ください。


TH和風内観0831

                                                       
和風1階 平面図

 プラン WA-1   17.34 平米     3,270,000円

 

タイニーハウス

 タイニーハウス キューブ                                                     
             タイニーハウス
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   Tiny  House (ちっぽけな家)

 男の隠れ家=思想を持った “小さな家” 



「こんな空間あったらいいな・・」というのがそもそものきっかけでした。
自宅の脇に離れてつくった小さなアトリエ、ただ単に住まいから独立しているという
それだけで、その小空間から言葉にできない可能性を感じられるから不思議です。
まさに趣味的空間が、住まいの一部から独立し一人歩きし始めた瞬間です。
タイニーハウス、これこそが“思想を持った小さな家”と言えるでしょう。

               〜タイニーハウスとは?〜

Tiny House ”(タイニーハウス)それは思想を持った小さな知的空間です。
使い方は色々、アトリエ、書庫を兼ねた書斎、研究室、工作室、
パーティールーム等の趣味的空間や小オフィスに、

また防音等の施工を加えれば音楽室、
シアタールームとしての利用も可能です。
◆ ◆ ◆
タイニーハウスのコンセプトは、
今までの簡易的小住宅とは異なる真の快適空間の創造です。
構造は外壁通気工法を標準とし、仕様も高気密・高断熱工事を施すなど、
住宅としてのスペックを充分に確保しています。
また、玄関ドア・サッシ(ペアガラス)にWロックを採用しておりますので、
今までセキュリティに不安をお感じの方にも安心してお使いいただけます。
◆ ◆ ◆
タイニーハウスは、小宇宙にロマンを持ち続ける“大人のための真の遊び場”
まさに“知的創造空間”と言えるでしょう。


タイニーハウス キューブCUBE 内観



CUBE 平面図
  プランCU−1  13.25(8帖)
  
        価格 2,730,000円
 

アンビバレント

アンビバレント
人間誰しもが持つ相反する二面性。

愛すること、それは時として憎しみにも繋がる。

引き裂かれた“顔”、これは一体誰に向けたものなのか・・・

じっと見つめながら“ハッ”と気づく。

これはまさしく己の顔・・・

醜くとも、それを真実として受け入れてこそ本物の美を見出せる。

 

               アンビバレント 3

消費税

毎年この時期になると気になるのが消費税の問題。とは言っても国家の財政を憂うわけでも何%が妥当かを思いをめぐらすわけでもない。あくまでも今年支払う消費税の多さに溜め息をつくだけだ。

商売をしている方ならお分かりだが、所得税と違って消費税はかなり曲者。所得税はそれなりでも消費税はそれを遥かにしのぎ意外と大きな額になる。事実、私の周りにも払えず滞納している連中もいるようだ。しかも消費税は待ったなし、申告締切日が税の納付日だ。(振り替え納税の方は別)

それもそのはず、消費税はあくまでも預かり金であり、預かった以上速やかに約定日にお上(国家)に納めるのは当然のことだろう。いささか大袈裟かもしれないがそれを滞納することは国家に対する横領に他ならない。

いつから国家の片棒を担ぐようになったって? 決してそんな意味で言っているわけでないが、確かに税の平等性に問題があるにせよ原則的な理論とはそんなものだろう。

でも毎回消費税を払いながら思うのは、国に代わって税の徴収をしているのだから手数料ぐらい頂くのは当然だし、まして税を内税にしている現在では消費者のほとんどは税を払っている意識すら遠のいているはずだ。その意味ではまさに国家が国民を欺いているというのも言い過ぎではない!?

気がつけば三流野党

仕事の忙しさにかまけてブログも一ヶ月あいてしまったが、その間の様々な出来事には正直驚いてしまう。ライブドア事件を発端に、女系天皇容認問題、BSEそして堀江メール問題。全ては野党が小泉を揺さぶる格好の材料と思いきや、こと堀江メール問題に関しては民主党の体たらくな大失態。ここで何度も述べているが、与党に何か事が起こるとそれをきっかけに自分たちが浮上しようとする野党の卑しい振る舞いにはほとほと呆れてしまう。そしてその結果が今回の永田議員そして民主党の大失態であり、過去の一連の民主党の与党への姿勢がこのような事件を誘発したのは間違いない。政策で真っ向から与党に立ち向かうのではなく、与党の足を引っ張ることで目立とうとする野党の存在の終焉を今回の出来事はまさに予言している。相手の失態や過ちを非難することで民意を引きつけようとする行為はまさに民衆に媚びているに他ならずあまりにも卑しすぎる。今の野党に求められるのは正に政治への信念であり、それが本物であればやがて民意はついて来る。一時的なかりそめの政権を握ることに労を費やす無意味さを知るべきで、真の信念さえ持ち続ければ与党がチョンボした時に政権は黙っていても転がり込む。与党と違いを無理に示す必要もない。それにこだわればこだわるほど無意味な呪縛に囚われ、結果として今回のような醜い足の引っ張り合いを演じるハメになる。事実大きな違いもないのだから。今の民主党に欠けているのは民意に媚びないという真の信念であり、幸いなことに彼らの傍には見習うべき素晴らしいお手本が存在する。

小泉純一郎・・・ 批判だけに留まらず、何ゆえ彼があの大自民党の権力構造を覆し民意を保ち続けたかを真摯に考えずにして民主党に政権などあり得ない。

 

いいかげんなマスコミ

昨年からの株価の高騰に不気味さを感じ、ブログに記載したと思ったらこのライブドア事件。マネーゲームに興じていた個人投資家にはかなりのショック!家庭の主婦が旦那に黙って投資をしていて大きくへこんだとなれば中には自殺する人も出てくるのでは?と他人ながらも心配になる。まあ、今の奥方たちにはそんなやわな神経をお持ちの方もいらっしゃらないかもしれないので私の取り越し苦労かも・・・

それにしてもマスコミを初め、自民党に野党、みんないい加減だ。中でもマスコミ、堀江をあれだけメディアに登場させてそれなりに持ち上げながらあの態度は一体何だろう? 彼らは自分たちの責任を横に置いて、まづ自民党に矛先を向ける。マスコミはメディアという権力を利用して自分たちの責任を他者に向ける、これは彼らの常套手段だ。マスコミが小泉首相に衆院選の堀江擁立に関する責任を追及した時、逆に彼らの責任に言及したのは当然のことだ。民主党についても同様。せっかく若い前原が党首になったのだからと期待していても、言うことは歴代党首と何も変わらない。せめて「小泉首相を初め、自民党の方もお気の毒ですね。うちだってさもすれば逆の立場だったかもしれませんものね」くらいの発言が出てくれば“大人としての民主党”の器が国民に認知され、支持も上がるはずなのに全くもって彼らの知性と判断を疑ってしまう。

とは言え、堀江を迂闊にも持ち上げたのは自民党の失態。そんな時は素直に非を認めるのが一番。その上でマスコミや野党をやんわりと皮肉れば国民は理解してくれるもの。その意味では、少し遅れたが小泉首相が責任を認めたのはまだましの方。

今回のライブドア事件、検察は異例の早さで堀江逮捕劇を演じたが、果たして検察はライブドア一連の証取法に関する問題だけで幕を閉じようとしているのだろうか?今回の事件の背景には堀江と同じ、またはそれ以上の存在があるのを予感するのは私だけではないはず。株式市場の混乱が落ち着くと同時に検察が別の側面で他の疑惑を暴くことを密かに期待している・・・。

不気味な予感

昨年からの株高は今年も順調のようだが、その背後に潜む妙な空気は否応なく何かを予感させる。年末は仕事を兼ねて那須で過ごしたが、そこで感じたのは別荘地そしてリゾートマンションにおける妙な価格のアンバランスさだった。バブル崩壊以後と言っても当時の価格の5分の1を下回る物件がごろごろしているのにはいささか奇妙な感さえ覚えてしまう。

帰宅後、更に詳しく調べてみるとその異常さに改めて驚かされた。具体的な場所は敢えて記さないが、20万から100万円(ワンルームから2DK)のリゾートマンションがごろごろころがっている。さては、十分な管理もされておらず管理費用もバカ高いのかと思うとさに非ず。管理会社も大手デベロッパーで月の管理費も1万5千円位。しかも立派なロビーを備え、24時間利用可の温泉大浴場も付属しているのだから驚きを超えて呆れてしまう。

もはやこれは尋常な状況を逸脱してしまっている。でも何故売れないかって?  それは簡単。まずこのような状況を知っているのは地方の不動産屋やそれを専門に扱っている業者か一部の投資家くらい。でも投資家にとってはこんな田舎の物件よりは順調な株や金融の方が短期間勝負が可能で遥かに魅力的だ。まさにリゾート物件は景気の名のとおり、“気分の景色”を物語っている。すなわち100万で売れないものは50万になり、50万でも売れなければ20万になりさえする。今はまさにそんな状況下かもしれない。当時1000〜1500万円のマンションがその10分の1、いや50分の1。これが常軌を逸脱していないと誰が言えるのだろう。

例えば100万円の温泉大浴場付のマンション(管理費:15,000円/月)を親戚3家族で購入したとしよう。1世帯当たりの購入代金33万円、月の管理費5,000円で1年の3分の1の120日を自由に使えたとしたら・・・個人の考え方は様々でも、つまらない会員権を購入するより遥かにましなはずだ。

思い起こせばバブルの時代、不動産と同時に株価も高騰し、その溢れた金は絵画や会員権そしてプレミアの付く高級車にまで及んだ。今回の株高による景気がねじれれば、その資金は不動産に流れるのは必至で、タダ同然のリゾート物件はまさしく標的だ。バブルという痛い経験を通して何を学んできたのか、この異様な盛り上がりの中、我々の英知が今まさに試されようとしている。

謹賀新年 「顔」

顔

明けましておめでとうございます。

昨年は仕事、そして個人的交友の中で多くの方と知り合うことが出来ました。お蔭で作品はもとより、リレーションの中で多くの刺激を楽しむことができました。心から御礼申し上げます。

印象的だったのはそれぞれの方の顔、顔、顔。対象は何であれ、夢中に取り組んでいる方の顔は輝いており、とても魅力のあるものです。今年は果たしてどんな素敵な「顔」と出会えるのか?

本年も皆様にとって素晴らしい年でありますよう、心よりお祈り申し上げます。

床暖房

今年の春に引渡しをしたお宅に伺った。玄関に入るとすぐに見渡せるリビング、さほど広くない敷地を有効活用するため無駄な廊下を極力省いた結果だった。外界と一線を画した心地よい温もりは、まさに自然素材と床全面に敷きつめた床暖房のおかげに他ならない。10帖大のリビングの吹き抜けにもかかわらず、ほどよい温もりは至るところに満ちている。

前にここでも触れたように、床暖房を検討するならリビング、ダイニングにとどまらず洗面所、キッチン、トイレ、廊下なども含めて施工することを勧める。そしてスイッチも場所ごとに切り替えず1箇所でON/OFFするほうが熱効率もよく施工費用も安上がりだ。原油価格の高騰の今でも、熱源は石油のほうがガスや電気に比べてまだまだ経済的だ。

通常、部屋の隅は家具を置く都合もあるため、それを除いた7割以上の面積を床暖房パネルを敷きつめれば主暖房としてエアコン等の補助なくして冬を過ごすことが出来る。但し、今回のお宅もそうだが出来ることならはサッシの前は隅の部分まで床暖房パネルを敷くとカーテンとサッシ間に空気が滞留せず結露対策には万全だ。

人間贅沢にはきりがない。床暖房の恩恵を存分に味わった昨今、別の環境に赴いた途端不快感すらおぼえてしまう。床暖房・・・これこそまさに冬の麻薬にちがいない。

 

未成熟な大人たちの犯罪

新聞の一面を賑わす相次ぐ少女殺人事件、ここ数年幼児にまつわるこの手の事件の多さはあまりにも異常だ。また事件の性格は異なれども親の幼児虐待による殺人も後を絶たない。

いつからこんな時代になってしまったのだろう。私が幼少の頃(約30年前)、殺人事件はめったに起きることのない深刻なニュースであり、その年の重大ニュースとしてとりあげられたものだった。それが今となっては毎日のように起こり、報道されている。

貧しくも平和であった時代、そして富みながらも凶悪犯罪が増え続ける時代、一体それらの時代間にどのような変化が存在したのだろう。

戦後民主主義を無条件に理解し、物に溢れ、自由を我が物とする我々。もはや私たちにとって自分の欲望を遮られんとすることは権利への侵害と解釈するのだろうか。

このような悲惨な事件の加害者に共通なのは、あまりにも未発達で未成熟であるということだ。家庭、そして教育の場で与えられた歪んだ権利と自由、果たしてそこには我慢、そしてなんの規律さえも存在しなかったのだろうか?

今、我々が最も考えなければならないこと、それは学校と家庭の中での教育のあり方はもちろんだが、自分たちに与えられている権利と自由の概念、そしてそれを行使する本来の意義を理解することの大切さだと思う。

ダイアリー

今日から師走、毎年のことだがこの時期には引き渡しや着工が重なり慌ただしく年が過ぎて行く。そんな時節柄ちょっとした楽しみは毎年送られてくるダイアリー。JALのグローバルクラブの会員に配られるそれは、少し大ぶりながらも(A4を二まわり小さくしたくらい)しっかりとした作りで見開き1週間タイプのとても使いやすい代物だ。更に嬉しいのは一緒に梱包されてくるカレンダー。JALという日本を代表する?企業らしく、毎年あらゆる角度で“日本の美”を紹介してくれる。

新しいダイアリーに残り少ない今月のスケジュールを書き込みながら1年を振り返る。同時に来年の予定を記しながら新しい未来に胸を膨らます。1年で最も謙虚になれる瞬間・・・それはまさにこの時かもしれない。

皇位継承権

清子さんの御結婚、そして愛子様のお世継ぎ問題、最近巷では皇室に関する話題で賑やかだ。結婚後、民間人として御夫婦で散歩するさまをマスコミが追いかけたり、ひいては徳仁殿下や秋篠宮殿下の発言をワイドショーネタとして取り上げられることも皇室の垣根が低くなったことの現で必ずしも悪いことではない。

そんな中、最近気になるのがお世継ぎ問題。皇位継承権に関する有識者会議で女系女性天皇が認められることで一致した。今の世の中男女平等、女性天皇が出てきても何らおかしいことはない。むしろ開かれた皇室を印象づける意味でも大いに歓迎できる。

しかしここでよーく考えてみると、何のために我々は天皇の存在を認めてきているのだろう?戦後生まれの民主主義の洗礼を受けてきた私などにとっては左翼系のリーダーの言う天皇制廃止論すらもわからないわけではない。私の場合あえて言うなら、天皇制こそは太古から続く日本の伝統的なるもののまさに象徴であり、またそれ以外のなにものでもないにしても、その理由だけで存在の意味は充分に理解できる。

そして天皇制が日本の伝統そのものとして考えた場合、果たして皇位承継権を女系に移してよいものか甚だ疑問である。過去に女性天皇は8人位いたと思うがその殆んどは男系であり、推古天皇を除いてはピンチヒッター的役割だった。天皇制が伝統であれば男系天皇すらも伝統に他ならないし、元来伝統というのは一つの流れを踏襲しこれからも守り続けていくもののはず。それすらも時代の流れで果たして変化すべきものなのか?単に男女平等という枠組みだけで考えられない極めて難しい問題だ。

平成の現在、愛子様の皇位継承そのものに反対する理由など何も見当たらない。ただ唯一納得できないのは、その問題を一部の有識者の中だけで論じていること。天皇が万民の総意で国家の象徴であるならば今回の皇位継承に関する議論が密室ではなくもっと開示されるべきだ。ここ数年で皇室はかなり開かれてきたし、皇族の意識も変わりつつあるのだと思う。せっかくの流れを政府、国家が今回の件で曖昧にするのなら、戦後民主主義の中で育った我々にとっては天皇制など無用の長物ということになり兼ねない。

 

 

構造計算書偽造に思う

最近巷を賑わしている構造計算書偽造事件、やっぱりな・・・というのが正直な気持ち。もちろん悪いのは実行者である構造設計事務所であるのは言うまでもない。木造3階建ての構造計算書だって100ページをくだらない。そんな計算書を役所の担当がどれだけ目を通せるのかという疑問はかねがね持っていた。

何でもそうだが、元来お役所というのは体裁が整っていればそれでOKという風潮があるのは否めない。建築確認にしても法規の範囲で具体的数値を満たせば必要十分条件が整うこととなる。したがって数100ページの計算書の中では一部の数字が改ざんされても出口の数字が規定数値であればOKでチェックする側も当然この部分しか目にしない。そんな状況下でやがていつかはこのような事件が起こることは想像に難しくはない。

原因の第一は建築士のモラルの低下、役所をかばうつもりは全くないが、まさか建築士がそこまでモラルを逸脱するとは・・・というのが正直なところかもしれない。しかしこのような事態が起きうることも十分予測していたはずだ。原因の第2はほとんどの設計事務所が大手ゼネコンやデベロッパー等の下請けで生き延びていること。そしてこの間に自己の表現や夢などを忘れ、ひたすら与えられた仕事のみをこなし、しまいにはゼネコン等の喜ぶ建築コストが安価にできる図面をつくり挙句の果てには聖域である確認通知書や構造計算書まで偽造してしまう。

新聞にも書かれているが、おそらく今回の姉歯の事件も氷山の一角にすぎないと思う。国土交通省が過去5年くらいの案件を洗えば相当の不適格事例が出てくるはずだ。もしこの一月間に1件も同様の問題が浮上しなかったとしたら、それは役人が調査を怠っているのではなくあまりの多さに国交省が事件を隠蔽していると思って間違いない。

姉歯のような事件は確かに氷山の一角。しかしだからといって設計事務所の多くが低いモラルの存在ではない。特に我々のような個人住宅を専門に設計をしている事務所、しかも絶対に下請けなどを行なわずオリジナルを追求しているところには建築に関する気概とロマンを兼ね備えている建築士も数多い。

正直、我々にとってはあまりにもばかばかしい他人事と思いたくとも、あまりにも悲しく寂しすぎる・・・

春の雪

先日、三島由紀夫原作、行定勲監督作品、映画「春の雪」を六本木ヒルズで観てきました。週末だったこともあり夜11時半スタートのレイトショウでしたが、私のような?深夜族にとって、このような場は何よりもありがたい存在です。

今日の新聞をみたら、入場者数も100万人を突破したそうです。この映画を観て感じるのはまずその映像の美しさです。大正ロマン期の貴族の華やかさと艶やかさを、季節の風景と時代衣裳を用い存分に表現しています。このあたりは三島文学の持つ美意識をビジュアルな形であらわそうとする行定監督の苦労がよく伝わります。

この作品は三島の晩年の作であり、同時に彼が肉体そして死に対する美意識を完成させた時期でもあります。幼少の頃の三島は病弱でその肉体的コンプレックスは成人になっても続き、やがてそれはボディビル、剣道などを通して物理的強さや肉体美こそが“雄”としての優性であることを認識します。舞台は大正期の学習院、時代こそは違え三島が幼年から青年期を過ごした学舎です。主人公“清顕”の友人“本多”は不器用ながらも誠実なスポーツマン、一方清顕はニヒルさの中に自分を隠そうとするそんな弱さを持つ未発達な青年です。ここで三島が描いた清顕のニヒルさに青年期の自分の姿を映し、本多こそが彼が憧れていた男としての姿ではなかったのか?と思うのは考え過ぎかもしれませんが、三島の本名である“公威”と主人公清顕の名が何故か重なり合う気がしてなりません。清顕が若さ故のひたむきさで病にもかかわらず愛する女性を追い、その結果として与えられる究極の美が死というのもいかにも三島らしい選択です。

実を言うと今回の「春の雪」を初めとした「豊饒の海」4部作は読んでいませんでしたが、晩年の彼の思考や行動を知る手掛かりを予感させる映画でした。最近、目の前の仕事に追われ気味の毎日ですが、一気に読破したい作品です。読後の感想も機会があればこちらのブログに記したいとます。

ダビンチ展に足をはこんで・・・

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ダビンチ展に行ってきました。最終日、しかも閉館30分前でもチケット売り場には行列ができていました。私も仕事の都合で遅くはなったものの、入館締切時間の21時30分ぎりぎりですべり込むことができました。もちろん閉館までの30分では理解するにはあまりにも時間がなさすぎますが、それでもダビンチの思考の一端を存分に堪能できました。

ダビンチの研究とその足跡を追う中で私が何よりも注目するのは、彼の残した偉大なる業績や成果以上に、彼の開かれた自由さ、言い換えればカテゴリーという枠にとらわれない精神的自由さです。ここでも何回か述べたように、いつから私たちは狭いカテゴリーに身を置いてしまったのでしょうか・・・。

建築家、医師、弁護士・・・それぞれの職業が細分化され、その狭い分野の中のエキスパートという言葉に支えられ安心すら感じている。文明や文化の変遷に伴い、社会が複雑化するにつれて専門の細分化が効率を高めてきたのは確かに事実。果たして本当にそれが良かったのだろうか?ダビンチの姿勢を見て痛烈にそれを思う。

“エキスパート” この言葉に多くの人は自尊心をくすぐられても、私にとっては卑しさの象徴に他ならない。ピアノが上手、野球が上手、なんでも上手く出来ることはいいことかもしれないし、努力すること自体に価値があるのかもしれない。しかし翻って考えてみると、上手くあろうとするその気持ちにどうしても卑しさを感じてしまう。ピアノ講師の前で泣きながら懸命にレッスンをする子供たち、鬼コーチのもとで甲子園を目指す高校球児。彼らがドッグスクールの犬と同じに思える私が浅はかなのか? ヨーロッパを旅行して毎度目にするお行儀のいいワンちゃんたち。その光景を見るたびにおぞましさと吐き気を感じずにはいられない。

地球資源的観点において、国家にしても企業にしても単純化しつつある今の時代、我々にとって大切なことは狭いカテゴリーにとらわれない、全人類的、全人間的存在として自分を表現していくことに他ならない。

ベンチャーという名の連帯感

ここ数日、忙しさにかまけてブログも滞り気味で少し反省。

今週は仕事と私的なことが重なり六本木ヒルズで夕食をする機会が多かった。夜7時を過ぎると小奇麗なレストランやバーにはいかにもベンチャーやITのスタッフと思われる人たちが集まってくる。中でも私の隣のテーブルにいた4人の男性グループは会話の質からして如何にもベンチャー企業の役員の様子。無意識の私の耳にまとわりつく粘り気のある口調は彼ら独得のもの?と思い目をやると何か不思議な感じ。よーく見ると、ジャケットやシャツの色柄は微妙に違えど服装のパターンはほとんど同じ。黒もしくはダーク系のジャケットとスラックスにノーネクタイの開襟シャツ。そう言えば堀江さんや三木谷さんも同じ格好をしてたっけ。

あたりを見回すともっとびっくり!店内の男性のほとんどが同じ出で立ちだ。既存企業の旧態の発想を打破して新しい価値観を構築しようとしているITやベンチャー企業の連中からしてこの有様とはちょっと驚き・・・  ITやベンチャーというカテゴリーにいるという妙な連帯感、いや安心感が今の彼らの服装にあらわれているとしたなら、ITやベンチャーなどという言葉も一過性に過ぎないのかも!?

懲りない面々

つくばエクスプレスの開通から2ヶ月がたった。その間、2回ばかり利用したが、その利便性はあまりにも凄まじい。今日も東京から来客された方は30分後に茨城にいるその事実に信じられない様子。

駅前の開発は急ピッチに進み建築途中のマンションも既に完売した。地元区画整理組合がバブルのつけで破綻し、止むを得ず市が税を投入した土地ですら飛ぶように売れている。UR都市機構(元住宅都市整備公団)も売れずに安い賃料で定期借地権としていた土地に高い価格をつけた販売チラシを撒いている。

株価の急騰、マンションや建売建築の順調な伸び、ここで金利が上がろうものならバブル期の再現だ。私の周りでも不動産に傾注する人、株に没頭する人が増えてきた。人間が神から与えられた最大の能力、「忘却」。あれだけ火傷を負いながらも欲の前では無防備な人間。果たして我々は泡の向こうに隠れるノアの方舟をみつけられるのだろうか・・・

フェアなぶつかり合い

最近、頻繁に現場へ足を運ぶ。やたら曲線や複雑なデザインンが多いせいか、私が自分で下描きしたにもかかわらず手直しをお願いすることもある。でもそれは職人との間ではルール違反。しかし気になりだしたら放っておけない。そこは何とか頼んでお願いするのだが、職人は顔をひきつりながら“またか・・・”の様子。そんなことが何度となく一つの現場で繰り返される。最近では職人もそのことを知ってか厄介なことは事前にこちらへ尋ねてくる。そんなこともあり現場に足を運ぶ回数は否応なく増えてしまう。

職人にとって設計者は目の上のたんこぶ、しかも現場に来て突然デザインを変更されようものなら文句を言いたくなるのは当たり前。彼らにとって私なんかけっこう嫌な奴にきまっている。でも不思議なことにこちらが真剣にデザインや仕上がりにこだわり、何度も変更や修正をお願いしてその成果が目に見えて解ってくるとある瞬間から彼らの態度がガラッと変わる。そして、むしろ多少手間でも「こうしたらどうでしょうか?」と言う言葉から始まり、しまいには職人のこだわりの域すら見せてくる。こうなったら作品の半分は既に彼らのもの、愛着すら持っている。

目的に対して純粋で真剣であれば不思議と問題は解決される。そこにはただ一つ、フェアなぶつかり合いが必要だ。そしてこの衝突がパッと花開いたとき私の作品が完成される。

 

 

Profile
小関道人
時のうつろいの中に癒しを感じるアジアンデザインを手掛けています。最近では子供部屋のデザインも大きな楽しみです。
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